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2012年10月12日 イイね!

外国旅行のすすめ その三

外国旅行のすすめ その三二度目の行く先はオーストラリアだった。会社の「海外研修」。
オーストラリアといっても、あの広大な大陸を全部回るには制約が多過ぎる。ゴールドコーストとシドニーがメイン。
時あたかも2000年シドニーオリンピック開催直前で、我々だけよ♪ということで、開会式用の「大仕掛け」を秘密裏に製作しているメインスタジアムの現場を、できたばかりの記者席から眺めるのは圧巻だった。
その直後の女子マラソンで有森裕子が優勝、「自分を褒めてあげたい」との名セリフはここから出た。

ゴールドコーストでは、高層ホテルの窓から見える東海岸は、大した波もないのに人気がほとんどなく、聞けば危険なサメが遊泳中だと!仕方がないので「射撃場」で
22口径と38口径の自動拳銃を8千円分ぶっぱなしてきた。爽快感は味わえたが、カジノで大儲けした上司には負けた。全弾命中フルマークのターゲットのありかが今でも分からない。

シドニーは、噂通り美しい港街だった。お気に入りは、ハーバーブリッジとオペラハウス。ただ、写真を撮ってるとご一行様からどうしても離れてしまうのが欠点だった。

シドニーでの真骨頂は、研修時間を終えた課外授業にあった。
ガイドは日本人でやり手ババーだったから、夜の街を案内させた。もちろん有志を募っての夜の街だ。男ばかりの団体の行く先は語るまでもないだろう。一言だけ記すとすれば、あの時のミス・モニカの体毛の薄さは未だ日本ではお目にかかっていないほどに珍しかった。

"Don't touch?"とミス・モニカに聞くと"A little"と応じたから、私のサインで一斉にハメを外せたのに、帰国してから同僚たちはその時の恩義を忘れたかのようにに冷たく、ために管理職への道を閉ざされた人がほとんどだったのはなぜか。

研修旅行だからレポート提出は必須で、現地で最も楽しんだ者がいいレポートを提出できたのはいうまでもない。
Posted at 2012/10/12 21:48:28 | コメント(0) | トラックバック(0) | Travel | 日記
2012年10月12日 イイね!

外国旅行のすすめ その二

外国旅行のすすめ その二シンガポールでは有名なセントーサ島へ海底トンネルをくぐって渡った。
ここには、まだシンガポールがイギリスの支配下にあった頃の人々の悲惨な生活とともに、"Yes or No?"との名言を残したマレーの虎こと山下奉文と、時のイギリス軍との「会見」模様を蝋人形が再現していた。
あの戦争で、すべてのアジアの国々は日本によって植民地支配から脱出できた。
欧米列強の植民地として、奴隷扱いでしかなかったアジア各国を独立させた旧大日本帝国の存在は、今も忘れられていなかった。親日国たる所以だろう。

シンガポール本島とセントーサ島との行き来には2種類あって、ひとつは海底トンネル、もうひとつはロープウエイ(ゴンドラ)だった。我々は海底トンネルをくぐったが、ガイド曰く「あのロープウエイは我が国で最も安全を誇る乗り物です」と。なぜかと聞けば、開通以来、まだ1件しか事故を起こしたことがないそうで、これが自慢なんだとか。
その事故は、満潮時に下をくぐって通過しようとした空荷の外国船のマストが、ロープに引っかかって切断、犠牲者を何人か出したとのこと。
これで安全とは恐れ入るが、貴国の安全基準もまた発展途上なんだと、こみ上げてくる何かを必死でこらえるしかなかった。

セントーサ島はまさに南国の楽園だった。咲く花々は色鮮やかでいい香りを放ち、飛ぶ鳥たちもまた華やかで楽しそうだった。

私が、それらの写真を懸命に撮影していたら、家人が「ちょっとちょっと」と裾を引っ張る。彼女の指差す方を見ると、それまでの美学基準を一変させるほどの美女が観光に来ていたのだ。目が点になった。持っていたカメラを落っことしそうになったばかりか、撮るのさえ忘れる程に美しい女性がそこに立っていたのだ。
写真に撮ることはできなかったが、いまでもその美しさは脳裏から離れない。
我がブログタイトルの「究極の艶」が、北緯1度の地に紛れもなくあの時存在したのだ。

Posted at 2012/10/12 20:19:47 | コメント(0) | トラックバック(0) | Travel | 日記
2012年10月12日 イイね!

外国旅行のすすめ その一

外国旅行のすすめ その一私が最初に外国旅行した先は、シンガポールだった。永年勤続により、会社から1週間の特別休暇と十数万円の援助が後押しした。
私にとって初めての経験であり、家人を伴うことから行く先の選定には気を配った。
行くからには学ぶことのある地を選びたかったし、予算や旅程の都合もあった。それで身近な国を探し、治安のいい昭南島を選んだ。まだデジカメのない時代だったから、ここに記録写真を載せられないことが残念でならない。

シンガポール唯一の繁華街オーチャード通りには、腰にりヴォルバーを携えた警官が要所に立って睨みを聞かせていたから、法治国家としてのシンガポールに頼もしさを感じた。だが、ひとたび裏通りに入れば、よそ行きの顔ではなく本当のシンガポールの姿を学べた。

まだ高度成長期の続く日本に、学べ追い越せとの気概を行く先々でひしひしと感じた。
本屋に入れば、日本語の教科書が棚に並んでいたし、タクシードライバーは、我々が日本人だと知るや、英語で語りかけてくるのだった。
「お客さん、お土産何を買いましたか?」(その時の彼の英語を忘れた^^)
「I bought a bag for my daughter」
中学生の頃習った動詞の過去形が、すんなり口をついて出てきた自分にびっくりした。

だが、半ばいたずらで家人を通りの向かい側の香港銀行へ両替に単独行かせたことは後悔している。何せ、待てど暮らせど帰ってこないのだ。たかが1万円の両替。銀行内にはショットガンを持った警備員が何人も立っていたという報告は役立った。悪に対しては問答無用なのである。

何よりも感動したのは、昭南島(シンガポール)は親日国であり敵対者が一人もいなかったことだ。

ガイドの女性は、5ヶ国語に堪能だった。ほとんど独学だという。公用語である英語を除くと、広東語、タミール語、インドネシア語、マレー語そして日本語の5ヶ国語だ。
日本人どうしなら、主語や述語の一部を省略しても、前後の脈絡から意味は通じる。だが、彼女の日本語は本物だった。文法を無視した言い回しの日本語に対して、まことに的確なレスポンスを返してくる。恐れ入った。因みに彼女の名前はペギーさん。今は、優しい旦那さんと利発で元気な子供たちに囲まれて幸せな生活を送っていると信じたい。
Posted at 2012/10/12 18:52:09 | コメント(0) | トラックバック(0) | Travel | 日記

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