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ロボ部長のブログ一覧

2024年05月25日 イイね!

美しさと新しさ

美しさと新しさH工房さんが店舗敷地以外で車両置き場にしていると思しきコインパーキングに、こんな情景が。照明の光を受けて浮かび上がる2台の像を見て、まぎれもなく同じ406のネーミングのもとにあるセダンとクーペであることをまざまざと実感した。セダンはMCを受けて顔つきが変化したこの後期型の方が、むしろクーペとの近似性を強く感じさせることにも初めて気付かされた。
それにしても両車ともに、やはりナンバーはこの数字で決まりですね。オーナーさんの愛情がうかがえるようで微笑ましい。

プジョー406クーペを私もとても美しいと思う。もちろんセダンだって十分に美しいがクーペは別格だ。そしてこのクーペの美しさを讃える人はいまなお多い(だからこそH工房さんへもいつも少なからぬ台数のクーペが入庫しているわけだが)。
車に限らず「美しさ」の定義は難しい。よく言われるように何をもって美しいと判断するかは人それぞれの意識・感覚によるため、一義的に「これが美しい」と定めづらいのだ。それでも、多くの人が口を揃えて美しいとするものには、一個人の感覚を超えて共通してそう感じさせる何かがあるのは確かだ。それはスタンスであり、プロポーションであり、リズムであり、ボリュームであり、サーフェイスであり、ディテールであり、カラーリングであり・・かつ、それらの総体で感じさせるものである。私たちは無為にもたらされる自然物に美しさを見出すことも多いが、これら人為的に作り出すことができる要素からも美しさを実感する。
だからこそ、時を超えて多くの人に美しさを伝えられる存在を生み出すという営為は、やはり偉大なことだと思う。

ここで我がフォードたち、フィエスタとフォーカスは美しいか?と問うと、自らの正直な見立てとしてどちらも決して「美しい」対象であるとは思っていない。だが特にフォーカスに関しては、美しくはなくても「新しい」とは断言できる。人それぞれに物差しが異なる美しさと違って、それ以前までの様式から明らかに変化=前進していれば、それは確かに「新しい」と言えるからだ。2ボックスハッチバックの造形の定式を書き変えたフォーカスが、絶対的に新しかったことは疑いようがない事実である。

そんなことを考えているのも、このほど発表されたこちらの車に強烈に感銘を受けているからだ。
写真を見ているだけでも十分に伝わってくる美しさがあり、かつ確かな新しさもあって、しかしその根底はあくまでも揺るぎない歴史の蓄積が支えている-こんな離れ業のようなことをやってのけるのは、さすがピニンファリーナだ。
Posted at 2024/05/25 11:33:10 | コメント(1) | トラックバック(0) | Other | クルマ
2024年05月18日 イイね!

プジョーとフォードは

プジョーとフォードはいろいろな点で立ち位置が近い気がしないだろうか?両者とも特定のセグメントだけを対象とせず、フルラインに近い商品展開を行うメーカーであって、それだけに想定されるユーザー層の範囲も広い。そのくせハイクラスをあまり得意としない(笑)点でも共通する。
モータースポーツに熱心なのも共通だ。ご承知の通り、ラリー活動での歴史的な実績はいずれも華々しいものがある。個人的にはさらに、どちらも「エンジンが大したことない」点が相通ずるように感じている。こういうと誤解を招きそうだけど、たとえばBMWとかアルファあたりだとエンジン自体の魅力で人々を引き寄せるのに対して、プジョーにしてもフォードにしてもエンジンは一部の特殊系を除いて基本的には「黒子」扱いであって、原動機は信頼できる仕事ができていればそれでいい・・的な姿勢が潔く感じられるのだ。

私はフォードに親しむ前はプジョーびいきで、その頃のプジョーは末尾が5の世代だったが、一番好きなのは504だった。地味ながら楚々とした佇まい、居心地のよさそうなインテリア、タフそうな成り立ちなど、よき実用車としてのプジョーらしさが凝縮された存在であるように思えたものだ。



プジョーとフォードに共通点が多々あるとはいえ、この504に象徴される繊細な感覚は、フォードにはなかなか望めないものだった(たとえ欧州フォード車であっても)。それは、ひとえにピニンファリーナという名匠の関与がなせる技だったのだろう。ごく平凡なファミリーカーが、ピニンファリーナの手にかかることで、ふくいくとした薫りを放つような存在となったのである。まさにフォードにはない「美のマリアージュ」だ。
(余談だがフォードとピニンファリーナにも一応公式な関係はあった。2000年代にストリートKaとフォーカスCCをピニンファリーナが担当したが、これはデザインというよりオープンボディのコーチビルドをピニンファリーナが担ったと捉えるべきであろう)

大衆のための自動車にふさわしい品格を備える。なかなか難しいことであるが、多くのユーザーから選ばれさまざまな生活のシーンを彩る存在であればこそ、抑制された、しかしユーザーが誇らしく思えるような品位を持つのは大切なことではないかと思う。私がリアルタイムに知る限り、504、その後の5〜6の世代と、ピニンファリーナの関与が影に陽にみられた時代のプジョーにはそうした品位が確かにあった。
プジョーに対しては、末尾が7へ移った頃からはあまり関心が持てずにいて、特にステランティス入り以降は「見ないようにしよう・・」的なスタンスできた。近しい位置づけのオペルと同じ傘の下に入ったことで、ステランティスの戦略として、差異化のためプジョーが妙に目鼻の変わった振る舞いをさせられているように映るからだ。
控えめを由とする気風を許さないかの如き時代となり、いまはプジョーといえども一定の主張をしなければユーザーに認めてもらえないのだから仕方がないのだが。
一方で、現行の208はかつての205を彷彿とさせる印象もあり、久方ぶりにちょっと気を惹かれるモデルだ。もし将来フォードを降りなければならなくなったら現行ヤリスと並んで代替候補にいいかな、とも考えている。

トップ写真は職場近くに今なお存在している205カブリオレ。希少な2桁ナンバー、果たして実動車なのかお不動さんなのかは定かでない。
Posted at 2024/05/18 09:47:58 | コメント(3) | トラックバック(0) | Other | クルマ
2024年05月06日 イイね!

パーソナルコミューターの一典型像

パーソナルコミューターの一典型像近所に駐車されているこのスバルR1、ホイールまで純正で往時のオリジナルな姿をよく保っていて、いま改めて見ても主張がはっきりとした、キャラクターが立った存在である。この車が登場した2000年代の初頭、周囲にいるデザインに関わる人たちの中の複数人が、盛んにこれをセカンドカーに欲しいと言っていたことが記憶にあるが、すでにメインとなる車(それも、おそらく輸入車)を所有している人でも、サブとして1台置いておきたいと思わせるようなオーラをR1が出していたのだろう。しかしそのことは一方で、この国の軽自動車マーケットの本分には及ばないことを意味する。実際に兄弟車のR2ともども、セールス実績で言えば到底褒められたものではなく、好事家のための一代限りの突然変異車として歴史に埋もれた感がある。

私自身はR1-R2兄弟に関しては、R2は当時から中途半端な存在という認識しかなかった(実用性を意識せざるを得なかったどっちつかずのマイナーチェンジでその思いはさらに深まった)ものの、R1の方は軽自動車という枠よりも、1〜2名の個人が日常的に走らせる気の利いたコミューターとしての資質を感じていた。「軽自動車」の目線で見るとどうしてもスペース効率やコスパの高さが基準となるが、そうではなくユーザーが車を使うシチュエーションとして意外と多い、少人数での近距離かつ日常的な移動用途の満足度を高められる「パーソナルコミューター」という視点から、R1は積極的に選びたくなるような洒落っ気も備えた稀有な存在であるように受け取った。たとえ日本的感覚ではちょっと馴染みにくい造形センスであっても。
ちなみに同様に感じていたのが三菱のiである。



ここで突然に話題はフォードへ。こちらの写真は、私も敬愛するKaが二代目に生まれ変わる前のデザイン検討段階のモデルである。背後に写るスケッチの数々を含めて、R1のシルエットに近いものを感じ取れないだろうか?
Kaは二代目にしてフィアット500との共同開発が前提となり、同車のフロアパンとエンジンを用いることが所与の条件だった(余談、二代目Kaが搭載する1.2エンジンはフィアットのものだがDuratecを名乗っている)。初代がフィエスタベースであったのに対して、新生フィアット500がより小さいサイズであったため、二代目は車体全長こそ初代とほぼ同じでも、ホイールベースは初代より10センチ以上も短縮されるなど、よりミニマムなパーソナルコミューター的な指向性を強めた。そうした前提条件のもとで、Kaならではのキャラクター、パーソナルユースに適した「色気」、小型車に不可欠な視覚的安定感/安全感などの要素を追い求めると、ちょうどR1のような像に結実するのかもしれない。

私は二代目Kaの実車をヨーロッパで何度か目にして、フィアット500の土台に無理やりフォードのキネティック・デザインを当てはめ、かつ偉大なる初代Kaの面影を捨てきれない節々の処理が施され、結果としてどうにもアンバランス&チグハグで、全然魅力を感じることがなかった。パーソナルコミューターとしての潔さを、よりR1の方に覚える。
Posted at 2024/05/06 12:27:01 | コメント(0) | トラックバック(0) | Other | クルマ
2024年05月02日 イイね!

『軽さは、全てに勝る。』

『軽さは、全てに勝る。』昨日の何シテル?でそんなことを記したあとで、我ながら感じたことを以下、つらつらと。

『軽さは、全てに勝る。』第一には言うまでもなく、車の物理的な重量はなるべく軽い方が望ましいと考えている。まるでライトウェイトスポーツ信奉者の言い分みたいだけど、業務用車両はともかく、少なくとも個人用途の乗用車が必要以上に重くなるべきではない。乗用車一台一台の重量増加は社会的な負荷も増やす。最近のCASE対応などで重くなる一方の車に対してはどうにもシンパシーが湧かない。

『軽さは、全てに勝る。』第二は、意味的な軽さ。私たちは車に対して何かと固有の「レッテル」を貼りたがる。例えばGクラスだとセレブリティを連想したり、イタリアやフランスの車をことさらにお洒落と表現してみたり、テスラを新進性の象徴のように祭り上げたり・・・そうしたレッテル貼りは車を売る側にとっては、ブランドという幻想をふりまく上で大いに好都合だし、買う側も積極的にそれを受け入れることで、優越感・連帯感・安心感みたいなものを得て満足している場合も多い。
しかしそうしたレッテルを安易に貼られることを望まない私のような者にとっては、自分の乗る車が特定のイメージ付けをされたり、あまつさえそうした車を選ぶ自分のことを特定のイメージで捉えられるのはまっぴらごめんなので、その点で日本だと明確なカラーがないフォード(特に欧州フォード)ならレッテル貼りと無縁でいられ、それゆえ乗る側も、ブランドの威を借りることもできないのがむしろ好ましい。妙な意味付けを伴わない、存在の「軽さ」こそがフォードの魅力なのだ。私がフォードを好む最大の理由は実はそこであったりする。

社会の中での自動車の位置付けがより複雑化しているからこそ、これまでにも増して、物理と意味の双方で身軽な車がいいと考えるようになっている。ゆえに「速さ」よりも「軽さ」なのだ。
ちなみにトップ写真は、私が以前から見るからに軽そうでいいな、と思ってきた1台、近所にいる珍しいUKシビックの5ドア。タイプRだといろいろとストーリーを背負って「重い」けれど、この5ドアなら一見するとどこの何という車だかわからない感じが「重くない」し、ギュッと凝縮感のあるフォルムも無駄がなさそうでいかにも軽快だ。
Posted at 2024/05/02 22:12:05 | コメント(1) | トラックバック(0) | Other | クルマ

プロフィール

「まさしく、日本の景色の中にいるフォード。Viva !」
何シテル?   01/17 15:18
自然体で、気兼ねも気負いもなく付き合えて、けれど愉しいクルマ。フォードを40年近くにわたって乗り継いでいます。2016年をもってフォードは日本から事業撤退しまし...
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