
この秋の訪問で、志賀高原を捉え直すことができました。
昔の記憶
半世紀ほど前に夏合宿で初めて行き、高天ケ原に一週間滞在しました。神話のような地名だと思いました。信州大の自然教育園に行ったはずですが、それよりも目の前にある東館山にリフトで上り、歩いて下りたのをよく覚えています。天気も良く、前年の蔵王合宿より楽しめました。
事前に「家族もどうぞ」と言われていたので、わが家族も2泊3日でやってきました。白い
ルーチェだったように思いますが、青色に変わっていたかもしれません。家族の部屋には、休憩時間に少しだけ寄りました。
1980年代に一度だけ行ったようですが、ほとんど記憶にありません。渋川から先がとても遠かった印象があります。クルマはたぶん
ファミリアプレストで、地味な宿に2泊したものと思います。
1990年ごろ仕事で縁のあった長野県の人は、オリンピック誘致のバッチをつけていました。長野オリンピックは1998年で、アルペン競技の舞台は志賀高原でしたが、縁がありませんでした。
21世紀になって
こどもたちが小さいとき、何度か新宿御苑の「みどりの日の集い」に行きました。ネイチャーゲームやワークショップ(かんたんな製作)がお目当てでしたが、自然公園の紹介コーナーがあり、各地のパンフレットが入手できるのも魅力でした。
あるとき何かゲームをやったら、「
おめでとうございます!景品は志賀高原のガイドツアー券です!年内有効です!」と大騒ぎでした。志賀高原には惹かれましたが、ロングドライブが好みでない妻と車酔いしやすかったこどもたちを連れて行くには、あまりに遠い・・・。残念ながら、ガイドツアー券を使う機会はありませんでした。
こどもたちが中学生になってから、志賀高原への家族旅行を決行しました。信州中野ICを下りると容易に入れるのに驚きました。最大の目的はガイドツアーで、木戸池から自然教育園を経由して蓮池あたりまで歩きました。
自然探勝コースと思われるこのコースは、下り基調で歩きやすいものでした。学校の先生のような語り口のガイドさんからは、解説だけでなくいろいろ質問が飛んできて、楽しく散策できました。

滞在は奥志賀のホテルで、スキー宿のような部屋でした。8月は期間限定営業で、スキーシーズンがメインのようでした。
路上では、大手進学塾Wが手配した大型バスをたくさん見ました。夏合宿を志賀高原でやっているようで、こどもたちを大勢乗せたバスが行き交っていました。きっと参加者の入れ替え日だったのでしょう。
今回訪問して
当初別の目的地を考えていましたが、直前に志賀高原に決めました。半世紀前と同じホテルも考えましたが、条件に合う部屋がありませんでした。
東館山から眺めると、高天ケ原はずいぶん近く見えました(冒頭の写真)。夏合宿のときはここを歩いて下りましたが、確かにこれなら簡単そうです。当時滞在したホテルの玄関先までクルマで行ってみると、建物は同じに見えました。半世紀ぶりの母は「そのときの光景が目に浮かぶ」と懐かしんでいました。
クルマで一ノ瀬地区へ行くと、ホテルが建ち並んでいました。この日はほとんど営業していないように見え、寂しげでしたが、改修工事中のようなところもあり、スキーシーズンに向けた準備が進んでいるようでした。家族旅行で泊まった宿はその先にあり、閉鎖されたような外観でしたが、ウェブサイトには12月から営業予定とありました。

今回の宿のおかみさん(支配人?)とお話ししました。志賀高原には50年ほど前に合宿で来たことを告げると、「△塾でしょう?」との即答。
・△塾の夏合宿には何年も対応した。規模が大きいので、近所のホテルとも協力した。
・食事と勉強が同じ部屋なので、準備と片付けがとにかくたいへんだった。
・人手が足りないので、その時期だけ学生バイトや居候を増員した。
・苦労が多かったが、おかげでいい商売をさせてもらえた。
などなど、当時の苦労話が次々と披露されました。さらに「△塾のメダルとスタッフ用ジャンパーを今も持っている」と見せてくれました。
私の記憶とは少し異なるので確認すると、私の滞在より10年ほどあとの話でした。△塾は既になく、いまは進学塾Wの夏合宿を受け入れているとのことでした。
スキーシーズンが繁忙期となるこの地域ですが、かつてよりスキー人口が減った今日では、宿の経営もたいへんそうです。夏は余裕がありそうなので、確かに夏合宿の適地なのでしょう。国立公園とは言え、スキーコース用に伐採された山肌が目立ちますが、散策すべき高原、湿原などがいろいろあります。人の手が加えられた地域であるがゆえに、アクセスが容易とも言えます。
訪問客はさほど多くなさそうなので、ロングドライブの楽しみも含め、機会を作って再訪したいものです。
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2024/11/11 20:39:22