先々週、FBMの後に「碓氷峠鉄道文化むら」に行きました。
文化むらには3年前にも訪れました。
そのときには鉄道趣味がそこまでではなかったのですが、3年経ったいま行くと、当時とは違った発見があったり、同じことで感激したり。。。
まずは入り口です。
旧碓氷峠にあるレンガ造りの「めがね橋」をモチーフにした門が構えてます。
左手には資料館・売店、
右手には車両の展示があります。
どちらも、碓氷峠廃止で役目を失った「横川運転区」の建物、車庫をそのまま使っているようです。
まず目に飛び込んでくるのは189系の「あさま」。
以前訪れたときは塗装が綺麗な状態でしたが、3年の間にずいぶんと傷んでしまったようです。
それでもしっかりと「JNR」のエンブレムが掲げられた姿は様になっています。
この車両は車内に入ることができます。
国鉄特急車両の佇まいです。
独特の匂いが懐かしい気分にさせてくれます。
簡易リクライニングシートと呼ばれるシートでしょうか。
かつては信越本線を駆け抜けた189系。
車窓に映るパンダが泣かせますね、、、
飲料水の機械が置いてありました。
外の説明文は長らく更新されていない模様。
続いて車庫の中のEF63です。
「能登」のヘッドマークが掲げられています。
個人的には碓氷峠といえば「あさま」や「白山」ですが、急行「信州」や115系の普通列車なども碓氷峠のレギュラーだったのでしょう。
片側はカットされていました。
抵抗器、変圧器、冷却ファン、などだと思いますが、せっかくなら詳しい説明を書いておいて欲しいですね。
主要諸元表。
難しいことが色々とかかれてますが、
わかるのは一番下の”価格”くらいです笑
価格に開きがあるのはバブル期だったからかな?
家が3~4軒分です。これが何百、何千両とあるわけですから、鉄道会社の資産というのは計り知れないですね。
EF62とEF63は、碓氷峠を走るための機関車です。
勾配のきつい碓氷峠は、電車や気動車だけでは上る(下る)ことができず、機関車を2両連結させて走破性を高めて通行していました。
その際に連結される機関車というのがEF62とEF63です。
2両の機関車は必ず横川方に連結されたので、機関車の軽井沢側には他の列車と連結するための装置が備わっています。
このカラフルな装置はブレーキの空気圧のホースをつなぐための栓で、それぞれの連結相手に対応した形状の栓が色分けされています。
さらに連結器も「双頭連結器」というごつい物が装備されていて、自動連と密着連のどちらとも連結できるようになっています。
運転台に入ってみました。
う~~ん。
どうやって動かすかわからん(笑)
右の見える弓のようなものがアクセルで、左に見えるもはレバーが付いていませんがブレーキです。
隅にあった旋盤。
かなり巨大です。これで一体何を切削したのでしょうか。
昔使われたヘッドマークたち。
「出雲」のマークをEF65に着けると、
んん~~ 堪らん。
パタパタの発車案内。
これも見なくなりましたね。
全国探せばまだ残っている所はあるのかな?
以前来た時にひどく感銘を受けた交流を直流に変える装置。
こんな原始的なやり方で電流を変換するなんて、、、と個人的に衝撃が走りました。
あらゆるものは、実はこうやって原始的な装置でやりくりされているのだなと学んだのです。
外の展示車を見ていきました。
まずは国鉄時代の代表的なディーゼル機関車、DD51。
ってこんな見た目だったっけ??
と戸惑いましたが、初期のDD51はデザインが丸みを帯びているそうです。
貴重なDD51トップナンバーでした。
つづいて鉄道用のクレーン車。
操重車 ソ300だそうです。
これでもディーゼルエンジンによって自走が可能だとか。
私の好きなEF65です。
扉の無い500番台は客車特急の牽引役が似合います。
この520番は連結器廻りが貨物仕様です。
この車両は展示車の中では塗装が綺麗でした。
遠くで汽笛が鳴り響いたのでなんだろうと?見に行くと、EF63がゆっくりと走ってきました。
文化むらでは、一般の人でも講習を受ければ本物の機関車を運転することができます。
走っていったEF63は一般の人が運転しているわけですか。
いいですね~ いつか挑戦してみようか、、、
並んだEF62とEF15。
塗装状態にかなり差が、、、(汗)
デッキ付きのEF15は迫力があってカッコいいですね。まるで外国の機関車のようです。
同じくデッキ付きのEF53。
正直、先ほどの機と同じに見えますが、53の方が大型機で、登場時は特急列車の牽引などに使われていたそうです。
その後はEF59となり、碓氷峠と同じく有名な急勾配区間の「瀬野八」で使われていたそうです。
こちらは59を53に戻したそうです。
そしてEF63。
この文化むらには一体何両のEF63が保存されているのでしょうね。数えてはいませんが、結構たくさん残されていることは機関車にとっては幸運なことですね。
EF80。
交流でも直流でも走行できる電気機関車です。
ただし交流区間は50Hz(東日本)の区間のみ対応しています。
ちなみにのちに登場するEF81は50Hzも60Hzも直流区間も走行できるそうです。
車体のローズピンクが美しいですね。
EF80の前身となったED46という機関車があるのですが、それは私が一番好きな機関車です。
こちらは補修中?のEF59。
さきほどのEF53の後の姿であるEF59まで作ろうとしているとはさすがですね。
EF58の客車牽引用機。
”本線特急の顔”であったEF58は綺麗な状態を維持して欲しい所ですね~
その隣り、銀色の車体は九州向けのEF30。
これがなぜステンレス外装なのかは知りませんでした。
説明によれば、関門トンネルを通行するので塩害対策で車体が鋼鉄ではなくステンになっているそうです。
いや~たしかにこの車両だけ全く劣化していません!
質感が最高ですね。
隣りには12系客車が。
中に入れたので入ってみると、、、
これは!お座敷車!
こういうお座敷列車ってのったこと無いのですが、こんな感じなのですね。
おおよそ列車の中だとは思えませんな~
10系客車の寝台車。
これは以前は車内に入ることができたのですが、今は入れなくなっていました。残念です。
これの寝台で寝そべるのを楽しみにしていたのに、、、
奥に留置されている189系、、、
流石に見苦しいですね、、、
最後は蒸気機関車で。
定番の「デゴイチ」が展示されています。
やはり大型のタンク車は迫力が違いますね~~
そういえば動いているD51は見たことがありません。
説明文より、最高の一文を発見。
”夜汽車を引く蒸気機関車の遠い汽笛は今も望郷とロマンを彷彿とさせる”
ん~
その文を読んだだけで夜汽車の姿が想像できますね。
その後資料館を軽く見て、文化むらを後にしました。
横川駅のかつての4番線は線路が埋められて駐車場の一部となっています。
青いのが私のプジョーです。
この駅では、機関車の増解結が全列車におこなわれていたので、当然すべての列車が停車しました。
その当時はさぞ人で賑わっていたことと思います。
今では高崎行きの普通列車を待つ人が数人ホームにいるだけで、ちょっと寂しい終着駅となっていました。
しかし信越本線の碓氷峠というのは特徴的な区間であり、今も多くの人の記憶に残っていることでしょう。
私は昨年の3月、115系の引退を前にこの駅に来たことが懐かしく感じました。