むかしむかし そのまた昔
僕はオートバイのチームに所属してた。
当時 ナンバープレートの下に貼ってたチームステッカー
”ミルキーウエイ” おそろしく軟派なこの名前のチーム名の由来は
そのシーンにあるのです。
宮崎と言う土地は 非常に空気が綺麗で 天の川 所謂”ミルキーウエイ”が綺麗に見える。
友人と たこ焼き買って この堀切峠で眺めてた。
チーム結成時に いかつい名前はやめようぜって 単にそこから思いついただけ
チームと言っても ツーリングなんかはほとんどやらず
合うのは 峠メイン
でも定例会とか無くて 規則も特に無い ゆる~~い集まり
とは言っても
メンバーは 大学内ではほぼ速い順に7人のみに限定
それと七夕の夜に海岸線をナイトラン というのが数少ない申し合わせ。
なので 常に腕を磨く必要がありまして・・・・
週4日は ホームの峠に通ってました。
授業中は 目をつぶってイメトレ
13km以上あるロングコースを実際に走るのと数秒たがわぬ精度でイメージ走行できてました。
当時のマシンは XS750ヨーロピアン改
もともとアメリカンのマシンをポジション変えて 前のサスのセッティング変更だけで走ってました。
シャフトドライブの癖がものすごくて コーナー入ってからは絶対にアクセルを戻すことが厳禁だったおかげもあって ブレーキテクは鍛えられました。
当時 カタナだ2ストレーサーレプリカだって 新たな刺客がどんどん現れたんですが ことごとくコイツで駆逐してました。
・・・・があるとき 後輩のFZ400に乗らせてもらって 自分のベストを乗り始めの一本目でクリアできた事実を目の当たりにして、痛感しました「性能は大事だよ!」って
(^^;;;
仲間はどんどんと レーサーレプリカに乗り換えていったんですが、
僕は根っからの天邪鬼と言うか 保守的でして コイツにこだわって
乗り換える金があるなら ”ガソリン代とタイヤに使う”と 走る量を膨大にして やっつけて・・・・・
当時 割のよいバイトしてたんで 月30万円は稼いでたんですが ガソリン@180円超えてたこともありいつもピーピーでした。
当時は 事故も多く 周囲で亡くなったり後遺症の残る事故にあったりするヤツも居ましたが 僕らの仲間は 大きな怪我したヤツはいませんでした。
・・・あっ 僕は膝の靭帯2本献上して このバイクを降りることになりましたが、峠では無く 夜間の犬の飛び出し(しかも2匹同時)に対処できなかったことによります。
それまでは 「自分はどんな状況だってうまく対処できる!」という l根拠の無い勘違いした自信がありましたが そんなもんはただの妄想だということを痛感して、それ以来 しばしバイクから離れました。
今も バイクだっら相当やれるぜ!と言う気持ちはあるんですが
同時に あのころ死ななかったのは単に運が良かった という冷静な気持ちの方が上回るので バイクに乗るのを封印してます。
七夕の日になるたびに バイク乗ってたころのあれやこれやが懐かしくなるのです。
Posted at 2018/07/07 09:32:47 | |
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