
3日目の9時前には第一訪問地であった桂浜を出発して、
徳島に向かっていた。
この後3か所の観光を予定しているが、その所要時間は合計で4時間ほどだ。
ホテル到着は17時予定なので、残り4時間がバス乗車(移動)時間となる。
その移動距離は311kmと、弾丸ツアーは健在だ!? (笑)
徳島最初の訪問地は、三好市にある
祖谷かずら橋 です。
祖谷 は ‟そや“ ではなく、 ‟いや“ と読みます。
かずら橋 の ‟かずら“ は つる植物 の総称で、漢字では 蔓 や 葛 の字を使います。
祖谷かずら橋では、シラクチカズラという種類が使われ、その使用量は6tにもなるそうだ。
しかも、3年毎に架け替えられているので、シラクチカズラの確保は大変らしい。
国指定重要有形民俗文化財に指定されており、長さ45m・幅2m、水面上14mの高さに架かっている吊り橋です。
由来は諸説あるようですが、
・ 祖谷に巡行された弘法大師が、困っている村人の為に作ったという説
・ 平家の落人が追っ手の進入を防ぐため、いざという時楽に切り落とせる様
カズラで作ったという説
などが言い伝えられているようです。
昔は深山渓谷地帯の唯一の交通施設だったそうですが、現在は観光用吊り橋になりますかね?
直ぐ上に見晴らし台を兼ねた立派な橋が架かっていますから・・・・(笑)
そこからの一枚です。
架け替え費用捻出のため大人550円の通行料を取っていますが、主旨に賛同して渡ってきました。
この様なものは、残して代々引き継いでいくことが重要ですから!?
高所恐怖症ですが我慢して・・・・・(笑)
祖谷かずら橋は一方通行なので並んで順番を待つのですが、同じツアー客の中では一人のご婦人だけが「怖いので。。。」と引き返して行かれました。
※ 見栄を張らず本能に従っていたら、二人目、唯一の男性になるところでした!?
引き返された方よりも高齢だったり、一緒に廻っていて足腰ままならない風に見えた方々も、果敢にチャレンジして渡られたのですが・・・・・
そして、高齢者は周りを見ない!?
いやいや、周りと言っても、風景はよく見ます!? 見過ぎる位・・・・・
見ないのは周りの状況で、
自分達が止まったために後ろに長~~~い渋滞が出来ようが構わず・・・・
グループ内でポーズを付けたり、写し合ったり・・・・・
まぁ、自分も同類に足を入れ掛けていますが多少分別が残っているので、短くさっと!?
まぁ、人から見たら同じだと言われるのでしょうが・・・・・(笑)
結果、大渋滞で・・・・・
一度に渡れる人数制限とか、重量制限とかは無かったのでしょうか!?
時間をずらして渡れば良かった!?
解説には、祖谷かずら橋は「日本三奇橋のひとつとして知られている」とありました。
調べてみると、日本三奇橋は江戸時代に築かれた独創的な橋から選ばれているようですが、
これも諸説あるようです。
・ 猿橋 (山梨県大月市) 構造:木造刎橋(はねばし)
・ 錦帯橋(山口県岩国市) 構造:木造アーチ橋
・ 愛本橋(富山県黒部市) 構造:木造刎橋(はねばし)
が日本三奇橋に選出されますが、最後の愛本橋は現存しないため、
その代りとして
・ 神橋 (栃木県日光市) 構造:木造刎橋と桁橋の組み合わせ
・ 祖谷のかずら橋 構造:吊り橋
などが加えられるのが一般的だそうです。
扱いとしては、次点になるんですかね!?(笑)
高いとこは嫌いだが足腰はまだ大丈夫な夫とその妻は、橋脇の足場が悪い土手を苦労して河原に降りました。
違った 祖谷かずら橋 が観られるのではないかと期待して・・・・・
しかし、祖谷のかずら橋と、上部にある見晴らし台橋が重なってしまって、苦労に反し構図としては今一でした。(悲)
離れれば、重なりが解消されるかもと・・・・
初めからこちらに回ってくれば、苦労はせずに河原に降りられたようです。(笑)
こちらは、祖谷かずら橋を渡ってすぐ近くにある
「琵琶の滝」です。
落ち延びた平家一族が故郷をしのんで、この滝の下で琵琶を弾いた事から名付けられたという平家伝説?が残っているそうです。
落差約50mといわれていますが、そんなにありますかね?
直ぐ近くまで行けるのは良いですね!?
祖谷地方につたわる郷土料理
「でこまわし」や「鮎の塩焼き」が売られています。
チビ太のおでんみたいなのが「でこまわし」で、里いも、こんにゃく、豆腐などを串に刺しゆず味噌を塗って焼く“田楽”といわれていますが、
こちらのお店では、里いもの代わりにじゃがいも、そして、そばだんご が追加されていました。
しっかりそばアレルギーの注意書きも・・・・・
阿波人形浄瑠璃の木偶(でこ)人形に似た形で、串をくるくる回しながら食べることからこの名が付けられているそうです。
続いての訪問先は、祖谷のかずら橋からも遠くない
大歩危峡 です。
3㎞離れたとこに 小歩危 も有ります。
「大歩危・小歩危」 何て読むか分かりますか?
おおぼけ・こぼけ です。
四国山地を横切る吉野川の激流によって2億年の時を経て造形された渓谷。
その距離はおよそ8㎞で、大理石の彫刻がそそり立っているようだと言われています。
珍しい名前は、「大股で歩いても、小股で歩いても危険」から来ているらしいが、
断崖の古語「ほき(ほけ)」という説もあるとのこと。
大歩危峡は、美しい岩石やV字谷の様子によって日本列島の成り立ちがわかる貴重な場所として国指定天然記念物、国指定名勝に指定されています。
小歩危は、小さくも奇岩怪石の不思議な美しさと岩肌が神秘的と言われています。
祖谷(いや)地方は、剣山系の1,000m級の山々に抱かれ、今なお秘境の雰囲気を色濃く残した徳島県の人気観光地になっているそうです。
前日、高知駅で覗いたパンフレットで興味がありホテルで見ようと持ち帰ったのが、こちらでした。
「四国まんなか千年ものがたり」
全国で流行りの食事付き観光列車の案内でした。
区間は、香川県「多度津駅」と祖谷地方の最寄り駅になる「大歩危駅」でした。
食事を付けても15,000円ほどなので、近くに住んでいればお気軽な鉄道旅になるのでしょうかね?
でも、観光まで一緒にしようと考えると大変そうだから、ドライブ旅の方が良いですかね?
今回バスで連れてって貰ったから苦労は無かったけど、最寄り駅とは言え「大歩危駅」から先程の「祖谷のかずら橋」まで車で30分との距離とのことなので・・・・・
こちらが、バスの車窓から撮った
「大歩危駅」です。
不意に言われて慌てて撮ったので、目の悪い老人には駅を撮ったこと以外分かっていませんでしたが、ファインダーの数十倍大きい自宅の24インチPCモニターで映してみると、ホームには かずら橋オブジェ があることを初発見!?
無駄撃ちを自覚した上で発砲しまくっている下手な鉄砲ですが、現地では認識できなかったことを後日新たに発見する事があると実感しました。
決して、1600回は無駄撃ちでは無かったと!?
まぁ、命中したのは数枚、何とか掠ったを甘く見積もったとしても1割には届かなかったのはご想像通りですが、バッテリーの消耗以外に問題や負荷はありませんでしたから・・・・
その分、毎晩3個のバッテリー充電に多くの時間が必要となりましたが!?(笑)
さてさて、旅のスケジュールに従えば、次の訪問地は四国最後の県である香川にある「こんぴらさん」ですが、翌日の最終日に訪れたもう一か所の徳島名勝地を先に紹介します。
鳴門公園
徳島県鳴門市の土佐泊浦(大毛島の北東端・大毛山)に位置する公園です。
千畳敷展望台から
当日は、うずしおのベストタイムである「大潮」のある日でしたが、訪問時間とは大きくズレており、残念ながら大鳴門橋や鳴門海峡を見渡すだけの鳴門観光になりました。
こちらは往復通行した神戸淡路鳴門自動車道に架かる歩道橋から見た大鳴門橋です。
同じ歩道橋で振り返って見えるのが、大塚国際美術館の建物です。
目を凝らせば、1F庭園も・・・・・
次回のフライングですが、逆に庭園から見た風景です。
絵画を観るのに忙しいかもしれませんが、時間が許せば、絵画を観て心豊かになった後、庭園の椅子に座ったり寝転んだりしてゆったり過ごすのも優雅な時間の過ごし方だったりします。
もっとも、
美術館の入館料としては日本一高いと言われている大塚国際美術館に来て
展示作品数1000点以上、しかも世界26か国の名画が勢揃い
を
前にして
たったの4時間しかないのに
貧乏性の夫婦が
観て回る時間を削って、
優雅に何もしない時間に廻すなんて
出来るはずが有りません!?(笑)
ほんの10数分だけ真似事で、優雅な雰囲気を味わってきました!?
まぁ、ご同様の方々が多いのか、椅子も空いていましたが・・・・・
それでは、最後の県である香川で、最初で最後の訪問地
「こんぴらさん」
「さぬきのこんぴらさん」として古くから親しまれている海の神様です。
「こんぴらさん」の名は俗称で、漢字を使うと「金比羅さん」です。
「こん・ぴ・ら さん」 ?
漢字の苦手な自分でも、読めないこともないが。。。。
さて、訪問先は、
「金刀比羅宮」
ずっと、「金比羅さん」が正規名称だと思っていた爺が初遭遇した「金刀比羅宮」?
これで、「こ・ん・ぴ・ら・ぐう ? 」 って、読むの?
でした!?(笑)
すいません!
ちょっと脚色しておりました!? (笑) 金刀比羅宮 知っていました。
漢字が苦手は事実ですが・・・・・
「金刀比羅宮」は、「ことひらぐう」と読みます。
ちなみに、所在地は香川県仲多度郡琴平町で、ことひら は 琴平 を使っています。
数少ない知識をひけらかすと、
修善寺にある修禅寺(伊豆)と 同じですね!?
あさくさ(浅草)にある せんそうじ(浅草寺)とは 違います。
「金刀比羅宮」で有名なのは、参道の長い石段です。
本宮まで785段、奥社までは1368段にも及びます。
身延山久遠寺の菩提梯(ぼだいてい)で、息切れと動悸に襲われた爺にはちょっと不安です。
12年も前の現役時代にもかかわらず・・・・・
休み休みゆっくり登れば良いものを、キツイので一気に登って早く楽をしようとする気の短さが災いしているのは自覚しているのですが!?
まぁ、休息後登り切り、樹齢400年の「しだれさくら」を堪能し、周囲のお花見散策迄した上で、帰りはちゃんと車を運転して戻りましたから、一時的な体調不良かと思いますが・・・・・
ちなみに、菩提梯とは日蓮宗総本山 身延山久遠寺 (山梨)のシンボルにもなっている階段のことで、距離350m、標高差104m、階段数287段という壁のように圧倒される階段です。
さて、救ってくれたのは添乗員さんの一言です。
「キツイですが、山寺 (立石寺)」よりは楽です。」
一年半前の山形旅で、何の苦も無く登り切っていますから!?(笑)
添乗員さんの説明では、
・ 多くの方が行かれる「御本宮」までが785段、標準で往復90分
(登り:60分、下り:30分)です。
参道での食事やお店の立ち寄りに30分で、今回の滞在時間2時間ちょうどです。
・ 食事が出来る「神椿」(資生堂パーラーがある)まで500段です。
・ 「奥社(1,368段)」は健脚自慢の方でも2時間では難しいので、行かないでください。
・ 365段の「大門
(おおもん)」まで、乗合タクシーが手配できます。
(36名中20名強依頼)
・ 最初から登るのを止め、食事やショッピングだけの方も多くいます。
・ ご自分の体力・体調を把握し、マイペースでお参りください。
通常100円ほどで借りられる杖、ツアー協賛店では無料で借りられました。
皆さん、挙って借りていかれましたが、「邪魔になるだけ!?」と借りずに進む夫婦・・・
大正解でした!
皆さん、かえって荷物を増やしただけで・・・・・
不安を持ちつつも健脚自慢の夫婦(?)、もちろんタクシーには乗らず、先ずは「大門」へ、「五人百姓」、「書院」、「旭社」(※)、「御本宮」を目指します。
ただただ登るだけでなく、お店は覗くし、写真は撮りまくり、解説版や案内版もしっかり見ながら・・・・・
やっと、段数カウントのスタートです。
100段目です。 (以後、段数カウント省略)
大門が見えてきました。
365段の大門到着です。
タクシーで来られた方は、スタートです。
大門以降は神聖な場所ということで、商売が出来ません。
しかし唯一許されたのが、「五人百姓」です。
「五人百姓」は、古くからこんぴら名物となっていた「加美代飴」の金刀比羅宮境内大門内販売を許可された5軒の飴屋の通称です。
五人百姓という呼び名は御宮の神事における役目となり、先祖による御祭神の供奉を行っていた功労が称えられ、特別に境内での営業を許されたそうです。
当日は四人百姓でしたが・・・
※ ちなみに「旭社」、立派な佇まいゆえに「御本宮」と勘違いされて引き返してしまう方々が多いということで、登りでは佇まいは見られるものの参拝は出来ないよう区切られておりました。
(参拝は「御本宮」からの帰りルートで)
登りが厳しいので「やっと着いた!」と思っちゃうのでしょうかね?
最後の階段です!?
それでも、40分ほどで「御本宮」に到着!?
標準より-20分、標準の2/3、
健脚夫婦が立証されました!!!(笑)
もっとも、旅先で元気に歩き回れても、それは非日常の世界ということでアドレナリンが出まくっている結果で、日常の生活時には「膝が痛い!」「お尻の筋肉が痛い!」・・・・など普通の爺婆に戻っているのですが・・・・・
食事を簡単に済ませ、残り時間を有効に使います。
旧金毘羅大芝居「金丸座」
天保6年(1835)に建てられた現存する日本最古の芝居小屋。
「金丸座」の名称は明治33年につけられたもの。
昭和45年に国の重要文化財として指定され、この時、名称が旧金毘羅大芝居となった。
四国こんぴら歌舞伎大芝居
旧金毘羅大芝居「金丸座」で行われる歌舞伎講演。
昭和60年から開催され、全国から歌舞伎ファンが訪れ、四国路に春を告げる風物詩となっている。
舞台装置は全て人力で江戸時代の雰囲気を今に伝えている。
(琴平町観光協会)
続いては、ことでん琴電琴平駅の左隣にある
高灯篭
1860年に完成した、高さ27メートルの日本一高い灯籠で、国の重要有形民俗文化財に指定。
瀬戸内海を航海する船の指標として建てられ、船人がこんぴらさんを拝む目標灯となっていた。
高い石の基壇の上に木製の灯台が築かれ内部は三階建て、壁に江戸時代の落書きが残っている。
ということで、四国四県観光名所弾丸ツアーが終了しました。
次回の最終回は、憧れの美術館+αの予定です。