
月末で気忙しい中、友人から紹介された本を読んだ。
日経BPから今月22日に刊行された宮本喜一氏の「マツダはなぜ、よみがえったのか?」と言う単行本である。
折りしも25日付のニュースで、10月の国内自動車メーカーの製造販売台数が報じられ、大手5社のうちマツダだけが前同比でプラスだったことが明らかになったタイミング。なにやら共時性を感じる。
会社帰りの本屋で見つけ、その晩のうちに一気に読み通してしまった。
校正が不完全で意味の通じないセンテンスがあったのには参ったが、マツダ好きか否かに関わらず、ちょうどNHKのプロジェクトXを見るような感じで楽しめる内容だった。
著者自らがあとがきで「マツダへのファンレター」と位置付ける本書は、比較的マツダ贔屓のスタンスにある僕の目から見ても、ちょっとばかり誉めすぎの傾向が見え隠れして小っ恥ずかしい部分が少なくない。
それでも、もはやフォードの極東生産拠点に成り下がるしかないかとまで思われていたあのマツダが、フォードグループ内で地歩を固め息を吹き返したことに対する驚きと賞賛には共感を覚えるし、何より読み物として面白い。
マツダ贔屓とは言っても特段、雑誌記事などを読み齧るようなことをしない(それらを余り信用していないから、ということもあるが)僕にとっては、色々と初耳の話が多く、それらがまたとても興味深い。
例えば1996年のコンセプトカー、RX-01。
次期RX-7の技術的プロポーザルとして開発されたものの「公式には」お蔵入りとなった。それにも関わらず担当者は「非公然で」開発・研究をすすめ、結局その成果がRX-8として結実しているとの話。
これの骨格モデル(ランニング・プロト)に、スポーツカーを愛するフォード出身重役を乗せまくって激賞を得、紆余曲折の末に商売と折り合いのつく4ドア4座のスポーツカーに昇華させた話。
なによりRX-01のプラットフォームは当初から、様々なボディを架装することを前提に考案されており、その系譜に連なるRX-8の社シーを流用して「次期ロードスター」や「次期RX-7」が作られることには何の不都合もないこと。
これらは驚きであるとともに、RX-01というスポーツカーが姿かたちを変えて日の目を見たことに同慶を覚える。
また、1999年のRXエヴォルブ。
以前マツダの関係者から「あれはセダンのデザイン案だった」と聞かされ驚いたのだが、見た目のカッコからしてRX-8のプロポーザルかと思っていたら違うらしい。
RX-8に至る開発の流れとは全く別個に、商売上のプレゼンテーションとしてトップからの業務命令でひねり出された「直列4発を積む(実際にはロータリーを載せたが)4ドア4座のスポーツカー」だった由。
そんな複数の流れが一つになって、再生マツダの看板(イメージリーダー)商品になるなんて、中々に劇的だ。
しかし僕が何より面白く感じたのはフォードからやってくる再生請負人の経営幹部の手腕と、ロータリーのスポーツカーを作りたくてしようがない現場技術者との軋轢の部分だ。
いや、読後の感想からすると軋轢と捉えるのは正しくないように思える。何しろ請負人たちは「商売にならない以上は」スポーツカーにかまけちゃいかんと言ってるだけで、逆を返せば「利益を生むスポーツカーなら作っていい」と ―どうやら首尾一貫して― 言っているのだから。
これは、経営の突きつけた課題と、それに真っ向挑んで結果を出した開発の、熱く燃えるド根性の物語だ。
それにしても目を見張るのは ―本書では特に検証されることもなくサラッと流されているが― フォード・グループの経営の凄さである。
短いスパンで社長以下の経営陣が頻繁に入れ替わったマツダの人事を、傍観者としてはかなり奇異に感じていたのだけれども、あれはちゃんと意味のあることだったのだ。
破綻目前のマツダ建て直しに、まず財務畑の選りすぐりを派遣して沈没を阻止し、次いで販売や商品企画に才覚ある人材を次々とショートリリーフで送り込んで来る、大病院の医療チーム並みの支援策である。
それと同時に、経営が持ちこたえ作り出すべき商品の方向性さえ固まれば、きちんと結果を出してしまうマツダの技術の底力にも感心する。
「カペラ後継車」開発では、再生マツダの先陣を切る商品として既存モデルのブラッシュアップでは全然足りぬとトップが檄を飛ばして途中まで進んでいた開発を白紙に戻して仕切りなおし、RX-8では4ドア4座とスポーツの両立に行き詰まり妥協策に流れようとする現場を「君らはスポーツカーを作る気があるのか」と叱り飛ばす。
浮き沈みの激しいメーカーだけに、何から何までドラマチックなことこの上ない。勤めている側にはたまったもんじゃないだろうが、ドラマとして眺めている分には実に面白い。
ちなみに本書の主題は、ひところ流行したCIだとか企業ブランドの「正しいありよう」らしいのだけれども、やはりこれはファンレターである。行間の端々から著者宮本氏の「感動した!痛みに耐えてよく頑張った!!」と、小泉総理みたいな叫びが聞こえてくるようだ。
それでも単なる贔屓の引き倒しに終わっていないのは、十数年前にユーノス500に惚れ込んでユーザーとなり、その優れた点と至らぬ点を精緻で膨大なユーザーリポートに仕立ててマツダに送りつけたと言う同氏の冷静さの賜物である。流石にソニーの重役まで経験した人は、ファンと言っても一味違う。
ちなみに氏のレポートはマツダ社内でも話題になり、関係各所で回覧されたそうだ。
宮本氏は主に2点でいまのマツダにも苦言を呈している。
第1に、「いい製品を作りたい」と言う熱情に算盤勘定がたやすく挫けてしまうこと。かつて経営をも圧迫したこの傾向は、いまもって根治したわけではない。
第2に、「いい製品を作れば黙っていても売れる」という誤った市場観をいまだ捨てきれていないこと。
マツダは自動車史上に前例のない「大人4人で乗れる本物のスポーツカー」を生み出したのに、その価値をユーザーマーケットに明確に提示しえていない、と宮本氏は指摘する。これは、宿痾だ。似たような事をベリーサでも繰り返していることからも伺えるように、病根は深い。
僕はマツダのこう言った不器用な実直さを好ましく感じている。巧言令色鮮矣仁だ。実の伴わぬ ―もしくは実勢以上に粉飾した美辞麗句など聞く耳の汚れだとさえ思う。
ま、でもそれも程度問題。少なくとも物を作って売って儲けようというのなら、羊頭を掲げて狗肉を売らない程度で、人々の欲求を掻き立てるようなストーリーや脚色は、大事なことだ。
思うにマツダはもっと実力や戦略のある広告代理店に乗り換えたほうがいいんじゃないだろうか。世界規模で展開したZoom-Zoomのキャッチだって広告屋さんの仕事じゃなく北米販社の発案だと言う。
だったら一体、マツダから仕事を請けてる代理店は何をやっているのか。一次支出は増えるだろうが、電通に全面的に任せたほうがずっといいような気がしている。
それは兎も角、個人的には「誰がマツダを潰しかけたか」に焦点をあてたドキュメントなんぞも読んでみたい。
景気だとか消費者心理の動向、自社の実力を誰がどんな風に読み誤り、どのように手当てを誤った結果あの惨状を招いたのか、ビジネス書としても面白い読み物になるような気もするのだけれど…悪趣味か。