• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

ひがしかぜのブログ一覧

2012年10月12日 イイね!

古墳探索でエアロ擦った(群馬県前橋市)

去る10月10日に群馬県前橋市での古墳探索に出かけました。はじめは二子山古墳を目指したところ、周辺の道が迷路状でCR-Zでぎりぎりくらいの道幅のところに迷い込みエアロ擦った、バックで何とか脱出したものの、かなり厳しい状況でした。

 その後、宝塔山古墳蛇穴山古墳へ。石室がこれまで見た古墳では最も精巧な作り、古墳時代後期らしい、そして宝塔山古墳の石室には見事な石棺が残っていて現地では感動したものの、帰宅後にレプリカと判明。

 この付近は総社古墳群がありまだいくつか古墳があるから再探索候補地になってます。

フォト:https://minkara.carview.co.jp/userid/946290/car/796726/3292158/photo.aspx

Posted at 2012/10/12 21:18:16 | コメント(0) | トラックバック(0) | 古墳 | 音楽/映画/テレビ
2012年10月10日 イイね!

鹿島古墳群(埼玉県深谷市)

鹿島古墳群(埼玉県深谷市)去る10月9日、埼玉県深谷市を軽く探索、日中に八幡神社で御嶽教の石碑を発見しましたが、深谷市内だけでも八幡神社って相当数ありますね。その時に荒川沿いに「鹿島古墳群」の標識が見えたので車で侵入していくと、農家の庭のような変なところに誘導されちゃって古墳もよくわからなかった、そのため夕方に再度訪問。
 

 ナビで鹿島古墳群検索するとこの変なところに誘導されちゃうのですが、それと少し離れたところに「鹿島古墳群」の表示がある、こちのほうが鹿島古墳群の保存地区で車求めやすい場所でした。荒川白鳥飛来地に隣接します。


 鹿島古墳群は、荒川右岸の河岸段丘上に東西約一キロに渡って帯状に分布しています。古墳は径十メートル~三十メートル程の円墳で、荒川よりに密集して分布し、大水によって流された古墳も数多くあったと伝えられています。
 現在、県指定地の中には五十六基の円墳が保存され、指定地南側で発掘された二十七基の古墳やすでに失われた古墳を合わせると百基を越す大古墳群であったと推定されます。埴輪が立てられた古墳は少なく、七世紀を中心に八世紀初頭に至るまで次から次に築造された古墳時代最終末の古墳群と考えられています。

 

 今回は保存地区内は結構草生えて湿地っぽいところもありましたが、春は桜スポットらしい。また小型の円墳をいくつか見ましたが、50以上もあるならそのほとんどは見ていないし、車で来る途中、保存地区外に古墳らしきものをいくつか見かけたので、ここは再訪の価値のあるところです。

 

フォト:https://minkara.carview.co.jp/userid/946290/car/796726/3290027/photo.aspx
フォト:https://minkara.carview.co.jp/userid/946290/car/796726/3290030/photo.aspx

  
 
Posted at 2012/10/10 23:18:43 | コメント(0) | トラックバック(0) | 古墳 | 旅行/地域
2012年10月07日 イイね!

雷電神社古墳(群馬県伊勢崎市)

去る10月5日、群馬県伊勢崎市境伊与久の雷電神社に参拝、事前には何も調べずたまたま立ち寄った形です。駐車スペースは十分。「四十にして惑わず」の石碑があるのですが、実際40歳にして惑わぬものがどれほどいるものか?

 
 台上に社殿があるように見える、そしてその周りを一周してみると、どうも方墳じゃないか、神社古墳だな。そう思って参拝、社殿の左手を見ると「おみこし古墳入口」との看板のある“小屋”を発見。これを見ればおみこし古墳という名前の古墳だと思うでしょうが、実は違って「雷電神社古墳」で、おみこしというのはこの“小屋”が神社の神輿殿ということでした。神輿殿を知らなければそういう連想は湧かない。

 内部はおみこしが宙ずりになっていて、石室への入り口があります。神社古墳は社殿建築の際墳丘が削平されて石室が破壊されている場合も多いが、ここでは残っており、埋葬のための玄室がちょうど本殿の真下の少し前くらいと思われます。石室の中には入れませんでしたが、明治時代に発掘された時に相当形を変えられているようです。(http://sgkohun.world.coocan.jp/GUNMA/sakai/raiden.html



 雷電神社古墳は伊与久地区の北方に位置し粕川と早川の支流である中掘に挟まれた低台地上に築造された古墳であり、本古墳北側には十三宝塚遺跡が広がる。「上毛古墳綜覧」によれば、本古墳の周辺には多数の古墳があったとされるが、現在では殆ど消滅している。従って伊与久地区の古墳を知る上で貴重な古墳である。
 本古墳の形態は主軸を東西にとり、前方部を東に向ける全長約五十メートル程の前方後円墳と考えられる。現在ではくびれ部なども明確でない程に削平・変形されてしまっているが、西側には後円部の名残がわずかに認められる。遺骸を葬った主体部は南に開口する両袖型横穴式石室であり、現在の神社本殿の真下あたりと考えられる。現在では補修が著しいが、比較的旧状をとどめているのは玄室部で、長さ四・七メートル、奥壁下幅一・三五メートル、中央部幅二・一二メートル、入口幅一・一五メートルとやや胴部の張った形である。この石室を構成する石材は榛名山系の二ツ岳が噴火した際に噴出したとされる安山岩の一種であり、その加工技術・石材の積み方は精巧である。

Posted at 2012/10/07 21:01:01 | コメント(0) | トラックバック(0) | 古墳 | 旅行/地域
2012年10月07日 イイね!

大國神社にミニ富士塚(群馬県伊勢原市)

大國神社にミニ富士塚(群馬県伊勢原市)去る10月4日、群馬県伊勢原市の大國神社に立ち寄りました。この地域ももう数えきれないほど訪れてますので、いろいろな史跡や神社の前を素通りしているなかで、時々立ち寄るパターン、これは車で移動していないと無理、観光化されてないところをめぐることに意味あるわけで。さて、境内には仏教的な形をした祠や石塔がありました。この地域の神社の社殿はなにやら仏教的な形に見えるものが多いような気がする、淡路島もそんな感じだったかな。
 

 そして、例によって社殿の周りを探索していると「富士嶽神社」の石碑を発見。あれ、小御岳神社ではないのか、とも思いましたが富士山信仰には関係あるんでしょう。境内の木の前にあって、その周辺には大きな石が転がっていて、ミニ富士塚の残骸かもしれない。

 さて、富士嶽神社とは聞きなれないと思ってたところ、ブログ見てみると昨年10月16日に館林市の富士嶽神社(古墳)を訪ねてますね。(https://minkara.carview.co.jp/userid/946290/blog/24176219/) さらに調べてみると富士嶽神社は現北口本宮浅間神社のこと、そして江戸時代に大流行した富士講の総本山だというのですが、はるか古代から富士山信仰はあり、古来から勅使で純粋に富士山を祀る浅間神社は存在しています。(富士宮の本宮、須走浅間神社、河口浅間神社)。浅間神社は古来からの山岳信仰とともにあり、富士講・富士塚はかなり近世になってそれに付随してきた。そうすると浅間神社ではない富士講・富士山信仰もあるわけで、先日の扶桑教などはそういうものなんでしょう(要するに新しい)あるブログには

「富士山を修行の場と捉えるか、神のおわす山と捉えるかでは全く意味合いが違いますね。」

 とありましたが、後者だと信仰になりますが、前者だと仏教徒でもない、あるいは無神論者だが座禅は心身に良さそうだ、というのに似ているのか。

フォト:https://minkara.carview.co.jp/userid/946290/car/796726/3282605/photo.aspx
Posted at 2012/10/07 08:17:33 | コメント(0) | トラックバック(0) | 富士塚 | 旅行/地域
2012年10月05日 イイね!

忍城再訪(埼玉県行田市)

忍城再訪(埼玉県行田市)
 
去る10月4日に埼玉県行田市の忍城を再訪しました。ブログ見ると、昨年7月17日にも来てます。この時のことは詳しくは書いてないが、確かかなり暑い日で城におもてなし隊がいた、そして着ている甲冑が段ボール製に見えた.......
 この時点で映画の予定があることはわかっていたようです、それがのぼうの城

 
近傍のさきたま古墳公園にある丸墓山古墳に石田三成が陣を置いたという



 周囲を湖に囲まれ、浮城とも呼ばれる忍城(おしじょう)。領主・成田氏一門の成田長親は、領民から「でくのぼう」を略して「のぼう様」と呼び親しまれる人物であった。
 
 天下統一目前の豊臣秀吉は、関東最大の勢力北条氏の小田原城を落城させんとしていた(小田原征伐)。豊臣側に抵抗するべく、北条氏政は関東各地の支城の城主に篭城に参加するよう通達。支城の一つであった忍城主の氏長は、北条氏に従うように見せかけ、裏で豊臣側への降伏を内通し、篭城作戦に参加していた。
 
「武州・忍城を討ち、武功を立てよ」秀吉にそう命じられ、石田三成は成田氏が既に降伏を決めているとは露知らず、戦を仕掛けんとする。城はすぐに落ちるはずだった。だが軍使長束正家の傲慢な振る舞いに怒った総大将・長親は「戦」を選択。当主氏長より降伏を知らされていた重臣たちは初め混乱するが覚悟を決め、かくて忍城戦は幕を開けた。
 
三成率いる二万超の軍勢に、農民らを含めても二千強の成田勢。総大将たる長親は、将に求められる智も仁も勇も持たない、その名の通りでくのぼうのような男。だがこの男にはただ一つの才能、異常なほどの民からの「人気」があった。
 
 三成は、近くを流れる利根川を利用した水攻めを行うことを決定し、総延長28キロメートルに及ぶ石田堤を建設する。しかし、長親を慕う農民の破壊工作もあって水攻めは成功しない。
 
やがて、本城である小田原城が落城し、小田原城で篭城していた氏長からの指示により忍城も開城する。小田原城落城時までもちこたえた支城は忍城だけだった。

Posted at 2012/10/05 21:48:22 | コメント(0) | トラックバック(0) | | 日記

プロフィール

「[整備] #フェアレディZ リアデフオイル交換(80300km) https://minkara.carview.co.jp/userid/946290/car/2356657/6947471/note.aspx
何シテル?   06/30 21:30
FSW 現在の自己ベスト 2.08.520 (86Racer's)  

ハイタッチ!drive

みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2012/10 >>

 12 34 56
789 1011 1213
1415 1617181920
2122232425 2627
282930 31   

リンク・クリップ

革底 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2021/09/17 01:13:41
500PX 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2014/06/13 05:26:06
 
富士山情報(富士塚を含む) 
カテゴリ:富士山・富士塚
2011/10/07 20:44:56
 

愛車一覧

日産 フェアレディZ 日産 フェアレディZ
フェアエディZ NISMO  + NISMO Sports Resetting(ECU交 ...
トヨタ コルサ トヨタ コルサ
約7年間使用。 5MT  ドノーマル レーサーが書いた本など読みつつ、それなりに山で走っ ...
日産 パルサーセダン 日産 パルサーセダン
13年以上所有して廃車(補助金がCR-Zの資金に) どノーマルだったが、MTでスポーティ ...
ホンダ CR-Z ホンダ CR-Z
約7年間使用、約199300km 自己ベスト FSW    2.29.85        ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation