昨日、14年前に北アルプス・ジャンダルム付近の岩稜で墜落事故を起こして負傷した右肩の治療に行くため、午後から「年次有給休暇」を取得しました。(^^♪
12時に仕事を終え、病院は14時半からの診察でしたので、難波にある旭屋書店さんで今月号限りで休刊という名目で廃刊となる「鉄道ジャーナル」を購入しに行きました。(^^♪

昼食は、久々に難波の「天下一品」さん (≧▽≦)
2ヶ月間の入院生活で、老人食のような油気の無い朝食・昼食・夕食を食べていましたので、最近は特に反動でコッテリしたものが食べたくなります。(≧▽≦)

コッテリラーメンとチャーハンのセットで1,250円とはお高くなったものです。(*´Д`)
そして、なんばCITYさんの中にある「旭屋書店」さんへ。。。。
鉄道書籍コーナーへ行くと、三大鉄道雑誌が並べられていました。
私が年少の頃から毎月20日を過ぎると書店の鉄道雑誌コーナーに三大鉄道雑誌が並ぶという風景に変化は有りませんでしたので、まさかこのタイミングで「鉄道ジャーナル」誌のみが消えるとは夢にも思いませんでした。(´・_・`)
かくして、「鉄道ジャーナル」最終号をゲット。(^^♪
私と鉄道雑誌は、殊更、幼少期の生活と人格育成に大きな影響を与えてくれましたので、切っても切り離せない関係です。
私の幼少期は小学2年生・7歳の時に父と母が同時に肺結核と直腸癌で入院し、私は兵庫県の叔母宅に預けられ、転校はしないまま、そこから大阪市内の小学校に通いました。
やがて9歳の時の初夏に母が他界し、父は未だそのまま入院を続け、私が10歳になった小学5年生の春にようやく退院、晴れて私は大阪市内の実家に戻ることが出来、父親と男2人の気兼ねの無い生活が始まりました。(^^♪
その頃はちょうど子供達の間ではスーパーカーと鉄道ブームで、「大きくなったら電車の運転士になる」と豪語する鉄道好きな少年達はこぞって毎月20日の鉄道雑誌の発売日に本屋さんへ直行しました。
預けられていた叔母には子供なりに気を遣って、鉄道雑誌が欲しいとは言えませんでしたが、父親と暮らすようになって、ようやく鉄道雑誌のおねだりが出来るようになりました。( *´艸`)
一番人気の鉄道雑誌は今回休刊となった「鉄道ジャーナル」で学校から自宅が遠かった私が本屋さんに行く頃には既に売り切れ。。。
「鉄道ファン」誌も同様に売り切れになっていました。
仕方なく、父親に買ってもらったのがこの「鉄道ピクトリアル」5月号でした。
写真が少なく、活字が多い雑誌でしたので、鉄道マニアから敬遠されたのでしょう。。
しかし、当時小学5年生だった私は、食い入るように何度も読み返し、ご覧の様にボロボロになってしまいました。(^^♪
特にこの時の表紙の写真となった、当時の新車「キハ66.67型」については博士並み(自称)になるくらい詳しくなってしまいました。(^^♪
あと、他の鉄道雑誌では絶対に有り得ない、車両火災の実験記事も。。(*^_^*)
次にゲット出来たのが、ご覧の鉄道ファン。。
この雑誌は華やかな特急型等の記事を多くのカラー写真を使って紹介するのが特徴で、この号は関西では馴染みの薄い地味な箱根登山鉄道さんの旧型車を表紙写真に採用していたため、書店で多数売れ残っていました。
しかし、記事はやっぱり華やかなカラー写真が中心で、慣れ親しんだ鉄道ピクトリアル誌の様に活字が少なく、「撮り鉄」向けの撮影地ガイド記事が多いのに拍子抜けしてしまいました。(/ω\)
ただ、新型車両が出た時は車内の様子を多数のカラー写真で紹介してくれますので、以後、鉄道ファン誌を買うのは、関西系の新型車両が出た時のみに絞られました。(´・_・`)
そして、ある日、どうしても「鉄道ジャーナル」誌が読みたい私の気持ちを察して、学校から帰宅しても母親が居なくて淋しかろうと父親が大阪駅付近の大型書店で買ってきてくれたのがこれ!(≧▽≦)
私が初めて手にした「鉄道ジャーナル」誌でした。
当然、人気雑誌の為、地元の本屋さんでは発売直後に完売でした。(≧▽≦)
「鉄道ジャーナル」紙は活字と画像が程よく配され、内容も社会的に専門的な内容や、車両の専門的な内容が多く、流石に人気ナンバーワンの鉄道雑誌だなぁと思いました。。
しかも381系乗車特集記事では、後にJR東日本の会長になられる山之内秀一郎氏も対談に登場しています。(^^♪
この当時の鉄道ジャーナル誌は特価で550円、通常定価は480円だったと思いますが、最終号は。。。
2倍以上の1,200円になっていました。。( ゚Д゚)
いずれにせよ、1975年から2025年まで、50年間も愛読し続けた趣味雑誌が消えてしまうのは、盟友を失う様な淋しさを感じてしまいます。(ノД`)・゜・。
私が鉄道雑誌を読み始めた当時のこの3冊は今でも大切に保管しています。
(^^♪
最初に読んだ鉄道雑誌が「鉄道ピクトリアル」だっただけに、私は以後、鉄道ピクトリアルを購入する様になりましたが、たまに興味が有るテーマが取り上げられた時は、鉄道ジャーナル誌も購入していました。(^^♪
小学生だった私は鉄道雑誌を読むことにより、活字に慣れて、他の分野の新書本も沢山読むことが出来ました。(*^_^*)
旭屋書店さん。。。
本屋さんなのに罪なモノを販売されておられましたが、本当にお金が無かったので、買う事は出来ませんでした。(*´Д`)
その後、大阪市内の病院で診察を受け。。。
病欠3ヵ月間に渡り給料がゼロどころか、税金や年金などの建て替えでマイナス状態となった為。。。。
妻に、私のお遊び貯金として積み立てているお金を20万円下ろして生活資金を調達する様指示され。。
近畿ろうきんさんでいそいそと私のへそくり積立預金から生活費20万円を調達して帰宅しました。。( ;∀;)
当初は妻に内緒で積み立てていた「ろうきん」さんの預金も、14年前の山での墜落事故の際にバレてしまい、以後、私のお遊びの最後の砦である「へそくり預金」も妻に管理される運びとなってしまいました。。(;_;)/~~~
帰宅してから夜遅くに最終号を一読してみましたが、本が薄くなっていて、残念ながら読んでいてワクワクするような触手の動く新鮮な記事も無く、廃れてしまった原因の一部を垣間見たような気がしてしまいました。(*´Д`)
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Posted at
2025/04/22 23:02:51