昨日の歩数と歩行距離は22,2240歩、16.67Kmでした。
久し振りにアクティブな一日でした。
本日は、次男の長男が退院します。
(妻)実家に戻り、お母さんは子育て関係のプロと言うことで、(夫)両親の出る幕は無く楽ちん、良い天気ですが自宅でのんびりです。
(子供の出産を理由に帰省はしませんでしたので、久し振りにのんびりしたG.W.です)
と、近況(近代史?)を記載しましたが、自分に課したノルマを一回目から先送りは出来ませんので、初の3連投となりますが
20世紀探訪の第一回目を投稿です。
期間は、
1901 ~ 1909年 になります。
実際は全く知らない時代ですが、後世でも引き継がれている項目がほとんどですから知識としては入っていましたが年代情報までは・・・・ というモノや、全く知らなかった新情報と言うのも2~3個あったり・・・・・
では、始めます。
第1集のタイトルは、
「みだれ髪」から となっています。
「みだれ髪」与謝野晶子 (1)

「みだれ髪」は、詩人・歌人である与謝野晶子(1878年~1942年)の初の歌集で、 1901年に創刊されました。全399首の歌からなり、与謝野鉄幹との恋を歌ったものが中心となっています。
常設映画館「電気館」開業 (2)

明治維新以降19世紀末には、活動写真が外国からもたらされ、日本初の常設映画館 「電気館」が1903年浅草に開業しました。
チンチン電車 (3)

1903年8月、馬車鉄道の電化により、東京で初めての路面電車が品川―新橋間で 運行を開始しました。“チンチン”という発車合図から「チンチン電車」の愛称で親しまれました。
川上音二郎・貞奴 (4)

川上音二郎(1864年~1911年)は、新派俳優として新派劇発展のために 尽くし、その基礎を確立した指導的俳優であり「オッペケペー節」などを演じて人 気を博しました。
1891年には貞奴(1871年~1946年)と結婚。貞奴は、日本初の女優で、 フランスでは「マダム貞奴」の名で人気を博しました。 また、1903年には「オセロ」、「ハムレット」等の大型公演を成功させています。
日露戦争 (5)(6)

日露戦争は、1904年2月に開戦、1905年9月に、アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトの仲介で、小村寿太郎外相(日本)とウィッテ前蔵相(ロシア)が主席全権としてアメリカ北東部のポーツマスで講和会議を開き、ポーツマス条約が調印され終戦となりました。
「吾輩は猫である」、「坊っちやん」 夏目漱石 (7)(8)

「吾輩は猫である」、「坊っちやん」は、日本を代表する小説家夏目漱石 (1867年~1916年)の代表的作品で発表以来、広く愛読されています。
「吾輩は猫である」は、1905年1月から1906年8月まで雑誌「ホトトギス」に 連載された長編小説であり、「坊っちやん」は、1906年4月に雑誌「ホトトギス」に 発表した中編小説です。
ハイカラ (9)

明治維新後、文明開化とともに外国から様々な文化がもたらされ、 当時のファッションもその影響をうけました。ハイカラとは、 当時大いに流行ったシャツの立て衿(ハイカラー)から来ており、 新しく小綺麗でしゃれた物事をハイカラと呼び、 また、そのような人をハイカラさんと呼びました。
両国国技館落成 (10)

両国国技館は1909年6月に東京両国の回向院境内に完成した相撲常設館の名称です。 「国技館」の名称は、完成案内状に書かれた「相撲は日本の国技なり」にちなんだもので、 当時の東京の新名所と呼ばれました。その後、関東大震災、第二次大戦による戦火で 焼失しましたが、1954年に蔵前国技館が落成し、 1985年には両国に現在の新国技館が開館しました。
上記の説明内容も一部入っていますが、より細かく詳しい説明が記載されたものがこちらの解説文です。
そして切手のシートがこちらです。

タイトルから余白は与謝野晶子かと思いきや、夏目漱石だったりしています!?
(少数ですが他の人バージョンもあるとかで、そちらの方が希少価値が高いとかの噂も・・・ 現物は見たことありませんが・・・・)
※ 次回以降もこのパターンで行います。
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Posted at
2015/05/03 11:58:14