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豆柴もものブログ一覧

2024年11月06日 イイね!

信州&上州旅2 両参り 善光寺&北向観音

信州&上州旅2 両参り 善光寺&北向観音欲張って、

すべての厄を払い
幸福のご利益を授かれる

両参り をしてきました。


なお、トップ画像には、今回お話する「両参り」が、個人的な思惑の戯言では無いことを示すため、旅行会社のツアーパンフレットを並べました。

七年に一度(実質6年に1度)の善光寺御開帳に合わせて盛り上がるみたいですね?
前回はコロナの影響で2021年が2022年に1年延期、次は従来周期での2027年か、それとも新たな周期での2028年かは、まだ決まっていないみたいです。






旅の初日に話を戻します。


関越道・上信越自動車道を乗り継いで降りたのは、

夫婦ともに学生時代を過ごした上田市に有る上田菅平ICでした。




本日の最終目的地は宿泊する長野市ですし、目的は善光寺参拝です。


なのに、上田で寄り道?

と思われるでしょうが、もちろん理由はあります。




伊勢神宮参拝を例に上げて説明すると、

          

伊勢神宮参拝として多くの方が行かれる、近くにおかげ横丁があり、五十鈴川に架かる宇治橋を渡って入っていく神宮は、正式には、伊勢神宮の内宮と呼ばれる場所です。
対峙する形で外宮もあります。

内宮をお参りしただけでは、伊勢神宮を参拝したとは胸を張って言えない状況かもしれません。

かと言って、外宮も一緒に参拝したとなったとしても、まだ、胸を張れません。

昔の習わしではありますが、参拝の正式順序もあります。

① 伊勢神宮に参拝する前にこの二見浦で身を清める (二見興玉神社 参拝)
② 外宮参拝
③ 内宮参拝
④ 朝熊岳 (金剛證寺を参拝)
   金剛證寺: 伊勢神宮の鬼門を守ると言われるお寺

更に、各々の宮内でも参拝順序があったり、外宮は左回りで内宮は右回りなど作法が違ったりして・・・・・


まぁ、両宮は5kmも離れているので時間がない現代人は内宮=伊勢神宮 参拝で済ますことが多いと思いますし、二見浦で身を清めるなんてことは更に・・・・・
参拝前に五十鈴川で清めることで代用でしょうかね?

ちなみに、天照大御神をまつる皇大神宮(内宮) や 豊受大御神をまつる豊受大神宮(外宮)だけでなく、月の神様である月読・月夜見などの14の別宮、その他として、43の摂社、24の末社、42の所管社 と全部で125の宮社を全て合わせて 伊勢神宮 になります。

ということで、先程示した昔の習わし参拝ですら簡略版!?
伊勢神宮 完全参拝は至難の業と言うか、不可能ですね!?




さて、善光寺に話を戻しますが、善光寺参拝にも同じような習わしがありました。

それが、幸せを授かる 長野県の両参り です。



伊勢神宮の内宮・外宮は5km離れているので習わし通り回るのが難しいと先程書きましたが、
長野の方はその約10倍、49kmも離れているので、余程拘りを持たないと実現しないでしょうね?
まぁ、それ以上にこの習わしを知らない方が大多数でしょうから、有ってないようなものですが・・・・・


その対象となる長野県屈指の二つの名刹が、

上田市にある別所温泉の北向観音
長野市にある善光寺

になります。

現世利益を願う北向観音
極楽往生を願う善光寺


両参りすることで、

すべての厄を払い、幸福のご利益を授かれる 

と言われています。




北向観音は全国的にもめずらしい本堂が北を向いている観音さまです。
南向きに建立された善光寺とは対角線上に向かい合うように建っています。


どちらか一方では片参りとなり、両参りすることでさらなるご利益がいただけると言われており、毎年多くの参拝者が訪れています。

尚、伊勢神宮とは異なり、どちらを先にめぐるかの決まりはないようなので、自分のプランにあわせて大丈夫のようです。

自分達は、先ずは現在、現世利益を願って北向観音、その後、来世、極楽往生を願う善光寺にお参りしました。
まぁ、ルート・日程上の絡みも考慮した結果ですが・・・・・・




簡単な説明です。


多くのご利益を授かれる北向観音

北向観音は825年、比叡山延暦寺座主・慈覚大師円仁により開創された霊場だそうです。
現世でのご利益を授けてくれるという千手観音を御本尊とし本堂に祀っています。

本堂以外にも、さまざまな誘惑や困難を打ち砕いてくれるという愛染明王を祀る愛染堂、緑に囲まれた温泉薬師瑠璃殿、江戸時代より絵の展示場として利用されてきた額堂(絵馬堂)などを参拝するのも良いです。



極楽往生を願う善光寺

正月三が日で約50万人、年間約600万人が参拝に訪れる古刹、創建以来約1400年、民衆の心の拠り所として篤い信仰を集める善光寺ですから、長野県民以外にも知っている方は多いでしょう。

日本に仏教の宗派が生まれる以前に創建され、無宗派寺院として長きにわたりすべての人々を受け入れてきた寺院です。
御本尊は一光三尊阿弥陀如来、人々を極楽浄土の世界へ導くご利益があるとされています。




さて、ご存じない方が多いかもしれませんが、
別所温泉は長野県最古の温泉地であり、信州の鎌倉とも言われております。
また、枕草子にもうたわれている歴史ある温泉地です。


学生時代同様、先ずは 国宝 八角三重塔 が裏山に建っている安楽寺に向かいました。
八角三重塔が撮影対象となるのはもちろんですが、別所温泉巡り時のC&C待機場所として利用させて頂きました。
拝観料も払っていますから良いですよね?(笑)

本旅の恒例となりました坂&階段の初登り、全てがここから始まりました。(笑)

          

          

          




木造八角三重塔は、木造の八角塔としては全国で一つしかないという貴重な建築です。



     

四重の塔に見えますが、一番下は裳階(もこし=ひさし又は霧よけの類)として見なされ、下から二番目が初重になる珍しい形式であるうえに細部も禅宗様の形式からなり、類例が少ないそうです。
(かなり前は四重の塔と認識されていたようですが・・・・・)



安楽寺(曹洞宗)
安楽寺は禅宗としては、鎌倉の建長寺などと並んで日本では最も古い臨済禅宗寺院の一つです。














こちらは、常楽寺で、茅葺き屋根の本堂です。






こちらにも、国重要文化財に指定された 石造多宝塔 (せきぞうたほうとう)があります。



石造多宝塔が建っている場所は、北向観世音様が出現した所と言われているようです。

石造多宝塔のすぐれたものは全国的にも少なく、重要文化財に指定されているものは、こちらと、滋賀県の「少菩提寺塔〔しょうぼだいじとう〕」の二つだけだそうです。








そして、本命北向観音に通じる参道です。非常にこじんまりしていますが・・・・・

          

          




北向観音

厄除観音として知られる「北向観音堂」は、平安時代初期の天長2年(825年)比叡山延暦寺座主慈覚大師円仁により開創された霊場だそうです。
安和2年(969年)、平維茂は一山を修理し、三楽寺、四院、六十坊を増築したと伝えられます。
源平争乱の中、木曾義仲(=源 義仲)の手により八角三重塔と石造多宝塔を残して全て焼失してしまいますが、源頼朝の命のもと伽藍復興がおこなわれ、建長4年(1252年)、塩田陸奥守北条国時により再興されたそうです。

     












本堂が北を向いているのは、わが国でもほとんど例がないようです。

その由来は、観世音菩薩出現の際、「北斗七星が世界の依怙(よりどころ)となるように我も又一切衆生のために常に依怙となって済度をなさん」というお告げによるものといわれています。


愛染かつら 絡みのネタもありますが、年寄りの自分が生まれるより遥か昔、1938年の映画のようなのでここでは止めておきます。(笑)










さて、折角別所温泉に来たのですからゆったり温泉に浸かりたいところですが、本日の最終目的は善光寺参拝ですし、宿は翌日の戸隠訪問に備えて長野市内に手配済み!?

それなら、公衆温泉にでもちょっと浸かって・・・・

しかし、妻連れではそれも叶わず、



慈覚大師ゆかりの湯「大師湯(だいしゆ)」
真田幸村隠しの湯「石 湯」





の前まで行って撮影のみです。
ちょっと離れた 木曽義仲ゆかり葵の湯〜北条氏ゆかりの湯「大 湯」 は、それすら省略。


妻は、入ったことが無いのは当然、前まで来たことも無いと言い張ります!?
が、自分の記憶では、前回来た時も連れて行ったはずなのですが・・・・・
もちろん、自分は友人達と来て何度か浸かっています。




何も無いのは淋しいので、北向観音横手にある「湯かけ地蔵」にお参りし、



足湯「ななくり」で暫し温泉気分を味わいました。
結構熱めの湯で足は真っ赤に・・・・・

          




さて、この時期上田に、いや、別所温泉に来ると、温泉や観光以外に気になるものがありますよね?

はい!?

上田市は県内、いや、国内有数のまつたけの産地として知られています。
別所温泉では、この時期、まつたけ小屋や旅館が提供するまつたけ料理が名物となっています。

6年ほど前の同窓会は上田で開催、まつたけ小屋で松茸のコース料理を夕食としました。
当時、10,000円でした。

当然、今回の旅が決まった後、ちょっと調べてみました。
この物価高だからしょうがないのですが、同じコース料理は1.5倍になっていました。

まつたけに拘りが無い妻、昼食ということもあり、
「まつたけに15,000円/人も掛けるなら、他のものを食べたり、他の用途に使いたい」
即答で、却下となりました。

まつたけとは縁が無いと諦めたのですが・・・・・


同窓会で行った蓼科、帰りに立ち寄ったスーパーや道の駅風直売所でもまつたけが・・・・・
今年は豊作とかで、昨年あたりよりだいぶお安く出ていました。

一瞬、いや、だいぶ迷いましたが、どうせ翌週もう一度信州に来るからと購入はせずに帰路につきました。

道中、LINEが届きました。

「まさかと思うけど、まつたけ買ったりしてないよね?
 買わないでよ!?
 ◯◯(妻の友人)が送ってくれたから・・・・・」

危なかったですね!?(笑)

ありがたくいただきました。






その後、まつたけ代わりの昼食をとりに上田市内に向かったのですが、そちらは後日に回し、長野の宿に向かったところから続けます。




宿は、長野市内、駅と善光寺の中間ぐらいです。
ちなみに、善光寺と長野駅は1.8kmくらいです。



ホテルに車を駐め、後は徒歩&長野電鉄を利用して、善光寺参拝、参道&市内散策などし、夕食は長野駅周辺ですます計画です。

制約は、善光寺でいただける御朱印が16時30分までと言うだけです。
ちなみに、善光寺の本堂外陣は24時間参拝が可能、内陣参拝は御朱印と同じく16時30分までです。

ホテル到着はチェックイン開始時間の15時ちょっと前と30分ほど前倒し、車を預けるだけの計画でしたが、チェックイン手続きまで済ませ、善光寺に向かいました。
残念ながら、この頃から本旅唯一の雨がぱらつき出し傘は手放せませんでしたが、ゲリラ雷雨の15分以外は小雨の降ったり止んだりが繰り返しで観光を憂鬱にするほどではありませんでした。
雷雨時は本堂参拝&御朱印をいただいている時間で、傘は必要なく・・・・・



善光寺










やっと 本堂 です。










          







ということで、

現世利益を願っての北向観音参拝
来世、極楽往生を願っての善光寺参拝


が、信州&上州旅の初日につつがなく終了いたしました。





Posted at 2024/11/06 15:35:21 | コメント(2) | トラックバック(0) | | クルマ
2024年11月01日 イイね!

信州&上州旅1 戸隠

信州&上州旅1 戸隠前回訪問は、14年前の2010年9月でした。


この年の4月に次男が巣立ち、2人&1匹の暮らしとなっていましたが、
自宅でのお留守番は出来るが、お泊り&お泊り先でのお留守番が出来ない「もも」ゆえに、

日帰り旅を強行しました。





その後、16歳までの10年間「もも」は我々夫婦を癒やし続けてくれたので環境は変わらず、
そして、コロナ禍突入と繋がったため、再訪問の機会を失っていました。

落ち着き始めた一昨年あたりから再訪機会を伺っていましたが、季節や天候に恵まれず叶いませんでした。
いつでも良いではなく、希望する訪問時期があったのも再訪問の可能性を狭めたかもしれません?
希望時期は、ミズバショウが見頃となる5月下旬から6月上旬頃、そして、秋の紅葉時期になっていました。




今年も春先からの異常高温で旅に出掛ける気力を失っていましたが、自粛の反動でしょうか、流石に涼しくなるだろう晩秋から初冬に掛けていくつか旅の予定を組みました。


その内の一つが、戸隠再訪でした。
そして、唯一のマイカー旅でもありました。












とは言え、詳しく調べませんでしたが、往復で600km程の走行が見込まれる遠方の地訪問の旅?


流石に、この歳になると、体力的に日帰り旅は対象となりません。
何より、時間(暇)は腐る程あるのだから、そんな無理をする必要が無いわけで・・・・・

前後泊を追加し、二泊三日旅とすることにしました!?



同窓会日程が決まった後、紅葉時期を目論み決めましたが、まだ早すぎたようでした。
例年の時期より大分遅らせたのですが・・・・・


ということで、

日程的には二日目(中日)ではありますが、旅の主目的であった戸隠訪問を最初に取り上げたいと思います。

さて、一般的には 戸隠 = 戸隠神社参拝 となると思いますが、
我が家では、戸隠神社参拝のみに留まらないので、上記でわざわざ戸隠訪問と表記しております。
もちろん、戸隠神社参拝が主であることは変わりませんが・・・・・

          


戸隠神社は、戸隠山の麓にある奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社 の五社からなる神社の総称です。

頑張って五社参拝を目指す方も多いと思いますが、一般的には奥社参拝を目指す方が多いのでは無いでしょうか。

しかし、その奥社参拝は、健脚自慢の方ではないとちょっと大変です。
他の四社は脇の駐車場まで車で近寄れますが、奥社は最寄り駐車場から2km離れています。
標高差も140m あるそうです。
この距離を歩くしかありません。代替手段はありませんから・・・・・
歩き慣れない方だと、往復に2時間、滞在30分で計2時間30分を見込んだほうが良いとされます。
歩き慣れた方は、往復時間が30分ほど短縮されて、合計2時間くらいになると思います。

参道入り口~随神門(ほぼ中間点)までは、緩やかな上り坂(ほぼ平坦)。

随神門~奥社は、最初こそ随神門や物凄く背の高い杉並木をみて感動、しかし、杉並木を抜ける辺りからだんだん勾配がきつくなっていきます。
最後、自然石混じりの石段を登るような感じになると、ちょっと、いや、大分きつくなります。


我々は、スタートのこのほぼ平坦な随神門までの参道を歩く代わりに、鏡池から随神門までをウオーキングしながら季節を堪能しようと考えていました。
こちらの参道は以前歩いていますから・・・・・

          


この辺りは戸隠森林植物園と言われ、時期的には紅葉シーズン、季節が変われば水芭蕉、シラカバやカラマツの群生など四季折々の植物を見ながらのウオーキングが出来ますから、こちらを合わせて奥社参拝を楽しもうというウォーカーも多いようです。
日本人と同じくらい欧米系の個人やグループが歩いていましたが、普通の観光地でよく見るアジア系は全く見ませんでした。

そして、何より、鏡池という見処も増えます。

ちなみに、表示上の時間増は片道15分となっています。



ということで、このウオーキングも含めた今回の目的詳細を示しますと、

1. 奥社 参拝
2. 奥社 御朱印をいただく
3. 宝光社 参拝
4. 鏡池 訪問
5. 鏡池 ― 随神門 間ウオーキング
6. うずら家 にて戸隠そばの昼食

辺りになります。

もちろん、奥社まで行けば見処の一つである 奥社参道杉並木 は歩くし、奥社直ぐ横にある 九頭龍社 にも参拝は出来ます。
うずら家 で順番待ちしている間に 中社 参拝も可能だろうと想定しました。

前回訪問時、長蛇の列が出来ていて諦めた 奥社 御朱印 は、今回こそと目標に入れました。
「また来るから!?」と諦めたのですが、14年も掛かってしまいましたから、今回はどんなに時間が掛かりそうでも待つとのことです(笑)

同じく、大勢の順番待ち客に恐れをなして他店へ逃げた「戸隠そば」も、今回こそは一番人気の うずら家 で味を堪能しようと・・・・・

前回未訪問の 宝光社 参拝も目標に・・・・・


そして、裏目標と言って良いのが先ほど示したので重複記載になりますが、ハイキングというか自然の中でのウオーキングになります。

普段の生活では「膝が痛い!? 腰が痛い!?」と愚痴り合っている夫婦ですが、
旅先では自然に触れるウオーキングや徒歩での名所巡りに勤しんでおります。

鏡池 訪問 & 鏡池 ― 随神門 間ウオーキング も14年前の前回訪問時から候補に上げていましたが、流石に日帰り旅では「時間が無い!?」「歩き回った後の帰路運転は体力的に持たない!?」と諦めた経緯がありました。

それらを踏まえ前後泊を加えましたから、こちらが主目的と言っても良いかもしれません?
先ほど、水芭蕉の咲く頃が希望と書きましたが、鏡池から随神門を歩くルート以外に奥社大鳥居(奥社参道入口)を結ぶ 水芭蕉のこみち がありますから・・・・・


ちなみに、旅先では平常時より遥かに歩き廻るのですが、何故か、戻ってから痛みが強まったり増えたりすることがないので、これ幸いと旅先での徒歩散策を重ねています。
今回も 初日18,000歩、二日目17,500歩、三日目9,000歩 と日常よりは遥かに多い歩数となりましたが、痛みが出ることもなく・・・・・
もちろん、翌日はそれなりの疲れや倦怠感を感じましたが・・・・・


ちなみにちなみに、その歩数に追加して、3日間の走行(移動)距離は700km弱でした。



確か前週の蓼科往復は500km弱でしたから合わせて1,200km、年間でも5,000kmまで届かない自分の走行状況下ではたったの2週間で年間の1/4を走ったことに・・・・・






と、言うことで、以後は時系列に従って紹介したいと思います。


しかし、前泊の効果は絶大です。

長野市中心部の宿を7時に出ても、8時前には鏡池に到着していました。

1時間の走行というと、
6時に自宅を出発した先週の中央道経由蓼科行きでは、30分で新宿、1時間では八王子ICの手前迄しか進めなかったし、
同じく6時出発の関越・上信越自動車道経由で向かった前日は、関越起点の大泉までも行けず外環道の渋滞に巻き込まれていたのですから。
どちらの高速も、そこを抜けると、先は順調に進めましたが・・・・・


しかし、その平日8時という早い時間にも関わらず駐車場は3/4が埋まっています。
半分は観光客のようで短い時間で入れ替わっていますが、替わらない残り半分はカメラマン(写真マニア)の車のようです。
紅葉時期の鏡池は、人気の撮影スポットになっています。

名称通りの池面が鏡のように反射して周囲の風景を写し込むのは、風が無く池面が波立たない早朝が適していますから、みなさんそれを目指して早朝から・・・・・

しかし、前日の雨の影響か、バックに収まるはずの戸隠連峰の手前には厚い雲が・・・・・







さて、鏡池への行き方は宝光社側からと奥社側からの両方向から行けるのですが、この紅葉時期は注意が必要です。
今年は10/12(土)~11/4(月・祝)の土・日曜日、祝日の9:30~16:00間は、宝光社側からのみの一方通行規制が掛かるようです。

大型車が入り込めず、普通車同士でもすれ違いが大変な細くくねった山道なので仕方がないですね。
まぁ、自分達は規制のない平日だし、あったとしても規制時間前の8時には着いていたし、紅葉時期としてはちょっと早かったし、そもそも長野市内から向かう場合は必然で宝光社側からの侵入になりますから問題はありませんでしたが・・・・・


さて、鏡池定番位置での撮影を早々済ませ、周囲を左回りでは力始めました。
戻ってきた時の天候の回復を期待して・・・・・



3/4ほど周回した後、天命稲荷神社方向に左折し、随神門を目指し進みます。



紅葉も少し楽しめます。






全国同様、こちらでも熊の出没があります。



参拝客が多く歩いている目の前の奥社参道を横切る熊が写っているニュース映像が流れた時はびっくりし訪問自体をちょっと悩みましたが、喉元過ぎれば、参道以上に出没しそうな散策路を歩こうとする神経、怖がりなのか図太いのか自分達でも良く分かりませんが、しっかり熊鈴を鳴らしながら進みます。

少し前を歩いているハイカーは女性一人、その少し前は男女二人組、後ろは大分離れた位置で数人のグループと、早い時間帯にも関わらずそこそこ居るのでちょっと安心です。






無事、参道に到着です。(笑)



随神門




立派な杉並木です。

          


そして、こちらが、吉永小百合杉 と呼ばれている祠のある杉です。

          

昔、JR東日本のCM「戸隠神社篇」で話題になった吉永小百合さんが入った杉ですが、現在はしめ縄がかけてあり、中には入れません。

これまでの随神門、杉並木、これから向かう奥社、そして、自分達のスタート地点である鏡池もこちらのCMで紹介されていました。
もう1か所ありましたが、それは後々・・・・・

           




奥社に到着です。




御朱印をいただく列、前回より全然短いです。




九頭龍社






撮影画像の時刻データを見てみると、
鏡池  8:00
随神門 8:45
奥社  9:00
鏡池  10:10
と、健脚自慢の想定時間に近いものになりました。

こちらは奥社(杉並木)側からの随神門

          

          



参道と鏡池に向かう分岐点はこんな感じです。




帰路も熊に遭遇すること無く、逆に向かって歩くということで行きとは違った風景を楽しめました。







さて、ちょうど10時30分の想定時間にピッタリなので、予定通り次の目的地に向かいます。

10時30分、うずら家の開店時間です。

平日だし、開店間際なら店の駐車場にも駐められて、そんなに待たなくとも・・・・・


あまい願望は、一瞬で打ち砕かれました。(笑)




もちろん、この先にある専用駐車場は満車、中社の駐車場に車を入れ、再度うずら家へ

店の前を通り過ぎてから30分が経っていましたが、この時点の予約記入で1時間30分待ちでした。
最初についた時に書き込んでいたら、もう少し早かったでしょうね?

お店の人の助言です。
「待ち時間に、戸隠神社巡りを楽しんで下さい。
時間に拘る必要はありません。
3時30分までに戻ってくれば、既に呼ばれていても、次にお呼びします。」

我々も、アドバイスに従い、直ぐ横の中社、宝光社への参拝をすることにしました。

中社

           
           







宝光社、表示上は車で5分、徒歩30分となっていますが、数字に現れていない過酷さが隠れています。
急坂です。
「行きは良い良い帰りは恐い」の・・・・・

それでなくても、宝光社では、急で長い270段の階段が待っていることを知っている我々は、

迷うこと無く、


5分を選択です。(笑)


宝光社



          

          


階段は5つに区切られていて小休憩できますが、社殿前までは全部で270段ほど、かなり急ですから、一気に駆け上がるのはかなりしんどいです。
しかし、代替方法がない奥社への参道とは違って、左手には女坂が用意されていますから、不安のある方はそちらへの迂回をお勧めいたします。

          

          






宝光社での参拝を終え車で戻りますが、その上り坂を走りながら「歩かないで良かった!」と話し合っていましたが、宝光社の社殿まで上がりきっていれば、あまり高低差を感じること無く中社へ抜ける神道と呼ばれる五社めぐりコースが有るとか、無いとか・・・・・





さて、のんびりし過ぎて目安の1時間30分を過ぎて戻ると既に呼ばれていましたが、受付でその旨伝えると、事前説明通り次に案内して貰いました。

店の前は、相変わらず人でいっぱいです。
というより、12時頃ですから、昼食のピークでしょうか?
自分達の書き込み用紙はNo.4(の一番最後の行)でしたが、No.9になっていました。
呼んでいるのはNo.5の用紙だったような・・・・・






そこで、

「一階ですが、よろしいですか?」

の確認が・・・・・




ここで、先ほど後説明としたJR東日本「戸隠神社篇」CMの追加説明タイムです。

戸隠と言えば、戸隠神社が結びつくのは当然ですが、もう一つ誰もが想像するものがありますよね?

はい! 戸隠そば です!

CMには、名所を訪ねている以外に、お店で注文した戸隠そばを待っている吉永小百合さんを写している場面があります。

その撮影場所が、このうずら家の二階窓際の席になるようです。



どうやら、吉永小百合に憧れる高齢男性とか、吉永小百合の雰囲気を味わいたい高齢女性とかが多いらしく、二階人気が高いようです。

そのため、予約表というか席待ち表には、通常の氏名・人数の記載欄に追加して、階(一階、二階)、席(イス、座敷、どちらでも)の希望を記載する欄が設けられています。




もちろん、若い女性好き、そして、吉永小百合に匹敵する美貌を持つ妻と一緒ですから、席に拘ること無く、丁度空いた一階席に案内して貰いました。(笑)


目的は、一束ずつ馬蹄形状に盛りつけるスタイルの「ぼっち盛り」された 戸隠そば ですから!?



そして、こちらのうずら家さんには蕎麦だけでなく、
「天ぷらだけでも価値があるね」
と言われる ごま油でカラリと揚げられている天ぷら も名物のようです。

一般的には、車海老、舞い茸、なす、しそ、さつまいもの天ぷらが付く「天ざるそば」に行くのでしょうが、我が夫婦は拘りを持って「ざるそば」に単品の「きのこのお姫様 舞い茸だけの天ぷら」を注文です。



店員さんからは、舞い茸も入っている「秋、見~つけた・・・・ きのこいろいろ 天ぷら盛り合せ」も美味しいですよと薦められましたが、頑なに舞い茸一筋です。(笑)
舞い茸の天ぷらは8個もありましたので、夫婦4個ずつ対等にたいらげました。






こちらの画像、遠近法の結果ではなく、奥が妻の並盛、手前が自分の大盛り「ざるそば」です。
店員さんの「うちの蕎麦は、ちょっと少なめ(小盛り)ですかね?」の言葉で・・・・・







ということで、1時30分過ぎ、6時間弱の滞在でしたが、事前に設定した戸隠での目的を全てクリアし、次の立ち寄り先に向けて車を進めました。


Posted at 2024/11/01 12:42:00 | コメント(3) | トラックバック(0) | | クルマ
2024年10月22日 イイね!

2024 同窓会 なんやかんやの軽井沢へ

2024 同窓会 なんやかんやの軽井沢へ例年通り 首都高渋滞が始まる前に都内を抜けようと
5時起き、6時出発で蓼科に向かった。






同時刻、関西からも蓼科に向かう車があった。


数年ぶりに参加する友人だ!?


諏訪南と諏訪と降りたICは異なるが、どちらも9時半頃に着いたようだ。
蓼科までの片道走行距離は、220kmと250kmと差があったが・・・・・

聞くと、高速道路上は無休息で走り切ったようだ。

一方、自分はちょっと肌寒かったが、例年通り同窓会走行の儀式を敢行!?(笑)

スタートが石川PA、距離の長い笹子トンネルの屋根なし走行を避けるため前後の初狩PA・釈迦堂PAで開閉、いや、閉開のためのピットイン、八ヶ岳PAでドライバー休憩と、4回もPAに立ち寄りした差でしょうかね?
帰路は、一転ノンスットップで走り切りましたが・・・・・





さて、同窓会のメインイベントは、この友人との懇親になるのは間違いなかった。

もちろん、頻繁に行われているオンライン同窓会には参加しているので、細かな近況報告などは不要、同じ場に居れば空白の時間はすぐに埋まった。

逆に、例年参加していた関東メンバーが欠席となってしまって残念だったが・・・・・

まぁ、楽しみは来年に取っておこう。




例年通り、同窓会会場は友人がオーナーであるオーベルジュ!?(笑)

 



  


案内役、ドライバー役までも兼ねていただき、同じくらい疲れて戻ってからも一人シェフの勤めを熟す姿に、感謝の思いしかありません!?

「ありがとうございました!?」

次回も、よろしくお願い致します!?(笑)




さて、初日は昼前に集合、午後はお仕事をしながら空白を埋める懇親会
夕方、温泉に浸かりに行く前に御射鹿池へ寄っただけ









最終日も欲張らず昼前に帰宅の途についたので、観光は二日目のみでした。


目的地は、軽井沢に決まりました!?



他の候補地も有ったのですが、

「翌週、個人的に出かけるので、出来れば外して貰えると嬉しいな!?」

という自分の わがまま を聞いて貰いました。(笑)



さて、今回の軽井沢旅、

11年前実施の同窓会旅 ジョン・レノンを巡る旅 のプチ再現
学生時代(40年以上前?)のダブルデートドライブ旅の撮影再現旅
を趣旨とした

旧軽銀座散策
フランスベーカリーで昼食用パンの購入
万平ホテル訪問
軽井沢会テニスコート訪問 (現地決定)
鬼押出し園散策
離山房 訪問&お茶

でした。


さて、軽井沢に向かう道すがら、見晴台から信州の山並みと雲海撮影。
自分にも絵心があれば、こんな趣味で時間を潰せたのに・・・・・



まぁ、車で出掛け、絵の代わりに写真撮影と考えれば・・・・・
でも、このようなモデルにはならないか?(笑)





車を駐車場に止め、計画通り旧軽銀座散策をスタートです。



が、当日は木曜日、フランスベーカリーの定休日!?(涙)

20年くらい前撮影の「ジョン・レノンが愛したフランスパン」は当然見られないが、
11年前(2013.10.18-19)の「世界が愛したフランスパン」のポップが継続しているのか、
それとも、新たなコメントが見られるかと、時の流れの記録を期待していたのですが・・・・・

 


看板だけ撮影して、

       




向かいの浅野屋に変更です。(笑)


東京駅構内や松屋銀座でも購入できるのですが、我が家お気に入りの「カリふわっ! 軽井沢ブルーベリー」の2枚組を土産として購入です。



グラム売りは変わりませんが、焼き立てで冷ますためか、袋は閉じられておらず重量や値段表記もありません。
東京店では値札付きで売っていて、量や値段がちょうど良さそうなものを選べるのですが・・・・・




一応、旧軽銀座を散策した証拠に外れにある軽井沢ショー記念礼拝堂です。
軽井沢開発の父といわれるカナダ人宣教師A・C・ショーが布教活動の拠点とした軽井沢最古の教会です。






こちらは、テニス好き友人が見たいと言っていた軽井沢会テニスコート。
旧軽銀座をちょっと外れた場所にあります。



明治時代からある由緒正しい会員制のテニスクラブだそうです。
軽井沢には何か所も高級そうなテニスコートがあるので、まさかここがかの有名な出会いの場所だったとは初めて知りました。
まぁ、何度も横を通っていたので、もしかしたらとは思っていましたが、確認する気持ちが無く・・・・・

ちなみに、友人が送ってくれたテニスをする際のドレスコートだそうです。

      

伝統と雰囲気を壊しそうな自分は加入できそうもありません・・・・・





10月2日(水)にリニューアルオープンしたばかりの万平ホテルです。
11年前は、3人一部屋、夕食がメインダイニングでのコース料理の一泊二食付きで一人2万円で泊まれたのですが、現在は倍の4万円くらいですかね?


こちら、正面からの一枚です!?



宿泊客でもない自分たちにも丁寧な挨拶をしてくれた好感度満点なスッタフでしたが、画像としては他の客も写っていないことから一人だけちょっと邪魔ですよね?(笑)


最近はGoogle Pixel(グーグルスマホ)じゃない、ただのAndroidスマホ使いでもGoogleフォトの機能として消しゴムが使えるのですが、使ったのはスマホカメラ付属の中華アプリです。
Google Play ストアは中国では展開しておらず、中華系スマホは国内向けに独自のフォトアプリを開発搭載しています。まぁ、はじめはお得意のパクリで始まったのでしょうが、改善等が進み普通に使う分には優秀ですね?
なお、Huawei以外はインストールが禁止されていませんから、海外で販売されている機種は本家のGoogle フォトアプリ、独自アプリの両方が使えます。

何故か、詳しいですね?
その回答は後日!?(笑)


これが、中華アプリで消しちゃった画像です。




アプリで画像を開き、[編集] - [消しゴム] - [人を消す] の3アクションだけです。
人以外に、[手動] [オブジェクト] [線] の選択が出来ます。

残念ながら、本家じゃない中華アプリでは [CM出演者] という項目はありませんでしたが・・・・・(笑)







通称 鬼押出し ですが、正式名称は 上信越高原国立公園 鬼押出し園 のようです。
「浅間山の麓に広がる、溶岩の芸術」
を売りにした、浅間山の噴火の際に流れ出た溶岩が一帯に広がる観光名所です。




友人たちは大学生時代に訪れたきりだそうですが、自分は卒業後もちょくちょく・・・・
最近では昨年5月に!?(笑)




そんな自分以外の友人たち、それぞれ目的を持って訪れたようです。

一人は、ロードバイクで軽井沢から鬼押出し園まで走りたいと・・・・・
だが、今回バイクは持参せずのため、鬼押出し園で一万歩以上を歩き回りたいと!?

もう一人は、根っからのカメラ&撮影マニア、学生時代に撮った同じ場所で同じ構図の写真を撮りたいといいます。
当時画像をしっかりスマホに転送して表示させながら、場所と見比べながら探しますが、・・・・・
自分は他の場所でも同じ様な探索&撮影にお付き合いしたことがあります。

そして、元となっている学生時代の写真にも、自分だけでなく若かりし頃の妻の姿も・・・・・
はい!?  ダブルデートの一組は我が夫婦でした。

そんな濃い繋がりもあり、ぜひ見つけて撮影させてあげたい自分と、徒歩数を稼ぎたい友人は、友人に付き合って延々と・・・・・


昨年5月には「距離があるからパス!?」と進まなかった1.2kmもある「奥の院参道」へもお付き合いし・・・・・




切っ掛け良く前回訪問の話題となったので、こちらの画像も!?



前回訪問前、宿泊先の駐車場に落としてきて訪問できなかったシャツを、ネタになると考え態々持っていったので記念撮影です。
ちなみに、宿泊先に一報を入れたら探してくれて、着払いで送って貰い手元に戻った縁起の良いジャケットです。
その旅のために購入したものだったので、落としてきたことに気づいた時は横に居た妻の目は見れませんでしたが・・・・・(笑)











一生懸命探し回る友人でしたが、一箇所がどうしても見つからない!?
徐々に焦りも・・・・・
それでも、穏やかにお付き合いして歩き回りましたが、

本人とちょっと距離が離れると、お付き合い人は小さな声で
「〇〇が一緒だったら、俺、先に戻って出入り口近くの飲食店で一服しているからと、さっさと別行動してるよな?」
「それに引き換え、俺達は黙って付き合っているから、友達思いで良く出来た人間だよな!?」
と、愚痴り合っていたのは内緒です!?(笑)




お陰で、若かりし頃の妻には会えたし、当日の総徒歩数は1.3万歩を超え目的も達成出来たので良かったといえば良かったのですが・・・・・
ただ、思った以上に時間が掛かり、疲れも出たので、その後の予定だった離山房訪問は取り止めになりました。

ちなみに、離山房 は ジョン・レノン がお忍びで通ったという軽井沢にある喫茶店で、Beatles (ジョン・レノン?)ファンには有名なお店です。




我々は戻っても 気楽に過ごしたり、ボーッとしたり、風呂に入ったりしていましたが、シェフは客の要望で一人黙々とカレー作りに勤しんでいましたから、早めに引き上げるのも止むなしですかね?


さて、鬼押出しのバックには浅間山が広がっているのが当然なんですが、残念ながら当日は雲が多く、風も無いので、その眺望の遮りが途切れることはありませんでした。
先程の写真にあるように上空は青空が出ていて、着ていた上着を脱がないと居られないほど気温が高い観光日和だったのですが、稜線付近は・・・・・

記憶改竄を狙って、昨年5月の訪問時撮影画像も添えておきます。




でしたが、人が邪魔ですよね!?
折角なので、さっきのアプリを使って・・・・・



これがAI技術というのでしょうか、3アクションは先程と変わらず、複数人を一気に候補として指定して・・・・・


こちらは、元々人が写っていませんでしたので未加工です。






さて、学生時代の若かりし妻に会えた以外、今回の同窓会では1988~1990年、30歳台前半の自分たちの若かりし動く姿を見ることが出来ました。
毎年行っていたスキー旅行の撮影ビデオ上映会が夜のイベントとして行われました。

スキー場で滑り降りる姿を順番に撮影しているだけなのに楽しそうな時間、コテージでの休息姿、帰路の立ち寄り先駐車場での他愛無い姿など、今考えれば何がそんなに楽しかったのだろうと思えることことに夢中で・・・・・
もう二度と感じられない若さというものなのでしょうね?
良いものを見せて貰いました。




インター降りた後の下道(メルヘン街道?)で挽回、早く到着した者勝ちで確保した下記画像に写っていないコブラ前の屋根付きスペース、雨風だけじゃなく、毎回帰路に付く前に必須だった枯れ葉落としの作業が免除されました。(笑)
特に、針葉樹が面倒なんですよね!? 狭い所や奥まった所にまで入り込んで・・・・・






ということで、明日からの個人的な旅立ち前の投稿を目指した結果、自分としては簡素版旅日記(同窓会報告)となりました。
これなら、斜め読み、本文読み込み拒否 の友人たちにも読んで貰えましたかね?
Posted at 2024/10/22 08:03:45 | コメント(3) | トラックバック(0) | | クルマ
2024年09月08日 イイね!

パンダに会うつもりで出掛けたが、恐竜に邪魔され・・・・・

パンダに会うつもりで出掛けたが、恐竜に邪魔され・・・・・8月半ばを最後に、放置が続いてしまった!?


友人たちと連絡を取った月末、
「投稿無いけど、何かあった?」
と、心配してもらったが、
「何も無いよ!? 
 怠け癖が出て、ボーとしているだけ!?」
と、答えていた。





が、



実際は、



結構頑張って動いていた。
PCの前でだが・・・・・



4年間耐えていたが、ついに・・・・・

破綻してしまった!?


完璧に抑えていたが、一度亀裂が入ると一気に・・・・・
染み出すぐらいは容認して、適度なガス抜きをしてきた方が良かったのかも知れない?



まぁ、時期的には仕方が無い物もあるし、長い目で見たら今後のためになるものもあるし・・・・・




さて、詳細紹介は後日に回し、今回はほぼ目処が付き落ち着いてきたので、長く伸びてしまった空白期間を埋めるための投稿とする。


一時的に涼しくなった時に出掛ければ良かったのに、猛暑が復活した中、上野に行ってきた。

まぁ、主目的は日々おさんどんを努めている妻のガス抜きで、数カ月ぶりの外食である。
こちらも早めの対処、定期的な対処が必要なことは同様である。

お気に入りの栗菓子を買うことも目的の一つということで、東京駅周辺で夕食をとることにした。






が、それだけでは勿体ないので、パンダ返還&モネ展で盛り上がっている上野経由でと計画した。



ところが、

     

「モネ 睡蓮のとき」
CMが流れているのでもう始まっていると思っていたが、10/5からだった・・・・・







で、国立科学博物館 と 上野動物園 に行くことにした。


時間を持て余す老夫婦の優雅なプチ旅と思われるだろうが、実態はケチケチ旅である。

65歳以上は、国立科学博物館が無料、上野動物園も300円で入れる!?

交通費・食費を除けば、北里さん1枚も掛からない!?(笑)




しかし、料金以外の時間関係も詳しく調べていれば・・・・・






昼食をとった後、東西線浦安駅13:15発の快速に乗り、日本橋で乗り換え、銀座線上野駅に着いたのが13:45であった。
10分ほど歩いてJR上野駅公園口前に着いたが、まだ2時前だ!?
ここからなら、国立科学博物館、上野動物園のどちらへも5分と掛からない。


情報を知っていて、この時、直進していれば・・・・・





が、上野動物園には向かわず、
右折、モネ展が開催される国立西洋美術館横の国立科学博物館に向かってしまった。










国立科学博物館→上野動物園→不忍池→湯島駅→大手町のコースを考えていたので・・・・・



誤算だった!?


パンダ人気は凄まじく、観覧締め切りは閉園時間の4時迄ではなく、
2時30分迄
に、前倒し変更されていた!?

情報さえ知っていれば、迷わず直進したのに・・・・・

情報弱者は損というのは正しいようだ!?

しかも、閉園時間は4時30分だと勘違いしていて、4時過ぎに着いたが既に閉館で動物園さえも入れず・・・・・

結局、北里さんも必要としないプチ旅となった!?(笑)


しかし、国立科学博物館、子供達の幼少期に連れて来た以来だが、恐竜や発明品などに魅了され、これほど思わぬ時間を要すとは・・・・・

そんなに時間を要しても日本館には行けず、地球館もRF・3F・2F・M2F・1F・B1F・B2F・B3Fの8フロア中半分の4フロアしか回れず・・・・・





と、リハビリ投稿故に短めの文章で終了し、撮影画像を並べて終わりにします。
なお、画像は基本的に共通した思惑のあるものを選んで並べてあります。
さて、その思惑とは・・・・・





        

















こちらは、博物館外で・・・・・・






◯◯◯ て、□□ もの が旨く1枚に納まりましたかね?
なかなか出来ないんですよね!?
技術とかテクニックとかの問題じゃなくて、持っているか持っていないで・・・・・

まぁ、最近のスマホって対応していることが多いらしいですが、知識がなくて無駄になったかもしれませんが・・・・・




立ち寄った上野東照宮と大黒天堂









上記は単なるスナップ写真ですが、こちらは共通ですかね?

旧寛永寺五重塔

       




脂っこくない牛タンは普通の肉より好きなようです。

伊達の牛たん本舗 (KITTE グランシェ店)



極厚芯たん定食 & 塩・みそミックス 牛たん定食
シェアしたので全て堪能




食後の夜景撮影






こちらは大いに関係ありますかね!?




Posted at 2024/09/09 11:23:18 | コメント(4) | トラックバック(0) | | クルマ
2024年06月25日 イイね!

新旧松本 偏  「たまには一人でのんびり過ごしたい!?」を叶える信州旅

新旧松本 偏  「たまには一人でのんびり過ごしたい!?」を叶える信州旅
 思い出の地となった

  松本










 しかし、


 学生時代住んでいたのは、たった1年でしかなかった!?

 2年目からは学部のあった地へ移ったので・・・・・




蛸足(タコ足)大学で有名だった母校、

 ・ 松本キャンパス (松本市旭:人文、経済、医、理)
 ・ 長野(教育)キャンパス (長野市西長野:教育)
 ・ 長野(工学)キャンパス (長野市若里:工)
 ・ 南箕輪キャンパス (上伊那郡南箕輪村:農)
 ・ 上田キャンパス (上田市:繊維)

と、蛸と言いつつも、足は5本しか無かったが!?
まぁ、学部は8だったけど・・・・・

元々長野県は、北信、東信、中信、南信の4つが統合された感じでそれぞれ地域の対抗意識が強く、各地域がそれぞれのキャンパスの存在を誇りに持っています。

そうした県民意識というか、対抗心から統合されることはまず無いでしょうし、実際自分たちの学生時代から40年以上たった現在も変わっていない。

いや、1949年に県内7学校を統合して新制総合大学として設立された以来なので、
根はかなり深い!?(笑)


そうは言っても、「蛸足大学」の弊害は自覚していたようで設立からあまり経っていない、我々が生まれた頃、昭和30年代(1955~1964年)には弊害を回避する試みとして、松本市に教養学部を設け各学部の一年生を集めて教育を行うシステムが構築され現在に至っているようです。

ただ、個々に下宿して暮らした学生、クラブ活動などに参加しない学生には、教養部の恩恵はあまりないでしょうね?
結局、授業は学部の更に細かい学科別が殆どだし、他学部生と絡む機会も少ないので、交流のないまま過ごして、他の学部が何をやっているか、どんな学生がいるかも知らないまま学部に分かれていくでしょうから・・・・・


幸い、我々友人グループは教養部生だけが入居する男女混合寮に入って1年間の共同生活をしたので、他の学部生や女子学生との交流で、友人関係、顔見知りなど出来ましたが・・・・・




と、長々1年しか無かった松本暮らしの事情説明をしてきましたが、
やはり強烈な印象が残っているのは、
大学生としての暮らし初年度ということで新鮮な思いが強かったということと、
学部生として3年間過ごした上田市より垢抜けした街ということもあるように思います。
もちろん、学部生活でも沢山の思い出や経験、馴染先も出来ましたが・・・・・



ということで、今回ご紹介する馴染み先ですが、よくよく考えてみると学生時代には数度ぐらいしか行っていなかったかも知れません。

より馴染みとなったのは、
現在の同窓会旅の前身の前身の前身であり、卒業直後から30代迄毎年行っていたスキー旅が松本を基点としていたからであり、最終日帰路につく前の昼食やら一服先として訪問を重ねた結果ということですかね?

松本は、白馬や乗鞍、車山など何処のスキー場へ行くのにも便利で・・・・・

関西組と関東組が合流するとなると、北信の志賀高原・野沢温泉、東信の菅平まで行くことは関西組にとってはより遠方となって負担が多くなるからとの配慮がありましたから・・・・・
関東組なら、中央道経由を関越&上信越道にルートを変えるだけで済みますから!?

ちなみに、前身の前身旅は温泉旅行、
前身は夜の近況報告会をメインとした昼の観光旅、
もちろん、現在は蓼科に別荘を構えた友人宅で・・・・・・・

と、形態を変えた同窓会旅、友人の事情を優先した京都旅が続いたり、自分の単身先であった名古屋に集まったり、メンバーの地元滋賀に行ったり、富士河口湖でキャンプ、清里など甲斐の国、そして学部のあった上田周辺、軽井沢など多岐に渡っています。
もちろん、松本に集まった上で、上高地、白骨温泉、美ヶ原、車山、木曽など周辺にも・・・・・


ということで、出会いの地 松本が原点と言う思いは誰もが思っていますが、
ここ数年松本がメインとなることは・・・・・

ちなみに、こちらはPCの画像フォルダーですが、



同窓会で、松本に宿泊したのは9年前になります!?

その時は、グループの中で先人を切って還暦に突入した自分のお祝いをしていただきました!?




今回訪れたお店も、その時以来となります。


もちろん、先程のフォルダー名としては表示されていませんが、隠れた形で松本にも訪れています。
例えば、昨年の同窓会旅では友人と二人で松本懐かし訪問も・・・・・
大学学食での昼食を優先、タイミング悪く休業日の訪問となりましたが、店舗前までは一応訪問したし・・・・・

加えて、妻の実家は隣街で何かと信州へは行っているし・・・・・

もっとも、妻からは
「結婚してから信州へ行っている回数、私よりだいぶ多いんじゃない!?」
と、嫌味を言われていますが・・・・・(笑)






「かつ玄」は昭和49年の9月、松本城近くに開業したとんかつ料理店です。



西暦にすると1974年です。
我々が大学に入学し、松本で暮らした年が1976年ですから、開業後間もなくからのお付き合いになります。
今回、改めて調べた結果わかったのですが・・・・・


ランチに関しては、現在でもリーズナブルですよね!?

 


席につくと、サービスの漬物が出てきます。



一番リーズナブルな とんかつ三味定食 の帆立を選択






今回、驚いたのが何を調べたり見たりしてくるのか、インバウンド客が何組も・・・・・
味? 価格? 雰囲気? ・・・・・
何を目当てに来るのかは分かりませんが、我々が通い詰めたお店が認められて単純に嬉しいです!?
こちらの看板撮影では、順番待ち争いの日韓戦が・・・・・(笑)







さて、最近、マッチって使いましたか?
いや、マッチって見ますかの方が良いでしょうか?
いやいや、マッチって知っていますか? の方が若い方々にはマッチしているかも・・・・・(笑)

我が家も、火を付ける事自体が殆ど無い中で、必要な時にはチャッカマンや100円ライターで済ませ、同じ仕舞い場所にいざという時の為にいくつか眠っているだけです。

先報告、静岡の鰻屋レジでの会計時に配布用として置いてあったので頂いてきた物を仕舞う時に



妻が「こんなものもあるよ!」と見せて来ました。



その時は既に9年振り訪問計画があったので、行って在ったら記念に貰ってこようと考えていましたが、同時に、昨今は喫煙者が減り、お店自体も禁煙となっていることが多いから無いだろうなとも考えていました。


ところが・・・・・


左側が先の還暦祝い時訪問の9年モノ、右側が今回のものです。
ちゃんと、配布を継続されていました!?





比較すると、9年モノの方がちょっと黄ばんでいるように見えますが、経年劣化以外に紙の色合い・材質違いがあるようにも見えます。

頂いて来た上で申し訳ないのですが、現在のマッチ使用状況を考えると、大量に作りすぎた在庫を長年かけて今も処分しているのかと思っていましたが、



家でしっかり比較してみると、リニューアルされたものと分かりました。(笑)



何でも取っておく、記念に残しておくは、なかなか常人に理解してもらえませんが、こんな楽しみもあります!?(笑)





さて、
「珈琲まるも」は「まるも旅館」の一部(喫茶部門)として1956年に開業。





旅館の方はそれよりも遥かに歴史があり、慶応4年(1868年)の開業です。
松本民芸家具の創立者池田三四郎氏の設計で、以後そのままの形で営業が続いています。
学生時代は既に老舗喫茶店として名を馳せていました。


説明文通り、裏に旅館があります。





マッチといっしょに貰ってきたこちらに拠ると、現在も営業を続けているようですが、当日は休みでした。
突然客には対応せず、宿泊日の数日前までに予約の入っていない日は休みにしているようです。
ちなみに、朝食は喫茶店の方で食べるみたいです。



さて、「かつ玄」を出たあと直行したので、自分は満腹でケーキセットには手を出せず・・・・・・
若くて食欲旺盛な友人の方を撮影です。





ケーキはティラミス以外にモンブランも・・・・・






本日最後は、松本市美術館の紹介です。

 

平成14年4月のオープンですから西暦にすると2002年、ちょうど卒業から現在までの中間くらいに位置しますから、新しいかと問われると微妙ですが、これまで訪問機会はありませんでした。

市民が心をひらく学びの森として、地域に根ざす総合美術館を目指しているそうで、
1階フロアには学習活動を支援する市民アトリエ、講座室、版画室など教育普及機能を備えています。
2階は、企画展示室、多目的ホール、市民ギャラリーから構成され、動きのあるフロアとなっています。
3階フロアは、松本市が収集している珠玉の美術資料を中心に常設展示しています。
特に松本出身の書家・上條信山(かみじょうしんざん)氏や、信州の山をこよなく愛した洋画家・田村一男(たむらかずお)氏の作品は記念展示室を設けています。

また、松本出身で世界的に活躍している草間彌生(くさまやよい)氏の作品も展示しています。
いや、自分達にいたら、こちらがメインでしょうか?




入館料は、大人410円、大学生・高校生200円、中学生以下は無料 と激安です!?
松本市民なら70歳以上も無料ですが、残念ながら一般の老人優待はありません。(笑)






それでもケチりたい方は、美術館正面に設置されている
草間彌生の巨大彫刻作品 ≪幻の華≫ 
を無料で鑑賞出来ます。(笑)








そして、横にあるこんな自動販売機を画像に収めれば、ブログネタにもなるし、記憶も華やかになるでしょう!?






館内に入場しても、作品の撮影は禁止ですから大差ありませんから・・・・・


でも、心豊かになりますし、大きな感動も得られますから、
ケチらずの入館をお勧めします!?

ここでは、入館パンフレットでの代用と、撮影が許された部分のご紹介にとどめます。












基本、外壁から全てにおいて水玉、いや、赤玉?











トイレの中まで





天国への梯子

良かったですよ!?


     







さて、草間 彌生氏というと、松本市出身で京都市立美術工芸学校(旧・京都市立銅駝美術工芸高等学校)絵画科卒業と紹介されることが多いと思われますが、
地元の松本高等女学校を卒業しています。
こちらの学校、現在の長野県松本蟻ヶ崎高等学校ということで妻の母校となります。
妻の時代はまだ女子校だったようですが、卒業1~2年後から男女共学校に変わったようです?
と、薄~~い繋がりを紹介して本日は終了です。(笑)



Posted at 2024/06/25 15:36:00 | コメント(3) | トラックバック(0) | | クルマ

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