• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

白神爺のブログ一覧

2009年05月12日 イイね!

T・Hirai 講演会

T・Hirai 講演会画像は、吾亦紅さんから、いただいたものです。

何故って、講演会場で、私のデジイチで撮影した画像が、故障で、全部手に入りませんでした( 記念撮影をお願いされた方々、すみません (ーー;)


そして、講演会の事も、少し書いておかないといけませんね(^^ゞ

何度か聞かせていただいてますが、今回アレって思ったのは

「フォーカスグループインタビュー」のことです、これまでいろんな所に書かれていた時期と、違う時期に、実施された事が語られました。

2回在ったのか?、それとも主査の勘違いか?




たしか、こんな話だったと(整備手帳やフォトギャラを再度編集してます)(^^ゞ



1.「デザインコンペで勝利!」
当時CR-XやMR-2が、気軽なスポーツとして、もてはやされていたのですから、時代的にもFFかMRが提案されてしかるべきだったはずで、「FRオープン」なんて、考える方がどうかしていたのです、しかし2度目の「クレイモデル」を、製作した上でのコンペティションでは、カルフォルニア提案の「P729」(ミアータの原型)が、他のFFモデルやミッドシップモデルよりも、デザイン的に、一番カッコ良かったのです。
つまり、クレイモデルの提案に勝利して、勝ち残ったのです。これが「第1の幸運」でした、。

「FRオープン」の支持者が、カルフォルニアだけでなくて、国内にもいた事も幸運でした、その一人が、横浜研究所の松井氏で、彼は何とかして、開発を推進する為に、まずは「DUO101」と呼ばれるモデルを、英国のカムタムカー会社に依頼して、SA22サバンナのシャシーに「P729デザイン」を載せて、一台製作させ雰囲気を見ると言う、考えられない事をしました。
そして、彼は「最大マーケットの西海岸」での人気を、証明する為に、カルフォルニア州のサンタバーバラの公道を走らせる事にしたのです。(たぶん、イギリスでは空が青くなかったので、青い空の下で、写真を撮ろうと思ったのではないかと思います?)

その、サンタバーバラで、トランスポーターから降ろすや否や、子供や人が集まってくる。ガソリンスタンドに行くと、これはどこの車なのか?俺も欲しい!とか 写真を撮ろうと追いかけて来るので、民家に逃げ込むと、そこの住人が同じ様に「幾らなのか? 俺も欲しい!」... と言う伝説の「サンタバーバラの冒険」もあったそうです。

とにかく「注目度、人気は抜群」で、立ち会った人達が、「その感動を、本社に報告をした」時点で、プロジェクトの推進(まだ推進です、正式なラインには遠い)が、決まったのです「第2の幸運」

3.「理想論と正論?の、せめぎあい」
それは、まだ正式なプロジェクトではなかったのですが、とにかく生産する為の組織が、初めて作られ、その主査に自分で申し出たのは平井氏でした。「この車は、オレにしか造れん」と(笑)
開発にあたっての、最初の検討課題は駆動方式だったのは明白です。
「人気があると言うのはカッコでしょう? カッコが認められたのなら、FFでそれを造れば良いじゃないか!」という人が多かったようです、そりゃ~そうでしょう(^^ゞ

既存の小型車のコンポーネンツを流用できるFF 方式が、コスト的には最も有利で、極端に言えばボディをスポーツカー風のものに載せ替えるだけでも、なんとか格好はつけられるだろうし(その結果は、サ○ノ○ コンバーチブルに、なっていたと思いますが?)

それが、安直過ぎると言うのなら、むしろ、MR方式がFFのファミリアのエンジン、トランスミッションなどのパワートレインを丸ごとリヤ方向に移し替えれば、かなり流用は効くというのは明白だしね、「流用すればコスト削減出来るし、フェラーリだって、F1だってミドシップである、ミッドシップはスポーツカーとして最終形」なんていう人の声は説得力があったかも?(こちらは、M○―S?に、なってたかな?  笑)

これに対し、FR 方式は駆動系を、一から新たに作らなければならないので、最も投資を必要とするタイプなのです「いまさら、時代遅れのFRなんてコスト的にも、採算も合わない!」と言われたそうですし、それに抵抗するには大変だったと想像に難くありません?
もっと酷いのになると「今更、屋根が幌のオープンカーなんて、馬鹿な事を考えるもんだ...」とか、2シーターオープンを、根底から覆す意見も当然ありますね
私も良識ある、いや出世を狙っている会社組織の人間なら、絶対言います   (笑)

でも、LWSの走りにふさわしい軽快で、ニュートラルなハンドリングやレスポンスは、FRでなくては得られないと主査、開発人は(馬鹿の一つ覚えみたいに)主張したと書かれてますね(笑)

4「生産化されない(かもしれない)設計だから 理想を!

でも「第3の幸運」この頃は、人員もわずかで、生産されるかどうかわからないプロジェクトなんて、誰も本気で注目していなかったのでしょう、結果「2シーターオープン」で「FR駆動」方式で粛々と?推し進めた。

その当時の与えられた部屋は、キチンとした部署ではなくて、本棟から離れた?川沿いのガレージ(通称、リバーサイドホテル)だったそうです、最初は、部下は設計経験の少ない若手5人だけだったとか、とりあえず、この車の為というよりも、将来の為と言うか、 その頃はまだ使われていなかったコンピュータでの設計(解析)を模索していた、どうでもいいプロジェクトだったので、いわゆる実験だったのですね。
設計図を描くと時間もコストも掛かるのだとか...、 正式で無いので、最初の部屋も他の部署と一緒だったそうですし、勝手に自由に、色んな方々が、関わっていたんでしょう?
それが段々と「これは、面白そうだぞ!」と言う訳で、好きな人達が、他のプロジェクトが終わった後に、残業とか日曜日に手弁当で集まって、あ~でもない、こうでもないとやっていたのですね!
平井氏の言葉「あの頃は、本当に 生産しないかもしれないと思っていた」...とか。

日曜日に「リバーサイドホテル」に通い詰めていたとの噂が、家族に伝わって、「疑いを晴らすのに苦労した~」との話には、笑いますが  (笑)

たぶん、そうだからこそ、気ままに「純粋」に、「ライトウエイトスポーツの理想」を追い求めていたのですね

平井氏は「(生産される事がないかもしれないが) 皆が自分の乗れる安くて、ホンモノのスポーツカーを、造るのだ! と思って取り組んだ」と語っています。

だから、その頃RX-7(FC3S)でも採用していないコスト的にも贅沢な「ダブルウッシュボーン型サスペンション」「PPF」「アルミボンネット」等など、コストも、車格も、考えないわがまま設計?が、出来あがった訳です。(だって、ラインアップで、一番安いスポーツカーですから、普通は有り得ない   (^^ゞ)
たぶん、コストや販売目標とかが全ての上司の監視の目も、生産するか?しないか?解らないような車は興味もなかったし、深く感知しなかったのでしょう。
携わっていた人数も通常の10分の1にも満たないし、掛け持ちでしていた人達が多く、勝手に「オレならこんなスポーツカーにする」みたいな「理想を求めて」設計していたのでしょう。
会議でも、もう疲れきった最後に話が出ていたそうです、次は「本プロジェクトではないライトウエイトオープンについて...」、もうどうでもいい訳です...「それで結構...」みたいな  (笑)

事実、バブルの頃、国内販売店5チャンネル化を目指して、クロノス兄弟や高級化を目指すセンティア、ユーノス800、ロータリーの理想を目指したコスモなどに、力を傾注していたメーカーでは、国内でどれほど売れるか解らない(米国で売れたって、MAZDAとしての総販売台数における位置づけからは、取るに足らない)ライトウエイトスポーツなど、重要な会議でも、どうでも良い最後の議題だったに違いないのです。(今でこそ、魅力的なスポーツカーを製造しているメーカーとしてのイメージの貢献が評価されていますが)

デザインの田中氏は、知る人ぞ知る、陶芸や能面を打つのが趣味の、わがままボヘミアン?な、組織のはみだしモノ?(言いすぎですね)で、決定していた補器類の配置も考えず、勝手に(デザインの理想を求めて)クレイモデルを削ってしまうのだとか(笑) 何度も主査と言い合いをしたとか(笑)あの美しい面は、そんなところから生みだされたんでしょう!!?(笑)

こうして、一部の好きモノの、話の種のような車の設計は、着々と進行し、プロトタイプの「設計図」と「(動かないクレイ)ラクマスモデル」は完成していったのです。

5.「一発 大逆転!!?」

その頃に、円高もあり、今一度メーカーとしての車種の整理とかを見直す時期があって、海外(国内は、どうでも良いプロジェクトだったのです)のデストリビューター(総販売代理店主 等)に、ライトウエイトスポーツの「欲求度」を尋ねたら、「RX-7(FC3S)がある現状では、ひとつのメーカーに2台もスポーツカーはいらない!」と、の報告が大半だったそうです。
特にドイツからは、「現在のオープン2シーターの、世界各国での販売状況を鑑みて、このようなクルマが売れるはずも無い、全く無駄である」と、きつ~い回答を得たりしました。否定的な意見ばかりで、プロジェクトが消えかかった時もあったそうです。

そのときの設計者は、落胆し「一台でも、走れるヤツを造って、ドライブしてみたかった」と思ったそうです。

しかし、どうしても「自分の乗りたい車を設計して、走りたい」人達は、デストリビューターの「不必要!」との回答を受けても、その回答では、生産にこぎつけられない、つまりは自分が乗れないと思い「この車を欲しい人達は、きっといる!」と信じて、最後の賭けに出たのです。

プロトタイプを主要販売地である米国の消費者(ユーザー)に、評価確認してもらう為に「フォーカスグループインタビュー」に、臨んだのです。

無作為で選んだ、年齢も職業、収入も違う人達(でも、多分車好き?)を、部屋に集めて、J58Gプロトタイプを見て貰って、アンケートに答えて貰うという、企画である。
国籍もメーカーも明かさず、(販売価格は公表して)J58Gプロトタイプを、アンケートの人達に、お披露目して得られた結果は、220人中57人が、「ぜひ、買いたい!!」の評価であったと言う( 感動!! ... 涙)
通常の車の評価は「買いたい」、「買っても良い」の、まあまあ~の評価が、普通なんだとか...。

平井主査,デザイナー田中氏とも、その結果で、帰りの飛行機は、感激で眠れなかったとの事であった。




6.「一刻も早い、生産化!!」

広島へ戻り、その「かつて無い 凄い結果」を、上司に報告すると、
「それほどまでに、望まれているのならば、他のメーカーに知られ、先を越されてはならない、一刻も早く、生産にこぎつけなさい!」とのお達しだった。

マニアックな人達が、生産する事にならないかも?と「好き勝手に設計していたプロジェクト」が、「一刻も早く、生産」に変わった。ほぼ完成していた設計図から、まずは、一刻も早く生産する為に、まず「デザイン凍結」された、たぶんそれに伴い贅沢なFRもダブルウッシュボーンも、アルミボンネットも、コストのかかるドアノブも、そのままにならざるを得なかったのだろう、デザインが変更出来ないのだから、トランクが狭いとか、コクピットがタイトとかのネガティブな意見も、主査の責任で通した、「一刻も早く生産」に、漕ぎ着ける為に??

NHVの改善など、スポーツカーには「さして、重要では無い!」と、快適装備は前出の理由と設計する時間など無いと割り切った(それが極めて重要な60年代テイストを残す事につながったのかも?) 
スポーツカーとしては理想だが、「コストの掛かる贅沢設計」も、他の部分のコストを抑えることで、帳尻を合せて、「最終コストを下回る」ことで文句を言わせなかった。


いずれにしても、こうして、奇跡的に、「通常ありえない車」が、 1989年に発売された。

そして、少しの勇気をもって手に入れた人は「誰もが 幸せになる」 それは嘘では無かった...。



Posted at 2009/05/12 22:33:10 | コメント(8) | トラックバック(0) | ロードスタリスト | 日記

プロフィール

「種差海岸に来ています、何度来ても八戸の道は覚えられない」
何シテル?   10/23 14:21
春夏秋冬、美しい「青い森」に住んでいます。 NAロードスターは、もう乗ってから32年か~? ! (2021年6月から、RSwhite Limited...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2009/5 >>

     12
3 45 6789
10 11 12 13 141516
17181920212223
242526272829 30
31      

リンク・クリップ

コーナーウエイト導入 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2021/12/16 04:30:55
J58W 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2021/10/12 13:22:54
 
(秋休みの) 『絵日記』 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2014/11/03 04:53:43

愛車一覧

マツダ ロードスター マツダ ロードスター
或る想いを載せて、購入を決めました。 32年経過のNAとの共存を図りましたが...。
マツダ CX-3 マツダ CX-3
発売された時から、そのスタイルが気になっていて、唯一の4人乗り車が事故ったので、修理終え ...
スズキ ハスラー スズキ ハスラー
レガシィを、処分したので、ステングレイの買い替えにターボを選択 車高の高さで、「田んぼ ...
マツダ ユーノスロードスター マツダ ユーノスロードスター
M2-1002 レストアしてゆきます..(私で、出来るのか?) 追記 2010 ...

過去のブログ

2025年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2024年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2023年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2022年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2021年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2020年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2019年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2018年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2017年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2016年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2015年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2014年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2013年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2012年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2011年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2010年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2009年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2008年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2007年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2006年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2005年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2004年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2003年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2002年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation