
日本の神話は、
古事記 と
日本書紀 に
「
天照大神 (あまてらす おおみかみ) の孫である
瓊瓊杵尊 (ににぎのみこと) が高天原から日向の高千穂の峯に降り立った」
と記された
天孫降臨の説話 が始まりと言われており、
これが
「宮崎県は神話のふるさと」 とか
「宮崎=神話の舞台」 と言われる原点になっているようだ。
昨年末は、その
宮崎 だけでなく、
天照大神 繋がりのある伊勢神宮 へも参宮している。
何か導かれたものがあるのかもしれないと思っているが、
実はもう一か所、導かれた訪問先があった!?
皆さんはお気づきでしたか?
その説明を兼ねて、多分一番知られている神話の一つだと思われるこちらの紹介から始めたいと思います。
その神話は、
天岩戸 神話 ( あまのいわと しんわ )
です。
ご存知だと思いますが、簡単にお伝えすると、
神代の昔、空の上に高天原という神々の世界がありました。
太陽の神
天照大御神 や 弟の
須佐之男命 (すさのをのみこと)、その他多くの神々が暮らしていました。
しかし、
須佐之男命 は大変な暴れん坊で、田んぼの畦を壊したり馬の皮を逆剥ぎにしたりとやりたい放題でした。
あまりに酷い悪戯に怒った
天照大御神 は、天岩戸と呼ばれる洞窟に隠れてしまいました。
太陽の神様が隠れてしまった世の中は、真っ暗になり、食べ物が育たなくなったり、病気になったりと大変なことが次々と起こります。
困り果てた八百万(大勢)の神々は、天安河原
(あまのやすかわら)に集まり、
天照大御神 が出てくるような方法は無いかと相談を交わし、結果、天岩戸の前で色々な行いを試みます。
まずは、現在の鶏である長鳴鳥
(ながなきどり)を鳴かせてみます。
鵜の鳴き声には太陽の神様を呼ぶ力が有ると言われていたからです。
しかし、天岩戸の扉は開かず失敗です。
次に、
天鈿女命 (あめのうずめのみこと)が、招霊
(おがたま)の木の枝を手に持ち舞を踊られ、その回りでほかの神々で騒ぎ立てます。
すると、天岩戸の中の
天照大御神 は、
「太陽の神である自分が隠れて居るから外は真っ暗、みんな困っているはずなのに外では楽しそうに騒いでいる。
これはどうした事か?」
と不思議に思われて天岩戸の扉を少し開けて外を御覧になられます。
神々は、騒いでいる理由を伝えます。
「あなた様より美しく立派な神がおいでになりました。」「お連れ致します。」
と言い、鏡で
天照大御神 の顔を写しました。
自分の顔だと分からなかった
天照大御神 は、もう少しよく見てみようと扉を開いて体を乗り出します。
その時、
思兼神 (おもいかねのかみ)が
天照大御神 の手を引き、岩の扉を
手力男命(たぢからをのみこと)が開け放ち、
天照大御神 に天岩戸から出て頂くことが出来ました。
そして、世の中が再び明るく平和な暮らしに戻ったと言われています。
暴れた
須佐之男命は 、その後反省し、天岩戸の里をはなれ出雲國
(いずものくに)に行かれ、八俣大蛇
(やまたのおろち)退治をされます。
めでたし めでたし !?
というところまでの神話は、皆さんもご存知だと思います。
しかし、この神話にはその先と言うか、先の説明では抜けている部分があります!?
天岩戸からやっと
天照大御神 を出すことに成功しましたが、いつなんどき
天照大御神 が天岩戸に舞い戻ってしまうかもしれません。
暗黒の世界に戻るのは懲り懲りです。
岩の扉を開け放った力自慢の
手力男命 は、天岩戸が二度と塞がれることが無いよう岩の扉を力一杯遠くに投げ飛ばし天上界から外界へ落として隠してしまいました。
その扉はどこ迄飛んでいったと思いますか?
同じ九州の福岡辺りでしょうか?
いえいえ、もう少し力が有ったようです!?
関西辺り?
いやいや、もう少し遠くまで飛んでいったようです!?
なんと、
信州 まで飛んで行ったそうです。
察しの良い方は、もう分かりましたよね?
岩の扉を遠くまで飛ばして隠したんですよ!?
さぁ、どこでしょう?
扉じゃなく、戸と言ったら、ヒントじゃなく答えですよね!?
戸を隠したんですよ!?
はい!?
善光寺 でした!?
じゃないですよね!? すいません!? ちょっと、おちょくっちゃいました!?
戸隠です!?
答えを聞いたら、文字のままじゃんとなりますよね!?
地上に落ちた岩戸が霊山戸隠山になったと・・・・・
今回の記載で参考にした天岩戸神社のホームページにしっかり記載されています。
まぁ、前半表記部分だけの認識の方々が多いと思いますが・・・・・
一方、
奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社の五社からなる
戸隠神社 の方にもしっかり記載があり、それぞれの御祭神も天の岩戸伝承に関係する神々です。
奧社 は、岩戸を投げた
天手力命
中社 は、天照大神 を岩屋から引き出す一計を案じた
天八意思兼命 (あめのやごころおもいかねのみこと)
宝光社 は、天手力命の弟の
天表春命(
あめのうわはるのみこと)、この兄弟は
天八意思兼命 の子供です。
火之御子社 は、岩戸の前で踊った
天鈿女命
九頭龍社 は地主の神である九頭龍大神で、
九頭龍権現・岩戸守神(
いわともりのかみ)といわれることも・・・・・
昨年後半に旅した
戸隠神社参拝 、
伊勢神宮参宮 、
神話のふるさと 宮崎旅 は、全て神話に導かれた旅となっていました!?(笑)
神様がいっぱい登場して、名前だけでも分かり辛いのに、間柄が整理されていないと神話の理解に支障をきたしそうですよね?
サービスで家系図載せておきます。
この後も出てきますので参考にして下さい!?(笑)
ということで、やっとその神話のふるさと宮崎を巡った旅日記の開始です。
宮崎牛ステーキディナーを堪能して眠りについた翌朝、向かった先は鹿児島でした。
こちらの報告は次回に回しますが、丸々一日楽しんだ鹿児島観光の後また宮崎に戻り、辿り着いたのが、
その日の宿
日南海岸 南郷プリンスホテル でした。
今頃は、貸し切りで盛り上がっているでしょうね!?
西武ライオンズ の宮崎キャンプの定宿ですから・・・・・
海岸べりに建ち、大海原を望む展望露天風呂が気持ちよかったですね!?
シーズンオフということで漂木等が多少転がっていましたが、夏シーズンになるとしっかり片付けられて綺麗なプライベートビーチになるだろう砂浜も夕食前に散歩してきました。
上記2画像は超広角レンズ使用なので普通より広いエリアが写っているはずですが、それでも狭く感じてパノラマ撮影してみました。(笑)
部屋は当たり外れのない全室オーシャンビュー、沖に島なども見え入り江や内海のような感じで波も少なく穏やかな眺望です。
部屋にあった案内を見ると夏場は真正面から日が昇るようですが、時期の異なる12月では右側にズレて半島(?)の上から・・・・・
朝食前にそんなのどかな風景を眺めていると、
何か場違いに感じる巨大なものが目に飛び込んで来ました・・・・・・
画面で分かりました?
この様な時は広角レンズだと役立たずですが、望遠レンズは持って来ていないし・・・・・
旅カメラの秘密兵器、前ブログ紹介スマホの10倍ズームで撮影したのがこちらの画像です。
近くの油津港に向かっていた豪華客船の スペクトラム・オブ・ザ・シーズ でした。
調べてみると、就航2019年4月 総トン数168,666t 全長348m 最大幅41m 乗客定員4,180名 乗組員数1,500名 巡航速度22.0ノット の巨大な客船で、2021年時点では世界第6位の大きさでしたが、現在はベスト10にも入っていません。
現在の1位は アイコン・オブ・ザ・シーズ 250,800t 乗客定員5,610名 乗組員数2,350名
10位でさえ アルビア 184,700t 乗客定員5,200人
とのことで、確かに下回っています。
クルーズ船市場はコロナ禍以降急速に回復、いや、更なる成長分野として注力されているようです。
ちなみに、現在の1~6位は 〇〇オブ・ザ・シーズ が独占、これらは全て ロイヤル・カリビアン・インターナショナル社 の船だそうです。
さて、見た時は 「スゲー!?」 とか 「タイミング良く見られて良かった!?」 などと傍観者でいられましたが、
その後、 「タイミングが悪かった!?」 とか 「最悪!?」 と愚痴る被害者に成り下がります。(笑)
クルーズ船寄港から、その先がこのような展開で進んでいくとの考えは微塵もなく・・・・・
寄港についての記事がこちらでした。
内容を要約すると、客船自体は早朝寄港し、夜半には次の目的地に向かって出向していきますので半日の停泊です。
停泊中に、燃料の補給や食料・水などの調達が行なわれるのでしょう。
一方、乗客はそのまま客室で過ごす人も一部いるかと思いますが、多くは宿泊地観光、宮崎市市内の繁華街、近隣の観光名所に繰り出します。
そのために用意された観光バスは
60台!?
計算し易く1台の乗客を50名だとすると、
3,000名!?
この一隻のために、宮崎市や日南市の周辺観光客が3,000名も増加です!?
お陰で、行く先々で、人、人、人・・・・・
所によっては、バスが駐車場に駐られずに・・・・・
さて、我々が朝一番に向かった先が、
飫肥 (おび)
飫肥藩・伊東氏5万1千石の城下町として栄えた土地です。
武家屋敷を象徴する門構え、飫肥石や飫肥杉を使った石垣が残る風情ある町並みは「九州の小京都」と呼ばれています。
1977年に九州地区で初めて重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
しあわせ杉
肥城の大手門を中心に、旧藩校振徳堂、松尾の丸、飫肥城歴史資料館などがあり、樹齢140年の飫肥杉が立ち並び深緑色の苔のじゅうたんが一面に広がる旧本丸跡は「いやしの森」と呼ばれています。
四半的射場では飫肥藩に伝わる半弓「四半的(しはんまと)」を気軽に体験できます。
※ 久しぶりに30,000字オーバーでみんカラに怒られたので画像文面は削除しました。(涙)
自分達は朝一番に向かったので観光の影響は少しでしたが、戻って来ると先程紹介の乗船客観光バスの20番台3台が停まっていました。
しかし、その時点でも客船のツアー客との認識はなく、「20番台まであるバスツアーって、すげー大型団体!?」とだけ・・・・・(笑)
その後、添乗員さんからクルーズ船関連の話がされ状況と現実が一致、納得やら先の心配事などが広がりました!?
鵜戸神宮 (うどじんぐう)
地元住民から「鵜戸さん」として親しまれている日向灘に面した南九州を代表する神宮で、2017年に鵜戸神宮を含む一帯が国の名勝「鵜戸」に指定されました。
太平洋に突き出た岬にある洞窟内に色鮮やかな朱塗りの本殿が鎮座し、洞窟内にある「お乳岩」は、安産・育児の御利益があるとされています。
「運玉投げ」が有名で、男性は左手、女性は右手で願いを込めながら約12m先にある亀石と呼ばれる岩に向けて運玉を投げ、亀石の枡形のくぼみに入れば願いが叶うといわれています。
岬のまわりにある奇岩、怪礁に太平洋の荒波が打ち寄せる様子が美しい景勝地で、特に年始には初日の出を見に多くの参拝客が訪れます。
現在は純粋に神道の聖地となっている鵜戸神宮は、神話 海幸と山幸 に出てくる兄弟の弟である 山幸彦 の子どもであり、伝説上の初代天皇である神武天皇の父として日本の神話で重要な役割を果たしている、ウガヤフキアエズを祭神として祀っています。
宮崎の観光地として必ず紹介される場所の一つですね!?
見る度に一度は行ってみたいと憧れつつも遠方すぎるので具体的な訪問検討することがありませんでしたが、やっと思いが叶いました。
堀切峠 (ほりきりとうげ)
日南海岸国定公園の入口にあり、南国ムード漂うフェニックス(カナリーヤシ)の並木と青い海が広がる、宮崎市を象徴する風景が見られる絶景スポット。
堀切峠を通り日南海岸を南下するルートは宮崎でも屈指の人気ドライブコースです。
宮崎市街中心部から国道220号を南下し、県道377号の山間から海岸沿いに出た場所に位置し、海岸沿いからは海に向かって広がる波状岩「鬼の洗濯板」を一望できます。
堀切峠から南へ約1kmの位置にある「道の駅フェニックス」は、この絶景を眺めながらご当地ソフトクリームや地元グルメを味わえる人気スポットで、四季を通して美しい花々が咲き誇り、約20本のフェニックスやジャカランダ、ブーゲンビリアなど南国らしい雰囲気を感じられます。
とありますが、残念ながら我々の走行ルートは逆の北上、そこまで散々南国ムード漂うフェニックスの並木と青い海が広がる絶景を見ながら走って来ての堀切峠、山道を抜けてきて堀切峠に達し眼の前が一気に青い海が広がる南下時の感動は一切なく・・・・・
第一、堀切峠に入った時は海側を背にしているわけで・・・・・・(笑)
もちろん、飫肥からの道、国道222号が例のスペクトラム・オブ・ザ・シーズが停泊している油津港付近で国道220号に合流し海岸線に出た時は、車内から歓声が上がりましたが・・・・・
海岸沿いに在る 道の駅フェニックス は どちら側から来ても入れますし、このエリアの観光スポットとしては定番中の定番、当然の如く自分達も立ち寄ってきました。
昭和 40 年に竣工したらしいので今年で還暦?
そんなロートルで定番の施設、特段の話題でもない限りローカル局とはいえ取り上げられることはない筈なのになぜか前夜の番組で・・・・・
理由はこちらでした。
もちろん、出来立てほやほやの記録撮影もしっかり・・・・・
青島 (あおしま)
周囲1.5kmほどの小さな青島は自然が豊かで亜熱帯性植物が生い茂る南国ムード漂うパワースポット。
島の中央には宮崎屈指の観光スポットの青島神社があり、島全体が青島神社の境内ともいわれています。
青島は有名な神話「海幸彦・山幸彦」で山幸彦と豊玉姫が結ばれた地であることから、縁結びにご利益があるといわれ人気を集めており、島にかかる弥生橋を渡って参拝できます。
青島の見どころのひとつが、島を取り囲むように海に向かって広がっている有名な奇岩群「鬼の洗濯板」。
遠くからはまるで巨大な洗濯板のように見えることからこのように呼ばれています。
国の天然記念物に指定されており、青島から南の巾着島までの約8kmの海岸線に見られます。
青島神社、一般人よりプロ野球好きの方々に知られているでしょうかね?
とりわけ大鵬・卵焼き が好きな方々に・・・・・
淋しいですが、こんな並びのフレーズすら知らない若い人が増えているんでしょうね!?(笑)
じゃぁ、現代版ではどうだと考えてみても、多様性の時代、中々纏まりませんが、大谷は入りますかね?
逆に、当時は江川・ピーマン・北の海なんて対義語がありましたが、
現代人はこちらの方が食いつきそうですね!?
フワちゃん・韓国・フジテレビ なんて・・・・・
ちなみにご意見は受け付けておりません!?(笑)
しかし、時の流れが早すぎて、良いにしろ、悪いにしろ、直ぐに旬から外れて絶対的なものがない時代になっちゃいましたね!?
話が逸れましたが、巨人軍のキャンプ地が青島でした。
キャンプ初日に監督を代表にチームとしての優勝祈願参拝が報じられますからご存じの方も多いでしょう。
ここでも多様性の時代、スポーツ報知は毎年取り上げますが(笑)、テレビのスポーツニュースでは・・・・・
青島に渡る弥生橋の手前にある「幸せの黄色いポスト」
青島のフォトスポットとして人気を博しているそうです。
豊玉姫と山幸彦の2人は「真珠のように貴いあなた」「永遠に忘れられないお前よ」という素敵な恋文のやりとりをしたといわれているカップルとして描かれていることにちなんで、幸せのシンボルとして黄色くお色直しされた現役のポストです。記念に投函する人も多いとか・・・・・
黄色いポスト、そしてすぐ後ろには白い砂浜、青い空と海が広がる景色は他ではなかなかお目にかかれませんね!
さて、三日目の団体観光はここまででした。
クリスマスイブを過ごした シェラトン・グランデ・オーシャンリゾート に、早めの到着です。
「お前らのような庶民に、本来なら場違いなラグジュアリーブランドホテルを手配してやった上に17時間も滞在させてやるから、ありがたく思って楽しめよ!? もう二度と無いだろうから・・・・・」
ということでしょうか?(笑)
仰せに従って館内を散策したり、ウエルカム 焼きマシュマロ&珈琲 を焚火にあたりながらいただいたり、打ち上げ花火を観賞したり、温泉に浸かり疲れを癒やし、クリスマスディナーを満喫したりして、場違いなホテルでのクリスマスイブを十二分に堪能しました。
旅行会社さんのお陰で・・・・・(笑)
が、
観光欲旺盛な我が夫婦、まだ明るいうちからホテル内で過ごすのは勿体無いと、折角の配慮でしたが(笑)、自ら滞在時間を2時間ほど削ることにしました。
部屋に荷物を運び入れた後、ベッドに横たわり一息つくこともせず、直ぐにホテルから外へ飛び出しました。
旅に出る前から行程表を読み込み、自由時間が出来ることを見越して、近郊の観光先情報を調べていましたから・・・・・
小さい国ですが長い日本、東京と宮崎では時差こそありませんが、日の出・日の入り時間は長い時には1時間以上の違いがありことを知っていたからで・・・・・
12月頃の自宅、4時半頃には暗くなっていましたが、調べてみると12/24当日の日の入り時間
東京 16:34
宮崎 17:17
と43分も遅いことが判明、これなら十分楽しめると準備をしておりました。
先の客船乗客観光の影響がでるのではないかと途中心配もしましたが杞憂に終わり、逆に到着は15分も早く・・・・・(笑)
歩いていける場所にあったのが、
(シーガイヤの中の大きなホテル、広い敷地から出るだけで10分位掛かりましたが・・・・・)
みそぎ池(正式名「御池」)
古事記に「竺紫のヒムカの橘の小門の阿波岐原」と書かれた場所で、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が亡くなった 伊邪那美命(いざなみのみこと)を追って行った黄泉の国で穢れた身体の禊を行った場所と言われ、左目を洗うと天照大御神(あまてらすおおみかみ)、鼻を洗うと須佐之男命(すさのおのみこと)、右目を洗うと月読命(つくよみのみこと)が生まれたと伝わっています。
4月から10月頃までの訪問だったら黄色の花を咲かせた美しい姿の睡蓮を見られたのでしょうが、残念ながら時期ずれ、しかも夕方ということで池の隅に立っていて神域を感じさせる御幣も淋しげです。
さて、最終日に訪れたのが、本旅選定の主要因となった訪問先であった。
高千穂峡 (たかちほきょう)
阿蘇山の火山活動で噴出した火砕流が五ヶ瀬川に侵食されてできた独特の美しさで知られる渓谷。
高さ約80~100mもの柱状節理の断崖が東西に約7kmに渡って続く日本を代表する景勝地で、1934年には「五箇瀬川峡谷」として国の名勝・天然記念物に指定されました。
高千穂峡のシンボルである名爆「真名井の滝」は日本の滝百選に選ばれており、貸しボートから見上げる滝は迫力満点です。趣の異なる3本のアーチ橋が一望できる絶好の撮影ポイントや、高千穂の伝説に残る鬼八(キハチが投げたという「鬼八の力石」をはじめ神話と伝説に所縁のあるスポットが数多く存在します。
ちなみに、鬼八伝説とは、神武天皇の兄である三毛人野命(みけいりののみこと)が東征の途中高千穂に戻って、悪行を働いていた鬼八という荒神を退治したという物語です。
しかし、退治された鬼八は強力な魔力で一夜にして息を吹き返し、それが何度も繰り返されるので、最後は体を頭・胴・手足の三つに切り離して別々埋めたと言われています。
鬼八が埋葬されたとされる鬼八塚は「胴塚」「首塚」「手足塚」として今も残っているそうです。
尚、東征中にもかかわらず高千穂に戻って来たのは、鬼八に連れ去られていた鵜之目姫(ウノメヒメ)が七ツヶ池の水鏡に映り、三毛人野命に助を求めたといわれています。
新緑、夏のライトアップ、紅葉と季節の移り変わりも楽しめ、県内外から多くの観光客が訪れます。
柱状節理がよく分かりますね!?
仙人の屏風岩
鬼八の力石
真名井の滝
(左)おのろこ池 の前にある 月形の説明看板 (右)上部に 月形 下部に 玉垂の滝
途中にも触れましたが久しぶりに本文30,000字規制に抵触、削った文面・画像は数多く・・・・・
残念ながら宮崎編はこれで終わりです。
熊本、鹿児島編へ続きます。