(^^♪
相変わらず車に関係のない「乗り鉄」ブログで締めくくります (;'∀')
前回のブログでご紹介した山陽乗り鉄の続きです。。
山陽本線の山越えの難所で知られた通称「瀬野八」の起点、瀬野駅で下車します。。
ここから悲運な新交通システム「スカイレール」の起点でも有ります。
改札口で170円の乗車券を購入し、乗車します。。
超赤字経営でしたので、交通系のICカードも使えない状況です。。(/ω\)
ご覧の様なスキー場のゴンドラの様な乗り物です。。
この乗り物はバブル経済終末期に積水ハウス・神戸製鋼・三菱重工業・青木あすなろ建設など日本の大御所会社の出資で開発された広島市安芸区の「スカイレールタウンみどり坂」に設けられている、住民輸送のための交通手段です。。
営業開始は1998年で、伸び悩む旅客数もさることながら、日本でここだけという特殊性から部品類の維持管理費が嵩み大赤字となり、僅か25年で幕引きとなってしまいました。
実はこの乗り物の実用化計画は全国各地に有りまして、私の地元の和歌山県「林間田園都市」にもこの乗り物が敷設される筈でした。。
当時は未だバブル経済の末期で、私の住宅街の青写真には淡路島まで伸びる京奈和自動車道と、その下を走る紀淡海峡連絡鉄道が描かれ、スカイレールも南海林間田園都市駅から「三石台」「城山台」「あやの台」の各大規模住宅街を経て、JR隅田駅まで伸びていました。
しかし、バブルの崩壊で、全国各地の住宅街開発が頓挫し、本来なら50箇所くらいに敷設される筈だった「スカイレール」もここだけとなり、保守時の量産出来ない特殊部品調達費が莫大となり遂には廃止される運びとなった次第です。。
なので、私の心の底には、バブルが弾けなくて、日本がうまく回っていれば、私の街にもこれが走っていたのだなとういう想いが有ります。。
和歌山から遠い広島では有りますが、上記の理由でなんだか親しみに近い様な情が湧き、訪問に至った次第です。
因みに去年もここを訪問しています。(^^♪ → 去年の訪問
こんな柩体が15分に1回、駅と街の中央部と北端を行き来しています。(^^♪
今でも十分に近代的な設備ですが、日本国中の大規模新興住宅地で採用される予定だったこのスカイレールが日本でここだけの採用となってしまった事が神戸製鋼さんや三菱重工業さんにとっては命取りとなってしまった様です。(/ω\)
男という生き物は、そういう哀愁のある訳ありなエピソードを背負ったものに魅力を感じてしまったりする後ろ向きな厄介な生き物です。。。
自動券売機で切符を購入すると、バーコードの券が出て来て、それを自動改札のセンサーにかざして入場するというシステムです。。
乗り場はスキー場のゴンドラそのものです。(^^♪
スキー場のゴンドラに比べると運行速度は同等かそれ以上で、結構速いです。。。
柩体からは山の斜面に開発されたニュータウンを一面に俯瞰することが出来ます。
瀬野駅を同時刻に発車した登りの柩体が接近してきました。。
非常に未来感漂う乗り物なのに、もう廃止になってしまうのが残念でなりません。。
1往復半「乗り鉄」し、頂上の「みどり中央」駅から瀬野駅まで歩いてみる事にしました。。(^^♪
線路は住宅街をS字状に敷設されているのが判ります。。(^^♪
大空に続く天空の線路は正に「スカイレール」の名前の通りです。(^^♪
ホント、日本でここだけしか見れない近未来的な風景です。(^^♪
見れば見る程、何だか可愛く思えてきました。(^^♪
「みどり中央」駅から瀬野駅まで歩けば20分で到達することが出来ました。
このスカイレールが廃止になった後は、電気バスが代走するらしいですが、今話題の運転士さんの確保ははたして出来るのでしょうか・・・(´・_・`)
帰り際に、瀬野駅から見たスカイレール。。。
これが私にとって現物を見る最後の姿となります。。
瀬野駅からは最新鋭の227系が相変わらずやってきて乗車。。。
終点の糸崎駅で乗り換える国鉄型115系の運用が国鉄型のままのアコモ未更新車で、しかも黄色ではなく、元祖国鉄色の湘南色で有ることを願います。。
そして、終点の糸崎駅に到着すると・・・・
遂に来ました (≧▽≦) (≧▽≦) (≧▽≦)
正に私が念願の原形国鉄型湘南色の115系!
岡山地区近郊型電車全77運用中に最高で2運用しか運用されないうちの1運用にようやく巡り合えました。(≧▽≦)
まさに今年の乗り鉄、最高のシーンです(≧▽≦)
やっぱ国鉄型近郊電車と言えばこの湘南色に限りますよね~(≧▽≦)
一番よく似合っています。(*´▽`*)
車庫には黄色の115系が留まっていますので、1本遅れればもうこの車両に乗車どころか、見る事すら出来ていませんでした。。
薄緑色のデコラ化粧板と、垂直シートの残る車内で満身の記念撮影です。
(≧▽≦)
座った座席はクモハ115の中央付近、主抵抗器の冷却ブロアーとMT54型モーターの爆音が一番楽しめる位置です。(≧▽≦)
国鉄型特有の走行音で眺める瀬戸内の夕景は本当に最高です。。
これが私の人生最後の国鉄型原形車両での「乗り鉄」かと思うと感慨無量です。。(≧▽≦)
糸崎から備前片上までの長距離運用ですので、2時間26分に渡り、乗車を楽しむことが出来ます。(≧▽≦)
末端部、乗客が少なくなってから、車内の各部を記念に撮影しました。(≧▽≦)
シートの色は茶色に張り替えられていますが、メラニン化粧板の色は国鉄当時の薄緑色そのままです。(≧▽≦)
危険感さえある金属製の枕兼手摺。。
それに国鉄型近郊型の特徴であったドア付近のミニロングシート。。
国鉄仕様のハット&コートラック。。
それに実際には使われることが無かった指定席車として運用される際の座席指定番号プレート。(≧▽≦)
車端部のBOXシートと、緑色のドア。。
「壁車」と呼ばれる所以の運転席後ろに小さな窓しか設けられなかったのは、昭和時代に国鉄労働組合や動力車労働組合が強かった証です。。
助役や会社組織が乗務員の行動を裏面観察するのを防いでいました。。(´・_・`)
無機質な床面リノリウムと蛍光灯剥き出しの天井、それに垂直BOXシート。。
どれもこれも実用一点張り、質実剛健な国鉄型設計の塊です。。
それにこの車両のBOXシート、日本人の体が未だ小さかった頃の設計ですので、私の様な身長180cmが座ると、膝が前の席まで出てしまい、向かい合わせに座れなくなってしまいます。。(´・_・`)
針金入りの貫通扉の窓。。。
戦前から使われている国鉄型標準の弁当箱型放送スピーカー。。
トイレやお手洗いではなく「便所」。。。
もちろん便器は和式です。。
そして到着した、終点の備前片上駅。。
いよいよ私が幼少期だった頃にスター的存在だった国鉄近郊型電車・115系原形湘南色と最後のお別れの場面となりました。。(*´Д`)
私が入院中の母親の病院から帰宅する際に独りで乗ったのも大抵は夜でした。。
折しも、今のこの風景と重なり、懐かしさがこみ上げます。。
湘南色近郊型電車とのお別れのシーンとしては最高のロケーションになりました。。
寒々としたデコラ化粧板に余計に寒さを増す、ステンレス地剥き出しの扉。。
国鉄型なのにJRの大きな標記。。
「旅人」に相応しい風味な背摺りが垂直なBOXシート。。(≧▽≦)
大阪方面行の列車が来るまで、しばし別れを惜しんで撮影に興じます。。
朧月夜の構内は、手持ちの小型水中カメラでも最後に相応しい画像を撮影することが出来ました。(*´▽`*)
正にこれが私と115系湘南色との本当の最後のシーンとなりました。。
今まで、数々の夢と思い出の創造をありがとう。。
今年最後の鉄ヲタ行脚は、初日は大幅ダイヤ乱れに振り回されましたが、終わりよければ全てよし!!
今までにない最高のフィナーレとなりました。。(*´▽`*)
新快速接続の播州赤穂までは黄色の115系がエスコートしてくれました。(^^♪
みなさま、本年も私の愚文&駄文にお付き合いいただき、ありがとうございました。
どうぞ良いお年をお迎えくださいm(__)m
そして来年も何卒よろしくお付き合いの程、よろしくお願い申し上げます。('◇')ゞ