自宅の台風被害による屋根&壁の改修工事、浴室・洗面・トイレの更新工事や息子の新築、娘の結婚準備等で急に多額のお金が要る様になり、購入後10年を迎えたサンバーと、5年目にはいる妻車を統合して新車を購入する案が没になり、サンバーをあと8年乗ることを決意したことは先日のブログでお伝えしたとおりです。
さてさて、そのサンバーですが、家計から20万円を捻出して、体質改善延命20N
工事と銘打って、以下の部品の更新等を行うことにしました。
※但し不足分は私の小遣いから捻出 (´Д`)
①イリジウムプラグ交換
②プラグコード交換
③床下防錆黒吹塗装
④エアコン系高圧ホース全交換・エアコンガス充填
⑤サブラジエーターファン交換
⑥エンジンルームファン交換
⑦エキゾーストマニホールド交換
⑧エバボレーター交換
⑨イグニッションコイル交換
⑩タイヤナット交換
⑪各種ベルト類交換
⑫リキットタンク交換
⑬MTオイル交換
⑭デフオイル交換
⑮クーラント交換
⑯エアクリーナー交換
さて、そんな中で、今回はプラグとプラグコードを交換することにして、格安通販でそれらを揃えました (^^♪
プラグはもともと「デンソー」さんのプラグにこだわっていましたので、今回も前回の交換時同様、VK20Yを使用させていただきます。
プラグコードはそれまでは純正品を使っていましたが、今回は日本特殊陶業さんの
NGK RC-FE60を使用させていただくことにしました。
・・・ということで、早速作業開始。。
妻が久々のDIY作業ということで見学しに出てきて、写真を撮ってくれました。。
リアエンジンカバーを開けて作業開始。。
コロナで学校がお休み中な近所の子供たちが目敏く直ぐに車の周りに集まって来ました。。。
早速、子供たちの歓声の中、イグニッション側から各プラグコードの抜き取り作業に移りますが、これがどういう訳か固くてなかなか抜けず、目いっぱい力をかけての作業となりました。
かなりの力をかけてようやく抜けたプラグコード・・・
子供たちの「すげ~」「すげ~」の歓声に冷汗が出ますが、なんだか嫌な予感。。
プラグ側は比較的簡単に抜き取れました。。
ところが今度はプラグが固くて固くてなかなか回転しません。。
レンチをバールに引っ掛けてなんとか回転させました。
さらに嫌な予感。。。。
子供たちの歓声の元、番号順にプラグコードをはめ。。。
はい完成。。
そして、エンジンを掛けると・・・・。
( ゚Д゚)
ドッ、ドッ、ドッ、ブルルルルル~ンと明らかに電圧不足気味な音。。。( ゚Д゚)
しまった!
イグニッションコイルに圧力を掛けすぎて、破損させてしまった (>_<)。。。
試しに試運転してみると、明らかに2気筒分死んでいる感じ・・・
(/ω\)
子供達の見学会は直ぐに終了させて、修理屋さんへ連絡。。。。(´Д`)
なんだか後味の悪い終わり方でした。。
こちらが交換済のプラグ。。。
随分焼けていますが、イリジウム故、もう1万㌔くらいは使えたかもです (´・ω・)
取り敢えず今日の夕飯はご近所のグリルで妻に鉄板焼きを御馳走。。。。
そこで妻に、どうやらイグニッションコイルを壊してしまった様なので、部品&修理代金として3万円を調達してくれないかと交渉。。。
お料理とお酒が美味しい時の妻はご機嫌なので、どうにか代金の家計からの捻出について承諾を得ることが出来ました。
「歳とって鈍臭くなって、おバカなことやってるあなたが恰好悪くて哀れだわ。。。」って・・・・
最近、妻に金銭を要求するときはよくこのお店を利用している様な気がします。
そして翌日は朝から修理・・・・・
ではなく・・・・
亡き母親が75年前に卒業した高校から徒歩圏内にある、営業職時代の元お得意様のところに。。。。
和歌山線の227系と南海さんの7100系「めでたいでんしゃ」です。
母親の母校、それに大好きな鉄道模型。。
なにかとご縁が有る土地柄です。。
この前、鉄道模型を整理したばかりなのに、その直後にまた購入。。
こればかりは流石にヤバイ様な気がします。。
麻薬に侵されたみたいな中毒症状です。。
私は「めでたいでんしゃ」ではなく「めでたいおとこ」なんでしょうか。。
帰りになんばCiTYさんに立ち寄りましたが、コロナの影響で人はまばらでした。
ついでに旭屋書店さんで鉄道本も物色。。。
昨日中に妻に金銭交渉をしておいたのは、これらのお店で商材を仕入れ、お小遣いが無くなるからです。。。
〆は「古潭」さんでラーメンを食べます。。(^^♪
本社営業職時代以来、半年ぶりです (^^)v
そして12時半に帰宅し、そのままサンバーを運転して自宅から最寄りの修理屋さん(5Kmくらいの距離)へ向かいます。。。
起動直後は「ドッ、ドッ、ドッ、ブルルルルル~ン」と不調でしたが、走るにつれ好調に。。
余裕で修理屋さんまで行けると思っていたら、3kmほど走ったところの信号待ちでエンジンが急に停止し、動かなくなってしまいました。( ゚Д゚)
幸い下り坂で、直ぐ近くにコンビニが有ったので緊急退避。。
結局は本件でJAFさんのお世話になることに・・・・・(/ω\)
軽微なイグニッションコイルの故障だから大丈夫だと余裕こいでた自分がバカでした。。
サンバーが迂闊なDIYのせいでこんなことになってしまいました。。。
このまま後ろ向きに2km牽引され。。。。。
イグニッションコイルなら週明けになるとのことで、代車を借りて帰宅しました。。
なんだか最近、良いことが起こらないので、ストレス解消に妻車を借りていつもの里山を歩きに行きました。
オーバーパワーエンジンを積載する妻車ならいつものヘアピンカーブや急坂を全くストレスなく登山口に着くことが出来ました。。。
緑に包まれてストレス解消。。。
いつもの古刹にお参りします。。
そういえば長い間、お参りに来てなかったな。。。。
相変わらず誰一人会わない静寂な山です。。
頂上はあいにくの曇天。。。。
頂上三角点を踏むと珍しく携帯電話が鳴りました。。
いつもなら電波が届かないところですが、お相手を見ると、先ほどの修理屋さん。。
「もしもし〇〇さん~車、治りましたよ~ (^^♪」
「最初はイグニッションかと思ったのですが、よく見るとプラグコードの順番が違いましたよ~。」
「プラグ側はきちんとイグニッションから遠い方から順に4番から1番まで差し込まれていますが、サンバーの場合はイグニッション側が特殊で上から順に1番→4番→3番→2番ってなるんですよ~」
「なのでコードを一気に4本抜くと必ずこのミスやってしまいますよ (;_;)/~~~」
↑↑↑
これが正解だそうです。
いやぁ、あまりにも初歩的過ぎるミス!
プラグ&プラグコードの交換は若い頃は全て自分でしていましたが、前車のディーゼルのボンゴフレンディがディーゼルでしたので交換しなくなり、プラグコードの取り付けはほぼ30年振り。。。
1本毎に交換するという基本中の基本を失念していました~。
もうここまで鈍臭くなってしまうと、DIYは場合によってかえって車を壊してしまう恐れが有りますので、もうこれからは少々お高くてもプロに任せます。。(/ω\)
今回の醜態で車弄りの自信はゼロになってしまいました。。(´Д`)
まっ、取り敢えず30,000円ではなく2,000円で済んで良かったです。。。
1ヵ月以上続いた新型コロナウイルスの緊急事態宣言・外出自粛期間中、みなさんははいかがお過ごしだったでしょうか??
「自宅」は妻の管理管轄・・・・
私の場合は12時前に仕事から帰宅してからと、休日の全てを自宅の整理&ゴミ捨てを命じられ、作業にいそしみました。。。。
取り敢えず自宅の押し入れとタンスに収納されている不要物をすべてピックアップし、たまる都度、サンバーに積載して市営ゴミセンターに捨てに行く作業を3週間かけて実施しました。。
積載量自慢のサンバー!
こんな時にこそ貨物箱バンの本領を発揮します!
市営ゴミセンターに通うことのべ3回!
私のサンバーを街で見かけて、いつか持ち主と話がしたかったというここのおじさんともスッカリ顔見知りになりました (^^)/
しかし、サンバーに述べ3回も満載しなければならないほどの不用品が自宅に有ったなんて俄かに信じられませんでした。
この他、娘が使っていた学習机と兼用の2段ベットも後日捨てに来なければなりませんので、ゴミ捨て回数はのべ4回となります。( ゚Д゚)
あと、年に2回程度行っていたカヌーも屋根や壁の修理をする際、足場を組むのに邪魔になりますので、引き取っていただける方のところにお嫁に行きました。(てか、譲っていただいた方のところに里帰りです。)
サンバーのキャリアの部品を紛失したため、止むを得ず車内に積載。。。
搬出に際して内装とカヌーが傷まないように、妻がタオルで処置してくれました。
このカヌーが無き後のカヌー行脚は、レンタルカヌーで対応しますm(__)m
またこの機会に登山靴などの革製品の本格的メンテナンスも行いました。
30年前に購入した妻の登山靴は今では全く使われていませんが、メンテナンスは万全ですので、いつでもその気になれば使えます。(^^♪
通勤用の鞄もメンテナンス。。。
外出できませんので、家呑み用に、変なビールを各種購入。。
滅多に食べれない懐かしいくじらの「ハリハリ鍋」なども食べました (^^♪
さてさて、本題はここから・・・・
私の部屋(10.5畳)のうち、6畳の間は御覧の様に鉄道模型置き場となっています。。
販売会で鉄道コレクションを購入するたびに、空箱を貰ってきてそれに買った模型を詰め込んでいき、一応は整理している風体ですが、妻には事あるごとに苦言を受けていました。
そして遂に今回の外出禁止期間、妻からこれらを奇麗に整理して、いつでも現金化出来るように要請がありました。。
そう、自宅の屋根吹替&壁の補修・塗り替えに併せて、浴室、洗面、トイレ&キッチンのリフォームも実施することになり、おベンツEクラスの新車が買える金額のローンを組むことに・・・・
そんな中、遂に私の資産の鉄道模型の現金化要求が出されてしまいました。。
自分の小遣いで買った鉄道模型なのに、まるで大韓民国の募集工訴訟による日本企業の不当差し押さえ金の現金化の様な一方的で理不尽な要求です。 (>_<)
まぁ、現金化するにもこれらの模型資産が時価いくらに相当するか判りませんので、一応は私の「遺産整理」という名目で、取り敢えず上記の様な「鉄道模型台帳」を制作し、これにメーカー希望小売価格をネットで調べて記載するという作業を4月8日から開始しました。
※妻にはあくまでも私が死んでからこれらを売却するように希望 (/ω\)
私の所有財産ですからね (=_=)
追跡調査で価格が判明したものについては順次箱に詰め、以上の様なラベルを貼って整理していきます。。
これは1セット7,000円也の鉄道コレクションです。。
その最もクレイジーなコレクションがこれ。。。。
南海電鉄さんの2200系&22000系・・・
高野線に32両存在する全車両の新色&旧色が欲しくなり、1箱2,950円の2両セットを32セット、計94,400円を支払って購入してしまいました。。
もう6年くらい前のことですが、流石にこの時は妻も激高して、1週間ほど口を利いてもらえなかった記憶があります。
ノートに在庫数の詳細を記載していき、段ボールに貼るステッカーを制作します。。
段ボール箱にはこの様に一目して内容が判別出来るように内容を記載します。。
こちらは最近購入した南海さんの9000系2種ですが、オレンジ色のものは今では希少価値が付き、7,000円で購入したものが3倍の21,000円に、また右側は2倍の12,000円で取引されています。
鉄道模型は購入後に取引価格が上昇するものと、下落するものがあり、それらを踏まえてだいたい購入金額の6割程度が手元に残る算段です。
パチンコや競馬で損するよりも、少しはマシですかね~ ($・・)/~~~
オレンジ色の編成は残念ながら1人1個しか買えませんでしたので、手放せない状況です(汗)
昔の大阪市交通局・地下鉄50系電車・・・
クリーム色とオレンジ色のツートンカラーが懐かしい~♪
当てもの形式の箱は開封して中身を確認して仕訳けます。
希少価値のシークレット商品が12個出てきました (^^)/
この様なケースが12個も必要でした。。( ゚Д゚)
1セット毎にきちんと検品して収納しますので、かなりの時間を要します。。
たまに付属品が無いものが有りますが、それらはジャンク品として類別します。
購入したまま放置している私の最大の弱点です。
20年前に買った模型の付属パーツが入っていなかったと今頃気が付いても後の祭りです (/ω\)
Nゲージは売却時に比較的高値が付きますので、丁寧に検品します。
特にこのマイクロエースさんの模型はほぼ再販されませんので貴重です。
この変顔な列車も希少価値が付き、高値で取引されています。。
そしてこんなのも発見!
10年前に購入して開封していなかった新品なのに、御覧の様にモーター車が爆発していました。。。
中国で製品を製作しているので、たまにこういうのがあります。。
明らかにモータが爆発していて、毒々しい変な中華油汁が垂れていました。
高価な鉄道模型・・・
こちらは流石に10年経っていても直ぐに修理対応してくれました。(^^♪
さてさて、この様にして出した鉄道模型の保有財産。。。
この他にここではお出しできないHOゲージなども保有しておりまして、
総額は想像を絶する価格になっていました。。
高校生の時から集め始めて40年間、年間平均ボーナスも含めて20万円を鉄道模型につぎ込んでいました。( ゚Д゚)
月に1個、模型を買っていた計算です。。
これはなんとしても私が生きている間は現金化を阻止するしか無い (>_<)
まぁ、現金化して使うとすれば、次期新車購入時ですかね (/ω\)
和歌山県の緊急事態宣言が解除されてから5日間が経ちますが、私事先日の大和葛城山往復9時間歩行から、本格的に生活習慣病治療対策としての里山登山を再開させました。
昨日は高野山内に線路跡が残る「高野山森林鉄道」の廃線跡を辿ってみました。
実はコロナ禍が収まってから、営業職時代のお客様をご案内する予定が有りまして、今回はその下見も兼ねています。
2017年にも一度訪問していますが、それ以後、大型台風も何度か通過していますので、先ずは安否確認です (^^♪
ご覧の画像は南海電鉄さんの高野下駅(旧椎出駅)付近を走るトロッコ列車です。
この高野山森林鉄道は1909年(明治42年)開通、当初の動力は人力や牛力によるものでしたが、1928年(昭和3年)に御覧の様なディーゼル機関車が導入され、1959年(昭和34年)の廃線まで活躍しました。
私の25年くらい前の仕事の現場はこの付近に有りましたが、そういえば定年前の地元の先輩から、昔は牛がトロッコを牽引しているのを見たという話を聞きました。
また坂の下りはトロッコに人が乗って制動を掛けていたが、再三、速度超過で脱線し、多くの負傷者や死者も出たと聞かされました。。
こちらは紀伊細川駅から見た不動谷川流域の材木ヤードですが、いまはこれらの跡地に線路は残っていません。(橋台や橋脚、隧道は一部残っていますが・・)
今回はこれらのいわゆる「幹線」ではなく、高野山奥の院裏に線路跡が残る「支線」を探訪してみました。。。
サンバーで高野山内に入る前に立ち寄ったのが、矢立(細川出会)にあるこちらの場所。。
高野山詣の旅人が使った古い宿舎跡と、高野山森林鉄道・花坂線の廃線跡とトンネルです。
そしてトロッコの花坂隧道は平成18年に「トンネル内崩壊の恐れあり」との事由で全面通行止めになっていました。
こちらは反対側(細川側)に回って撮影しましたが、かなり立派な隧道です。。
さてさて、森林鉄道跡は高野山・奥の院の裏へ回れば比較的直ぐに到達できますが、それだけでは面白味が無いので、あえて裏山の登山道から摩尼山頂や楊柳山頂を踏破してから入ります。
どうせならすぐ近くにある「雪池山」も含めて「高野四山」として欲しいところですが、まっ、「三山」の方が様になるかな・・・・。
霊場高野山内だけあって、登山道の至る所に「祠」が建てられています。。
こちらは奥の院から登って来た最初の峠「摩尼峠」です。
摩尼山頂(標高1004m)・・・。
その後、楊柳山山頂(標高1008.6m)も踏破。
そしてこちらが森林鉄道跡へと続く道ですが、いきなり台風による倒木で、先が思い遣られます。。。
暫く歩くと、倒木で完全に道が遮断されていましたが、どうにか谷側を巻いてクリアします・・
やはり私の自宅も被害に遭った2年前の台風21号の威力は甚大だった様です。
そこを過ぎれば、傾斜も緩やかになり、今にもトロッコが走って来そうな雰囲気に。。
広大なヤード跡と思われるスペース。。
しかしながら、線路等の設備が発見出来ないので、まだまだ確信が持てません。
周辺は小川が流れ、トロッコが走っていたとしてもそれはもう60年以上も前の話・・その形跡は完全に自然に還ってしまっています。。
・・・とその時、
小川の周辺に目をやると・・・・
遂に放置されている線路を発見!
周囲も、あたかも線路が敷かれてあるような雰囲気が増し、軌道跡と思われる道が続き、雰囲気は増していきます。
旧軌道跡の道の脇には何本もの線路が放置されています。
モぉ~ モぉ~ っと牛の鳴き声が聞こえ、ゆっくりと前方から牛の牽引するトロッコ列車が走って来そうな錯覚にとらわれます。
苔蒸す線路が土砂に埋もれています。。
現代と戦前の日本を結ぶ不思議な空間。。。
私のお爺ちゃんやお婆ちゃんたちが生きた時代と今が不思議な時空の空間でつながっています。
やがて、この線路の存在は完全に時代から忘れられ、お爺ちゃんやお婆ちゃんもとうにこの世を去り、錆びて朽ち果て、地中に埋没していく線路のみが当時の栄華をこの場所を訪れた人のみに蚊の鳴くような小さな声で伝えてくれます。。
材木を積載したと思われるヤードの跡が至る所に散見できます。
昭和時代に入ると御覧の様なディーゼル機関車も導入されていたみたいです。
もしかしたら私の生前、前世はこの機関車の運転士で、この地に惹き付けられるのはそのせいかもしれないなんて妄想してしまいます。
やがて線路はだんだんと崩壊していき・・・
無残にも川の中に消えていきます。。
もうこの世にその存在を伝えるのも限界なのかもしれません。
地球の歴史の中からすれば、ここに線路が敷かれていたことなんてほんの一瞬でしかありません。
偉大なる自然界が、この不意の侵略者をかき消そうとしています。
この風景からはその情景のほんの少ししか垣間見ることが出来ません。。
できればその時代にここでその風景を見てみたかった様な気もします。。
やがて小さなおとぎ話に出てくるような線路は、草叢の中に消えてゆき。。
道床だけが残り、廃止になってから60年以上経った今、私がその誰も居ない道を散歩しています。。
そして、御大師様の居られる奥の院へと続いています。。
樹齢数千年の杉の大木が私にエネルギーを与えてくれます。。
何度見ても向こうからトロッコが走って来そうです。。
巨大ヤード跡と思われる平らな場所にはこの時季なのに遅咲きの桜が咲いていました。。
この神々しい森林の中を走るトロッコを見てみたかったです。。
最後にこんなのを発見してしまいました。。
どうやらトロッコ道の整備をしているようでした。
この重機に線路跡を破壊されなければいいのですが・・・・・。
高野山内はコロナ禍の影響で、殆ど観光客が居ませんでした。
はたしてこれから元どおりの賑わいが取り戻せるのでしょうか??
早くサンバーで全国車中泊行脚に出かけられるようになって欲しいですね。。
私の在住する和歌山県もようやく新型コロナウイルスの緊急事態宣言が解除されました (^^)/
そして、今日は今まで歩きに行けなかった分、外出で「3密」な場所を避ける目的で、思いっきり山を歩いてきました。
思えば今は大和葛城山のツツジのベストシーズン!
でも車で行くと、ただでさえも他府県民からは何かと評判の悪い和歌山ナンバー・・・・
万一のことを考えると怖かったのでいっそ自宅から車で10分の里山・不動山から歩いて大和葛城山まで往復してみることにしました。。
登山地図のコースタイムでは往復約12時間・・・
慣れた山であることを勘案すると、私の脚で約9時間で往復できる算段です(^^)/
スタートは和歌山県・橋本市の明王寺。。
今まではバスなど走っていなかったのですが、「デマンドタクシー」なるものが新設されていました。
明王寺の裏山には635段もの階段が設けられ、その頂上に「不動山の巨石」なるものが祀られています。
こちらが御本堂です。。
山間部ゆえ、極限まで棚田が設置され、もう田植えがされていました。
この辺りは赤い「古代米」を作っていることでも有名です。
こちらがその635段の階段。。
歳をとると山上のお不動さんに参拝出来なくなるため、緩やかな「まわり道」も付けられています (^^♪
この階段道は勿論、急坂を「直登」する訳ですが、今日は8時間歩行の体力温存のため、「まわり道」を使わせていただきますm(__)m
付近では巨岩を御神体として崇める様子が散見できます。。
まわり道とて、急峻な山肌を登りますので、階段なども有ります。。
そして巨岩のあるところで、直登635段の階段と合流します。。
楠正成が座って休憩したとされる石です (^^♪
神々の国日本。。
五穀豊穣を祈るお稲荷さんは当然のごとく祀られています。
20年くらい前は「日本は神の国だ」と言った首相が退任させられるほどの左翼国家だった日本がようやく正常に戻ったのか、朽ち果てていた鳥居が新調されていて、嬉しい限りでした。(^^)v
こちらが祀られている巨岩です。
大きな丸い穴に耳を当てると、あの世の音、現世の音、それに紀ノ川のせせらぎの音が聞こえるとされています。。
最上段に祀られているのは不動明王・金剛童子・八大竜王です。
早目に参拝を済ませ、先を急ぎます。
そこからは、巨岩の裏をさらに登ると、約20分で金剛紀泉山脈の尾根道(ダイヤモンドトレイル)・杉尾峠に出ます。。
・・・ここからダイヤモンドトレイルで金剛山を経て水越峠までの様子は話が長くだらだらとなってしまいますので割愛させていただきます・・・
そして、約3時間15分の歩行で水越峠に到着。。
新緑に囲まれながら、いよいよ大和葛城山への最後の登りが始まります。。
ゴールまでようやくあと1.6kmです(^^)v
針葉樹林帯と、雑木林が交わる登山道。。。
徐々にピンクのツツジの花が現れます。。
大和葛城山のツツジは人間の手で植えられたものではなく、全て自然の植生です。。
頂上のツツジの大平原に想いを馳せて心が弾みます。。
今まで空は曇っていましたが、急に晴れ間が出現し、ご機嫌です (^_^)
人も殆ど歩いていなくて、のんびりとした山旅が楽しめます。
水越峠から40分の歩行で未だ5組くらいしか離合していません。。
野生の藤の花も咲いています (^^♪
振り返ると先ほど居た金剛山と杉尾峠から辿って来た尾根筋(右側)が一望できます(^^)v
久し振りに見る大和盆地の俯瞰風景です!
そして!
いよいよツツジの見せ場に到着!
明王寺から歩き始めて4時間15分です。。
今日は昨日の雨の後で特に美しく見えます!
新型コロナ禍による非常事態宣言で、今年はもう来れないかと思っていましたが、昨日ようやく解除され何よりでした。。
毎年、ツツジのシーズンの日曜日は大混雑ですが、今日はロープウエイも運休&駐車場も営業停止で、9割 以上を占める「観光客」が来れなかったので、予想通りガラガラでした。。
まぁもうピークの午前中は過ぎて、13時前ですが。。
見渡す限りでも10人くらいしか居ません。。
こんな日曜日は初めてです。。
これなら平日は本当に誰も居ないんでしょうね~。
つい2時間ほど前に居た金剛山頂を見返します (^^)v
妻は家の中の大掃除と、屋根吹替&壁補修の時の色決めが忙しくてついてきませんでしたが、写真を見せると悔しがるでしょうね~(^^)v
まだまだ青い部分も有りますので、もう3~4日間は楽しめそうですね~
ツツジの平原には30分ほど滞在して、また来た道を折り返し。。。
17時、予定通り9時間の歩行で無事明王寺まで戻ることが出来ました。。
私は和歌山県と大阪府、そして奈良県との三国境あたりに在住していまして、大阪市内の会社まで、毎日南海電鉄さんの高野線で通勤させていただいています。
本日は通勤電車ネタです。。。
さて、そんな高野線には画像の様な私が生まれる前の1962年(昭和37年)から御覧の6000系という通勤型電車が走っていて、昨年末までは在籍する72両が全て元気に高野線で運用されていました。
6000系と言えば、東急さんの7000系、京王さんの3000系と共に昭和37年にデビューした日本初のオールステンレス電車ということで有名です。
デビュー当時は御覧の様な方向幕ではなく、「円板」や「角板」で種別や行先を表示していました。
その後、方向幕が設置されましたが、設置当初から幕が小さくて視認しにくいのが特徴でした。。。
車内はオールロングシートで、「戸袋窓」が採用されている分、採光は良好です。
また、ご覧の様な大型の「片開き扉」を採用しているのも一大特徴で、当時はもう両開き扉がトレンドでしたが、南海さんはなぜか「片開き」に固執しました。
しかし、さすがに本形式以降の通勤型車両は全て両開き式となりました。
まっ、片開式の方が戸袋窓も大きく、車内は明るいのですがね。。。。
運転室の機器類は御覧の様に至ってシンプルに纏められていて、アナログ機器の複雑な感じは感じられません。。
6035Fは6000系シリーズで最も最後に製造された比較的新しい編成なのに、一番新しい編成から淘汰するなんてこりゃいよいよ本気で「全廃」されてしまうんだなと実感。。
先日、南海さんからこんなクリアファイルが販売されましたが、人気の6001号車ではなく、6035号車が題材にされていたのは、一番最初に廃車になるからだったんですね~。
このクリアファイル・・・・・
写真バージョンと、イラストバージョンの2種が発売され、各々500円で購入しましたが、発売後瞬時に売り切れ、今やオークションで高値が付く品物となっています
(^^)v
因みに運用開始後57年が経つトップナンバー・試作編成の6001Fと2次車の6005Fが6035Fの廃車とほぼ同時期に千代田の工場に全検入場していて、その後無事出場してきましたので、検査切れと同時に廃車にするなら、なんとこの2つの編成は最後まで残り、誕生から60年間も使用されることになります。
トップナンバーが最後まで残るというのは南海電鉄さんの演出なのでしょうか?
上の画像は橋本駅での試作編成・昭和37年製の6001Fです。
今でも元気に主に8連の急行や快速急行で使用され、大阪平野では100km/hで韋駄天走りする運用に就いています。。
6001Fは他の量産型車両と比べて運転席の窓が小さいのと、貫通扉の黒Hゴム、それに天井の歩み板が高いのが特徴です。。
こちらは客室側から貫通扉の黒Hゴムと、小さな正面窓を見たところです。
昭和37年製・・・
製造後57年!
東急車輌さんで製造された後、24年後の昭和61年に南海車両工業さんで冷房化改造S型ミンデン台車化&体内装更新工事が施工され、その後33年間使用されています。
少し、横道に反れますが、6000系の最初の冷房改造はわざわざ横浜の東急車輛に送り返して施工しています。
その車両は6001Fに続いて製造された6003F4両と昭和43年に製造された6020F2両。。。
当時の東急車両さんは各社からのバブル期の新車発注ラッシュで既存車の改造工事が進まなくなり、改造設備を南海車両工業に転売。
その後の6000系は地元千代田の南海車両工業さんで施工したそうです。
そして6035Fに次いで御覧の6009Fも11月末に廃車入場。。
この編成は中間に唯一運転台撤去車(元6901号車→6610号車)が連結されている特徴的な車両でした。。
こちらがその運転台の撤去部分で、客室化工事は施工されず、運転機器類の撤去のみで、乗務員出入口のヒンジ扉もそのまま埋め込まれずに残っていました。
前照灯周りも電球を撤去しその跡にメクラ蓋を施工しただけの簡易なものです。
他社さんの運転台撤去工事では圧力計や電流計を残している場合が多いのですが、6000系の場合は潔く全て撤去されています。
一方、こちらは運転台が撤去されていない中間部に挟まれた運転台。。。
少し前まではロープが無く、ここに自由に座ることが出来ました。
さて、そんな6000系の廃車ですが、ご覧の6016Fの2両編成だけは、解体を逃れ、トレーラーで大阪港へと運ばれたという情報が。。。
海外輸出でしょうか??
はたまた日本のどこかの私鉄で使われるのでしょうか??
楽しみです (^^♪
昨年末は、未だ雑草が生い茂らない時季に萩原天神~北野田間の「真横写真スポット」にまで出かけ、形式写真もきっちりと撮影してきました。
高野線は真紅の帯の特急「こうや」がいい被写体になるのですが、全車両廃車までは暫く6000系を追っかけする所存です。。
先日は、自宅から車で10分程度の小原田車庫で解体作業をしているのを確認。。。廃車体が搬送されるシーンを撮影に行ってきました。
正に「ご出棺」そのものです。。
昨日まで元気に走っていた車両が解体され、搬送されていきます。。
なんだか涙が出てくるシーンでも有ります。。
しかし、6000系が全廃になっても・・・・
昨年、南海電鉄さんの術中にはまってまんまと買ってしまった鉄道コレクションが手元に残ります。。
濃ゆい内容の解説文。。。。
因みに4両セット7,000円×3セット、2両セット3,500円×4セット・・・
計35,000円の投資となってしまいましたが、こちらも発売後短期間で完売!
人気車種ゆえ、オークションで高値が付きますが、こちらも死ぬまで手放さない所存です (^^♪
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