
欲張って、
すべての厄を払い
幸福のご利益を授かれる
両参り をしてきました。
なお、トップ画像には、今回お話する「両参り」が、個人的な思惑の戯言では無いことを示すため、旅行会社のツアーパンフレットを並べました。
七年に一度(実質6年に1度)の善光寺御開帳に合わせて盛り上がるみたいですね?
前回はコロナの影響で2021年が2022年に1年延期、次は従来周期での2027年か、それとも新たな周期での2028年かは、まだ決まっていないみたいです。
旅の初日に話を戻します。
関越道・上信越自動車道を乗り継いで降りたのは、
夫婦ともに学生時代を過ごした上田市に有る上田菅平ICでした。
本日の最終目的地は宿泊する長野市ですし、目的は善光寺参拝です。
なのに、上田で寄り道?
と思われるでしょうが、もちろん理由はあります。
伊勢神宮参拝を例に上げて説明すると、
伊勢神宮参拝として多くの方が行かれる、近くにおかげ横丁があり、五十鈴川に架かる宇治橋を渡って入っていく神宮は、正式には、伊勢神宮の内宮と呼ばれる場所です。
対峙する形で外宮もあります。
内宮をお参りしただけでは、伊勢神宮を参拝したとは胸を張って言えない状況かもしれません。
かと言って、外宮も一緒に参拝したとなったとしても、まだ、胸を張れません。
昔の習わしではありますが、参拝の正式順序もあります。
① 伊勢神宮に参拝する前にこの二見浦で身を清める (二見興玉神社 参拝)
② 外宮参拝
③ 内宮参拝
④ 朝熊岳 (金剛證寺を参拝)
金剛證寺: 伊勢神宮の鬼門を守ると言われるお寺
更に、各々の宮内でも参拝順序があったり、外宮は左回りで内宮は右回りなど作法が違ったりして・・・・・
まぁ、両宮は5kmも離れているので時間がない現代人は内宮=伊勢神宮 参拝で済ますことが多いと思いますし、二見浦で身を清めるなんてことは更に・・・・・
参拝前に五十鈴川で清めることで代用でしょうかね?
ちなみに、天照大御神をまつる皇大神宮(内宮) や 豊受大御神をまつる豊受大神宮(外宮)だけでなく、月の神様である月読・月夜見などの14の別宮、その他として、43の摂社、24の末社、42の所管社 と全部で125の宮社を全て合わせて 伊勢神宮 になります。
ということで、先程示した昔の習わし参拝ですら簡略版!?
伊勢神宮 完全参拝は至難の業と言うか、不可能ですね!?
さて、善光寺に話を戻しますが、善光寺参拝にも同じような習わしがありました。
それが、
幸せを授かる 長野県の両参り です。
伊勢神宮の内宮・外宮は5km離れているので習わし通り回るのが難しいと先程書きましたが、
長野の方はその約10倍、49kmも離れているので、余程拘りを持たないと実現しないでしょうね?
まぁ、それ以上にこの習わしを知らない方が大多数でしょうから、有ってないようなものですが・・・・・
その対象となる長野県屈指の二つの名刹が、
上田市にある別所温泉の北向観音
長野市にある善光寺
になります。
現世利益を願う北向観音
極楽往生を願う善光寺
両参りすることで、
すべての厄を払い、幸福のご利益を授かれる
と言われています。
北向観音は全国的にもめずらしい本堂が北を向いている観音さまです。
南向きに建立された善光寺とは対角線上に向かい合うように建っています。
どちらか一方では片参りとなり、両参りすることでさらなるご利益がいただけると言われており、毎年多くの参拝者が訪れています。
尚、伊勢神宮とは異なり、どちらを先にめぐるかの決まりはないようなので、自分のプランにあわせて大丈夫のようです。
自分達は、先ずは現在、現世利益を願って北向観音、その後、来世、極楽往生を願う善光寺にお参りしました。
まぁ、ルート・日程上の絡みも考慮した結果ですが・・・・・・
簡単な説明です。
多くのご利益を授かれる北向観音
北向観音は825年、比叡山延暦寺座主・慈覚大師円仁により開創された霊場だそうです。
現世でのご利益を授けてくれるという千手観音を御本尊とし本堂に祀っています。
本堂以外にも、さまざまな誘惑や困難を打ち砕いてくれるという愛染明王を祀る愛染堂、緑に囲まれた温泉薬師瑠璃殿、江戸時代より絵の展示場として利用されてきた額堂(絵馬堂)などを参拝するのも良いです。
極楽往生を願う善光寺
正月三が日で約50万人、年間約600万人が参拝に訪れる古刹、創建以来約1400年、民衆の心の拠り所として篤い信仰を集める善光寺ですから、長野県民以外にも知っている方は多いでしょう。
日本に仏教の宗派が生まれる以前に創建され、無宗派寺院として長きにわたりすべての人々を受け入れてきた寺院です。
御本尊は一光三尊阿弥陀如来、人々を極楽浄土の世界へ導くご利益があるとされています。
さて、ご存じない方が多いかもしれませんが、
別所温泉は長野県最古の温泉地であり、信州の鎌倉とも言われております。
また、枕草子にもうたわれている歴史ある温泉地です。
学生時代同様、先ずは 国宝 八角三重塔 が裏山に建っている安楽寺に向かいました。
八角三重塔が撮影対象となるのはもちろんですが、別所温泉巡り時のC&C待機場所として利用させて頂きました。
拝観料も払っていますから良いですよね?(笑)
本旅の恒例となりました坂&階段の初登り、全てがここから始まりました。(笑)
木造八角三重塔は、木造の八角塔としては全国で一つしかないという貴重な建築です。
四重の塔に見えますが、一番下は裳階(もこし=ひさし又は霧よけの類)として見なされ、下から二番目が初重になる珍しい形式であるうえに細部も禅宗様の形式からなり、類例が少ないそうです。
(かなり前は四重の塔と認識されていたようですが・・・・・)
安楽寺(曹洞宗)
安楽寺は禅宗としては、鎌倉の建長寺などと並んで日本では最も古い臨済禅宗寺院の一つです。
こちらは、常楽寺で、茅葺き屋根の本堂です。
こちらにも、国重要文化財に指定された 石造多宝塔 (せきぞうたほうとう)があります。
石造多宝塔が建っている場所は、北向観世音様が出現した所と言われているようです。
石造多宝塔のすぐれたものは全国的にも少なく、重要文化財に指定されているものは、こちらと、滋賀県の「少菩提寺塔〔しょうぼだいじとう〕」の二つだけだそうです。
そして、本命北向観音に通じる参道です。非常にこじんまりしていますが・・・・・
北向観音
厄除観音として知られる「北向観音堂」は、平安時代初期の天長2年(825年)比叡山延暦寺座主慈覚大師円仁により開創された霊場だそうです。
安和2年(969年)、平維茂は一山を修理し、三楽寺、四院、六十坊を増築したと伝えられます。
源平争乱の中、木曾義仲(=源 義仲)の手により八角三重塔と石造多宝塔を残して全て焼失してしまいますが、源頼朝の命のもと伽藍復興がおこなわれ、建長4年(1252年)、塩田陸奥守北条国時により再興されたそうです。
本堂が北を向いているのは、わが国でもほとんど例がないようです。
その由来は、観世音菩薩出現の際、「北斗七星が世界の依怙(よりどころ)となるように我も又一切衆生のために常に依怙となって済度をなさん」というお告げによるものといわれています。
愛染かつら 絡みのネタもありますが、年寄りの自分が生まれるより遥か昔、1938年の映画のようなのでここでは止めておきます。(笑)
さて、折角別所温泉に来たのですからゆったり温泉に浸かりたいところですが、本日の最終目的は善光寺参拝ですし、宿は翌日の戸隠訪問に備えて長野市内に手配済み!?
それなら、公衆温泉にでもちょっと浸かって・・・・
しかし、妻連れではそれも叶わず、
慈覚大師ゆかりの湯「大師湯(だいしゆ)」
真田幸村隠しの湯「石 湯」
の前まで行って撮影のみです。
ちょっと離れた 木曽義仲ゆかり葵の湯〜北条氏ゆかりの湯「大 湯」 は、それすら省略。
妻は、入ったことが無いのは当然、前まで来たことも無いと言い張ります!?
が、自分の記憶では、前回来た時も連れて行ったはずなのですが・・・・・
もちろん、自分は友人達と来て何度か浸かっています。
何も無いのは淋しいので、北向観音横手にある「湯かけ地蔵」にお参りし、
足湯「ななくり」で暫し温泉気分を味わいました。
結構熱めの湯で足は真っ赤に・・・・・
さて、この時期上田に、いや、別所温泉に来ると、温泉や観光以外に気になるものがありますよね?
はい!?
上田市は県内、いや、国内有数のまつたけの産地として知られています。
別所温泉では、この時期、まつたけ小屋や旅館が提供するまつたけ料理が名物となっています。
6年ほど前の同窓会は上田で開催、まつたけ小屋で松茸のコース料理を夕食としました。
当時、10,000円でした。
当然、今回の旅が決まった後、ちょっと調べてみました。
この物価高だからしょうがないのですが、同じコース料理は1.5倍になっていました。
まつたけに拘りが無い妻、昼食ということもあり、
「まつたけに15,000円/人も掛けるなら、他のものを食べたり、他の用途に使いたい」
即答で、却下となりました。
まつたけとは縁が無いと諦めたのですが・・・・・
同窓会で行った蓼科、帰りに立ち寄ったスーパーや道の駅風直売所でもまつたけが・・・・・
今年は豊作とかで、昨年あたりよりだいぶお安く出ていました。
一瞬、いや、だいぶ迷いましたが、どうせ翌週もう一度信州に来るからと購入はせずに帰路につきました。
道中、LINEが届きました。
「まさかと思うけど、まつたけ買ったりしてないよね?
買わないでよ!?
◯◯(妻の友人)が送ってくれたから・・・・・」
危なかったですね!?(笑)
ありがたくいただきました。
その後、まつたけ代わりの昼食をとりに上田市内に向かったのですが、そちらは後日に回し、長野の宿に向かったところから続けます。
宿は、長野市内、駅と善光寺の中間ぐらいです。
ちなみに、善光寺と長野駅は1.8kmくらいです。
ホテルに車を駐め、後は徒歩&長野電鉄を利用して、善光寺参拝、参道&市内散策などし、夕食は長野駅周辺ですます計画です。
制約は、善光寺でいただける御朱印が16時30分までと言うだけです。
ちなみに、善光寺の本堂外陣は24時間参拝が可能、内陣参拝は御朱印と同じく16時30分までです。
ホテル到着はチェックイン開始時間の15時ちょっと前と30分ほど前倒し、車を預けるだけの計画でしたが、チェックイン手続きまで済ませ、善光寺に向かいました。
残念ながら、この頃から本旅唯一の雨がぱらつき出し傘は手放せませんでしたが、ゲリラ雷雨の15分以外は小雨の降ったり止んだりが繰り返しで観光を憂鬱にするほどではありませんでした。
雷雨時は本堂参拝&御朱印をいただいている時間で、傘は必要なく・・・・・
善光寺
やっと
本堂 です。
ということで、
現世利益を願っての北向観音参拝
来世、極楽往生を願っての善光寺参拝
が、信州&上州旅の初日につつがなく終了いたしました。