FBに、突然カフェセブンで、”フランス車の撮影をします”と入ってきました。当初の日程は、6/16 10:00~14:00でした。ここには行ったことは無いのですが、場所が判明したので行くことにしました。その後、雨の予報で6/23に延期になりました。その6/23も雨の予報でしたので、行こうかどうか迷ってはいました。前日の天気予報では、14:00くらいからの雨になっていましたんで、行くと決めて寝ました。
その第一報から、今月のCCJ関西ミーティングに家の都合で行くことができず、行ったなら寄ろうと思っていた敢国神社(伊賀上野)による前提で、計画を作りました。
それと並行して、ゴリラの地図のバージョンアップもしました。東北に行く前の4/20リリースのバージョンでは、新名神の四日市周辺、東名の海老名周辺がアップデートされておらず、年度末の開通は結構使い勝手のあるものでしたので、次のバージョンが待遠しかったですね。
まずは、早朝からのスタートです。いつものすき家で朝食をとってから、蟹江ICを目指します。蟹江ICから東名阪道で南下し、25号に入って伊賀一ノ宮で降ります。
敢国神社(あえくに)です。ここは伊賀国一之宮です。
いつものように参拝前にご朱印帳を預けます。今回は、一宮会の御朱印帳で。
まだブログに書いてませんが、今年のFTPの後に、富山の別表神社を回りました。その時に不覚にもご朱印帳を家に置き忘れて出発しました。そのため、現地で神社用、寺用を新調してました。富山の射水神社が最初の参拝地社だったので、そこで購入しようとしましたら、射水神社のそれは品切れだけど、一宮会のならあると。まあ、私は一之宮巡りはしてないのですが、無いものはしゃあないと購入しました。これが魔物でしてね(笑)。
これによって、一之宮への参拝の場合は、このご朱印帳を使おうと。
本殿です。
カフェセブンは10:00からとなっていましたので、少し境内をぶらぶら。
むすび社なる鳥居が。
息子の良縁をお願いせにゃいかんと階段を登ります。
参拝、お願いです。
(この後行く、椿大神社の写真も)
カフェセブンですが、この伊賀から30分くらいです。でも住所は京都なんですね。県境の標識はありませんでした。
着くと、黄色いフェラーリ、BM等が駐車されてます。奥に1台のスペースがあり、なんとか駐車できました。
オーナーは以前に、FBMでステッカー、ワッペンをトイレの前あたりで販売されてた方と知人から聞いていました。でも、こんなにメーカーの垣根を超えたオーナーの空間が、この人里離れた所にあるとは驚きです。カミさんと、”これは初めての経験かなあ”と話してました。FBM、CCJとかのメーカーの範囲の狭い経験はありますがね。
このカフェの雑誌があるようで、この撮影会はそれ用とここで知りました。多分、編集をされる方がお二人で写真を撮っていらっしゃいました。私のC5も質問を受けましたので、並行ゆえの現地オプション(下記)が入っていますとご返答を。
・革張りダッシュボード(ステッチ入り)
・セミアニリン染料仕上げの皮シート
・アルカンターラの天井
ここには、AM10:00前に入ったのですが、その後も続々と車が入ってきますので、早々に退散しました。
津を目指します。田園風景の中を走りますが、三重県って、津と四日市だけか?と思える光景でした。
結城神社です。
ここは建武中興十五社とのこと。そのようなグループがあることも知らずに参拝しました(笑)。
祭神の結城宗広は、先月訪問した白河一帯の藩主のようで、尊氏軍との戦に敗れ海路で奥州に逃げる途中この津沖で難破し、この地にて病死してここに祀られているとのこと。なので、結城神社と。
昨年、参拝した北畠神社も南朝側の北畠顕能を祀ってあり、南朝側の実在した人間を主祭神とする神社が多いですね。まあ、東京には乃木神社、東郷神社もあるからそんなもんかな。
次に三重県護国神社に。
ここには太平洋戦での戦地別の戦死者数が書いてある碑があり、ビルまでの戦死者数が16万5千人と知りました。これは他の戦地と比較しても大きな数字で、今までミャンマーに20年関わっていながら具体的な数字を知らなかったことに反省です。
次に、高田山専修寺です。浄土真宗の寺なので、京都の本願寺と同じような伽藍配置ですね。
個人使用は写真可でしたので、まずは御影堂内を。
御影堂から如来堂への渡り廊下には、なんとエレベーターが。
中央には親鸞の像がありました。
カミさんと、”やっぱり本願寺だわな”と。でも、ここは正式には本願寺ではありません(笑)。
如来堂の中は、
本願寺まんまのキンキラキンの中に阿弥陀如来が。
三重県に高田高校という私立高校のことを知っていました。この寺が高田山と知った頃から、その高田高校がこの寺の学校ではと思うようになり、ご朱印(?)をいただく時に聞きますと、やはり正解でした。私の受験生の時代の三重の私立の進学校は、ここしか無かったような覚えでした。
あべ静江(今の人知ってるかなあ?)は、ここの卒業生です。
京都の東西本願寺、東京の築地本願寺では、ご朱印は無くスタンプラリー用のスタンプがありました。また”教義でご朱印はありません”との張り紙を見たような覚えもあります。
でもここはご朱印(?)がありました。正確にはご朱印と言わず、参拝記念と言っているようです。
富山の井波別院でも参拝記念と称する、まるでご朱印のようなものをいただいています。この手の収入源は、捨てがたいんでしょうね。
次に、椿大神社(つばきおおかみやしろ)へ。ここは伊勢国一之宮です。
本殿では魚を神事としてさばいてました。
本殿の写真は撮り忘れました。
以前、TV番組で”神が降臨した地”というのを見た覚えで、それを神主さんに尋ねると案内していただけました。
囲いの中には入れませんが、舟形に石が並べられ、真ん中に三つ石が。
神主さんの説明は、”猿田彦大神が露払いをして、この地に天孫(天照大神の孫)が船に乗り降臨した。その後、猿田彦大神と後に結婚する天鈿女命(あめのうずめのみこと)らと共に高千穂に移動した”。つまり、ここで休憩したということのようです。
その後、天照大神が岩戸隠れして、その岩を開けさせるために岩の前で舞ったのがこの天鈿女命だそうで、この社の別宮に天鈿女命が祀られ、芸能のご利益があるとのことです。
これは大変大変勉強になりました。
私は伊勢神宮に?があるのですが、この話の流れでいくと益々伊勢神宮に?です。
これで立てた予定は終了で、新名神の鈴鹿スマートICから出来たばかりの新名神に。
ナビの示す帰宅時間が早いので、車中で多度大社参拝に変更。道路は、四日市JCTで東海環状道で大安ICまで行きます。どうもこの大安という地は日本に思えません(笑)。
多度大社に着くと、いきなり有料駐車場が目に入ってきます。参道の階段が見える場所なので、無料駐車場はあると思いましたが、200円でもあり近そうなのでそこに駐車。
最初に目に入ってくるのが、この社の有名な”上げ馬神事”の坂が。
こんな急勾配で、最後の壁があるようなところを登らせるのは間違いなく馬虐待ですよね。
階段上ると馬がいました。(本物)
ここは一之宮でないので、別のご朱印帳を預けて本殿に向かいます。
本殿横に滝がありました。
本殿に参拝。
本殿に向かう時に、自動車のお祓いを見ました。一台づつドアを開けてのお祓いです。コスパ良さそうですね(笑) ここは桑名ですが、名古屋ナンバーもお祓い受けていました。
これで予定終了です。三重県の別表神社は伊勢の二社を残すだけになりました。