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惰眠のブログ一覧

2006年03月14日 イイね!

呆れ果てた泥縄対応@中古家電

呆れ果てた泥縄対応@中古家電中古家電の売買を制限する法律が「とっくに成立していた」ことが最近になって表面化して騒ぎになっているが、きょうニュースを見ていて呆れ果てた。

 中古電気製品の範疇からビンテージものは除外するので予定通り発効させてネ♪と言うわけだ。音楽業界など実地で「文化」を創造している人たちが名乗りを上げて反対を表明したので、優秀な官僚の皆様はよほど泡を食ったのだろう。
 楽器系を除外することで「カンバン」になってる著名人を利害関係者からはずそうという思惑が見え見えだ。

 この期に及んで、こんな姑息な対応ができるということは、逆を言えば運用細則がきちんと詰まっていないことの証左でもある。中古家電の「安全」を保証する組織が、どういう面々で構成されるのかなど知ったことじゃないが、よくもまあ、こんな担当官の胸三寸で如何様にでも閾値を変えられるようなエー加減なルールを決めてくれたもんである。

 僕に限って言えば、中古家電を買うことも、また再流通させる前提で売ったりすることも(殆んど)しないので基本的に実害はない。ないのだけども、こういう、秀才サマが机上の小理屈(と省益の拡大狙い)だけででっち上げたような粗雑なルールがまかり通るさまというのは、実に不愉快だ。

 今回の事例はたまたま電子楽器なども含む「家電製品」という、誰にでも生活実感として分かりやすく、「趣味」ではなく「文化」の問題としてリンクさせやすいカテゴリでの出来事だったから大騒ぎになったが、この制度のロジックは自動車リサイクル法やグリーン税制と同根だ。

 自動車趣味という奴が、元々物品税が課せられていたような「贅沢品」を対象とすること、趣味というよりは消耗されるステータスとして見做されることなどから、広く世間の共感を得られないだけである。
 たまさか、自動車の「文化的側面」についてオピニオン・リーダーになるようなシンボリックな人士がいなかった、声を上げなかった。それだけのことである。

 今の制度下では、例えば添付写真のダットサン・シルビアは「クラシック・カー」としての文化的価値をお役所が(製造年を理由に)認めてくれないから割増しの自動車税を支払わなければいけないし、メーカー欠品のパーツを不動車から(存在自体が稀な車ではあるが)取って来ようにも、業者が不動車をストックしておくことが許されていない以上「壊れたらオシマイ」にならざるを得ない。

 マンガで人気のハチロクも、日本グランプリでポルシェの前を走ったスカイラインも、世界初の量産2ローター搭載のコスモスポーツも、つまり自動車大国ニッポンの誇るべき産業文化史的遺産は、十把ひとからげに「ゴミ」に認定されているということ。それが、お役人的経済観というわけだ。んでもって、言うまでもないことだがマイノリティーに属する自動車趣味の人以外は、そのお役人の価値観を受容していると言うこと。まったく、たわけた話だと思う。

 それにしても報道機関。この制度の導入にまつわるハレーション部分だけをご大層に取り上げてばっかりで、どこのどいつが、どんな理由でこんなアイディアを思いつき、どんな国会審議を経て可決成立したのか、その責任者をあぶりだして報じようって姿勢がカケラもない。これもまた、たわけた話だ。
 タイゾー議員が結婚したとか、民主党は恒三改革だとか、三文週刊誌みたいなネタを性懲りもなく撒き散らしてないで、もうちょっとマスコミとしてのマトモな(本来果たすべき)仕事をしてくれよと文句の二つ三つつけたくなるのであった。
Posted at 2006/03/14 19:12:14 | コメント(6) | トラックバック(0) | ふと思ったこと | 日記
2006年03月13日 イイね!

就職戦線、異常あり

就職戦線、異常あり企業の新卒採用活動が活発な季節になったようで、職場近くのビルのエレベーター・ホールにも、面接会場の案内板が出始めている。

 僕が学生だった頃には就職協定なんてものがあって、表向き4年次以上の学生としか採用に向けての接触しないルールになっていた。まあ、現実には、3年次の終りには早々に就職内定を取り付けている奴もいたけども。

 今は、3年次の学生さんと面接をして、早々に再来年の採用の内定を出してしまうようで、職場の後輩が人事部に借り出されていた。そのうちの一人がしきりに愚痴るのを聞いたが、兼好法師なら「耳驚くことばかりなり」と皮肉を言いそうな話だった。

 人事部から、面接担当にきつく言い渡されることは「応募者様は、神様です」というような注意。昔あった(僕は経験したことがないが)圧迫面接などもってのほか、受験者が入室したら「ようこそいらっしゃいました」から始まって、面接が終了したら起立の上「ありがとうございました」で見送る由。なんだ、そりゃ。全然逆じゃないか。あんぐり開いた口が塞がらない。

 はじめ冗談じゃないかと思ったのだけれども、それが今の風潮なのだという。だが、それだけじゃない。最近の学生さんの中には、面接官から「圧迫的な面接をされた」と思うと、即座に会社の人事部に電話をかけて「なんなんだあの面接官は!」と文句を言うようなのまで珍しくなくなっているらしい。もう、絶句。一体なんなんだ、それは。

 まぁ正直なところ、そんな勘違いクンを会社が採用することはありえないのだけれども(だって、そんなのと机を並べて仕事をしたいとは誰も思わない)、それでも「ご配慮」しなくちゃいけないのは、会社は所詮客商売、社員採用しなくても「お客様」として当社とご縁があるかもしれない、潜在的お客様である以上は、相応の心遣いをしなくちゃあいけないよねと、そういう理屈らしい。

 そんなの、絶対おかしい。病んでる。とオジサン年代の僕は思うのだった。だって、売り手・買い手のことで言えば労働市場というマーケットでは「お客様」なのは労働力を購入する企業の側だ。
 しかし人事がそういうお達しを出すくらいなんだから、これから先は、僕らのお客様全体も押しなべてそういう傾向になっていくのかも知れない。と、なんだか暗鬱とした気持ちに捕われた。
Posted at 2006/03/13 12:27:27 | コメント(3) | トラックバック(0) | ふと思ったこと | 日記
2006年02月27日 イイね!

雪の2月26日

雪の2月26日今年2006年の2月26日、東京の空は雨模様だった。
風邪気味なのか体調が少しおかしく、ひがなトロトロと眠いので外出は控え、徒然に「70年前の東京は雪だったのだなあ」などと考えをめぐらせた。

 今から70年前。1936年の2月26日、雪景色の東京では昭和維新の旗印のもと「皇道派」の青年将校らが決起、齋藤実内相、高橋是清蔵相ほか8名を殺害するクーデターを起こした。世に言う二・二六事件だ。
 日本が軍国主義化を強めていく中でのマイル・ストーンのように語られるこの事件だけれども、僕はそういう教科書的な定義とは少し違った受け止めをしている。それは「なぜ」に力点を置きたいからだ。

 原因を述べる際に、右にしろ左にしろイデオロギー的な色彩を除去することは困難なのだろうけれども、発生に至るまでの政治力学をあえて度外視すれば、ひとことで言って「当時の日本がうまくいっていなかった」ことに尽きるだろう。

 農村の疲弊、政党政治の腐敗、軍上層部の腐敗、などなど社会矛盾の拡大が原動力であった由、用語集などには記されている。
 平たく今風に言えば都市部と地方の格差、政業の癒着、官僚のやりたい放題のことであり、言い回しさえ変えてしまえば「なーんだ、今の時代状況とまるっきり同じじゃん」ということになる。

 「格差は悪いことではない」という考え方は、だから危ないのだ。一握りの成功者が、平均から飛びぬけた果実を手にすること(つまり上方偏差)の肯定と同じ地平で「格差」を語ってはいけない。「格差」には下方偏差が含まれるからだ。
 巧いことできなかった奴は損な役回りに甘んじて当然、だとする。その時点はそれでいいかもしれない。だが、それが累積したら?その結果、成功者とそれ以外の格差は一方的に拡大するしかないのだとしたら?
 「小さな政府」「自己責任」論は、この格差の補正を最初から放棄しているのだから、アダム・スミスの神の見えざる手の帰結同様に栄えているところはさらに栄え、落ち目のところは零落するより他なくなる。

 「資本主義の原理は弱肉強食なのだから当たり前」「そうでなければ国際競争力はつかない」と、竹中平蔵氏やその賛同者は口々に言うだろう。
 だが「経済のスリム化は人心のスラム化」とも言う。昔ながらの表現では「恒産なくして恒心なし」だ。働き口がない、稼ぎがない、などなどは社会不安と直結する。治安の悪化と直結する。
 下手すれば生活費欲しさの置き引き・引ったくり・かっぱらいが常態化することだってありうる。こっちで支出を渋った結果、あっちでコストの増大を招くことになりかねないわけだ。そんな社会が「豊かで文化的」なのだろうか。我が日本と胸を張って誇れる国の姿なのだろうか。

 「格差が悪い」というのは、成功者を嫉むとか能力ある人の足を引っ張るというような話では、まったくない。全然別の事柄だ。
こんな粗雑な詭弁を弄する輩が進めようとする「改革」など、危なっかしくてとてもじゃないが乗れたものではない。

 70年前のむかし「上手くいってない日本」を立て直そうとした人たちはクーデターに打って出た。彼らにその後の青写真があったとはいわない。クーデターを肯定するつもりもない。
 だが、おかしいことをおかしいと感じ、徒党を組んで行動に移したという一点についてだけは、ある意味僕は今の時代よりも健全だったと評価しうるのではないかと思っている。

 今日は2月27日。70年前、東京は戒厳令下にあった。
Posted at 2006/02/27 18:06:38 | コメント(2) | トラックバック(0) | ふと思ったこと | 日記
2006年01月23日 イイね!

それはホントに谷崎だったのか

それはホントに谷崎だったのか受験シーズンである。
この季節になると、19年前に大学の入学試験で読んだ、800字程度の文章読解の出題文を思い出す。問題用紙に印刷された出典も筆者も明かされていないごく短い文章に、僕はひどく興味を掻き立てられた。
 文章の筆者は、しきりと朝顔が如何に美しいものであるかを切々と説いている。ただ、その描写は妙に偏執的かつ妖艶で、いやにべちょっと湿気っぽい独特の雰囲気を持っていた。ひとことで言って、ちょっと普通じゃない感じなのだ。その大学には合格したから結果オーライだが、試験そっちのけだった。

 読んでいるうちに、どうやら谷崎潤一郎の書いた文章らしいとわかってきた。しかし、どうも変だ。朝顔の話をしているのに、陶器の地肌がどうとか釉薬の艶がこうとか情熱的に語っている。朝顔で、陶器だって…?

 受験生の僕は思った。「いや…たしかにあれも朝顔だけどさぁ。これって入試問題だろ。まさか、そっちってことはないよなぁ」と。けれども文章を一通り読み通してから設問を見て、静かな試験会場で吹き出しそうになった。設問には、こうあったのだ。
「本文中で言う『朝顔』とは何のことか」と。
 僕は、どう書けば採点者が誤解しない表現になるか少し思案してから、解答欄に「男性用小便器」と記入した。

 受験シーズンが来るたび、僕は「朝顔の美」に思いを馳せてきた。あの問題の出典は『陰翳礼賛』に違いあるまい、いつか確かめてやらねばなあ、と。
 それでこの週末、19年越しの宿題にケリをつけようと本屋に赴き、『陰翳礼賛』を手に取った。「厠のあれこれ」という、いかにもそれらしい副題をつけた章があることを事前に確認していたからだ。

 さて、これで長年のもやもやにケリがつくと思っていたのだが、ことはそう簡単には運ばなかった。谷崎はもっぱら大きい用事の話しばかりを書いていて、朝顔の話は殆どしていないのである。
 こうなったら仕方がない、次は赤本のバックナンバーでも探して見るしかないだろう。それにしても出題者は、一体どんな顔してこの設問を考えたのだろう。
Posted at 2006/01/23 12:26:18 | コメント(3) | トラックバック(0) | ふと思ったこと | 日記
2005年12月16日 イイね!

信任を与える、と言うこと

信任を与える、と言うことやっぱり来ましたな、小泉さんよ。
 クルマ乗りの立場で言うと、自動車関連の諸税を高率の暫定税率のまんま一般財源化しようとか、タバコ吸いの立場で言うとさらに1本当たり1円の税額上乗せをするとか、給与所得で生活してる労働者の立場としては所得税等の定率減税を廃止するとか。

 国債の発行残高が、とかその償却負担分が、とかで増税しないとやっていけないと言うような事だけども、なんか小泉さんてば昔、国債はナンボ以上発行させません!とか大見得切ってなかったっけ。
 でもって後になって「その程度の公約」みたいなこと言って方針撤回して国債をバシバシ垂れ流し続けたんじゃなかったっけ。
要するに小泉さんの判断ミスの付けを、今ここになって全額わしあらに押し付けようってことじゃないのかね。

 「郵政民営化は是か非か!」と問うた選挙に勝つと、早速に生活者に痛みを強いる施策を次々と推し進めてくださる。まあ、想定の範囲内ではあるのだけども。世間の耳目が衆院国土交通委員会での証人喚問に集まってる隙を突くように、いつの間にやら…である。酒税のほうでもなにやらインチキくせえ屁理屈で発泡酒に高い税率をかけることが既定方針になっちまっている。

 作家の石原慎太郎氏が東京都知事になったばかりの頃、都政担当の記者をやっていた友人が、しきりに気にしていたことがあった。
「街頭演説で、石原は一体何を口にしていたのか」と言うことだ。
 銀行に対する外形課税などでハレーションを起こしたりもしたが、よきにつけ悪しきにつけ石原都知事は、選挙期間中に街頭演説で口にしたプランを、本当に片っ端から実行し始めたので、都政担当は泡を食ったのだ。

 僕は必ずしも石原都知事を支持しているわけではないが、それでも彼は、少なくとも有権者都民を欺くようなことはしていない。
米百表の我慢と引き換えに「実現する」と着手したカイカクが、いつまでたっても仕上がらないなんて、どっかの総理大臣みたいなことは、しない。

 威勢の良さ、歯切れの良さ、判りやすさ、人気の高さと言う点で石原氏と小泉サンはとてもよく似ているけれども、しかし行政の長としての資質 ――と言うよりは適性、かな―― は雲と泥ほども異なっている。

 野党もよくよくだらしない。自民党も本当に不甲斐ない。こんな政治家を、いつまでも内閣総理大臣の職に、自民党総裁の地位につけとかないでもらいたい。
Posted at 2005/12/16 12:37:09 | コメント(2) | トラックバック(0) | ふと思ったこと | 日記

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何シテル?   07/24 21:51
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