2010年10月21日
2000年発売 幻の日産ティーノハイブリッド
ハイブリッドどころか電気自動車までが個人ベースで実用化されようとする現今。
自動車黎明期を除いた電気自動車の歴史はまだ新しい気がするが、ハイブリッドの歴史は初代プリウスのデビューが1997年だから、こちらは伝統的な重みがそろそろ出始めても良いかもしれない。
さて、今回は時代を10年過去に遡ってみたいと思う。
2000年前後の時代に遡ろう。この時期は、
ハイブリッドの黎明期といえる時代である。
ところで、皆さまは、日産ティーノという車種を覚えておられるだろうか。しかも、そのティーノにハイブリッド車が設定されていたことを。
2000年当時、ハイブリッド車を市販していたのは、トヨタプリウスとホンダインサイトだけだったと思う。
そこに日産がティーノにハイブリッド車を出していたということを覚えている方は少ないかもしれないし、そもそも知らないという方もいるかもしれない。
実はミレニアム(20世紀最後の年)に日産もハイブリッド車を出していたのだ。
限定100台の販売だが、実は私は試乗したことがあり、今思えば、とても貴重な経験だった。
初代プリウスは発進時に電車のモーター音みたいに「ウィーン」という音が低速域においてかなり目立っていたような気がしたのだけれど(初代プリウスは知人が所有していた。同じく知人が所有していたY31シーマのほうがある領域では静かなようにも思えた)、ティーノハイブリッドはあまりモーター音もせず、際立って静粛だった記憶がある。印象批評だけれども、そのように感じていたことは確かだ。
因みに、個人的にティーノのデザインは好みである。
リアはフォードのフォーカスみたいな感じで、曲面的に見えるけれど、見切りがよさそうなリアデザインだ(後方の見切りのことまでは覚えていない)。
しっかりとどっしりとしているが、いかにも重たそうな雰囲気がない。
一方で、フロントフェイスは、どこかフランス車のような気がする。
初代メガーヌに少し似ているように思える。
たまたまルノー車との類似を見てしまったが、ティーノが開発された時期を勘案すると、ルノーの影響を受けていたかどうか。
スペインでは2006年まで生産が続けられていたそうだから、どことなく欧州車風味が漂うのは、そのせいかもしれない。
ともあれ、この頃の日産は、かなりハイブリッドを軸とした車種展開を考えていたように思える。かなり古い記事だが、引用する。
【日産『ティーノ・ハイブリッド』 Vol. 7】次期GT-Rはハイブリッドか!?より引用。斜体部文字が引用箇所。
日産が同社初のハイブリッドカーを『ティーノ』ベースとしたのは、「じっさいに走行距離が多いクラスのクルマ」をハイブリッド化することで、クルマ社会全体の燃料消費量を抑えよう、との考えによるものだという。しかし、とはいっても『ティーノ』1車種だけでは、「社会全体の燃料消費量」をどれだけ抑制できるかは、当然ながら疑問が残る。
答えるのは『ティーノ・ハイブリッド』のパワートレイン主管・前田博正さん。「ごぞんじのように、『ティーノ』はサニーと共通のプラットフォームを持つクルマです。そういう意味で、今回『ティーノ』でハイブリッド・システムが出来ましたから、今後はハイブリッド・システムの他車への転用も計画しています」
「このシステムは車重1.2〜1.5トン、エンジンでいえば1.8〜2.0リットルクラスに対応できますから、たとえば今の『サニー』や『セレナ』にも理論的には搭載可能ですし、今後登場する新型『プリメーラ』や『ブルーバード』にも積めます。それから、我われとしては、『セドリック/グロリア』や『シーマ』といった大型高級車にこそ、これからはハイブリッド・システムが必要だと考えています。その気になれば、次期『GT-R』をハイブリッドで出すことも出来るんですよ」と、前田さん。
前田さんによれば「開発段階では『ルネッサ』ベースのハイブリッド仕様も試作されたし(車重が重くなりすぎて開発中止)、現在も次のモデルを開発中」とのことである。
コメントだけを見ているとかなりやる気だったようだ。
今年になり、ようやくフーガにハイブリッドが搭載されるようになった現状とは大きく展望が異なっているのが興味深い。
このコメントだけを見ていると、トヨタもかくやという感じである。
だが、実際にはそのように歴史は進まなかったことは周知のとおりである。
続いて、同記事の前の記事である
【日産『ティーノ・ハイブリッド』 Vol. 5】開発者が弁明、なぜ『ティーノ・ハイブリッド』の10・15モード燃費がよくないのか
を一部引用してみる(斜体部文字が引用箇所)
それにしても、なぜ『ティーノ』がベース車両に選ばれたのか? 「じつはハイブリッドの開発は4年前から始まっていて、その時点では『ティーノ』は日産の次世代を担うクルマとして、計画生産台数が一番多くなるハズのクルマだったんですよ(笑)。それで次世代パワートレインを積むことも当初から考えていたんです。それに、ハイブリッド車の大口顧客である官公庁の方から“せめて机くらい運べるような、荷物の積めるハイブリッドカーがほしい。でないと業務に使えないから”という要望もいただいてましたので……」(前田さん)
前田氏の言のとおりだとすると、1996年から開発が始まっていたということになる。トヨタやホンダよりやや遅めだが、その他のメーカーに比べれば格段に早い。
この時期は地球温暖化防止京都会議なるものが翌年に京都で開催される予定で、将来的な環境意識の高まりや世界的なクリーンで燃費の良いエネルギーの需要が増すと予測していたのだろう。
ただ、官公庁の要望だけで、ティーノをベース車両に持ってくるものだろうか。
市販ベースに考えるのであれば、官公庁の要望のみならず、上に述べたように多角的なハイブリッド戦略を有していたのだから、マーケットニーズも勘案するはずだ。
このあたりのことは私にはよくわからないが、私はハイブリッド搭載車種がティーノでよかったと思う。プリウスは小さなセダンで、インサイトは結果としてスポーツ的ルックをまとったが、いわゆる実用性という面には乏しかった。
そういう意味では、ティーノのような荷物も積めるある程度大きい車種でハイブリッドを試してみたという日産の意気込みは評価していいと思う。
当時はミニバンもブームだったから、いずれエルグランドなどの大きな車種にハイブリッドを搭載するという形で多角的に展開することもできたはずだ。なにせ、シーマやGT-R(スカイラインではなく、日産GT-Rのことか?)にも積もうというのだから。
ハイブリッドとしての効率性云々の話はさておき、志は大いに買いたい。しかし、日産はティーノハイブリッドで大量生産できず、ようやく今冬に電気自動車を出すまでになった。ここに至るまでの道筋は私には想像できないが、常に時代の先端(時にそれが滑稽という形にもなる)を進もうという進取の気象を有した日産の姿勢を私は評価したい。
今後、リーフがどれくらい市場に出回るのかはわからないが、もはやパンドラの箱は開けられた。賽は投げられたのだ。
100台限定という形では収まらないはずだろう。
ハイブリッド戦略では頓挫したようにみえる日産だが、電気自動車では先陣を切るくらいの志でやって欲しいと思う。
ティーノハイブリッドを製作したときの意気込みを今一度日産に期待する。
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自動車カタログ拝見 | クルマ
Posted at
2010/10/21 02:41:21
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