
苫小牧から旭川へ移動したあと、稚内まで往復しました。
苫小牧から旭川への移動は、道央自動車道です。道路が立派なのに交通量が少ないのが印象的でした。
【オロロンラインの北上】
旭川空港で娘と合流し、遅い朝食のあと稚内を目指しました。彼女のリクエストで、留萌から海沿いの北上ルート。オロロンラインの名がありますが、小樽から稚内にかけて広い範囲の海岸道路がこう呼ばれているようです。
新潟県村上市から山形県鶴岡市に至る海岸沿い(ブログ「
日本海を眺めながら」)と同様に、ここも海のすぐ横を通る道路です。海の見晴らしはさらによく、交通量がごく少ない道路はとても快適です。留萌の道の駅やおびら鰊番屋に寄ったくらいで、あとはひたすら北上を続けました。
天塩から先は海沿いの道道の北上です。右手はサロベツ原野のようですが、人間活動が全く感じられない原野がひたすら続いていました。左手には途中から利尻島が見え、運転中にも利尻富士が楽しめました。
【最北のマツダ店】
おびら鰊番屋の駐車場でわがアテンザの
マフラーの異変に気づきました。進行方向にあるマツダ店は稚内だけだったので、営業時間内に到着すべく先を急ぎました。「旅行中なんですが」と言って押しかけ、とりあえずの応急措置をしていただきました。

お店の方の話では、販売車両の大半は4WDで、一年の半分ほどは冬タイヤを履いているとのことでした。
【ノシャップ岬】

夕刻のノシャップ岬には日没目当ての人が集まっていました。西風が強く、少し冷えてきました。本曇りなのに海岸線のすぐ上だけ雲が欠けていたので、太陽が沈むところはしっかり観測できました。
翌日午前は、雲はあるもののよく晴れ、利尻富士が見えました。
【稚内駅】
北端の終着駅は侘しい古風な駅舎を想像していましたが、そこは真新しい駅ビルで、2011年開業のようでした。駅員が不在となる夕方以降は、ホームに立入ることができました。

現行駅舎の開業時に少し南へ移動したとのことで、元の位置に「日本最北端の線路」のモニュメントがありました。近くの北防波堤ドームはかつては樺太に渡る要所として賑わっていたそうですが、今は静かな北海道遺産です。
鉄道駅のはずなのに駅本体は一角だけで、なぜか「道の駅」が主役のようでした。せっかくなので土産を買いました。
【宗谷岬】

海沿いの道路を経て到着した日本の最北端は静かなところで、当日の天候は穏やかでした。少し霞んでいるものの、樺太(サハリン)も見えました。モニュメントの近くでは鹿がくつろいでいて、この最果てにまでインバウンドの方々が来ていました。
【白い道】

娘のリクエストで「白い道」を走破しました(冒頭の写真も)。ホタテの貝殻を敷いたという未舗装路で、みな同じ方向に走らせていました。水たまりもあったためタイヤだけでなく車体にも白い粒が付着しましたが、後日の雨ですっかり洗い流されました。
宗谷岬近くの丘の上は過酷な気候の限界地かと思っていましたが、酪農が営まれるのどかな地域だったのが意外でした。
【サロベツ原野】

サロベツ原野の散策は控え、
サロベツ湿原センターに寄りました。このようなところにも来訪者がいたのは驚きです。利尻礼文サロベツ国立公園内であり、日本最大の高層湿原はラムサール条約の登録湿地でもあるので、もっぱら自然保護の対象だろうと思いましたが、屋外に古い浚渫船があったのは意外でした。ここの泥炭を土壌改良材などに加工して搬出していた時期があったようです。
十分に時間がとれなかったので、いずれ再訪したいところですが、あまりに遠いのが難点です。
【旭川へ南下】
ホテルの夕食に間に合わせるべく、旭川に向けて国道40号線を急ぎ南下しました。交通量が少ないのでそれなりのペースを維持しましたが、轍に沿った路面舗装修復痕が多いので、車体へダメージを心配しました。轍を外して左にずらすと路側帯に一部入った走行になるので、他の車両から奇怪視されたかもしれません。
Google Mapのナビ機能を併用しましたが、このときのペースでは到着予想時刻がほとんど動かなかったのが驚きでした。
Posted at 2025/10/10 01:24:37 | |
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