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イイね!
2005年11月25日

戦艦「大和」の巨大模型

戦艦「大和」の巨大模型 仕事の帰り、六本木ヒルズに行くとテレビ朝日の本社ホールに、巨大な戦艦大和の模型が展示されているのが目に入った。もうじき公開される映画「男たちの大和」のPRだ。
 この夏、尾道まで行こうと思って果たせなかった身にとっては、本家に展示されているものより小ぶりの模型とは言っても、撮影にも使用されたという2トントラックよりも全長のありそうなそれは、十分に見て満足の行くものだ。

 思い返すと、曲がりなりにも僕がプラモデルと付き合うようになった始まりが、戦艦大和の700分の1模型だった。何度目かの再放送をしている「宇宙戦艦ヤマト」に感化されて、しかしどういうわけかバンダイのプラモデルではなく田宮をはじめとする模型4社が共同企画した「ウォーターラインシリーズ」の世界に足を踏み入れてしまったのだ。まあ、子供の工作ゆえまともな出来栄えではなかったけれども。

 映画の相乗効果を当て込んでいるのか、ことしは大スケールの大和の模型が色んな模型メーカーから発売されているようだけれども、今となっては流石にそれを買おうとは思わない。置き場所や製作の手間のこともあるが、欲求が湧かないのだ。

 思うことがある。
戦争を巨視的に叙事詩で綴れば、そこにはヒロイズムやカタルシスがある。けれども歴史は、事実は、どれほどドラマティックであったとしても、それ自体は決してドラマではない。作り事ではない。

 シブヤン海に没した戦艦武蔵から生還した渡辺清が経験した、同僚や友人の死は、子供だった僕が「宇宙戦艦ヤマト」に見たような甘美で美しいものではなかった。ただただむごたらしく、おぞましく、見苦しく、吐き気を催させるものだった。
 戦艦大和は3300人もの要員とともに没した。そこに存在した死もまた、渡辺清が経験したそれと同じはずである。そのことを、悲劇という名の美談にしてはいけないのではないか。

 死者を悼むことと、その死を甘美な物語に置き換えることを、同一の地平で語ってはならないのではないか。
 その歴史的事実を悲劇と言うのならば、悲劇の舞台を築き上げ、その悲劇がついに演じられるに至った過誤をこそ見つめなければならないのではないか。

 吉田満の『戦艦大和ノ最期』にある悲痛な一節。「(前略)敗レテ目覚メル、ソレ以外ニドウシテ日本ガ救ワレルカ。今目覚メズシテイツ救ワレルカ。俺タチハソノ先導ニナルノダ。日本ノ新生ニサキガケテ散ル、マサニ本望ジャナイカ」。
 弱冠21歳の青年が、強いられた死を受け入れなんとして口にした言葉だ。その胸中や如何。その口惜しさや如何。この言葉に僕が涙するとしたらそれは悲涙ではなく、血涙の類である。

 僕は軍事関係の事象にはかなり興味があるし、兵器や軍用品の持つ独特の機能美には強く惹かれる。けれども、その機能が正しく発揮されたときに起こる事柄を思うと、無邪気に楽しむことができないのも、また事実だ。
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Posted at 2005/11/28 17:02:22

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この記事へのコメント

2005年11月29日 1:07
強く同意します。
僕も子供の頃から兵器関係の模型作りに勤しんでいましたし、一方で軍記モノも好きで良く読んでいました。
ですが、戦争は大量の人命がいとも簡単に失われる事ですし、その人達の歩んだ人生の背景を考えれば、決して賛美してはならないものです。

これまで終戦何十周年毎に色んなテレビドラマや映画に、並行して模型が発表されたりしていましたが、今回の大和関連の様々なメディアへの露出はちょっと異常で辟易しています。
夏に帰省した呉の街も大和一色で、僕の少年時代にはこんな事はありませんでした。
社会が右傾化してるのか、戦争経験者が殆どいなくなって痛みが解らなくなっているのか、非常に気にかかるところです。

ちなみに僕が現首相を好きになれない理由の一つに、例えば特攻で戦死された方を悼んで参拝していますが、あくまで個人のノスタルジーかメンランコリーに留まっており、一方で現在の為政者として最高責任者であるにも関わらず、そのような悲劇を二度と起こさないような政策、施策を現実的に実現しようとはまるでしていない事があげられます。
イラクで自衛隊員が戦死した場合(今は戦死の扱いにならないかも知れませんが)、背景や事情こそ違え、為政者として戦場に送り込んだ事には変わりないのですから。
コメントへの返答
2005年11月29日 12:16
もう何年も前のことですが、8月15日に靖国に行った事があります。そのとき、齢80を数えるであろう痩躯の男性が、白い水兵服に身を包み本殿の方向に向かって直立不動していた姿を目にしました。手にしていた幟旗から、彼が戦艦大和に乗り組み、生き残った一人であることが知れました。

政治的な問題とは別に、ひと一人の思いとして、靖国で会うことを約したならば、靖国に詣でて若くに亡くなった戦友たちを悼むことは決して非難されるべきものではありません。

僕は小泉総理の政治手法の真骨頂は「詭弁」と「居直り」にあると思っていますが、この問題についても同じ状況を垣間見ることができるように感じます。
一人の人としての心のありようと、まつりごとの行いようは、全く別個のことであり、それを一連のロジックの中で同列の問題のように語るのは欺瞞であり詭弁です。恥ずべき振る舞いです。
しかし小泉氏は、それをやる。僕は、恥知らずな人間や、人を欺くような輩は大嫌いです。

それはともかくとしまして、僕は右傾化というよりはどうも、夜郎自大な空気を感じます。内に内に向かって閉じこもり「俺はすごいんだ、俺は強いんだ、」と空念仏を唱えているように思えます。

 バブル崩壊からこっち、ジャパンアズナンバーワン宣言の反動かもしれませんが、どうも日本人はその深層心理において自信喪失している。その一方で気位だけは高いままなので、今の状況は我慢ならないでいる。
 だから、例えば勝ち組・負け組なんて二元論で時に他を嘲りまたは嫉み、もしくは自嘲したりするんじゃないでしょうか。バブルの頃にはやったマル金・マルビのような余裕も遊び心も、勝ち組負け組の分類からは感じられません。

 だから、「大和」なんじゃないかなと思うのです。
確かに惨敗の記録ではありますが「技術は当時の世界最高水準だった」とか「戦況が不利だったからだ」など言えますから。喪失した自信のよりどころ(日本は実はすごいんだ!みたいな)としては恰好の対象なのかもしれません。
 でもねぇ、と僕は思います。自信って、何かに依存して得るものじゃないんじゃないの、と。
2005年11月29日 23:56
「人生色々」発言なんて国民、いや主権者、有権者を馬鹿にしまくってると思いますが、それで通ってしまってますからねぇ。
恐怖政治でイエスマンだらけになってしまってるし。
今自由にモノ申してるのは、何も恐れる事がなくなった中曽根、宮沢の元首相と、一度地獄を見た加藤紘一氏くらいなのが何とも皮肉ですね。

ははぁ、なるほど。
反中国や反韓国と愛国主義的な傾向などもその影響ですかね。
僕が子供の頃読んだ戦記ものも、日本は負けたが大和やゼロ戦などの当時としては世界一の兵器があった、的な記述があったりしましたし、高度経済成長時期には戦争には負けたけど誇れるものがあった、と言うストーリーがあったように思います。

しかし、惰眠さんがおっしゃる通り、何かを貶めたり何かと比較して得られる自信なんて砂上の楼閣に過ぎませんね。

バブル崩壊後からこれまでの経済活動の自信のなさと言ったらありません。
ジャパンアズナンバーワンの反動でしょうか、(アメリカ的な)グローバル経営・市場主義万歳、成果主義だのコンサル依存だの、もっと自分達の文化なり培ってきた事に自信を持って、地に足をつけて堂々と振舞えば良いと思うんですけどねえ。
政治も経済も未だに脱亜入欧的なセンスが拭えず情けない限りです。
コメントへの返答
2005年11月30日 12:12
以前(確かイラクへの自衛隊派遣を決めた頃)日記に記したことがあるのですが、現宰相の内閣は憲政史上、過去に例を見ないほど議会制民主主義の原理原則を蔑ろにした最低最悪の存在だと僕は思っています。
 ただ、それは一人小泉氏のみの責任ではなく、先代の内閣総理大臣以前であれば重大な(=首相の首が飛ぶほどの)政治問題になって然るべきことがらを、きちんと責任追及できない議会側にも半分の原因がありますけども。

 最近(特にネット媒体を中心に)よく見かけるようになってきた、とりわけ中韓朝に対する――反感、と言うんですかねえ。あれ、なんかドラえもんに出てくるスネオみたいに見えてしょうがないんですよ。ジャイアンには頭が上がらない一方で「のび太のくせに生意気だぞ」と言うスネオ。「ふふん、うちは金持ちだからね」と自慢するスネオ。
 僕にとっては、あれらは「愛国的」の概念範疇には含められません。その言葉は、既に鬼籍の人である奥田敬和氏や梶山静六氏、後藤田正晴氏などの人士にこそ贈られるべきでありましょう。

 なんと言いましょうか、最近は内閣総理大臣閣下以下、どうも良薬が口に苦きことに耐えられぬ方々が多くなったようで、己が非(もしくは非と感じられること)を指摘されると条件反射的に「反コイズミだ」とか「倒閣運動だ」とか「反日だ」などと仰せになる。幼児的反応に見えます。

 そういえば、アメリカの政府高官が小泉さんの靖国参拝について「米国の国益にも適わず困惑している」旨の発言をしたのに、それに対して「内政干渉だ」とかなんだとかの威勢のいい声は聞けませんでしたね。
 バブル崩壊からこっち、日本の対米姿勢には、どうも一種の負け犬根性が染み付いてしまっているように見えて仕方ありません。これもまたジャイアンに阿諛追従するスネオの如し。ジャイアンの意向を代弁するなど腰巾着を気取ることで、のび太や他の子供たちに対して自分の優位を得ようとするような。
 出来杉君の立ち位置にいて欲しいんですけどねえ…。それだけのポテンシャルを、この国は持っているんですし。
2005年12月1日 0:26
そうそう、僕もそれは前から疑問で、アジア諸国からの日本に対する要望?意見?については内政干渉と主張するにも関わらず、特にアメリカから土足で家に入り込むような事を言われても内政干渉だと言う事は全くないですしね。
(まあ、教科書問題はさすがに内政干渉と思いますが)
アジア諸国に内政干渉と言うなら、等距離でアメリカにも同様に主張すべきです。
日米安保や同盟国と言う事情はあっても、それと付き合い方とは別ですね。
(現にEU諸国はそうしてますし)

反対意見に全く耳を傾けない政治、って一体何なんでしょう?
元々政治って、多種多様な対立意見の調整やバランス取りが重要であり、それこそが自民党が標榜する民主主義、自由主義じゃないでしょうか。
反対意見抹殺じゃ、大政翼賛会と同じですね。
(あの時代でさえ、大政翼賛会に対して反対の声は高かったし、反東條の人も多くいたのですけど)
コメントへの返答
2005年12月1日 13:28
まあ、「対米重視」が国是だそうですので。
それ自体は今の日本のありようからして間違いじゃないと思うんですけど、問題なのは「重視」の内容なんですよね。大人しくなんでも言うことを聞くのが重視だなんて、そんな馬鹿な話はないですよ。
 それに、言葉でどう言い繕おうと、実態面では「重視する以外の相手は軽視」になっちゃってるありさまは如何なものかと。
 二言目には「対米重視は日本の国益」などと言いますが、この国の今の経済水準を支える民間の商売を考えれば、アジア圏と上手に仲良く付き合っていかないと、早晩「対米重視政策の結果、国益が損なわれた」って言わざるを得なくなる時が来るように思うんです。

 反対意見に耳を傾けない政治。そんなことやってたらまたぞろアメリカから「民主主義のない国」とかレッテル貼りされて鉄拳制裁されちゃうぞ~(笑)。ああ、それがおっかないからハイハイ言うこと聞いてるのかな。…など、時々シニカルな気分になるのです。

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