
思い出の地となった
松本
しかし、
学生時代住んでいたのは、たった1年でしかなかった!?
2年目からは学部のあった地へ移ったので・・・・・
蛸足(タコ足)大学で有名だった母校、
・ 松本キャンパス (松本市旭:人文、経済、医、理)
・ 長野(教育)キャンパス (長野市西長野:教育)
・ 長野(工学)キャンパス (長野市若里:工)
・ 南箕輪キャンパス (上伊那郡南箕輪村:農)
・ 上田キャンパス (上田市:繊維)
と、蛸と言いつつも、足は5本しか無かったが!?
まぁ、学部は8だったけど・・・・・
元々長野県は、北信、東信、中信、南信の4つが統合された感じでそれぞれ地域の対抗意識が強く、各地域がそれぞれのキャンパスの存在を誇りに持っています。
そうした県民意識というか、対抗心から統合されることはまず無いでしょうし、実際自分たちの学生時代から40年以上たった現在も変わっていない。
いや、1949年に県内7学校を統合して新制総合大学として設立された以来なので、
根はかなり深い!?(笑)
そうは言っても、「蛸足大学」の弊害は自覚していたようで設立からあまり経っていない、我々が生まれた頃、昭和30年代(1955~1964年)には弊害を回避する試みとして、松本市に教養学部を設け各学部の一年生を集めて教育を行うシステムが構築され現在に至っているようです。
ただ、個々に下宿して暮らした学生、クラブ活動などに参加しない学生には、教養部の恩恵はあまりないでしょうね?
結局、授業は学部の更に細かい学科別が殆どだし、他学部生と絡む機会も少ないので、交流のないまま過ごして、他の学部が何をやっているか、どんな学生がいるかも知らないまま学部に分かれていくでしょうから・・・・・
幸い、我々友人グループは教養部生だけが入居する男女混合寮に入って1年間の共同生活をしたので、他の学部生や女子学生との交流で、友人関係、顔見知りなど出来ましたが・・・・・
と、長々1年しか無かった松本暮らしの事情説明をしてきましたが、
やはり強烈な印象が残っているのは、
大学生としての暮らし初年度ということで新鮮な思いが強かったということと、
学部生として3年間過ごした上田市より垢抜けした街ということもあるように思います。
もちろん、学部生活でも沢山の思い出や経験、馴染先も出来ましたが・・・・・
ということで、今回ご紹介する馴染み先ですが、よくよく考えてみると学生時代には数度ぐらいしか行っていなかったかも知れません。
より馴染みとなったのは、
現在の同窓会旅の前身の前身の前身であり、卒業直後から30代迄毎年行っていたスキー旅が松本を基点としていたからであり、最終日帰路につく前の昼食やら一服先として訪問を重ねた結果ということですかね?
松本は、白馬や乗鞍、車山など何処のスキー場へ行くのにも便利で・・・・・
関西組と関東組が合流するとなると、北信の志賀高原・野沢温泉、東信の菅平まで行くことは関西組にとってはより遠方となって負担が多くなるからとの配慮がありましたから・・・・・
関東組なら、中央道経由を関越&上信越道にルートを変えるだけで済みますから!?
ちなみに、前身の前身旅は温泉旅行、
前身は夜の近況報告会をメインとした昼の観光旅、
もちろん、現在は蓼科に別荘を構えた友人宅で・・・・・・・
と、形態を変えた同窓会旅、友人の事情を優先した京都旅が続いたり、自分の単身先であった名古屋に集まったり、メンバーの地元滋賀に行ったり、富士河口湖でキャンプ、清里など甲斐の国、そして学部のあった上田周辺、軽井沢など多岐に渡っています。
もちろん、松本に集まった上で、上高地、白骨温泉、美ヶ原、車山、木曽など周辺にも・・・・・
ということで、出会いの地 松本が原点と言う思いは誰もが思っていますが、
ここ数年松本がメインとなることは・・・・・
ちなみに、こちらはPCの画像フォルダーですが、
同窓会で、
松本に宿泊したのは9年前になります!?
その時は、グループの中で先人を切って還暦に突入した自分のお祝いをしていただきました!?
今回訪れたお店も、その時以来となります。
もちろん、先程のフォルダー名としては表示されていませんが、隠れた形で松本にも訪れています。
例えば、
昨年の同窓会旅では友人と二人で松本懐かし訪問も・・・・・
大学学食での昼食を優先、タイミング悪く休業日の訪問となりましたが、店舗前までは一応訪問したし・・・・・
加えて、妻の実家は隣街で何かと信州へは行っているし・・・・・
もっとも、妻からは
「結婚してから信州へ行っている回数、私よりだいぶ多いんじゃない!?」
と、嫌味を言われていますが・・・・・(笑)
「かつ玄」は昭和49年の9月、松本城近くに開業したとんかつ料理店です。
西暦にすると1974年です。
我々が大学に入学し、松本で暮らした年が1976年ですから、開業後間もなくからのお付き合いになります。
今回、改めて調べた結果わかったのですが・・・・・
ランチに関しては、現在でもリーズナブルですよね!?
席につくと、サービスの漬物が出てきます。
一番リーズナブルな とんかつ三味定食 の帆立を選択
今回、驚いたのが何を調べたり見たりしてくるのか、インバウンド客が何組も・・・・・
味? 価格? 雰囲気? ・・・・・
何を目当てに来るのかは分かりませんが、我々が通い詰めたお店が認められて単純に嬉しいです!?
こちらの看板撮影では、順番待ち争いの日韓戦が・・・・・(笑)
さて、最近、マッチって使いましたか?
いや、マッチって見ますかの方が良いでしょうか?
いやいや、マッチって知っていますか? の方が若い方々にはマッチしているかも・・・・・(笑)
我が家も、火を付ける事自体が殆ど無い中で、必要な時にはチャッカマンや100円ライターで済ませ、同じ仕舞い場所にいざという時の為にいくつか眠っているだけです。
先報告、静岡の鰻屋レジでの会計時に配布用として置いてあったので頂いてきた物を仕舞う時に
妻が「こんなものもあるよ!」と見せて来ました。
その時は既に9年振り訪問計画があったので、行って在ったら記念に貰ってこようと考えていましたが、同時に、昨今は喫煙者が減り、お店自体も禁煙となっていることが多いから無いだろうなとも考えていました。
ところが・・・・・
左側が先の還暦祝い時訪問の9年モノ、右側が今回のものです。
ちゃんと、配布を継続されていました!?
比較すると、9年モノの方がちょっと黄ばんでいるように見えますが、経年劣化以外に紙の色合い・材質違いがあるようにも見えます。
頂いて来た上で申し訳ないのですが、現在のマッチ使用状況を考えると、大量に作りすぎた在庫を長年かけて今も処分しているのかと思っていましたが、
家でしっかり比較してみると、リニューアルされたものと分かりました。(笑)
何でも取っておく、記念に残しておくは、なかなか常人に理解してもらえませんが、こんな楽しみもあります!?(笑)
さて、
「珈琲まるも」は「まるも旅館」の一部(喫茶部門)として1956年に開業。
旅館の方はそれよりも遥かに歴史があり、慶応4年(1868年)の開業です。
松本民芸家具の創立者池田三四郎氏の設計で、以後そのままの形で営業が続いています。
学生時代は既に老舗喫茶店として名を馳せていました。
説明文通り、裏に旅館があります。
マッチといっしょに貰ってきたこちらに拠ると、現在も営業を続けているようですが、当日は休みでした。
突然客には対応せず、宿泊日の数日前までに予約の入っていない日は休みにしているようです。
ちなみに、朝食は喫茶店の方で食べるみたいです。
さて、「かつ玄」を出たあと直行したので、自分は満腹でケーキセットには手を出せず・・・・・・
若くて食欲旺盛な友人の方を撮影です。
ケーキはティラミス以外にモンブランも・・・・・
本日最後は、松本市美術館の紹介です。
平成14年4月のオープンですから西暦にすると2002年、ちょうど卒業から現在までの中間くらいに位置しますから、新しいかと問われると微妙ですが、これまで訪問機会はありませんでした。
市民が心をひらく学びの森として、地域に根ざす総合美術館を目指しているそうで、
1階フロアには学習活動を支援する市民アトリエ、講座室、版画室など教育普及機能を備えています。
2階は、企画展示室、多目的ホール、市民ギャラリーから構成され、動きのあるフロアとなっています。
3階フロアは、松本市が収集している珠玉の美術資料を中心に常設展示しています。
特に松本出身の書家・上條信山(かみじょうしんざん)氏や、信州の山をこよなく愛した洋画家・田村一男(たむらかずお)氏の作品は記念展示室を設けています。
また、松本出身で世界的に活躍している草間彌生(くさまやよい)氏の作品も展示しています。
いや、自分達にいたら、こちらがメインでしょうか?
入館料は、大人410円、大学生・高校生200円、中学生以下は無料 と激安です!?
松本市民なら70歳以上も無料ですが、残念ながら一般の老人優待はありません。(笑)
それでもケチりたい方は、美術館正面に設置されている
草間彌生の巨大彫刻作品 ≪幻の華≫
を無料で鑑賞出来ます。(笑)
そして、横にあるこんな自動販売機を画像に収めれば、ブログネタにもなるし、記憶も華やかになるでしょう!?
館内に入場しても、作品の撮影は禁止ですから大差ありませんから・・・・・
でも、心豊かになりますし、大きな感動も得られますから、
ケチらずの入館をお勧めします!?
ここでは、入館パンフレットでの代用と、撮影が許された部分のご紹介にとどめます。
基本、外壁から全てにおいて水玉、いや、赤玉?
トイレの中まで
天国への梯子
良かったですよ!?
さて、草間 彌生氏というと、松本市出身で京都市立美術工芸学校(旧・京都市立銅駝美術工芸高等学校)絵画科卒業と紹介されることが多いと思われますが、
地元の松本高等女学校を卒業しています。
こちらの学校、現在の長野県松本蟻ヶ崎高等学校ということで妻の母校となります。
妻の時代はまだ女子校だったようですが、卒業1~2年後から男女共学校に変わったようです?
と、薄~~い繋がりを紹介して本日は終了です。(笑)