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惰眠のブログ一覧

2010年11月22日 イイね!

なんだ結局辞めるのか

なんだ結局辞めるのかニュースで見る限り、いま永田町で最大の関心は柳田稔法務大臣の「国会で法相は『個別事案なので答弁は差し控える』と『関係当局が適切に対応』だけ言ってりゃいいんだからイイ仕事」みたいな発言を足がかりに、罷免か辞任に至るのかどうかであるらしい。
んで、ついさっき、これまで突っ張ってきた内閣がまたしても土壇場でヘナヘナとへたり込むように「辞任へ」という速報が飛び込んできた。まもなく会見もするらしい。

つくづく菅内閣は、(国会)戦術において稚拙なだけでなく(国会)戦略を持ち合わせない連中だ。

 そもそもの柳田発言は、マァいわば「身内の会合」とやらの挨拶の際に自虐ギャグやってウケを取ろうとでもしたのだろう。ひとっっつも面白くないけど。というか法務大臣が持つ指揮権のこととかに思い至らないと、これが『自虐ネタ』だった可能性さえ浮かんでこない。ただ馬鹿者が自分の職務をナメ倒しているように聞こえるだけだ。

 実際にどっちなのか、そんなことは知らない。法務大臣が個別の事案についてあーだこーだと答弁することを許されないことは事実だ。捜査の指揮権なんて言うものを持っているから、下手なことを口にした場合、捜査の方向性を歪めたりしかねないということもある。これまで歴代の法務大臣だって、国会審議の席で個別事案について答弁を求められれた折には、木で鼻をくくったように同じフレーズを繰り返すだけだった所以である。

 ただ「万事承知の上だが、それでもなお口にするわけにゆかぬ」ことと「何にも知らんので、それ以外口にすることが出来ぬ」ことは――結果的に出てくる言葉が同じだとしても――まるで違う。

 だから柳田が野党から批判を浴びせられるのは当然ではある。当然ではあるんだが、自民党の世耕議員だったかな?のように「国会で柳田法相は○○回、この答弁を繰り返した、だから不適任だ」と言うのは、柳田がそうだと思われているように「法相が言えることの限界」を世耕もまた同様に理解できてない疑いを生じさせる。先の仙谷発言に脊髄反射して「今なんて言った!」とヤジ飛ばした、教養の足りない議員と同じだ。
 大体、過去の自民党出身の法務大臣が重大事件に関する答弁で、一体何回、柳田と同じフレーズを繰り返したか、それすら記憶してないのかよ。みたいな。

 こういうときは共産党が博識ぶりを見せ付ける質問で答弁者の無知をネチネチといたぶるような遣り方で晒し者にするのが、国権の最高機関たる立法府における正しい作法だろう。「柳田は無能だから同じフレーズを○○回も繰り返してたんだぜ、こんなバカ辞めさせないとダメだよな?」というレベルじゃあ、政権交代を目論む政党所属の国会議員として、物足りないにも程がある。
Posted at 2010/11/22 10:28:37 | コメント(2) | トラックバック(0) | ふと思ったこと | 日記
2010年11月18日 イイね!

「暴力装置」

「暴力装置」仙谷官房長官が国会の委員会答弁で自衛隊を指して「暴力装置」と表現したことを問題発言だの失言だのと非難/批判する向きがあるが、何を言ってるんだか。まったくモー、である。

 大学で一般教養の範囲ででも政治学をチリッと齧ったことがあるならば、軍事・警察機構を国家の『暴力装置』と位置づけるのは常識である。強力な『暴力装置』であるから、これらは公権力が独占するべきであり(それが出来ないとあまたの民兵私兵組織が割拠する一種の内戦状態に陥ったりする)、そしてその『暴力』を発揮する方向を正しくコントロールしなければならない(これが適切に行われないと軍事独裁国家だとか密告社会だとか恐怖政治になってしまう)と言う話だ。

 そういう文脈で出てくる学問的な用語/言い回しを議会の場で用いることの適否はあり、その点については仙谷の軽率さ――というか、タームの選択における無神経さ――を批判することは可能だ。しかし仙谷の発言を「問題発言」だの「失言」だのというのならば、そういう認識でいる議員もマスコミも、不勉強を愧じるべきである。
 学問上の概念、定義の話だから国民一般がこの表現に馴染みがなく違和感を覚えるとしたら、それは無理からぬことではある。しかし政治を職とする国会議員や、その政治の場で起きていることを報道する政治記者連中が、この『暴力装置』と言う概念を認識していないなど呆れ果てて開いた口が塞がらない。
Posted at 2010/11/19 07:30:32 | コメント(5) | トラックバック(0) | ふと思ったこと | 日記
2010年11月08日 イイね!

「フェラーリを有り難がる奴なんてココにはいない」と男は言った

「フェラーリを有り難がる奴なんてココにはいない」と男は言った夕方、職場にかかってきた電話はロンドンの出先事務所で働く同僚からのものだった。
「いま忙しいか?」と聞かれたので「それほどでもないよ」と答えると「ムルシの生産が終わったな!」。彼の言うムルシとはイタリアのスーパーカー・メーカー、ランボルギーニの最上位モデル「ムルシエラゴ」のことだ。まったく勤務時間中にこの男は趣味の話をするために国際電話をかけてきたのか。

 「で、お前ムルシの後継モデル見た???」。電話の向こうで同僚がまくし立てる。なんか妙に興奮気味だ。「あー。なんか外紙が掲載してたような……6thエレメント・コンセプトだっけ?」仕事中なのに電話を切れない僕。「それだっけ?すげーイイぞ。めちゃイケてる」口調が明らかに興奮している。「そんなにか」と僕。「おう。最高。もう時代はランボルギーニだな。フェラーリなんかもう全然だ」。

 ……全然?フェラーリが?「こっち来て分かったんだけどさ、こっちじゃ俺らみたいにフェラーリ有り難がる奴なんか全然いねえのよ。みんなランボルギーニ。金持ち連中とか欲しがるの、ランボルギーニばっか。街角とかでも人目集めるのはランボルギーニだよ」。

 欧州が地元なのに、なんてことだ。「古臭いんだよフェラーリは」と同僚はバッサリ切り捨てる。けどつい先般アブ・ダビにはフェラーリのテーマ・パークまで開業している。それを言うと「アラブの金持ちが作ったあれだろ?そんなのアラブ人だからだよ」。この男、アラブにもむやみに詳しい。下手すると、そこらの有識者ハダシだ。そいつが言うんだから、まあきっとその通りなんだろう。

 ってことはアレか。未だに(このさい、未だに、と言っちゃおう)フェラーリを『スポーツカーの最高峰』とか言って有り難がってるのは……同社が大々的なビジネスを仕掛け始めた中国と、わが日本と、あとは精々アメリカくらいってことか。「そーだよ。いまどきフェラーリなんて言ってる地域は」と同僚は言うが、しかしその地域はいずれも自動車の中枢的なマーケットである。
 そう考えると一概に“いまや時代はランボルギーニ”とまでは言えない気がするのだが、しかし一方で産地周りでのプレゼンスが大きく低下しているとなれば、いずれ影響は他の消費地にだって波及してくるだろう。

 創業者が手放した後、インドネシア資本の傘下になったり米クライスラーに買われたりと紆余曲折を経たランボルギーニ、アウディの子会社になってからは信頼性の高い超高性能車を量産できる会社になった。最近買った福野礼一郎の本によると、そもそもフェラーリが町工場レベルで創業し、ツギハギで(場当たり的に)規模拡大をしてきたのに対して、後発のランボルギーニは最初から高度な生産設備を持つファクトリーを構えて事業に乗り出しているのだそうだ。

 親会社の業績も影響してるのかな~なんてことも、チラッと思った。破綻企業クライスラーを手にしたフェラーリの親会社フィアット。クライスラーが第3四半期も大赤字を垂れ流し続けていて、苦しいことになっているらしい。アルファ・ロメオのブランドを売却するんじゃないかと言う噂話まで(イタリアのメディア発の情報だった)まことしやかに語られたくらいだ。

 ランボルギーニの時代が来たかどうかは兎も角として、電話で同僚が言っていた「古臭いんだよフェラーリは」というセリフについては、確かに僕も首肯するところである。
Posted at 2010/11/10 17:04:38 | コメント(1) | トラックバック(0) | 海外の車 | 日記
2010年10月31日 イイね!

お金や利便性よりも大事なものがある、かも知れない

お金や利便性よりも大事なものがある、かも知れない年式の低い反エコ的な車を廃棄処分して、新たにエコな車に買い換えるなら助成金を出しますよという代替需要喚起政策の「被害」で、急激に生息数を減らしたユーノス500だけれども、残す人は残す。僕もそのうちの一人ではあるが、中には残すだけではなく増やす人もいる。添付写真のユーノス500はそうしたオーナーが新たに「コレクション」に加えた一台だ。

 前のオーナーもユーノス500仲間の一人なのだけれどボディ・カラーは所有者が変わった後で一新されていて、元の持ち主曰く「全然別の車になっちゃった」とのこと。ちなみにこの色、少し前のアストン・マーティンの、ザガートが手がけたモデルに採用されていたものだそうだ。すごく似合っている。

 デビューが1991年の年末ごろだったユーノス500は、機械モノとしてはとうに時代遅れだ。昨今重要視される燃費面のエコ性能で言えば落第生もいいところで、僕の所有する個体のケースでは街乗り中心の場合リッター6キロ前後しか走れない。トリップ・メーターが300キロを指す頃にはガソリン・スタンドを探す必要がある。

 否定的な要素は何も燃費に限った話ではないし、老齢車であるが故の不都合も年々累積していくものなのだけれども、それでも余人――人じゃなくて車だけど――を以って代え難いと感じさせるものがこの車にはある。少なくとも僕にとっては。そして多分、この車の新たなオーナーにとっても。

 気がつけばユーノス500ももうじき「20年前の車」になる。僕が自動車の免許を取って「クルマのある生活」を初めてリアリティを持って夢想できるようになった当時の「20年前の車」といえば……510型ブルーバードや日産に“移籍”して最初のスカイライン、いすゞのベレットやコスモスポーツなんかが該当する。うわぁ歳をとったなあ。――じゃなくて、いま免許をとる若い人からすればユーノス500というのは僕がそれらのクルマに「昔」を感じたのと同じような塩梅なのだろう。

 さて泊りがけドライブの帰り道、東京まで200キロ近くを残したあたりで、僕は燃料計を見て激しい不安に駆られた。針はまだ半分を少し下回った程度なのだけれども、トリップ・メーターは既に前回の給油から300キロ以上走行したことを示している。普段の街乗りペースで言えば、遠からずタンクが空になる距離である。

 しかも前の夜の宴会ではちょうど、ユーノス500の老化現象の一つとして燃料計が正常に作動しなくなる症状が出ることがある、なんて話をしていたばかりだったのだ。……こいつ、いまどのくらい燃料が残ってて、あとどのくらい走れるんだ?本当に東京まで帰りつけるんだろうな?などと冷や冷やしながら、指針がちゃんと下がっていくのかチラチラ観察しながら運転する羽目になった。

 結局のところメーターはまだ正常に作動していて、高速道路主体で移動したもんだからリッターあたり10キロ以上という、通常では考えられないほどの「低燃費」ぶりを示してくれたことが裏目に出たわけである。裏目なんていっちゃバチが当たるが。
 自宅に到着したときのトリップ・メーターの表示は大体500キロ。給油のたびにトリップ・メーターをリセットして燃料計のバックアップにしているので、この数字は見慣れなくて、少しばかり変な感じがした。
Posted at 2010/11/03 17:00:34 | コメント(0) | トラックバック(0) | ユーノス500関係 | 日記
2010年10月30日 イイね!

晩秋の安曇野

晩秋の安曇野折りしも台風14号が太平洋側沿岸を接近する中、今年も秋の安曇野に行ってきた。荒天に恵まれ(?)た週末の中央自動車道は、速度規制が敷かれていたものの行楽に向かうドライバーの数は当然まばらで、渋滞のストレスを受けずに済んだのは幸いだった。

 中央道は舗装が場所によって違っているため、路面に水が乗っているようなところに差し掛かると、あからさまにタイヤの回転抵抗がグッと増すのが分ったりする。これが左右のタイヤに違った抵抗が大きくかかったりするようだと、車が横っ飛びして危険極まりないのだけれど、幸いにしてそこまで舗装がひどい箇所には2~3回程度しか出くわさずに済んだ。――出くわしたときには一瞬冷や汗をかかされた。

 天気が一番ひどかったのは山梨と長野の県境あたり。高速道路の走行中に視界100メートル前後なんていう濃霧に見舞われ、実におっかなかった。リア・フォグランプが実に頼もしかったのであるが、そういう酷い天候の中でもライト一つ点けないドライバーってのが、結構目に付いた。事故りたいのか、ぶつけられたいのか知らないが、まったく理解に苦しむ。

 しかし到着した長野の豊科の天候は、傘を差そうか差すまいか、ちょっと迷うくらいの小雨模様。台風接近と身構えていたのが馬鹿馬鹿しく思えるほどだった。もっとも、夕方のニュースでは静岡だったか千葉だったかから実況生中継をやっていた若い男性記者が、横殴りの暴風雨に悲鳴を上げていたから、長野に来たお陰で安閑としていられたということなのだろう。

 昼過ぎに友人たちと合流して昼食をとり、その後「ちょっと旧いクルマ」の展示イベントを覗く。初代のセリカやフェアレディZ、ギャランFTOなどなど、僕ぐらいの年齢からだと懐かしさを覚えるくらいの年代の車が、こじんまりと展示されていた。
 少し離れた山のほうでは、今年もフランス車の祭典が開催されていて、きっとすごい人数を集めているのだろうけれど、こちらはマァ閑散としたもの。人知れず街の片隅で開催された無名画家の個展みたいで、これはこれでいい感じである。

 その後、定宿に入り、日付が変わるまで呑んで騒いだのは例年通り。ただ、年に一度こうして同じように仲間たちと泊りがけの宴会をやってるとイヤでも気づく。気持ちの上では少しも歳を取っていないのに、段々と夜遅くまでは起きていられなくなって来ているのだ。
 添付の写真はその宿の前で撮ったもの。こういう風景の中に置くと大概どんなクルマでも素敵に見えるものだけれど、改めてユーノス500っていいなあ……と惚れ惚れしたのだった。
Posted at 2010/11/03 15:46:35 | コメント(0) | トラックバック(0) | ユーノス500関係 | 日記

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「フェアレデーって本当に呼ばれてたの? http://cvw.jp/b/9433/47108671/
何シテル?   07/24 21:51
曲面の綺麗な旧い車が好き、エレガンスのある車が好き。そんなこんなでユーノス500に乗りつづけ、もう……何年だ?  気がつけば屋根のない車まで併有。いつまで乗り...
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