
高校時代に同級生だった杉山君(仮名)は、陸上競技で全国区の逸材でした。得意の3,000m障害では、インターハイでも優勝争いをしていました。圧巻だったのは、体育の時間での1,500m走でした。体育系の部活に所属していても5分台前半なら優秀とされていた種目で、軽く3分台を出してしまうのです。
杉山君は、電車通学でしたが、定期券は一部区間しか購入していませんでした。陸上部顧問の方針により、手前の駅で下車し、そこから走って登校させられていました。林間学校、修学旅行ともに、コンディション維持のために参加していません。校庭を走る彼の腰は、ゴムバンドで結束され、顧問が運転するバイクに連結されていました。毎日が星飛雄馬状態という陸上一色の青春でした。
冬のある日、体育の授業で校外を5km走ることになり、杉山君が教官に謝っている姿を目撃しました。駅伝大会が近いため、軽く流して走るのを許して欲しいと懇願していたのです。教官が慌てふためいていました。陸上部のスーパースターを体育の授業で壊したり、コンディション不良に陥れたりしたら大問題になります。まさに腫れ物に触る対応でした。
周囲は、色めき立ちました。「今日は、杉山に勝ってしまおうぜ」という話とその気運が広まり、長く自慢できそうな機会になる予感に包まれていました。
杉山君を囲むようにスタートしました。最初の100mで約半数が脱落し、400m過ぎでは、誰もが彼の影さえ踏めなくなっていました。
高校卒業後、正月の箱根駅伝をTVで観ていると、記憶に新しい顔が映り込みました。彼は、1年生で4区に抜擢されていました。中距離選手だった彼が、距離の壁を克服したことに興奮しました。過酷なトレーニングに耐え抜いた姿が思い浮かんだのです。声を出して彼を応援しました。間もなくして、あることに気づき、背中に戦慄が走り抜けました。本気モードでも、体育の時間で脱力していたときとまったく同じフォームだったのです。
Posted at 2023/04/27 07:05:58 | |
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