ねむい。
が、今日はチロンとでも
世界がかわりそーーな
(あくまで自分だけの^^;)
そんな出来事があった。
そしてどんなことがあってもいつも祈り願ってる。 自慢にもなんねぇ。。。。。
他にももっとやること考えることあるやろぅとつっこまれればそれまで^^;
その祈りの中に
「そのたくさんたくさんの眼差しでみんなが見守られていますように」
とも願い届けてるのでありますが先日、なんとなく
「見守られていても見えるだけで必ず守られる訳じゃないし、、、、もしかしてひどい災害やとても哀しい事件が目に届いてもすぐに救いの手を差し伸べられない、助けてやろうと思っても助けなくてもいいような存在 (まさかそんな存在はないと思うものの神様の考え方はわからんので)
愚かな人間の愚かな行為に神様はそのたくさんの眼差しで見届けていながら、、、、
泣いてるのかもしれないな」、とも思った。
千手観音は千の手があり十一面観音には。。。。。それだけたくさんの眼差しがあるんだもの。
見守ることは見るだけで必ずすべてが救われる訳でもないんじゃないか、目に届いても救えないことや敢えて助けない強さを出す時に泣いているのかもしれない。
この春も何度も逢ってきてた。
どうかその眼差しでみんなが見守られていますように、、、、、けれど100%が救われない、守られない。
神様も愚かな人間をみて哀しいやら情けないやらで泣くしかないよ、な時もあるんだろうなと思った。
何度も逢って対話していてもまさか目の前で泣かれたことはない^^;
神様はだれもいない時にとても静かに憂いいっっぱいの涙をぽつーんと流されるのだろう。
神の目にも涙。
いや観音様なので観音の目にも涙。
「おまえなぁ、女を泣かすなんて最低だぞ」
ともいうけど
「あんたなぁ、観音さま泣かすなんて根性あんね」
になるんやろうか、
ケンカ売ってません挑発してませんすみませんすみません(ノД`)
そんな春の観音様についても、またいつか。 いつやねん。
Posted at 2021/05/14 23:22:05 | |
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