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惰眠のブログ一覧

2007年06月13日 イイね!

動機が知りたい

動機が知りたい一般の刑事事件の場合、新聞でもテレビでも犯行の動機が記事に出てくるのがお約束だ。猟奇的な事件が起きたりした場合にはなおのこと、犯人がどういう動機で犯行に至ったのか各界の識者と称する人たちが、あーでもないこーでもないと自説を述べ立てる。ところがコトが行政処分案件なんかだと、違反事実はともかくとして「なぜ違反なんかしたのか」が語られないような気がする。

 たとえば、そう。今回のコムスンの問題だ。六本木ヒルズに本拠を置くグッドウィル・グループの一員にして民間介護サービス会社大手のコムスンが介護報酬を不正に請求し受け取っていたこと、そのことが露見すると行政処分を逃れるため処分前に当該事業所を次々自主閉鎖していたこと。
 要介護者をだしにしてインチキしやがってと僕だって腹が立つのだけれども、同時に「なんで介護報酬の不正給付に手を染めることになったんだ?」と言う疑問も持っている。なんとなーく想像はついているのだけれども、当事者や周辺関係者の口から、その辺の動機について明確に語ってくれないかなー、なんて思っている。

 それと言うのも、僕はそもそも論として「民間介護サービス事業なんて、民業としてはまっとうに成り立たないカテゴリーなんじゃねえの?」と思っているからだ。介護に限らない。医療もそうだ。福祉関係の分野は、収益事業(つまり、民業)では成立しない――させようとすると利用者にすごい負担を求めることになるもんじゃないかと思っているからだ。
 コムスンの財務諸表を開いてみたら、普通に商売してご利用のお客様から御代をいただくだけじゃあ事業支出分にも満たない、自治体から支払われる分を乗っけても正規の請求だけじゃ利益が出ない、そんな収支バランスになってるんじゃないかって気がしている。

 だって、介護サービスへの民間参入が図られたのは、官業でやってた介護事業が破綻しちゃったから――採算が取れないからなんだから。利益が出ないんで民間は手を出さない、でも存在しないと困っちゃうような事業分野を補うのが再三度外視の官業ってもんでしょと僕は思うのだが……。

 診療報酬なんかでも、時々水増し請求をした病院や医師が処分を食らったりしているけども、それだってガメつく稼ぎたいからインチキしてるのかって言えば、一概にそうとばかりも言い切れない気がする。……そういえばこっちの問題も、水増し請求を何でやったのか動機が解説されることはまずないなぁ。

 対症療法的に、申請内容の審査を厳格化するとか提出させる証憑の数を増やすとか、罰則を強化するとかの対策を打つことはすぐに思い浮かぶ。多分、今回のケースを受けてお役人もそういう動きに出ると思う。でも「どういう動機でそれをやったの?」ってところまで掘り下げて考えないと、問題の根本解決はできないんじゃないのかなあ。――もしかしたら、問題の本質はそのままうやむやにして置きたいって事情があったりするのかも知れないが。
Posted at 2007/06/13 20:42:25 | コメント(2) | トラックバック(0) | 事件・事故 | 日記
2007年06月01日 イイね!

記者たるもの『同情するとも同化はせず』じゃないのか

記者たるもの『同情するとも同化はせず』じゃないのか僕は奈良の大淀病院を巡る一連の報道に関して、直接当事者でも利害関係人でもないのであまり引っ張るつもりはなかったのだけれども、『報道』と言うものに関心がある社会学系分野の学徒の成れの果てとして、もう少し続けて書いてみようかと思う。(大阪ABCの写真は持ってないので、お台場フジテレビ社屋の写真でお茶を濁す。民放を代表させるようで関係者には申し訳ないが……)

 言うまでもなく遺族男性が遭遇した出来事は、気の毒な限りだ。当事者ならぬ誰が口にしても空虚かもしれないが、それでも深い同情を禁じえない。そしてこうした事例を取材する時には、遺族に気持ちを寄り添わせられなければいけないんだろうと思う。でも取材者というものは、同化しちゃったらいけない。
 例えば世間から自業自得と嘲られるようなことで命を落とした人物の遺族に取材するとして、それだって遺族は悲しいわけですよ。その悲しみを汲めない記者は、遺族の取材になんか出向くべきじゃない。だけども記事にするときに「気の毒なんだけど、やっぱ自業自得なんだよね……」って視点が取れなかったら、まともな記事にならないのは自明ではないか。

 さて、前回この問題について書いた折に頂戴したコメントに返信しながら、大淀病院の妊婦死亡を巡る医師と遺族のトラブルを、どうもメディアの側は「権力VS個人」の図式に当てはめているのではないかな、それで「弱者である個人」に肩入れをしているのかもしれないなと閃いた。
 僕は関東在住なので放送を見たわけではないけれども、つい最近大阪の朝日放送が深夜にオンエアしたドキュメント番組が取った取材手法が、まるで汚職とか警察不祥事など『権力側の起こした事件』で疑惑の渦中にある当事者に直当たりするのと同様のやり方だったことが紹介されていた。うーん、メディア側はやっぱりこの事案を「権力集団VS弱い個人」の図式に位置づけているのかな……。

 医師が権力なのか患者が弱者なのかと言う検討はここではしないが、一般的に非・医業従事者である患者にとって医療に関する知識も技術も合わせ持った専門家は『自分より上』だとか『立場が強い』と感じるのではないか。
 こうした仮定が的を射ていたとすると、新聞やテレビなどメディアが原告の遺族男性が掲げる『弱者の正義』に肩入れしているように見える理由も、わかるような気がする。
 そして重ねて言えば、他の医師個人や医師会などによる「医学的(≒科学的)に、当該医師のとった行動に問題はなかった」との声明が記者たちの耳には『批判されることを恐れる既存権力者が内輪で庇いあっている』ように聞こえるのかもしれない。そして医療関係者から批判されればされるほど、ますます『対権力の聖戦』という図式に確信を深めて聞く耳持たなくなるのかもしれない。

 それにしても、遺族から提供されるなどして入手した筈の診療記録を検証すると言うことを、どうしてメディアがやらないのか僕には全く理解できない。「このような対応が取られていた」と言うファクトは、それ自体が大きなニュースバリューを持つ情報なのに、である。
 記載内容に改変・捏造等不正確な部分が仮にある(=だから報じない)のならば、カルテが事実を反映していないこと自体がスキャンダルになる(ニュースバリューを持つ)わけだが、そういう報道がされていないところからするとカルテの記述は信頼するに値するのだろう。
 カルテの記載事項は個人情報そのものだから、もしかしたら遺族側から「取り扱いには十分配慮してください、全文の掲載などはやめてください」とでも言われてるのかも知れないが……だったらば文字が読めるような形で写真を載せたりはしないはずで、本当に不可解としか言いようがない。

 しかし返す返すも大淀病院サイドは勿体無いチャンスを無駄にしたものだ。朝日放送の取材クルーを伴って遺族男性が現れた折、もう何度もご説明申し上げたのでこれ以上話すことはないと突き放してしまったらしい。
 その気持ちは本当によく分かるのだけれど、もし仮にこのとき、テレビカメラの回っている前で「カルテに基づいてご説明します、個人情報が第三者にも明らかになりますが、そのことも了解の上と認識しますがいいですね?」とでも言質を取って、当日の対応を逐一詳細に解説していたとしたら、どうだっただろうか。

 遺族の男性は改めて説明を受けたとしても納得しなかったかも知れない。妻の死を医療ミスだと考えた上での行動である以上、納得してもらえた可能性は低いだろう。だが取材をしている者の印象は?視聴者がその部分を見て受ける印象は?医療側の説明を全肯定しないまでも、メディアが報ずる「事件」の像とは異なる事情が存在することを認識してもらえたのではないだろうか。

 この事案に関して僕は、当事者を含む医師の側に理があると感じている。けれども上に引いた例に限らず、医療従事者側からの発信や対応を必ずしも是と思っているわけではない。
 例えば「病状からすれば、どのみち助からなかった」といった趣旨のコメントを目にすることがある。それは、客観的にはその通りなのだろう。でも、だからと言って迅速な対応が取れなかったことを正当化する根拠にはなり得ない。「それはそれ、これはこれ」だ。しかも悪意で読めば「致死的な状態の患者には救命医療をしなくていい」と主張する医療関係者がいるようにさえ感じられる。

 もう一つ、カルテ情報の共有の問題。遺族側弁護士にも突っつかれているけれど、やっぱりこれはルール違反の誹りを免れない。これがあったから医療業界の世論形成が迅速に進んだことは間違いないし、かく言う僕がいまのように「毎日の初報、その後の各社の遺族よりのスタンスは客観性や合理性に欠けた偏向報道だ」と考えるようになったのも、共有されたカルテ情報を咀嚼した医療関係者の手によるブログを複数目にしたからでもある。
 結果として、非常に有効に機能したのは間違いないんだけど……でも、原則とかルールとかの建前は守らなくちゃあいかんよね、と思うのだ。道路の規制速度だって実態面では遵守されているとは言いがたいけれども、公然「速度違反してもいいんだ」とは言わないのと同じで、逸脱は逸脱。これを正当化するのは、違うと思う。

 今回の事例で医療従事者の立場から状況を説明しようとすれば、どのみち守秘義務の壁と向き合わなければならない。それならば、当該医師や病院にオフィシャルな立場で聴取を行い見解を示すことのできる公的組織――具体的には県医師会が、もっと積極的に動けないものだろうかと感じている。
 遺族による損賠提訴以降の状況に際しても、メディアが医学的に合理的とは思えぬ立脚点から医師を論難するのであれば、これは「大淀病院の対応に問題なし」と既に表明している奈良県医師会の産婦人科医会の声明を真っ向否定もしくは無視した形になっている――顔に泥を塗っている――わけだ。

 であるならば、内容証明でも公開質問状でも何でもいい「どのような根拠に基づいて県医師会の医学的な判断を真っ向否定するような報道をしているのか明らかにせよ」と在阪報道全社に投げかければいいのではないか。科学的根拠に基づいた医師会の判断をネグる報道は『あるある大辞典』と同罪ではないかと問いをぶつけることは可能なのではないか。
 県医師会が個別の紛争事案に巻き込まれることに躊躇はあるのかもしれないけれども、あくまでも相手を報道機関に限って訴訟事案には触れず、かつ「県医師会の出した判断を『違う』と報道する根拠は何か」と問いかけるに留めるならばあるいは、と僕などは思ってしまう。

 冒頭に書いたように、僕はこの事案については何の利害関係もないけれども、ファクトを立脚点にしない「報道」は容認しがたいと思っている。紛争当事者のどちらに対しても、肩入れも批判もしない。ただ、主観ではなく客観的事実について争ってもらいたいとだけ願っている。報道とは、そういうものでなくては――そういうものであろうとし続けなければ――いけないと思うからだ。

 で、最後に。毎日新聞によると「医師個人を問題にするのではなく(中略)緊急かつ高度な治療が可能な病院に搬送するシステムが機能しない現状を、行政も医師も、そして私たちも直視すべきだと思ったから」記事化したと言い張るが、もしそうならば記事の体裁は06年10月18日付朝日新聞記事(関連URL)のようにシステムについて論ずる記事なる筈なんだけど。
 それとも毎日の記者は、こういう広範な対象に取材をする能力も、こういう資料的に裏づけがある文章を組み立てる作文力も備わっていないということなのか。独り善がりな自画自賛はカッコ悪いということに気づけるだけの知性さえも持ち合わせていないと言うことなのだろうか。
Posted at 2007/06/01 20:13:21 | コメント(3) | トラックバック(0) | 事件・事故 | 日記
2007年05月29日 イイね!

続・記者の質――「虚報」は言いすぎだった――

続・記者の質――「虚報」は言いすぎだった――前々回にああは書いたものの、ちょっと原点をもう一度冷静に振り返ってみようと思って、改めて毎日新聞の当該記事を探してみた。毎日新聞社そのものの記事リストでは既に見られないようだけれども、全文をコピーし掲載しているサイトは幾つかあったので(著作権の侵害なんだけど……)内容はわかった。

 で、過ちては革むるに憚ることなかれ、だ。毎日新聞の虚報であったと断じたのは、言葉が過ぎた。撤回する。その理由は、次の通りだ。

 転載されている記事を読むと、読者の受け止めはともかくとして、新聞記事の作法は守られていて、ちゃんと一方当事者の主観ベースで主張されている事象(=カギカッコ引用)と、客観的事実(=記事の地の文)とを区別して記述している。
 つまり、少なくとも形式面において、毎日新聞自体は主体的に『放置』とも『たらいまわし』とも言っていない、そのように遺族が主張しているのを紹介しただけであると言いうる体裁を整えて(言い換えるなら、言い逃げする余地を残して)いるのだ。それに、確かに『重篤患者の緊急転院を行うシステムに問題がある』ことも、言われてみれば書いていないわけではない。

 たとえ遺族側主張を偏重したような記事であったとしても、「遺族はこういっている」との体裁を守って逃げ場を作っているいる以上、「虚報」と呼ぶべきではない。精々「飛ばし記事」と表現するに留めておくべきだった。

 ただし、僕が撤回するのは「虚報」と決め付けた部分だけ。事実経過の中でサラッと流して書いてあるだけなのに「緊急かつ高度な治療が可能な病院に搬送するシステムが機能しない現状」を訴えたかったなどと言う事後の解説は独り善がりが過ぎて噴飯ものである。
 あの書き方で「この案件のポイントって、妊婦が亡くなったとか医師が全力を尽くしてないとかじゃなくて、システムに問題があるって話じゃねえの?」と気づく読者がどれほどいるのか疑問だ。

 繰り返して書くことになるが、本当に最初から「緊急かつ高度な治療が可能な病院に搬送するシステムが機能しない現状」を世に問うつもりだったならば、本記原稿があのようなものだったにしても最低限サイド原稿なり識者コメントの採録なりを付して、記事の重点がそちらにあることを明確にしていた筈だからである。(それとも戸別配達された印刷紙面では、そうしたサイド記事も掲載されていたのだろうか?)
 もしくは遺族と病院の争いの部分にはあまり言及せずもっと普遍的な問題として、現在の奈良県南部の体制では出産中に重篤な状態に陥ったとしても、救命医療が開始されるまで6時間かかることを覚悟せねばならない、現にそのような事例がおきているという文章構成を採っているはずなのだ。

 だが実際に掲載された記事の骨子は、あくまでも遺族と病院が対立している状況の紹介――控え目に言って――が主要な関心事で、「高度な治療が可能な病院に搬送するシステムが機能不全に陥っている」実態を訴えるものではない。行間を深読みしたときに、妊婦死亡事案にはシステム上の背景があることが想像できるといった程度に過ぎない。

 更に、医師個人を問題にするつもりがなかった云々の説明も、僕は受け容れるつもりはない。そんな筈ないだろと思っている。
 新聞記事のお作法の上ではきちんと体裁を守っているが、その実、遺族に糾弾の台詞を「代弁」させているのではないのか?病院側のコメントの中から敢えて木で鼻をくくったようなものを選んだのではないのか?
 そもそも論を言うと、この出来事を固有名詞入りで記事にして世間一般に広く知らしめようとしたこと自体が「わるいいしゃをこらしめてやる」と言う意図の表れではないのか?
 テクニカルな部分では第三者性を担保するよう保険をかけているので「虚報」とか「誤報」ではないけれども、記事全体の指向性は「あのびょういんのおいしゃさんがたいまんだったから、おんなのひとがしんじゃったんだって。ひどいよねー」ではないか。

 亡くなった女性のカルテに記載された内容に歪曲や誤り、改竄がないとするならば、記事のベクトルが全く逆に向く可能性すらある。「患者側との認識のギャップに翻弄される医療の現場」のようなものに。一連の帰趨を見ると、僕はむしろそういう記事を書いたほうが余程意義深かったのではないかとすら思う。無論、そうした記事が掲載されれば、遺族が傷つくだろうことは想像に難くないけれども。

 僕は、毎日新聞記者たちが掘り起こそうとした「事実」が、『その時そこで何が起きていたのか』ではなくて『妊婦の死亡を巡り遺族と医師(病院)の間に争いが起きている』だったこと、そして争いの当事者の一方の主張をベースに記事を組み立てたことの2点を主要なポイントとして、彼ら(彼女ら、か)は記者失格だと考えている。

 争いの当事者のどちらをも、責めようとか非難しようと言う意図は全くない。ただ病院には、ここまで問題が深刻化しないように打てる手があったはずだと思っている。
 それは例えば、最大限毎日新聞からの取材に応じ、流石にカルテの内容を明かすことは出来ないにしても、事実として(あるいは一般論との言い方ででも)、どのような対応を取ったのか(取りえたのか)取材者の質問に答え理解させること。
 記事が掲載されたあとでも、速やかに記者会見を開いて「できる限りのことはした」の具体的な内容を時系列に沿って説明することが考えられる。

 確かに個人情報保護や守秘義務は重い。だけれども、新聞記事が『カギカッコ』引用をすることで逃げ場を確保するように「カルテ記載内容の開示ではなく、その医師の記憶を元にどのような行動をとったのか聴取した結果です」との弁解は、程度問題だけれども成り立ちうる余地があるんじゃないかと思うのだ。だって「知りません」は偽証でも「記憶にございません」なら偽証にならないんだから。そのくらいのグレー・ゾーンは容認しなくちゃ。
Posted at 2007/05/29 18:44:28 | コメント(2) | トラックバック(1) | 事件・事故 | 日記
2007年05月25日 イイね!

記者の質がすごく落ちている(※画像と本文は関係ありません)

記者の質がすごく落ちている(※画像と本文は関係ありません)添付の画像と本文は直接的に関係があるって訳ではないのだが、都内のテレビ局代表と言うことで。

 少し前、10年来の交流がある在京テレビ局の報道記者と一緒に食事をする機会があった。ズーッと気になっていたことが僕の主観に過ぎないのか、中堅記者も同じことを感じているのか知りたかったので、直裁に聞くことにした。「なあ、最近、君が一番下っ端で駆け回ってた頃に比べて、記者の質がものっすごく劣化しているような気がするんだけど、俺の考えすぎか?」と。

 友人である報道記者の答えは、とても残念なものだった。彼は顔をしかめ、全面的に僕の問いを肯定したのだ。「取材する、と言うことが判っていない。だから、掘り下げることも考えることも突っ込むこともできないし、何が問題なのかさえわからない。記者として非常に低いレベルに安住している」。しかも、中堅以上の記者がそれじゃ駄目だろと若手記者たちに言っても、何で駄目なのかすら理解できない、しようともしないと愚痴ること愚痴ること。悪い意味でサラリーマン化している、と彼は嘆いた。

 続けて友人は「問題は、記者のレベルが落ちただけじゃない」とも言う。ニュース番組までもが経営上の必然から『数字(=視聴率)』を求められるようになり、結果として例えば主戦場である夕方ニュースなどは『在宅している奥様方の興味を引くような内容』にどんどんシフトして行き、現場として「これを伝えなくちゃ報道機関としてダメじゃねーか!」と言うような重要な事案ですら最悪取り上げられず、取り上げられても番組幹部が考えるところの(とは言っても実際視聴率によって裏づけは取れているそうだが)『主婦受け』するようなワカリヤスイ図式に組み替えられたようなものにされてしまうのだそうだ。友人は硬派の報道記者なので「毎日、デスクと喧嘩だよ」と深い深いため息をついた。

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 ――と、ここまでがマクラ。長いけど。
ようやくここからが本題なのだけれど、奈良の大淀病院に出産のため入院していた女性が、出産中に脳出血を起こして亡くなった「出来事」のことだ。
 先日、亡くなった女性の夫側が「遺族がマスコミに提供した以外の診療記録がネット上に流出している」云々、「病院関係者の仕業に違いない」云々として、本件の裁判(医療過誤が原因で妻が死んだので損害を賠償せよ)以外に刑事告発するような意向を表明している。特に遺族側弁護士は大変意気軒昂なのだが……。

 この事案については、ほとんど『毎日新聞の虚報記事がもたらした深刻かつ回復不能な報道被害』としか言いようがないと感じている。そのあたりの経緯に関しては、この「みんカラ」内でも医師を生業とする方が記しておいでなので割愛し、取材した側の流れを、ちょっと考察してみたい。医師系のブログなどでも、そっち側からこの「毎日新聞が起こした事件」を検討した例は見かけなかったし。

 まず、毎日が昨年10月に報じた「妊婦放置6時間、たらいまわし死」。署名記事を書いたのは、奈良支局勤務の恐らく3年目前後の駆け出し女性記者。後日掲載された彼女の「ふりかえり」に作意がないとすれば、この記者が大淀病院での出来事を知ったのは記事が新聞に掲載される2か月半ほど前だ。
 まず、ここが一つ目のポイント。彼女はどこから、この第一報を聞きつけたのか。最初、僕は弁護士からネタの売込みがあったのではないかと思った。そうであるならば、記事の方向性が遺族側の視点一辺倒に近いことの理由が非常にわかり易いからだ。だが「ふりかえり」にある、遺族を割り出すことができたのは出稿の直前だとの記述を信じると、一番ありそうなのは妊婦の異常死の届けを受けた所轄署スジだろう。それも恐らくは「雑談」レベルで出た話ではなかろうか。
 で、これも多分だけれど、警察は事件性ナシの判断で動かず、したがって他社も(事案の存在を知っていたかもしれない……可能性は高い……が)取材には走らなかった。この時点で、端緒を掴んだ(と思い込んだ)記者ないしはその報告を受けた上司を含む毎日新聞奈良支局に、一つの先入観が生まれた可能性がある。「これは、事件だ」と。

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 次、二つ目のポイント。彼女の記者としての資質に激しい疑問を抱かされるのもこのあたりなのだが「個人情報保護を楯にした病院関係者は取材に応じず」云々の言い回し。思い通りに進まぬ取材に苛立った感じが、この言い回しから透けて見える。
 だけどさあ、病院側が患者のことを言わないのはアタリメーだろ。至極当然の対応じゃないか。これも想像だが『人が死んでるんですよ!』とか『事件を隠すんですか!?』みたいな騒ぎ方をしたんじゃないかって気が、凄くする。ま、要するにこの辺で彼女は病院側と感情的に隔絶しちゃったんじゃないか。
 それに、焦りもあったと思う。「いまならどこの社も動いていない、うちの独自ネタで行ける。医療過誤だから(最終的には)裁判になるだろうが、提訴までに身元を割って取材できなければ、横並びの発表モノ原稿と同じになってしまう――」と。

 この記者が後日ふりかえりの記事で書いた内容の通り、最初から「記事化が必要だと思った一番の理由は、医師個人を問題にするのではなく、緊急かつ高度な治療が可能な病院に搬送するシステムが機能しない現状を、行政も医師も、そして私たちも直視すべきだと思ったから」だとするならば、遺族への直接取材は最重要ではない。
 極端を言えば、体験談などは後から寄稿してもらっても十分記事として成立する筈だ。確かに具体事例があるとないとでは記事の説得力が大きく違うだろうが、最重要なのはシステムの方の取材・検証だ。
 そういう場合に重点的に取材をかける対象は、救急指令センターだとか急患受け入れ態勢のある病院全般、現場の救急隊員や医師である。あるいは、行政の担当者であって、間違っても遺族ではない。実際に奈良支局の記者たちが行ったこととは、取材の力点が全然違うのである。

 毎日新聞奈良支局の動き方は事件取材のときのそれであって、行政案件を取材するときの動き方をしていない。血眼になって遺族の身元を洗い出そうとした取材経緯から浮かび上がってくるのは、後から言い出した「搬送システムの不備」云々なんかを動機に取材を進め記事化したわけではない、ということだ。
 傍証もある。一連の「ふりかえり」の中で上司に当たる記者(本社デスクだったか)が書いていることだが「遺族の身元がわからないのなら最小限の記事で出す以外ないかと覚悟を決めた」云々の一文。
 奈良支局発の原稿が「搬送システムの不備」を指摘するための記事だと言うならば、遺族の声が取れないので最小限の原稿になるなどと言うことは、断言するが、絶対にありえない。(――訳でもないか。本件事案の遺族を「生贄の子羊」よろしくシステム不備の犠牲者としてシンボリックかつ情緒的にアイコン化しようとした場合だ。)

 明らかに毎日の記者たちは、「こんな医師がいる、許せない!」と言う声を直接当事者から取ろうとして取材に励んでいるのである。
 もし違うと言うならば問いたい。本当に「医師個人を問題にするのではなく、緊急かつ高度な治療が可能な病院に搬送するシステムが機能しない現状を、行政も医師も、そして私たちも直視すべきだと思ったから」記事化したと言うならば、なぜ整理部のつけた「医師個人を問題にする」ような見出しを撤回させなかったのか。
 僕の知る限りの記者の生理として、記事本記で意図したことと正反対の見出しをつけられて平気だなんてことはありえないはずだ。それとも、最近の記者のレベルは、こういうことさえも平気で見過ごせるほど落ちているのだろうか。

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 さて、3つ目のポイント。17日付朝刊に署名記事を書いた女性記者を初めとする奈良支局の取材チームが遺族を掴んだのが日付未詳の10月。遺族サイドへの取材が終了するには最短でも4日かかっている。16日深夜の朝刊締め切りまでに大作原稿の本社チェックも全て終えているとするならば、病院サイドへの再取材のチャンスは最長で12日(10労働日程度)あったはずだが、不思議とふりかえり記事には、患者サイドの情報を元に病院側に再取材をかけたことをうかがわせる記述がない。まあ、患者側が自己に関わる情報をオープンにしたからと言って病院の立場で患者の情報を開示できるわけもないのだが。

 どこまで行っても想像の域を出ないのだけれども、僕は亡くなった女性の関係者への取材を終えてからすぐ(多分当日夜)に最終稿の執筆を行い、翌日付の朝刊に掲載されたのだと思っている。相当事者のコメントなど最初から取るつもりはなかった――精々アリバイ的に「係争中の事案なのでコメントは差し控える」のひとことだけあれば十分と考えていたのではないかと疑っている。

 これが毎日が大見出しで「6時間放置」「19病院たらいまわし」「CT検査の要求受け容れず」云々の存在しない事実を書き立てることになった最大の原因だろう。
 記者(取材団)は、結局のところ、遺族側の話しか聞いていないのである。遺族側の主観によって描写された事案の経緯しか手元にないにもかかわらず、その裏づけを取ることなくセンセーショナルな見出しをつけて記事を出した。

 これは、完全に、全面的に、毎日新聞の過ちである。
遺族は言う。「頭痛を訴えて意識がなくなってから、開頭手術が始まるまで6時間かかった」と。そこにはウソも間違いもない。遺族が見たままの状況だ。
激しい頭痛を訴えた後に意識が消失して亡くなったが、直接の死因は脳内出血で、最初の病院では処置しなかった――これも事実だ。遺族としては、やりきれないに決まっている。もし最初の病院(大淀病院)がもっと積極的に処置してくれたなら、と。至極当然の考えだと思う。遺族は医事に関しては素人であり、本職のプロフェッショナルと同じような事実認識を共有できるとは限らないのだから。

 でも、それは当事者遺族にとっては当然な心の動きであるけれど、そのまんまの気持ちで記事を書くような奴は、記者失格だ。そんな奴の書いた原稿を紙面に載せるような新聞社は、報道機関失格だ。最近は若い記者を教育するときに「ウラを取れ、反対側の当事者の見解を必ず確認しろ」とは教えないのだろうか。レベルが低いにも程がある。
 毎日新聞奈良支局の取材チームが、亡くなった女性の医療記録を確認し、その記載内容の意味を理解していたならば、つまり病院側(医師側)から見た事案の経過も承知していたならば、絶対に初報のような記事になるはずがないのである。
 取材に応じてくれた遺族の心情には背くことになるかもしれないけれど、事実をスタートポイントにしない『報道』に値打ちなどない。害毒しか存在しない。これもまた想像だけれども、遺族への取材を通じて記者(たち)は遺族に共感しすぎてしまったのではないか。そこに「取材に応じない」病院への不満や怒り、一方的な正義感が上乗せされてしまったのではないのか。いずれにせよ、記者失格である。駆け出しだからで許されることではない。そのために、支局長なり本社デスクなりの上司が存在するのではないか。

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 長くなったけれど、最後に「情報漏洩」の話。
実際の経緯と異なる『事実』を元に記事を書いた毎日新聞はどうだか知らないが、同業他紙やテレビ・ラジオの各社は、複数の現職医師が自身のブログで検討している通り、事前に一連のカルテをあらゆる手段(遺族側弁護士ルート以外も含む)を講じて入手していた筈だ。それが取材と言うものだからだ。
 遺族側弁護士は、報道各社には(どの程度の範囲かは不明ながら)資料を提供しているらしいが、提供した覚えのない範囲のデータがウェブ上に公開されたとして『情報漏洩だ』としている。んで、伝聞なんだけど、その辺の言い分を一番詳しく伝えたのが日刊スポーツで、カルテ(コピー?)の写真を掲載していた全国紙あたりはサラッと「個人情報漏洩で訴訟も」みたいに流している。

 これ、興味深いと言うか……全国紙は触れたくないだろうなあって思う。
だって、そもそも『取材』って言うのは、公務員にしろ私企業にしろ政治家にしろ、公式の情報とは違ったり公式ルートでは発表されていない情報を取ってくることだからだ。まあ、インタビューみたいな取材もあるけれど。
 突き詰めてしまえば、取材活動ってのはどうしたって、相手の『守秘義務違反』と表裏一体の部分が出てこざるを得ない。弁護士の言い分に全面的に乗っちゃうと、報道そのものを否定することになっちゃうんだから全国紙としては痛し痒しだろう。
 多分、この「大淀病院・毎日新聞記事事件」でも、各社とも当然そういう取材活動をしている筈(もししていないなら、取材者としては怠慢もしくは無能である。『スクープ記事』を書いた毎日新聞の記者と同レベルで)だ。だから、そういう角度から見た場合、この弁護士さんのやったことは、マスコミを引かせちゃうような大失敗ってことになる。

 ネット上にカルテの内容が書き込まれた経緯は僕にはわからない。ただ、最初にその内容を医師専科の登録制サイトに書き込んだ人物の気持ちは、何となくだけれども、想像が出来る気がする。
 遺族側弁護士は大淀町サイド(病院関係者)の関与があったと考えてるみたいだけど、僕はそうとは限らないと思う。例えば読売大阪はかなり広範な記録のコピーを入手していたように見受けられるが、資料を入手した記者なりデスクなりの社内関係者だけではカルテの意味するところを正確に理解することはできない筈だ。
 それをしようと思えば(つまり「事件」の記事を書くにあたり大淀病院での対応の適否を判断しようとするならば)絶対に、記述の文面を専門家に直接(書き起こしではなく手書きそのままのものを)見てもらう必要が出てくる。――僕は、そっち方面から出たんじゃないかな、と言う気がしている。

 僕の描く絵図面は、こうだ。
事案と直接関係のないドクターの所にどこかの記者が来て、カルテの読解を依頼する。資料を受け取ったドクターは、カルテを読んで、報道されている『事実』とはまったく正反対の事実を知り、そのことを依頼してきた記者に伝える。
もちろん、正しい事実をちゃんと報道して欲しいという気持ちが当然あるし、そのことを教えた以上は、必ずや記事になるだろうと期待してのことだ。
 ところが、待てど暮らせどカルテ記載内容を正しく解釈した記事もニュースも流れない。ドクターに取材を依頼してきた社もだ。
 ならば、せめて、医師の仲間内だけでも、カルテと言う事実を出すことで各人の専門家としての正しい認識を共有するべきなのではないか……。
 こういうことが仮にもしあったとすると、全国紙やなんかは、遺族側弁護士の主張には中々乗りづらいだろうなぁ、と。ただ、どういう経緯で(僕の想像が当たっているか否かを問わず)資料を手にしたにしても、これはやっぱりルール違反だと思う。もっと別の、世間的に批判を受けづらい手法があったんじゃないかと言う気がする。そんな悠長なことやってる場合じゃなかった、かも知れないけども。

――――☆――――☆――――☆――――☆――――☆――――☆――――☆――――

 ここまでの経緯はともかくとして、亡くなった妊婦の夫はつい一昨日、町と担当の医師を大阪地裁に提訴した。――とても、つらい話だ。事実経過が、本職のドクターたちが読み解いたカルテの記載内容どおりであったとしたならば、原告男性は道化にしかならない。「事実が明らかになれば」と言うが、既に、事実は明らかなのだから。即ち大淀町の病院医師は、可能な限りの対処を尽くしたけれども、残念ながら患者を救命することはできなかった、と言うこと。
 誤診も、過誤も、手違いも、何もない。責められるようなことは、何一つ。残酷だけれども、医者に診せても助からないときは助からない。そういう結論にしかならないのではなかろうか。

 もしかしたらこの原告男性も、毎日新聞の『虚報』「スクープ」が築いてしまったをきっかけにした「医療過誤事件」という虚像に振り回されている犠牲者なのではないか、そんな気がした。(この稿続く


なかのひと

Posted at 2007/05/25 14:54:17 | コメント(4) | トラックバック(11) | 事件・事故 | 日記
2007年05月18日 イイね!

沖縄 Will Never Be Released

沖縄 Will Never Be Released僕はこれまで沖縄には2回しか行ったことがない。2回とも時期的には大体いまぐらいのことで……と言うか、お仕事で一週間に2度立て続けに行く羽目になったのだ。
 思い思いの格好をした観光客ばかりの飛行機に背広を着込んで乗るという、ミジメと言うか自己憐憫を催させる状況だった。平日ではあったのだけれども、羽田~沖縄線はビジネス客よりも観光で利用する人が圧倒的なのねぇと再確認をさせられたのであった。そんな経験もあってか、僕はあまり『沖縄』に思い入れがあるわけではない。

 沖縄は、僕が4歳の年の5月15日までアメリカ合衆国の一部だった。占領されていたのだ。たった35年前のことである。日本国がサンフランシスコ講和条約によって独立を取り戻し、曲がりなりにも『戦後』を迎えた後も、27年にわたって『戦後』から置き去りにされてきたわけだ。もっとも、実際のところ、今でも県内の1割以上の地域で日本国の主権が行使できず、犯罪米兵に対する逮捕権の行使すらままならない現状で、米軍の占領統治が本当に終わったと言っていいのかどうかは、甚だ疑問なのだけれど。

 その沖縄で、辺野古に米軍基地を移設しようとの計画に基づいて、事前調査が始まろうとしている。移設事業を実施するお財布は主として日本、開発事業を行うのに必要な環境アセスメント法はシカトという有様であるらしい。更に、計画に反対する住民への威嚇効果を狙ってか、海上自衛隊(員)まで投入しようかと言う話もあるらしい。
 他国の権益のために、自国民にニラミを効かす軍隊とは!
まったく、独立国、法治国の名が泣く。泣くどころか泥まみれだ。もうここまで来ると、アメリカの衛星国家どころか、舎弟国である。使いっ走りのチンピラ並だ。

 僕は、こういうアンフェアで卑怯な手口が大嫌いだ。誰かに犠牲を強いることで権益を守ったり手にしたりする組織なり個人なり団体なりの連中には、吐き気すら覚える。個人的に『沖縄』に思い入れがあるわけではないが、そんなこととは無関係に怒りが沸々とわいてくる。
 ――それでも、それでも悲しいかな、日本が『アメリカと一緒にやっていく』限り、沖縄は米軍基地の島であり続けるよりほかない。添付の地図を見れば一目瞭然。米軍の戦略拠点として、沖縄は生命線なのだ。

 でも、だからこそ僕は思う。このことは本来、対米交渉において切り札になりうるカードの筈だ。あんまり日本をナメるなよ、そっちの都合ばかり押し付けるんなら沖縄は使わせねーぞ云々の取引材料に――独立主権国家としての矜持があるのならば――持ち出せるし、持ち出すべきだとさえ思う。
 友好や同盟と言うのは、靴も舐めます尻も拭いますから代わりにアイツを懲らしめて下さいねなんていう、マルボーとフロント企業の関係みたいなもんを呼ぶ用語じゃないんだから。
 大体、実際にケツ拭いたり靴舐めたりサイフから金掠め取られてんのは、そういう外交方針でいる政府でも官僚でも政治家でもなくて、国民(もっと言えば沖縄県民)てのも、実に不愉快な話だ。
Posted at 2007/05/18 12:31:01 | コメント(1) | トラックバック(0) | 事件・事故 | 日記

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