先の日曜日には明治期の擬洋風建築、旧田野医院が一般公開されてたのを見学に行ってみてます。
また、地元FCのホームゲーム開催に乗じて、自衛隊の広報ブースも出てたのでその件も一緒に。
いわばブログネタの抱き合わせってやつです。
明治前期の病院建築物、旧田野医院のことはこれまで全く知りませんでした。
一般公開されるとの情報をたまたま知って一度行ってみることにしたのです。
公開時間は朝7時から11時までと早く始まり早く終わる。 ここに書かれてる朝市って?
道路向かいにある市役所の駐車場に車を停めるように指定されていました。
愛車を停めるなり、たまたま側にいたおじさんに何キロ走りますか?(燃費)と質問される。
旧田野医院
幾度も訪れてる市役所の側にこんな歴史的な建物があったとは知りませんでした。
まるで洋館のようなアーチ窓の造りが特徴的な外観です。
日本の建築方法を使って西洋建築を真似たもので”擬洋風建築”と呼ばれています。
屋根瓦は出雲地方の伝統建築、右上がり左下がり逆”へ”の字型の左桟瓦。
訪れたのが10時過ぎ、人気(ひとけ)は無かったです。
後で知りますが、朝7時から9時までこの場で朝市があって、野菜・魚・卵・コーヒー・スイーツなどが売られ賑わってたとか。 でも訪れた時にはそんな余韻すら残っていなかった。
入口は裏口だったようで庭から侵入することになりました。
特徴的なアーチ窓に目が行く。
窓や戸のガラスは昔の波打って揺らいで見える味わいあるガラスです。
横を通って表側に回ります。 昔の白壁だけど一部はガルバン外壁で修繕されてるようだ。
旧田野医院(田野家住宅)の玄関。
130年以上前の明治時代前期の建築。 田野医院は明治20年(1887年)開業だが、建物は明治6年(1873年)開業の苧町病院のもの見られているが確証に至っていない。 市の指定文化財。
上がり込みました。 普通のお家のような和室ですがアーチ窓が洋風でもある。
アーチデザインの造りは至るところに見られます。
病院のイメージはあまり感じられません。 昔のお屋敷といった雰囲気。
襖(ふすま)の紙はぼろぼろに剥がれてます。
2階に上がってみましょう。
大広間です。
椅子がいっぱい並んでるのはここで何か催し物があったのかな。
アーチ窓から裏庭を見下ろし眺める。
内壁が剥がれて中の新聞紙が出てました。
随分と古い新聞紙だ。 大正14年(1925年)の日付。
明治前期の建物なのに大正時代の新聞紙? 途中で修繕されたときのものでしょうか。
蓄音機が当たるプレゼントクイズの記事があった。
字探しの答えは分かりやすい。
え~、以上で明治期の擬洋風建築、旧田野医院の件は終了です。 ありがとうございました♪
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続いては、地元FCのホームゲーム開催で賑わう市営陸上競技場にやってきました。
サッカーのことはさっぱり分からないのでこのブログでは何も取り上げません。
キッチンカーや露店もいくつか並びサッカーファンで賑わってます。
そんな中、試合開催に乗じて自衛隊が広報ブースを出してたのでそれを目当てに訪れたのです。
87式偵察警戒車
搭載火器:25mm機関砲、7.62mm機関銃、乗員:5名、全長:約6m、全幅:約2.5m、全高:約3m、重量:約15t、出力:約300馬力、最高速度:100km/h、製作:小松製作所・日本製鋼所
偵察部隊に装備し、空地火力の脅威の中で、主として路上機動により偵察警戒任務に当たるほか、側方警戒行動も行う。
車体は、6輪のコンバットタイヤを使用した装輪装甲車。 6輪駆動(通常時は後ろ4輪駆動)、前4輪でステアリング。 特殊装置として操縦用および砲手用の微光暗視装置を積む。
軽装甲機動車
乗員:4人、全備重量:約4.5t、全長:4.40m、全幅:2.04m、全高:1.85m、最高速度:約100km/h、製作:小松製作所
主として普通科部隊等に装備し、戦略機動及び戦場機動などに用いられる。
災害支援・人命救助に関わる装備品も展示されていました。
広報で貰えた紅葉狩りバージョンの新作缶バッジは、陸・海・空があるうちの海を頂きました♪
ありがとうございました♪ え~、このブログはこれでお終いの以上です。
Posted at 2021/11/17 07:08:17 | |
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