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惰眠のブログ一覧

2002年12月12日 イイね!

チコタン ~ぼくのおよめさん~

チコタン ~ぼくのおよめさん~「チコタン ~ぼくのおよめさん~」は、関西で小中学校時代を過ごした人にはおなじみの合唱曲だと思う。小学校のコンクールなどで課題曲に指定されることも多いようだし、子供向けの合唱曲なのでメロディーが覚えやすく、そのせいでヤケに耳に残る。

 僕が最初にこの曲に接したのは多分、小学校5年生の頃だったはずだが(写真は校門)、二十有余年を経た今でも何かの弾みに頭の中で、テープレコーダーで再生するように明瞭にこの曲が鳴り響くことがある。例えば今日がちょうどそんな日だった。
 合唱コンクールが近くなると昼休みに放送委員会が校内放送で連日流していたのだから、記憶に焼きついてしまったのも当然なのだけれど、頭の中でいつまでも「♪チコタンタン、チコチコチコ…」だとか「♪どないしよ~お、どないしよ~」と鳴り響くのには、さすがに辟易する。

 話はやや脱線するが、給食の配膳時間になると必ず流された「♪手をあらおー、手をあらおー、みんなでみんなで手をあらおー」も、34の歳になってもつい鼻歌が出てしまうほど記憶に染み付いている。あの小学校では、今もあの歌を流しているのだろうか。…いかん、この曲も頭の中でリフレインを始めたぞ。

 「チコタン」に話を戻すと、曲をご存知の方には何を今更なことだが、これは5楽章から構成され、小学生と思われる男の子の一人称で歌詞が描かれる。この少年は魚屋の一人息子なのだが、当時弟のクラスメートに魚屋の息子がいたこともあって、僕はある種の妙なリアリティーを感じていた。歌の少年はクラスメートと推測されるチコタン(本名はチエコさん)に彼が恋をして、紆余曲折の末プロポーズ(!)にOKしてもらうという微笑ましくもむず痒い小さな恋が、第4楽章まで描かれる。

 それが第5楽章でいきなり、チコタンの葬式になるのだ。

 チコタンはダンプにひき逃げされ、少年がその理不尽さに「阿呆ォォー!」と絶叫するところでこの合唱曲は終わる。
調べてみると「チコタン ~ぼくのおよめさん~」を作詞した蓬莱泰三氏は、新聞記者から中学生日記などの脚本家に転身した経歴を持っているようだ。この合唱曲は初演が1960年代初頭と言うから、ちょうど交通事故死亡者が毎年文字通り倍増し、「交通戦争」の用語が使われ始めた頃と重なる。
蓬莱氏はこのほかにも、チコタンに曲をつけた南安雄氏と組んで「日曜日 ~ひとりぼっちの祈り~」という歌(こちらは事故死した加害者の息子の一人称)も上梓している。

 蓬莱氏は、日々書きつづけねばならない死亡交通事故の記事に、記者であることの限界を感じていたのではないだろうか。取材で見知った、遺された人たちの悲嘆に応えられぬ無力さを感じていたのではないか。だからこそ、敢えてショッキングな構成にして、その焦燥感をぶつけたのではないだろうか。僕はそんな風に想像する。

 僕は車が好きで、Zoom-Zoom-Zoomと走り回ることが好きだ。車の持つネガティブな側面には、できることなら目を瞑りたい。
だが、だからこそ、たまたま頭の中で大合唱がリフレインしてしまった今日みたいな時くらいは、少し内省的になってみるのもいいだろうと思う。
 毎週1回その週の分の悪事を教会に行って告解しては、翌週また悪事を重ねるくらいの真摯さに過ぎないのだけれども。
きょう会社から帰る時は、またいつもと変わらない運転をするのだろうけれども。
Posted at 2002/12/12 16:44:33 | コメント(1) | 芸能・文化 | 日記
2002年12月09日 イイね!

Jump!

Jump!Jumpと言っても僕らの世代になじみの深い、ヴァン・ヘイレンの曲ではなくて、最近ニュースでも話題になっていたアメリカ版少年ジャンプ(写真)の話。会社の在米事業所からの定期便に、その創刊号が梱包されていたのだった。

 少年ジャンプと言えば、僕が正真正銘の少年だった頃には、たしか500万部だか520万部だか、日本の出版史上で前代未聞の発行部数を誇ったマンガ雑誌だったはずだ。「北斗の拳」とか、夢中になって読んでたなぁ…。

 物珍しさからパラパラとめくってみると、なるほどニュースでやってたみたいにこの雑誌、普通のアメコミとは逆で日本のコミック雑誌と同じ右開きの装丁になっている。掲載されているのは「遊戯王」に「ドラゴンボール」、「幽遊白書」などたしか日本でもアニメになってたマンガ。なるほど、国際的にも商品価値が高いもの、既に実績があって一定の顧客確保が最初から期待できる安牌を切ったわけだ。まぁ当然の判断ではあるだろう。

 何か、絵柄が違うよな微妙にアメコミナイズされてるような印象があるのだけれど、実際に画をいじっているのか吹き出しなどをアメコミ調にアレンジしているせいで全体の印象が違って見えるのかは、最近のマンガには詳しくない僕には判断がつかない。

 アメリカ人に受けるのかねぇ、などと疑問を口にしたら、職場の事情通が「初版25万部が、即日完売だったようだ」と教えてくれた。25万部…凄いのか凄くないのか、なんとも判断のつきにくい数字ではある。車で25万台だったら本当に凄いんだけれども。ともあれGo Ahead, Jump!とヴァン・ヘイレンの声でエールを送るとするか。
Posted at 2002/12/09 12:30:41 | コメント(1) | 芸能・文化 | 日記
2002年12月09日 イイね!

何で雪が積もってるの!?

何で雪が積もってるの!?まだ12月上旬なのに、雪が積もっている。
夕べ遅くにちょっと外に出たとき、みぞれ混じりの雨が雪に変わったのでまずいなぁとは思ったが、まさか積もるとは思わなかった。

 1997年だったか98年だったか忘れたが、都内で大雪になったことがあったけれど、あの時は車で移動していて、普段1時間の道のりを4時間近くかけて自宅に辿り着く寸前、ほんのわずかな気の迷いから車のフロントを大破させた苦い記憶がある。本当にどうして、あの時信号を一回待つことができなかったのだろう。どうして代わり際の信号に突進して、左折を強行しようとしたのだろう。待っても3分ほどのことだっただろうに…。

 以来、金輪際雪を甘く見ないことにした。そうでなくても、今ユーノス500が履いているのはボウズ一歩手前の夏タイヤ。車で通勤するわけには行かないのだった。

 NHKのニュースを見ているが、なんかもう今日は欠勤したい気分だ。それが許される身の上ではないのだけれど。
Posted at 2002/12/09 08:39:41 | コメント(0) | 身の回りの出来事 | 日記
2002年12月08日 イイね!

アテンザ・スポーツ5MTに乗せてもらう

アテンザ・スポーツ5MTに乗せてもらう横浜在住のM氏が、最近ユーノス500からアテンザに乗り換えた。第3京浜走行中にATのオイルポンプが息絶え、エンジンは回るが車は全く動かない状態になり、修理費などを考えて思いは残るもののやむなく買い換えたとのこと。走行距離8万キロ強での出来事だというから、僕の車とあまり違わない。古い車ではあるしいずれ何かの理由でユーノス500を手放す時は誰にでも来るのだろうが、こうしたトラブルで別れなければならない無念さは察するに余りある。

 事実彼も諦めきれぬ気持ちが強いようで、アテンザを始動した時に最初にカーナビに現われる画面に、手放したユーノス500の写真がドン!と表示されるように設定してある。それは新しい彼女…もとい、車に失礼じゃないかと思わなくもないが、気持ちはとてもよく判る。

 今日は11月初旬以来久しぶりに、ユーノス500関係の仲間達と千葉で会って遊んできたのだが、前述のM氏も足を運んでくれたので、この機会にとばかり、彼が買ったばかりの蒼いアテンザ・スポーツ(5MT)に乗らせてもらった。
皆やはり興味津々だったが、トーマスさんは「運転すると買い換えたくなるに違いないから、僕は運転しない」と宣言。うん、確かにその通り。
そこでまずは、すすす氏がハンドルを握る。

 後部座席に座って「うーん、広い」などと感心していると、運転席のすすす氏が戸惑った様子で「これ、どうやってエンジンかけるんだっけ?」と言う。アコードのカード式キーみたいに何か特別な仕掛けがあったっけと思ったが、もしやと閃き「クラッチ切らないとダメなんじゃない?」と言うと案の定。
ギアを入れたままクランキングして事故が起きるケースが増えているからと導入されたシステムがアテンザにも採用されていたのだった。安全のためと言われてしまうと、仕方ないのかなぁと言う気にもなるが、少なくとも僕としては「そこまでされるのは余計なお世話」である。

 さて、いざ発車する段になり、すすす氏が「うわー、これ、違う。全然違う」と再び、感心しているのではなく戸惑った声を上げた。走り出しも、愛車にタコ足まで組み込む氏らしくなく、随分とゆっくり慎重だ。確かにこのアテンザ、まだオドメーターは1000キロそこそこを刻んだばかりの新車なのだけれど、普段の彼の運転から比べるとちょっと慎重すぎるように感じた。
 だが、あとで自分で運転させてもらって、すすす氏が何に戸惑ったのかよく分かった。アテンザのMTはクラッチペダルのストロークが深いのだが、断続するポイントが手前で、しかも殆んどショックを感じさせずにジェントルに繋がる。
そのため、踏み込んだ奥の方で断続するユーノス500から乗り換えると、発進時に左足を上げていっても「あれ?まだつながってないの?あれ?あれれ?」となってしまうのだ。慣れればどうということもないことだが、現役のMT500乗りを戸惑わせるには十分な違いである。

 走り出すと、エンジンの特性が全然異なるのだから当たり前のことだが、各ギアのギアリングが違うのも戸惑いのもとになった。まず1速と2速のギア比が、ユーノス500ほど極端に離れていない(500はほぼ1:2に近い)。いつものように4000、5000と引っ張ってシフトアップすると、クラッチを繋いだ瞬間、車がグイッと飛び出してしまうのだ。でも、これも慣れの問題。短時間の試乗では無理だったけれど、しばらく乗っていれば最適のタイミングや回転域が分かってくるだろう。

 登録後まだ1000キロそこそこしか走っていないので、レッドゾーンまでぶん回して乗ることはしなかったが(第一これは試乗車ではない。個人オーナーの所有物だ)、それでもアクセルを踏み込むと中間回転域でトルクがモリモリ沸いて出てくるのが印象的だった。グイッと力強く前に出る感じがとても好もしい。ATの試乗車やレンタカーでは、これがあまり感じられなかった。エンジン音も静かとは言いがたいが気持ちいい音質で、ふとメーターを見ると「おいおいおい」という数字になっている。レンタカーでも体験したが、体感では実速度の四分の三くらいにしか感じないのだ。本当に、免許の点数に甚だよろしくない。

 オーナーのM氏を傍らに運転させてもらっているうち、千葉の道と相性の悪い僕はまたしてもプチ迷子になってしまったのだが、本格的に迷う一歩手前でさっき通った道に復帰でき、密かに胸をなでおろした。でも考えてみればカーナビがついているのだから本物の迷子になどなる筈もないのだった。いらない、いらないと思っていたカーナビだが、ちょっと気持ちが揺らぐ。

 拠点の店に戻ると集まった面々は、いつものようにチョコッとだけ車の話と、車と関係のない愉快な話を沢山して、大いに笑い楽しみ食し飲み、解散した。
アテンザ5速、いいなあ。個人的な好みからすると、もう少し左半身操作系(クラッチやシフトレバー)が重めでカチッと決まってくれた方が、車の全体的な雰囲気とマッチするような気がする。でも、いいなあ、アテンザ。あのカッコいいシフトノブだけでも、僕にはMTを選ぶ理由になる。
Posted at 2002/12/09 00:06:30 | コメント(0) | 日本の車 | 日記
2002年12月06日 イイね!

あの熱狂から四半世紀

あの熱狂から四半世紀いま40歳から30歳くらいまでの人は、子供の頃にスーパーカーブームのど真ん中に居合わせた世代だと思う。両親の証言によると僕の場合、物心つく頃には既にクルマ好きだったと言うからブームで目覚めたわけではないようだが、あのブームを経験したことが、この歳になっても相変わらず車を眺める趣味(あんまり健全ではないのは承知している)から離れられない大きな原因になっているようだ。

 25年前、あまりにもスーパーカーに入れ込む息子たち(僕と弟)を父などは若干苦々しく見ていた気配があったのだが-子供の場合どうしても玩具が欲しいと言う欲望と直結しがちだし、父はこどもに玩具を買い与えることを良しとしない人だった-ある日、朝日新聞社が毎年出している「世界の自動車'78」と言うブックレットを持ち帰ってきた。

 それが、僕ら兄弟の愛読書になったかと言うとそれが皮肉な話で、そのとき一緒に持ち帰ってきた「世界の飛行機'78」や「世界の船'78」のほうに夢中になってしまったのだ。後年、僕が軍艦や軍用機のプラモデル趣味に走ったのは、間違いなくこの2冊が原因と言える。レシプロ機よりもジェット機のほうが好きなのも、このときの原体験がそれだけ強烈だったからだろう。
 話はややそれるが「~飛行機~」にはYF-16やノースロップYF-17が掲載されているような、そんな時代だった。

 その朝日新聞社刊「世界の自動車」と、四半世紀ぶりに再会した。先日来、蔵書一斉放出を続けている社内の図書館で、実は僕が一番期待していたのはこの年鑑誌だった。毎日グラフ別冊が出物に並んだとき、朝日のほうも絶対にあるはずだと踏んでいただけに、今回の入手の喜びはひとしおである。なにしろ1968年から最終号の1981年版まで一冊も欠けていないのだ。が、数えてみると15冊ある。68年から81年なら14冊のはずなのに、と思ってよく確認してみると1冊だけ「世界の船」が混じっていた。

 米袋のようにずっしり重い紙袋を手に帰宅して、まずは早速スーパーカーブーム真っ只中だった1977年の号を開く。次いで78年の号を。意外であった。あれほど僕ら小中学生を熱狂させ、恐らくは社会現象と読んで差し支えなかったであろう出来事が、誌面には一切反映されていないのである。

 そのときまで漠然としか覚えていなかったのだが、僕や弟がスーパーカー熱から醒めた理由を思い出した。世間でのブームのありようはどうあれ、僕らが憧れたスーパーカーなるものの大半は、「この世界のどこかで実際に作られているスゴイ車」ではなく、ショーモデル…子供の解釈ではカッコだけのハリボテ…に過ぎないことを、こういう大人向けのメディアに手を出したことで理解してしまったからなのだ。当時の僕は、しらけてしまったのである。それ以来、大学2年の時に免許を取るまで僕はクルマへの興味を一切失っていた。

 いま、大人の目で見てみると、朝日のこの編集方針の見識はよく理解できる。「世界の~」シリーズは世相に迎合したブックレットではなく、ジャーナリスティックな年鑑なのだ。77年や78年の本に、それより6年も7年も前にデビューした車(ショーモデル含む)を仰々しく取り上げるなど寧ろおかしな話なのだ。

 そう思って改めて読み直してみると資料的価値が非常に高い。当時の自動車を取り巻く環境がよく分かるし面白い。はなはだ子供向けではない作りになっている。今の僕には大変面白いのだが、スーパーカーがお目当ての子供が「特集・ソ連の自動車」だの「特集・東ヨーロッパの自動車」なんて記事に興味を示すはずがないのである。ワルトブルグだとか紅旗の記事を見て興奮している子供がいたら、そっちのほうが気味悪い。

 それともう一つ感じたこと。
現在の自動車専門メディアが、所詮はアウトソーシングされた自動車会社の宣伝・広報誌に過ぎないことがあぶり出しになった。自動車と言う耐久消費財を対象にしていても、そこにジャーナリズムの視座を持ち込むというのはこういうことだ!と無言のうちに主張している。これに比べれば硬派とされるCGだって、子供のままごとのようなものだ。
 世に数多はびこる自動車評論家なる職種の、一体どこが評論家なものか、フリーの宣伝マンじゃないかとの思いを一層強くさせられる。視点・切り口・考察の深さ・知識の広さ、全てにおいて、この時代に無署名記事を書いた記者たちのほうが、よほど評論家と呼ばれるに相応しい。

 などと硬いことも考えはしたのだが、僕は基本的にミーハーなので(理屈っぽいミーハーと評する人もいる)一番嬉しかったのは1968年版のカラーグラビアに、アルファロメオ33.2ストラダーレ(試作型)のプレスフォトが比較的大きく掲載されていたこと。4灯式でボディに余計なルーバー穴の開いていない、スカリオーネが手がけた美しいオリジナルデザインの、数少ない写真だ。箱根のギャラリーアバルト美術館では所蔵品の写真が撮影できないので、このグラビアは僕にとって、アイドルのお宝写真以上に値打ちモノなのである。
Posted at 2002/12/06 15:44:42 | コメント(1) | 芸能・文化 | 日記

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「フェアレデーって本当に呼ばれてたの? http://cvw.jp/b/9433/47108671/
何シテル?   07/24 21:51
曲面の綺麗な旧い車が好き、エレガンスのある車が好き。そんなこんなでユーノス500に乗りつづけ、もう……何年だ?  気がつけば屋根のない車まで併有。いつまで乗り...
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