甥兄弟家族の夜襲の翌日は、台風の風雨の強い朝になりました。ホテルの窓から見える歩道の街路樹は大きく揺れてました。ネットで確認すると、アクアラインは閉鎖されています。ある程度は覚悟してましたが、首都高で、東京ー千葉ー木更津経由で館山市の洲崎神社を目指します。最終的には、TV番組の刑事物でよく出てくる犬吠埼を見て帰る計画です。
AM6:00に出る計画でしたが、結局6:15の出発と遅れました。生麦で軽い渋滞がありましたが、平日ですから浦安近辺の下の渋滞はありませんでした。でも反対の上りはメッチャの渋滞です。京葉道路に向かう宮野木JCT前から渋滞が始まります。松ヶ丘ICあたりまでは流れが悪かったような。反対の上りはずっと渋滞でした。やはりアクアライン閉鎖の影響でしょうか?この時点で犬吠埼行きは諦めました。犬吠埼からの帰りはこの京葉道路に戻ってくるはずですから、もしこの渋滞が残っていたらと考えて房総半島の二社と、こいうことも考えて用意してたオプションの清澄寺参拝に変更です。また、幸いこの時点でアクアラインは開通してました。
清澄寺参拝なら、最初の訪問地を清澄寺に変更で、君津ICに向かいます。ここでも頭の悪いケンウッド・ナビは木更津JCT経由木更津東ICに行けと言います。無視です。
君津IC降りてから房総スカイラインに入ったら先行車のジャガー(正確な車名は忘れました)がめっちゃ頑張って走ってくれます。一時振り切られそうになりました(笑)。ゴルフにでも行くのかなと思っていましたが、海岸線の国道128号まで一緒でした。
海岸線に出たら、その頭の悪いナビは来た道を戻れと言います。本当にギョッとしてこいつついに壊れたかと。ただ、清澄寺は山にありますので、その道路が通行止めになっているかとナビを清澄寺に合わせると、清澄寺手前数キロの所に通行止めのマークが。あ〜あ。まああとすぐなので、行けるところまで行ってダメなら戻ろうと。
救急車が私を追い越して行って、救命級センターの看板がある病院らしき建物に入って行きます。えっこんなところに救命救急センターがあるか?と思いましたが、病院らしき建物が綺麗で豪華で。そうか亀田だと。ここにあったのねと納得です。
亀田を過ぎて国道126号を左折しますが、通行止めの気配はありません。先行車も走ってます。ナビの通行止めマークの所に来ましたが、峠道の工事はしてますが、走れます。な〜んだ、ガセかよと。
無事清澄寺に到着で、事前にお寺に聞いて確認してた仁王門前の数台しか停めれない駐車場に駐車できました。まあそんな環境ですか、他に車無し。
仁王門です。
祖師堂です。
中門です。
千年杉です。
本当に人がいません。
で寺務所も開いてません。
まあしゃないかと次の安房神社に向かいます。
1キロくらい走ってから思い出しました。清澄寺の事務所は9:30からだったのです。直ぐに引き返して、ご朱印をいただきました。やれやれ。
清澄寺は日蓮に関係があることは知ってましたが、帰ってから清澄寺、日蓮で検索して少し知識を上げました。
日蓮はこの鴨川の生まれで、清澄寺で12歳から学習し得度してます。元々は天台宗の寺だったようですが、日蓮の関係で今は日蓮宗の大本山の一つなんですね。
日蓮宗の話になると法華経が出てきます。法華経を元に日蓮宗ができてるんかなあと浅知恵しかありませんでしたが、wikiで調べるとそんなトロイ話ではありませんでした(汗)。
でもって、日蓮という坊さんは他宗派に対してやたら攻撃的な坊さんであることも知りました。wikiに書いてあることが本当なら、確かに日蓮の論理が正しいのではと思ってしまいます。
これをきっかけに、日蓮宗の本山は多くあるので、これから神社仏閣廻に加えて行こうかと思いました。
とりなおして、安房国一之宮の安房神社に向かいます。
駐車して上の宮 拝殿に向かいます。
拝殿です。
本殿を少し。
すぐ横に下の宮があります。
なかなか風情のあるいいお宮さんでした。
次に同じ安房国一之宮の洲崎神社へ。
駐車場には数台の先着の車がありました。
隋身門です。
御朱印はこの隋身門の中にサイズの違うご朱印が置いてあります。500円のお布施を入れて。
厄祓坂坂を上ります。
拝殿です。
参拝して振り返ると、
安房国一之宮がすぐ近くに二社あります。私は武蔵国、尾張国等で経験がありますので、一之宮が二つあっても驚きはありませんが少し調べました。
どうももともとは安房神社が先ですね。安房神社の祭神が天太玉命(あめのふとだまのみこと)で、洲崎神社の祭神は天比理刀咩命(あまのひりのめのみこと)で夫婦です。これで行けば洲崎神社が二之宮だったんじゃないでしょうか。
源頼朝が、1180年伊豆で挙兵した際、石橋山の合戦で敗れ海路で安房の地へ家臣数名に支えられて辛くも逃げ延びたようです。そして安房の地で、頼朝はリベンジのために再挙を期してこの洲崎神社に参拝をしたそうです。
頼朝はリベンジをはたして天下人になります。洲崎神社は、頼朝からすれば天下統一の願いを聞き入れてくれた神様となるわけです。
自然発生的に洲崎神社を「一宮」と呼ぶ風習が広まり、また江戸時代には江戸城を築城した松平定信が、「安房国一之宮大明神」と自筆した篇額を奉納したこともあり、本来は国に1つとされる一宮が、安房国館山には2つも存在することとなったようです。(全部ネットでの知識)
まあ、両神社といいお宮さんでした。
館山市内で最終の給油をして、富浦ICで高速にのりアクアライン経由で、東名、新東名で帰りました。
燃費計では、最終ICでは15km/Lで、家までで止めて写真を撮ると、
自宅に着いたら、
まあ、ほとんど高速の数字ですからね。
今回のS4での高速オンリー走行は多分初めてかな。
結論は、この帰路はただ疲れました。5月にC5で福岡から約800キロをストップ一回で走った時より、数段疲れました。やはりC5の長距離の優位性は歴然ですね。
S4の場合、高速道での路面からのショックが直接体に入ることが大きいと思います。一般道でスキーには2シーズン使ってますが、そこではこのような疲労感がなかったことから、高速道でのショックが原因かと思います。C5はS4に比べてボディ剛性は柔なので、ハイドロ以前にボディーで吸収しているかもですね。
Posted at 2022/09/27 11:15:11 | |
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S4で関東 | 日記