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弾痕 漏れ出る悔恨 旧日立航空機変電所
子どもたちの遊び声が響く都立東大和南公園(東大和市)の一角に、無数の弾痕が残る「旧日立航空機変電所」がひっそりと立っている。第2次世界大戦中の空襲による痛ましい姿を通して、戦争の恐ろしさを後世に伝える貴重な遺構だ。
「最初はお化け屋敷かと思って怖かった」。見学に訪れていた市内に住む女児(6)は、ただならぬ雰囲気を醸し出す建物の第一印象を語った。
東大和市によると、変電所は1938年に建設された。軍用機のエンジンを製造していた日立航空機立川工場に隣接し、電気を変圧し供給していた。大戦末期には米軍の標的となり、45年に計3回の空襲を受けた。変電所内の作業員や周辺施設にいた人など計111人が亡くなったという。
銃弾や爆弾の破片で300か所以上の傷が残ったが、建物の致命的な損傷は免れた。戦後は編み物機などを製造するように建て直された工場に電気を送っていた。93年、工場の市外移転によって変電所の取り壊しが計画されたが、保存を望む人たちの要望で、市が所有元から寄贈を受けて管理することになった。
老朽化により、2020年から保存改修工事が行われ、今年10月から一般公開が再開された。これまで立ち入ることができなかった配電盤などがある2階も見学できるようになった。
開館日は水、日曜日で、平日は200人、休日には500人ほどが訪れている。
見学を終えた女児は「こんなに硬い壁を撃ち抜いてしまう銃を人に向けるなんて信じられない。戦争はだめだと思った」と悲惨さを痛感していた。
変電所を案内する市立郷土博物館の滝本邦正さん(72)は「無残な姿が残る2階を公開することで、当時の悲劇をより身近に感じてもらえると思う。犠牲になった若者たちの無念を、今を生きる同じ世代にも感じ取ってほしい」と話していた。
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こう言う遺構が残してあるなんて。是非見に行ってみたいものだが、行く機会あるかな……。
取っておきたくても70年も経っていると保存するのに金掛かるだろうし、その前に保存出来そうなものが残っているかどうか。
占領軍にそれっぽい物は壊されたろうし。
> こんなに硬い壁を撃ち抜いてしまう銃を人に向けるなんて信じられない。戦争はだめだと思った
こんな子ばかりになって欲しいが……。これ(此等の跡)が何を意味するものか分かってくれる子は果たしてどれだけ居る事やら。
コンクリートをも砕くその威力、それを戦争時使っていたその凄惨さをね……。戦争とは単に争うだけのものでなくその力をもって相手の国の人民を頃す事にある、極端かもしれないけどそう教え込んでの戦争反対論者は果たしてどれだけ居るのか。
なんてね。
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で、イタい子に戻るが、
高射砲も届かない高度から爆弾投下する、凄い卑怯だ。あの爆発爆風の中でただその国の民だと言うだけで逃げ惑い頃されていく、その場面を見ずとも殺戮を成し遂げられる。
相手国また相手国の民が憎いならちゃんと己の手で捌かんかい。飛び道具なんて卑怯以外の何ものでもない。しかも安全地帯と言う絶対反撃されないところからなんて。
が、今はその鬼畜と同盟(同等扱いじゃないけどね)して。過去無垢な国民までも平気でジェノサイドしまくった奴等と。それはまだ最近までもあった、無垢な女子や女児を平気で襲っといて分が悪くなると日本の裁く威力が届かないところへ敵前逃亡。そんな奴等と。
卑怯?、それは宣言も無しにいきなり攻撃した日本の事でしょ、そう習ってきたぼっちゃんじょっちゃんが大半では?、可哀想に。先生からそうなんだよと教えられたら以後自分でも調べようなんてしないオツムにされてきたからね。
日本はハメられたのだ、なーんて言おうものなら馬鹿にされたりミギ扱いされたり。それも奴等の所為だ、なんて言うと、同盟の米国がそんな事するわけ(笑)、とこれまた馬鹿にされたり可哀想な子を見る様に冷笑されたり。
これを見てイタいと思うかどうか。貴方(貴女)は?
Posted at 2021/11/29 10:25:00 | |
今日のボヤキ | 日記