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2002年12月01日 イイね!

さよならM2、夢の残滓

さよならM2、夢の残滓日本の産業界がバブル経済に浮かれ踊っていた頃、東京・世田谷にその浮かれ具合を具体的な形にしたようなけったい極まりない外観をした建造物が作られた。
M2ビルと命名されたその建物には、広島の自動車会社マツダが、バブルの熱で膨張したニッチ(隙間)マーケットにアンテナを張り巡らせるべく首都東京の拠点基地としての役割が与えられ、NA型ロードスターをベースに独自のモディファイを加えた「M2 1002」などを世に問うた。メーカーによるレディメイド車に満足しきれない当時の若者や自動車雑誌に、M2は大いに受けたものだった。

 実験工房のような役割を担わされたこの部門、ロードスター以外にもコスモやファミリア、プレッソなどのモディファイにも食指を伸ばしていたし、今なら市場で大いに人気を博しそうなピープル・ムーバー(いわゆるミニバン)のデザインコンセプトを手がけこともあった。僕もその当時、幾たびかイベント展などを見に足を運んだものだ。

 しかしバブルがはじけ、日本経済も企業業績も雪の坂道で足を滑らせたかのごとき勢いで転落が始まると、収益部門ではないM2は真っ先に閉鎖されたのだった。ただその後、建物にはマツダ系ディーラー3社ほどが入居したのでマツダ車(やシトロエン)のカタログや販促用宣材を収集するには都合がよく、僕などは専らその手の目的で、M2時代よりもむしろ足しげく通うようになった。

 足が向かなくなったのはいつの頃からだろうか。ユーノスが消滅し、いわゆる「バブル期マツダ車」などといわれるモデルが、次々と戦時省力型製品のようにみすぼらしく切り替わってゆき、新型車に夢も希望も見られなくなった頃からかもしれない。気が付けば、もう6~7年は行っていない筈だ。
 そんな折、ゼロナナ兄さんからM2ビルをマツダが手放したという話を聞いた。何でも、葬祭場になるらしいという。
バブルの墓標となった建物が葬祭場とは、ブラック・ユーモアだなぁと思い、折角だからと現認しに行って見た。

 建物の前には、建築現場でおなじみの白い看板が掲示され、それによると前橋に本社を置く葬祭業者が施工主になっていた。来年2月末に完工して、斎場(集会所)兼事務所として活用されるのだそうだ。道路に面した大きなウィンドウから中を覗くと、見覚えのある階段やエレベーターホールにGulfやハーツ・レンタカーのステッカーが1枚2枚はがし忘れられていて、それがとても物悲しい。

 立ち去る前に写真を撮っていて初めて気付いた。M2ビルの姿というのは、本当に墓標そのものに見えるのだった。
Posted at 2002/12/01 19:41:08 | コメント(2) | 日本の車 | 日記

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