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惰眠のブログ一覧

2010年02月26日 イイね!

「かっこ悪くなったら、やめるからね」ですか……

「かっこ悪くなったら、やめるからね」ですか……きのう国内で正式発表され、きょう発売日を向かえたばかりのホンダのCR-Zを見に青山まで行って来た。表題は、そのCR-Zの公式ウェブで誇らしげに掲げられている、開発者のお言葉だそうである。

 ……という具合に、のっけから斜(はす)に構えた書き方になっているのは、例によって例の如し。なに言うてけつかんねん、と思ったからだ。去年11月の東京モーターショーで見たティザー・モデルや媒体発表された事前公表の写真を見た限りの印象に基づけば「なぁにが“かっこ悪くなったら、やめるからね”じゃ。やめてぇへんやんけ」だ。

 とは言うものの、立体モノというのは現物をじかに見てみると写真の印象とは存外感じが違ったりするものでもある。特に車のように図体の大きいものは尚更だ。んでもって、現物を実際に見てきての感想がどうかといえば「カッコ悪いというほどじゃないかな」くらいまでには印象が上方修正された。

 僕がCR-Zのカタチの何が好かんといえば、一に後半部の造型(特にヒコーキの垂直尾翼みたいな輪郭線を持つリア・ピラー)の単調さ、二に車体側面部分の面の単調さとそれを糊塗するためキャラクター・ラインを入れる姑息さ、そういったものが醸し出す安手の玩具のようなチャチっぽさあたりだ。

 かねてから僕は、近年のホンダの車の造型を見るにつけ「デザイナーはプレス5回の絞込みで完成形になるよう意図したのに、コスト面からの判断で『3回プレスすれば大体同じような形になるだろ』的な製品で事足れりとしている」という印象を持っている。
 今回のCR-Zに関しても同じだ。似たようなシルエット(と名前)を持つ往年のバラード・スポーツCR-XやCRXに比べても、どうも熟成不足というか煮詰めが足りないというか、きちんと完成形として推敲されきっていないというか……もしくは加えるべき細工の手数が減らされている、そんな風に感じてしまう。

 ま、そんなことも思ってはいたのだけれど、それはそれとして。せっかく展示車があるので中に乗ってみたりもした。運転席の雰囲気は悪くない。チョイとばかり未来っぽい感じを出しているのに、某プリウスのように無闇に現実離れした演出を施さないあたり、むしろ好感した。メーターはすごいことになってたけど。

 しかし何より感心した……というのか、半ば呆気にとられたのが6速手動変速機つきのモデルをラインナップしていることだ。いまどきのエコ・カーなのに。



 レバーのトラベル量も決して過大ではなく動作もブラブラだらしないことにはなっておらず、なるほどスポーツ・イメージにたがわぬ感触なのだが、ひとつどうにもいただけなかったのは4速の位置から5速にレバーを動かそうとすると、3速にダウン・シフトしてしまうのか意図どおり5速にアップできるのか非常に分りづらいことだ。
 運転席側にレバーを引き寄せることを意識して操作すると、今度は一番右の位置――つまり後退ギアに入れる位置――まで何の抵抗もなく倒れてしまう。 「マニュアル6速ミッション」というカタログ・アピールだけが目当てだというなら別だが、これはお話にならない。

 日本国内向けのモデルは2+2のシート構成で、後部に小ぶりな乗員用の椅子が用意されている。+2に過ぎないので大の大人が着席することには元々無理があるのだけれど、試してみたところ本当にムリだった。
 下半身は、運転席や助手席に膝が当たって苦しいにしても、普通に収まった。どう足掻いてもムリなのは上半身。身長176センチ少々の僕が座ると、肩より上が天井に支えてしまう。首を前に折り曲げて屈葬された死体みたいなポーズをとると、今度は首から先を運転席の背もたれより前に突き出さざるを得なくなる。昔のユーノス・プレッソは辛うじて乗れたのになぁ、なんて埒もないことを思い出した。

 そんなこんなで思ったのだが、パッケージングから見た場合、CR-Zこそが初代インサイトの正統後継なんじゃなかろうか。



 実はホンダは「インサイト」の名前をコイツに与えたかったんだけれども、商売上の理由から――よりマーケットの大きい、普通に4人+1人が乗車できるモデルを安定的に販売した上で余技として出すのでなければ、2+2だけじゃ食っていけない――先に出したあっちにインサイトを襲名させたんじゃないか……なんて。

 カタチについては言いたいこと言わせて貰ったが、これでも結構、試乗してみたいなと思っていたりする。まあその、インサイトは乗ってみた結果、チョット辛抱たまんないわ~って感じになってしまったのだけれども。

 フォトギャラリーにも少々関連写真を。
Posted at 2010/02/26 19:49:39 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日本の車 | 日記
2010年02月08日 イイね!

それを「リコール」するなんてとんでもない!

それを「リコール」するなんてとんでもない!三代目プリウスのブレーキの話である。

 まず概論。マスコミ報道されているプリウスのブレーキ動作に関する「苦情」の内容は、聞けば大体想像がついた話だが、あれはABSの効き方の「クセ」に原因がある。ABSというのは極論をすれば「ブレーキをかけている最中に、わざとブレーキの効きを弱める」ために付けられた装置だ。

 だから、路面が凍結していたり砂が乗っていてABSが介入するような局面、強い凹凸のある路面で制動をかけるような場面では(セッティングの方針により程度問題はあるが)多かれ少なかれ「ブレーキが効かなくなる瞬間」が発生するのである。

 その結果、場合によっては制動しきれずに追突事故を起こしてしまったり、停止線をオーバーランして赤信号の交差点に進入してしまったりといった不都合を生じることだってある。ちなみに後者のオーバーランは、僕がユーノス500で寒い冬の朝、地下鉄工事中の幹線道路で鉄板を踏んで実際に経験した事例だ。幸いにして事故にこそならなかったものの、ABSが作動しっ放しになってクルマが一向に減速せず、赤信号の交差点がぐんぐん近づいてきて、本当に血の気が引いた。

 次に「リコール」という制度。その手の解説書きをどこかで読めばちゃんと書いてあるが、リコールというのは、車の設計や製造、材質等々に原因して「保安基準を満たさなくなる状態」が生じかねない場合に行うものである。平たく言えば「欠陥」への対応なのである。決して「ユーザーからの苦情が多いから」やるものではない。フィーリングが合わないからといってやるものでもない。

 三代目プリウスのブレーキ“問題”は、敢えて言えば、ABSの制御プログラムの設定が、一部のユーザー(報道によれば国内で100件余、海外でも同じくらい?)にとって、許容限度を超えて、不自然に感じられたという「だけのこと」に過ぎない。ブレーキが動作しないといったような「車の欠陥」の話などではない。そして苦情の件数にしたところで、何十万人、何百万人に上る三代目プリウスのユーザーがいる中での数百件、である。「その程度」の割合での苦情など、どんなクルマにだって日常的に出てきて少しも不思議ではない。

 読みかじった話だが、国交省の側も「ここまで騒動が大きくなっては、リコールを出さない限り収まりがつかないだろう」というような“行政指導”をトヨタに対して行ったらしい。
アホか!と文字を大にして言いたい。制度趣旨にそぐわないことをやらせて、何とする。それも役所が主導して。制度の運用者と使用者が揃いも揃って趣旨から外れたことを、「リコール」という言葉の持つ(世間における)イメージに乗るためにしようとするなんて愚かな迎合だとしか言いようがない。
 これからは製品自体に欠陥がなくても消費者からの苦情が多くなったら、そのたんびに制度の趣旨を外れたリコールを乱発するのだろうか。そんなの、もはや「制度」の体を成さないとは思わないのだろうか。リコール制度の「論理」を有名無実化する覚悟があるのだろうか。

閑話休題。

 回生ブレーキとコンベンショナルな摩擦式ブレーキを併用するプリウスには、実際問題としてブレーキの感触にクセがある。三代目の現行モデルでは、ちょっと試乗した範囲では殆んど気にならなかったものの、初代のプリウスにはかなり顕著に「思ったとおりのリズムで車が減速していない」という不快感ないしは違和感があった。僕がハイブリッド車を色眼鏡で見るようになった原体験の一つだ。
 そういった「違和感」とABS制御の「不自然さ」が相俟ったとき、人をして「もしかしてこれって欠陥なんじゃねえの?!」と思わしめる可能性は、多分にある。

 でも、そう感じる人が、例え仮にプリウスを購入した全てのユーザーであったとしても、それが「欠陥」でない限りは、リコール制度を用いるのは筋違いだ。断固として、自主改修に類する別の有効な方法で対処するのが、制度の趣旨に照らして「正しい方法」なのである。
 欠陥ではない以上、販売済みの分に関しては、「問題あり」と感じているユーザーに対して、例えばクレーム処理(そういう対処方法が、自動車メーカーには用意されているのである)やサービス・キャンペーンで応じることだってできるし、それらの手段でユーザー側に不都合はなんら生じないはずなのだ。

 どーせ9日中にトヨタはリコールを届出ちゃうんだろうけれど、それでも僕は敢えて
「それをリコールするなんてとんでもない!」
文字サイズを特大にして書いておきたい。
Posted at 2010/02/09 03:47:06 | コメント(6) | トラックバック(0) | 事件・事故 | 日記
2010年02月07日 イイね!

ちょっとミニを見てきた

ちょっとミニを見てきた父が車の買い替えを検討している。より正確に記述すると、検討しているのは「買い換える車をなににするか」であって、買い換えること自体は既に確定事項だ。

 父の二人の息子はどちらもクルマ好きなので、そういう話題には飛びついて、アレはどうだコレはどうだと色々アイディアを出すのだが、そこで「ああ、僕らはこの人の息子なんだなあ」としみじみ思わされることになる。
 父の二人の息子は、それぞれ嗜好に違いはあるにせよ、自分が所有するクルマに関しては「譲れない一線」「外せない一点」といったものを結構明確に持っている。それは父も同様だったのだ。

 そういう線だの点だのを持っていると、選択肢はどうしたって狭まってくる。更に、街中で頻繁に出会うような車には乗りたくないなぁ、だとか、今乗っているレガシィより幅や長さが大きくなると駐車場が困るなぁ、だとか、孫のベビー・カーを積めるだけの貨物スペースは必要だなぁ、などといった制約も追加されるので息子たちの示すアイディアは尽く「アレは駄目、コレは駄目」となる。

 そんな中でチョイと入れ知恵したのがBMWミニのクラブマンだ。標準のミニよりも少し長く、おかげで室内と貨物スペースにやや余裕がある。外観写真を見た限りでは、結構父も好感触を持ったようだった。
 ただ公式ウェブが変に凝り過ぎていて閲覧性が必ずしもよくなく、かつ情報量も決して十分とは言えないものだったので、候補にお薦めしちゃった責任みたいなものを感じて、今までじっくり眺めたことのなかったBMWミニの資料を貰いに、ディーラーに足を伸ばした、というのが表題の顛末だ。

 父と公式ウェブを見ながら話した中で「何で書いてないんだろうねえ?」と首を傾げてしまったのが、右ハンドル車が設定されているか否かの記述が見当たらなかったことなのだが、ディーラーに展示してあったクラブマンは事も無げに(というのは変な日本語だが)右ハンドル仕様だった。
 室内寸法、とりわけ高さがキツいのではないかとの懸念があったが、齢40を過ぎて体の柔軟性を失ってきた長男が展示車に座ってみた限りでは、運転席の座面高さが相当に広範囲の調整が効くこともあって、特に問題を感じるようなことはなかった。

 後部座席へのアクセスが、運転席側(つまりは路上駐車したときの車道側)からに限られることや、その後部座席が、父が乗っているレガシィと比べてしまえば明確に狭い(といっても、身長176センチの僕なら特に不都合なく普通に座れる)こと、車検証上の乗車定員がレガシィより1人少ない4人に留まることなどはマイナス要因に挙げられる。
 だけれども、実家でのクルマの使い方を想像する限りでは、それらは実用上さして差支えはないんじゃなかろうかと思われた。つまりハードウェアとして見た場合、BMWミニのクラブマンは、結構自信を持って父に薦められる車だった。推薦人としてはちょっと安心。

 しかし問題は、最初のほうに書いた譲れなかったり外せなかったりする「点と線」なのである。インテリアの演出などといったソフトウェアの部分は、どうだろうかな……。

 今のBMWミニの一族というのは、いわばかつて日産が企画・販売したパイク・カーである。庶民の足としてBMCが生んだ実用本位の大衆車だった元祖Miniと違い、今のミニは通常の乗用車に用意される程度の「遊び心」程度では飽き足らない顧客をも囲い込むためにBMWが用意した、より玩具性(もしくは趣味性)の強いラインナップだ。

 とは言え、生真面目でお堅いと言われるドイツ人が、歴史ある車の名前を引き継いで製造している車だ。「遊び心」を演出するために設けられた種々のガジェット……というと言葉がきついな、種々のデコレーションといえども、その素材一つからしてちゃんと作られているように見える。つい「おう、真面目に遊んでおるな、偉いぞ」と褒めてるんだか褒めてないんだか分らないようなセリフがのどまで出かかる。

 ただ、どうもその「遊び方」の方向性と度合いがちょっと、父の趣味には合わないんじゃないかな~と、これまた結構自信を持って感じられてしまったのが推薦人としては困ったところだ。もうちょっとオーソドックスならば、何も困ることはなかったのだが。それじゃ商品性を否定することになるか。
 尤も、最終的に判断するのは、自分でディーラーに足を運んでミニ・クラブマンを見に行くことにした(らしい)父自身なので、ここで僕がとやかく論評することじゃないだろう。
Posted at 2010/02/09 05:47:55 | コメント(0) | トラックバック(0) | 海外の車 | 日記
2010年01月31日 イイね!

「アクセルが戻らない」

「アクセルが戻らない」添付の写真は僕のユーノス500の(だいぶ昔に撮影した)ペダル周りのものだが、話題は当然、アメリカで問題になったトヨタの大規模リコールの件だ。

 レクサス車の運転中に表題のようなトラブルに見舞われ、持っていた携帯電話で警察に緊急通報をしているさなか、そのまま事故を起こし搭乗者全員が死亡するという悲惨極まりない事例がセンセーションを巻き起こしたことは記憶に新しい。1月末時点で言うと、この問題は米CTS社が製造しトヨタに納入していたアクセル・ペダルのアッセンブリーに起因するということでひとまず原因が特定された形となっている。

 ただ、ここに到るまでには「純正オプションではないフロア・マットを敷いた場合、ペダルが引っかかって全開のまま固定されてしまうことがある」なんて“原因”が報告されたり――多分、それが原因となった暴走事例も、実際にあったのだと思う――したために、最終的に車本体の欠陥が判明したところで、トヨタに対する不信がいや増してしまった側面があるようにも感じられる。

 こういう言い方になっているところに現れてしまうのだが、僕は実のところ、連日のマスコミ報道がしかつめらしい顔で、何かしらトヨタの「悪者性」を印象付けようとしているかのごとき傾向には、相当懐疑的だ。

 トヨタの対外的な対応が後手後手にまわったとか、問題発生の原因を「車以外」に求めようとしたのではないかとか、そういうリスク・マネジメントの不手際は確かにある。しかし「車の不具合箇所の特定」、それも再現性の低いトラブルの原因特定というのは、そんな簡単なものじゃない。

 表層に現れる「アクセルが戻らない」という現象が、なにに起因して生じるのか。ちょっと想像してみただけでも、それこそフロア・マットの引っかかりも考えられるし、可能性だけで言うなら車内で飲食していた清涼飲料の空き缶が挟まっていた、なんてことだってありうる。
 ペダルのリターン・スプリングが折損した、とかワイヤーがどこかで引っかかったとか、一部取り沙汰される電子制御系がイカレたのかも知れない、などなどパーツの数だけトラブルの原因は想定しうるのである。機械側の問題ではなく使用者側の落ち度が原因の可能性だってありうる。

 「リコールを出す」となれば、当然のことながら原因箇所の特定と併せて対策も示されなければならないわけで、インスペクションも終わらないうちから軽々に「弊社の製品にどうやら不具合があるようなんです」みたいなことを言うとしたら、それはそれで無責任な話だ。

 某財閥系自動車メーカーが欠陥を隠蔽しリコールを怠りコッソリ修理することすら途中で放棄してしまった「企業ぐるみの犯罪」と今回のケースは、まったく性質が違っている。

 ここに来て看板車種となった三代目プリウスのブレーキの「効き方」に関する「ユーザーからのクレーム」までひっくるめて十把一絡げに問題視する向きもあるが、僕はそういう姿勢には大いに疑問を感じるし、異を唱えたいところだ。
 プリウスの件に関しては稿を改めるが、ああいう「車の(悪い)クセ」の範囲に納まる事柄や、その苦情を受けたメーカーの商品改善を、まるで悪いこと・間違ったことのように報じるマスコミや一部の(専門知識に著しく欠ける)特定評論家の言い分は、それこそ「そっちのほうが間違っている」「不勉強にもほどがある」と声を荒らげたくなるのである。
Posted at 2010/02/09 02:25:42 | コメント(1) | トラックバック(0) | 事件・事故 | 日記
2010年01月03日 イイね!

正月の話

正月の話これを書いているのは既に2月の9日になるが、抛ったままにしておくのも多少気が咎めるので正月の話をいまさらながら書き留めておく。

 年内の仕事納めもなく大晦日、元日とシフト勤務で会社に出続けていた僕の年末年始休みは、今回は三が日最終日の1月3日からとなった。人繰りの厳しい職場だし、ついうっかりシフト作成担当者に「3が日のうちどっか休めれば特に気にしませんよ」というようなことを伝えてしまったのが失敗だった。とは言え、さすがに年末年始がベタ付けで勤務日にされるとは予想していなかったのだが……。

 まぁ過ぎたことをいまさら愚痴っても仕方がない。例年のように実家に帰省し、両親や弟一家と久しぶりの対面を果たす。弟の一家に新たに加わった姪とは、僕が11月ごろから長引く咳に悩まされなかなか快復しなかったことが原因で、これが初対面となる。
 弟一家は僕と違って実家との往来も頻繁なので、女の子を欲しがりつつも果たせなかった母にとって、孫とは言え女の子供が家族に増えたことは大きな喜びのようだった。

 ちょっと面白かったのが、一番上の甥だ。僕との会話で語尾が「です・ます」になっててチョイと疎遠さを感じさせられてしまったが、考えてみれば弟一家の長男はもう中学生だ。「先輩・後輩」関係を意識せざるを得ない年齢になり――ある意味「社会への適応」が進み――自分の父親の兄、という「大人の他人」と相対するにあたって、やはり子供のときのようなままではいられないところがあるのだろう。

 自分が子供だった頃のことを思い起こせばなんら不思議ではないのだけれども、こうして自分がそれをやられる番になると、こそばゆいような寂しいような、なんとも妙な気分になってくる。こうして段々、大人になっていくんだなぁ……。
Posted at 2010/02/09 01:46:52 | コメント(0) | トラックバック(0) | 身の回りの出来事 | 日記

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何シテル?   07/24 21:51
曲面の綺麗な旧い車が好き、エレガンスのある車が好き。そんなこんなでユーノス500に乗りつづけ、もう……何年だ?  気がつけば屋根のない車まで併有。いつまで乗り...
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