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惰眠のブログ一覧

2005年03月16日 イイね!

今につながるアルファロメオ

今につながるアルファロメオものごとには始まりや、きっかけがある。
僕の車好きは両親の証言によると幼児期にまで遡るようだが、そうなったきっかけが何かは両親にも分からないらしい。自分でもそんな幼時のことは分からない。ただ、今のように1950年代~60年代のイタリア車、とりわけ「カロッツェリア」と呼ばれる専門のデザイン・ハウスが手がけた車に矢鱈と興味を持つようになったきっかけははっきり覚えている。

 それは、中古車情報誌の表紙を飾った赤い1900SSの写真だった。デザインをしたのはカロッツェリア・トゥーリング。自動車のデザインに「美しい」と言う概念が存在することを、そのとき初めて知った。その原体験があるせいなのか、今でも僕の好みはトゥーリングが架装した車にかなり偏っている。そこから先は雪の峠道をそりで滑り落ちるが如し。

 こうやってアルファロメオばかりネタにしていると身内筋などには「ブレラが日本導入されたら買うんだな」と思われてしまうかもしれないが、実はそうでもない。
 1980年代の第一次ガンプラブームやそれに続くアニメロボットのプラモデル・ラッシュの折に、カッコよく描かれた設定画とプラモデルの落差に愕然とすることが少なくなかったが、ブレラもそんな感じだ。
 設定画にあたるのがイタルデザインのショーモデル、プラモデルにあたるのがアルファロメオの新製品だ。

 ひっちゃきになって集めた両ブレラの写真を比較してみると、ノーズの長さやショルダーの傾斜、ホイールアーチから上のバランスなどなど、そもそもの骨格が全然違っている。ごく大雑把に言うと、製品版はイタルのデザインを前後に圧縮して高さ方向に引き伸ばしたような按配になっているようだ。
 ものがプラモデルならば、切ったり削ったり盛り付けたりして自前で好きなようにプロポーションを修正すれば済むけれど、車が相手じゃあ中々そういうマネは出来ない。

 まあ、アルファの社内デザインに期待できないのは今に始まったことじゃない。歴史を紐解けば一目瞭然だけれども、今もってスタイルが魅力的だとされるモデルはほぼ全て、カロッツェリアに委ねられたものだ。あれだけ素晴らしいデザインスタジオが外部にあるのならばそれを使わない手はないが、外注に依存すればするほど内製の能力は落ちていく。そう考えると、セアト(VW系のスペイン企業)に引き抜かれたW.デ・シルヴァの手がけた156や147が奇跡のように思えてくる。

 話が全然違う方にいってしまった。
1900のシリーズは第二次大戦後最初に設計された新型で、高性能かつ高価で少量しか生産されなかった従来の路線からマスプロ・メーカーへの転換点となったモデルだ。
 そうは言ってもイタリアはカロッツェリアの国。メーカーが作る標準ボディーのカタログモデルのほかに、ピニンファリナやザガート、ギア、写真のトゥーリングなどなど、いずれも名のあるデザイン工房が独自デザインのボディーを競って被せた。今ではまずありえないことだ。
 横浜に持ち込まれた1900SSは115馬力を発生する2リッター級エンジンを搭載、内装はライトベージュ基調に濃紺のパイピングが施された瀟洒なシートが印象的だった。このモデルのシリーズが、今のアルファロメオへとつながっていく。
Posted at 2005/03/17 04:15:17 | コメント(0) | トラックバック(0) | 海外の車 | 日記
2005年03月16日 イイね!

鬼才のアルファロメオ

鬼才のアルファロメオ1969年のイタリア映画に「さらば恋の日」という作品がある。原題は Un Bellissimo Novembre 、そのまま訳せば「誘惑の11月」とでもなるだろうか。この劇中、主演するジーナ・ロロブリジーダという美人女優(当時)の愛人役が乗っていたのが、1967年に発表されたティーポ33.2ストラダーレの1号車だ。…と言う話を、以前箱根にあるアバルト美術館を訪れた際にオーナーの小坂氏から聞いたことがある。この方、ちょっと強面だけれどもフラリ訪れた観覧者にも、結構色々とお話をしてくれるのだ。

 なぜアバルト美術館に生粋のアルファロメオが飾られているのか疑問に思わなくもないが、この車の持つ「美しさ」や「カッコよさ」とは微妙に違った、魂を売り払ってでも手に入れたくなるような一種悪魔的な魅力に取り憑かれてしまえば、それが疑問ではなく愚問だとわかる。
 志操堅固で品行方正な人なら大丈夫かもしれないが、僕のごとき意志薄弱な快楽主義者は、悪魔に魅入られたら逆らえない。「美しいものが嫌いな人がいて?」なんて某有名アニメの台詞が聞こえてきそうなくらいだ。

 「33式2型公道仕様」の名前は、当時スポーツカーレースを席巻していたポルシェ(恐らく906)に対抗できるスポーツカーを開発するプロジェクトの番号と、そのバージョンに由来するらしい。わざわざ「公道仕様」と断るくらいだから「競技仕様」も当然存在する…というよりも、「公道仕様」はレースカーそのもののシャシーに、ロードカーらしいエクステリアと内装を与えただけの豪快きわまる乗り物で、日常の使用には相当の苦痛がある由。まあ、一種の悪魔なのだから、それも当然だ。

 この車のスタイリングを手がけたのは、イタリアの名門カロッツェリアのひとつ、ベルトーネに在籍していたフランコ・スカリオーネ。この人には枕詞のように「鬼才」の呼び名が付いて回るが、彼が世に送り出した作品群を見ると、そんなサブネームがついた理由もわかる気がする。
 ちなみに館内撮影厳禁のアバルト美術館に展示されているティーポ33.2ストラダーレはロロブリジーダの映画に出てきた車で、スカリオーネの元々のデザインに最も忠実な個体なのだそうだ。
 添付の写真はミラノのアルファロメオ美術館に所蔵されている個体が横浜に来た時に撮影したものだが、小坂氏によるとこれは全部で18台作られた33.2ストラダーレの、恐らく最後の1台を改修して四灯式に戻し、スカリオーネの原型に近づけたものではないかとのこと。

 その話題を話す時、言外に「ホンモノは自分が所有してるヤツで、ミラノの本家が持ってるのはレプリカに過ぎないんだぜ」とのニュアンスが多分に含まれているのを感じたが、言いたくなる気持ちは何だかわかる。
 子供っぽい自慢と切り捨てちゃえばそれまでなんだけども、合衆国の交通法規に合致させるためにこまごまアレンジされた二灯式は、確かに小坂氏の1号車と比べると悪魔的誘惑度が低いのだ。
 Museo Alfa Romeo展なき今、アルファロメオ本家が所有する33.2ストラダーレを見るにはミラノまで行かなくてはならないが、それよりも強く蠱惑する個体が、箱根に行けば2000円で見られる。日本に生まれたことに感謝、コレクションを公開してくれる小坂氏に感謝。
Posted at 2005/03/17 02:13:08 | コメント(0) | トラックバック(0) | 海外の車 | 日記
2005年03月16日 イイね!

直列8気筒のアルファロメオ

直列8気筒のアルファロメオ1938年のル・マンで優勝目前まで行ったもののマシントラブルでリタイアを余儀なくされたのが、この8C 2900 B ル・マン。
ボディーはミラノの名門、今は亡きトゥーリングのコーチワークだ。
直列8気筒2904ccのツインカム・エンジンに2つのスーパーチャージャーを取り付け、220馬力を発生したのだとか。

 スペック関係を見るとクルマの技術がいかに急速に進歩したのかよく判る。日本車なんか、レースカーでもなんでもない普通の市販車でも200馬力くらい平気で出しているし、殊更に高性能を謳う車だと自主規制値(今は一応撤廃されたが)上限の280馬力を公称する車がゾロゾロいるのだから。
 さらに、この写真では見えない角度だけれどもワイヤーホイールから覗くブレーキは前後ともドラム。時代だなあ、と思わず呟いてしまうが、昔のレーシング・ドライバーはこういう車で激闘を演じたわけだ。

 しかしなんと言うのか。基本的には時代相応のいでたちなのだけれども、それにも関わらず古臭いとは感じさせないスタイルだと思う。こういう喩えが適切なのかどうか分からないが、若い頃とっても綺麗だった吉永小百合のような女優が齢を重ねてもやっぱり綺麗なおばあちゃんになってるような感じだろうか。
 「クラシック」という言葉には、時を経ても残っている値打ちあるもの、とのニュアンスが含まれていると何かで読んだ覚えがある。古いからクラシックなんじゃない、時代を越えて生き残っているからクラシックと呼ばれる資格があるのだ、と。

 レースカーとしてみたら、こんな戦前のクルマの性能など色あせ果てて今や見るべきものは何もない。性能の優れたことを追求することに特化すれば、それを凌駕されたところで存在意義すらも危うくなる。
 でも魅力的なスタイルだとか運転したときの楽しさみたいに人の感性に訴えかけてくる部分は、そうそう簡単に風化はしない。こういう旧い車を眺めていると、そんな考えが浮かんでくる。
Posted at 2005/03/16 19:15:45 | コメント(1) | トラックバック(0) | 海外の車 | 日記
2005年03月16日 イイね!

1947年のアルファロメオ

1947年のアルファロメオ1947年と言うと、日本はまだ連合国の占領下にあり輸出品の原産国表示にはMADE IN JAPAN ではなくMADE IN OCCUPIED JAPANと記されていた。
 この年にはトヨタがSA型という1000ccの小型車をデビューさせた。物の本によるとSAはタクシー需要をあてこんだものだと言う。一般消費者が車に手が届くようになるのは、パブリカやスバル360を待たなければならない。

 日本と同じくドイツと組んで第2次世界大戦に関わったイタリア(イタリア王国)は、1943年にバドリオ元帥の政権下、連合国に対して無条件降伏し休戦した。しかし失脚し軟禁されていたムッソリーニをドイツ軍が「救出」しローマなど北部を占領、イタリア社会共和国政府を樹立したため内戦状態に陥り、結局1945年春まで戦争は終わらなかった。

 その「戦争終結からまだ2年」の年にアルファロメオは写真の6C2500SS「ヴィラ・デステ(Villa d'Este)」を発表している。名前があらわす通り直列6気筒2500ccエンジンが載っており、エクステリアは、ミラノにあったトゥーリングと言う名門カロッツェリアの作。ヴィラ・デステの二つ名は、エステ荘で毎年開催されるコンクール・ド=エレガンスでその年の最優秀賞に輝いたことに由来する。
 アルファロメオは、もともと今のフェラーリのように自動車レースが本業で、レースカーのコンポーネンツを流用した極めて高価で高性能なスポーツカーを裕福な好事家に販売する会社だったが、この車のエンジンもヴィットリノ・ヤーノが手がけたレースカーのエンジンに源を発するらしい。

 僕は、この車が大好きだ。2001年の8月4日から19日にパシフィコ横浜でMuseo Alfa Romeoが開催されたとき、毎週土曜日ごと3回にわたって朝から足を運び、その都度半日も入り浸っていた理由の33%くらいは、この車が展示されていたからだ。(あと33%はティーポ33.2ストラダーレで、残余の33.3%はその他の展示)
 日本では、現在はどうか知らないが野球解説者で元阪神タイガースの掛布雅之氏所有していたと雑誌の記事で知った。

 でも、どれほど好きだとしても僕にはこんなクルマは買えないし、飼えない。手が届かないからこそ憧れる、なんて言うとちょっとロマンチックだろうか。
Posted at 2005/03/16 15:27:34 | コメント(0) | トラックバック(0) | 海外の車 | 日記

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