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惰眠のブログ一覧

2008年03月13日 イイね!

梁瀬次郎氏逝去

梁瀬次郎氏逝去僕がヤナセの名前を最初に知ったのは、まだ小学校にも上がる前のことだった。家にあったアラジンの『ブルーフレーム』という石油ストーブがヤナセ扱いの輸入品で、そこに例の誇らしげなYANASEのシールが張られていたのだ。だから、後年ヤナセが自動車の輸入「も」していると知ったときは、最初かなりの違和感があった。

 そのヤナセの「総帥」が、梁瀬次郎。きょう御歳91で逝去した由。まあ、1990年代からは後継の息子を社長に据えたりまた降格したり、VWの独占輸入権をなくしたりメルセデス・ベンツまでも日本に現地法人を設立したりと逆風に曝されたけれども、ガイシャ商売といえば良くも悪しくも梁瀬次郎だった。

 ベンツの輸入を巡って当時の西ドイツ首相と直談判したとか、若い客がベンツを買いに店に訪れても「お客様にはまだ早いかと存じます」などとやんわり拒絶しVWだったかを薦めたとか、まぁ色々と逸話には事欠かない人物だ。

 でまぁ、巨星堕つだなあと思いながらも、何かこう、ああガイシャ商売が呪縛から解き放たれてよかったな、というような感想を抱いたりもしている。故人には申し訳ないがクルマ趣味を患うようになってからの僕は、ヤナセの、原産国にいけばごくありきたりの「庶民の足」を「舶来の高級品」に仕立てて、相当割高な正札を下げて店に並べるような商売がかなり嫌いだった。なにもVW車だけの話じゃない。GMも同じだ。

 そうやってヤナセが涵養した日本国内の「ガイシャ」マーケットは、すっかり原産国価格とはかけ離れた値付けでの商売がまかり通る世界になってしまった。この点、梁瀬次郎だけの責任では勿論ない(というか国内自動車産業の保護をせにゃならんお国としてもありがたい話であったろう)だろうけど、やっぱりなんだかなあ。少なからぬ責任が、この人にはあると思うのだ。
Posted at 2008/03/13 23:07:11 | コメント(0) | トラックバック(0) | 芸能・文化 | 日記
2008年03月01日 イイね!

たかがタバコにここまでせんでも……

たかがタバコにここまでせんでも……この3月1日から地域ごとに順次、タバコの自販機が購入者の年齢を確認するようになるのだそうだ。僕の住む東京エリアでは確か、初夏の頃の導入だったように記憶している。普段はタバコ屋の店頭でカートン買いしているので自販機には最近余り縁がないが、出先で手持ちを切らせたときのことを考えて……誰が喫煙者であるかの情報を、どこかの機関が集約することの気色悪さも秤にかけて、結局「メンバーズ・カード」を申請した。

 先日その「タスポ」とかいうカードが届いたのだけれども、これICチップ内蔵で、電子マネー(といっても、多分タバコの自販機専用)対応にもなっている。と言うか、そういう付加価でもついてないと馬鹿馬鹿しくってやってらんねーぜって気分にさせられる。

 確かに僕も気がつきゃ不惑の年になり、その年齢の目で見るとコドモが気取った風にタバコなんぞ吸ってるを目にすりゃ「お前らにゃ10年早いわ!」くらいの気持ちになったりもする。でもそういう僕がタバコを覚えたのが10代半ばだったりするわけだ。流石に人目を憚ってたけど。

 そりゃね、健康であることは国民の義務である、なんてメチャクチャな条文が書かれた健康増進法なるものができちまい、そうでなくても「タバコ=悪」の図式が出来上がっている昨今、未成年者をタバコから断固として遠ざけたいって言うのも、まぁ分かんないでもないのだけども、ちょっとばかり行き過ぎと言うか極端と言うか「そこまですることなのかなぁ……」って気が凄くする。こういう対策って、ちょっとヒステリックなんじゃないかなあ。

 この調子でいくと次は「有害図書」あたりが標的にされるんだろうか。ネット媒体で出回ってる「有害情報」に関しては、既に総務省がくちばし突っ込もうとして動き始めているけど。
Posted at 2008/03/03 11:18:30 | コメント(2) | トラックバック(0) | 芸能・文化 | 日記
2008年02月23日 イイね!

DVD・COSMOS最終巻~「宇宙人からの電報」と「地球の運命」~

DVD・COSMOS最終巻~「宇宙人からの電報」と「地球の運命」~英語音声+余り翻訳の良くない日本語字幕で見ているからなのか、それなりに覚悟を決めないと鑑賞に踏み切れないDVD版のコスモスだったが、ようやく腹をくくって最終巻を再生した。原題は「Encyclopedia Galactica(銀河大百科事典)」と「Who Speaks for Earth?(地球のために誰が語る?)」だ。

 まず第12夜の「宇宙人からの電報」。のっけから『未知との遭遇』である。宇宙人に遭遇しUFOに連れ込まれたとの経験を語る米国の夫婦の話をマクラに話が始まるのだが……。科学者であるセーガン博士は、頭ごなしにこれを否定しないのだ。
否定しない。日本の「火の玉」物理学者だったらのっけから全否定しそうなものだけれども――セーガン博士もこの遭遇譚を肯定しているわけではないのだけれども――ちょっとばかり「おや?」と思わせる態度だ。

 とは言え、考えてみればセーガンは、後年『コンタクト』なんて映画の指揮も執っているし、パイオニアやヴォイジャーに「他の知的生命体に当てたメッセージ」を載せた張本人である。ロマンチストなのだなぁと微笑ましい気持ちにさせられる。
 尤も彼は科学者であるからして「広大な宇宙のどこかに、我々以外の知的生命体が存在して欲しい、その確たる証拠を得たい」とのユメにバイアスを受けて『未知との遭遇』体験談を語ったりはしない。「これでは『宇宙人』の証明にならない」「もっと確実で、あらゆる反論を退けられる、間違いのない証拠が欲しい」と述べるのだ。

 シリーズの最終盤に来て、こういうロマンティックな方向の話題を持ち出す構成には、ところがちゃんと意味がある。それは第13夜『地球の運命』で打ち出す、いささかストレートに過ぎる愚直なメッセージとも関係がある。大人の目で見るいまなら、はっきり分かる。COSMOS全13夜の構成はすべて、この最後に述べるセーガンのメッセージ「Speak For The Earth, Now!(今こそ地球のために語ろうではないか!)」に結実するのだ。地球のために、というあたりがロマンティックな科学者らしい。人類のために、とは言わないのだ。

 彼が、COSMOSの制作された東西冷戦下の1980年当時に懸念したこと、つまりイデオロギー対立を引き金にした、科学文明の果実を用いた科学文明自身の『自殺行為』や、地球環境の破壊――これらは、巻末に付録されたアップデートにおいて「ある程度乗り越えられた」と語られている。ある程度……そう、ある程度。
 アル・ゴアの『不都合な真実』をひくまでもなく、地球環境そのものに対する視線は、四半世紀前とは明らかに一変している。それでもセーガンは言う。「現状の動き方は遅いし、その効果も充分ではない」と。

 全てを見終えて、改めてCOSMOSで語られたことが、四半世紀の時を超えて優れて今日的課題であることに、科学者の先見性を覗う思いがして驚くとともに、彼が四半世紀も前に提起した問題が今もって『今日的課題』であり続けていることに、哀しさを感じないわけにはいかない。

 ああ、いい物を見たなぁと感慨にふけった土曜の晩だけども、商品については一言言っておきたいぞ。日本語訳が粗雑過ぎ。とっても大事なニュアンスがすっ飛ばされたような翻訳は、ちょっと如何なものかと思う。権利関係をクリアするのが困難を極めるのは想像できるんだけれども、横内正による吹き替え版が(出来ればもっと手ごろな価格で)発売されればいいのに。
Posted at 2008/02/25 12:43:15 | コメント(1) | トラックバック(0) | 芸能・文化 | 日記
2008年01月20日 イイね!

『宇宙の地平線』と『未来への手紙』 ~COSMOS第10夜と第11夜~

『宇宙の地平線』と『未来への手紙』 ~COSMOS第10夜と第11夜~昨年の10月中に見終わるかと思っていたDVDの『コスモス』だったが、気がつきゃ年をまたいでも未だに道半ばだ。意を決して残り2枚のディスクの消化にかかる。「意を決して」と言うと多少大げさかもしれないけれど、内容の詰まった長尺の番組なので、見るにはそれなりに体力が必要だ。主として脳みそ方面の体力が。

 さて、まずは第10夜『宇宙の地平線』。SF者には馴染みの深い「因果の地平」だとか、宇宙の始まりや終わり、宇宙の「形状」にまつわるお話だ。今回改めて見て、漠然と「どこで知ったか覚えてないが、確かどこかで見たはず」の情報が、実は子供の頃にこの番組で得たものだったと分かってちょっとした感慨を覚えたりした。
 番組冒頭のCGは、流石に古い。いまの目で見ると古過ぎてちょっと痛々しいくらいだけれど、テレビ・ゲームが「インベーダー」とか「与作」とか「平安京エイリアン」だった時代のこと、まぁ仕方がない。

 それにしても、宇宙を論ずるサイエンス(科学)も、このレベルの事柄になってくるとえらく哲学めいてくる。セーガン博士も中央アジアあたりの古い神話や宗教を持ち出してくるのだが、そうしたものの中には最新の物理学が観測や理論の集積で辿りついた「結論」を、ある種の直観とでも言うのか、洞察してしまっているようなものもある。サイエンティストの指揮で制作されたサイエンス番組を見て言うことじゃないかも知れないけれど、人間の悟性の神秘を感じずにはいられない。

 続く第11夜『未来への手紙』は、生命賛歌とでも言うべき内容。生物が生存し、子孫を残すために必要な基礎的データは遺伝子の中にメモリーされている。ところが環境が複雑化し、それに対応する必要性が生じると、もはや遺伝情報のメモリー容量じゃあ追いつかなくなる。そこで生命は、脳と言うキャッシュメモリー装置を生み出したと。さらに人類に至っては内蔵メモリーですら容量が足りなくなり、文字などに託して外部メモリーに情報を保管するようになった……。

 そして、この番組が制作された当時、土星に最接近を果たしいずれ外宇宙へと飛び去っていくボイジャー探査機には、そうした「生命のデータ」の切れ端を記録したレコード(!)が搭載されている。浜辺から流した瓶詰めの手紙さながらに、遠い未来にもしかしたら他の知的生命体に発見されるかもしれないという迂遠なロマンだ。

 この番組を見るたびに思うのだけれども、サイエンス(科学)はロマンと切り離しちゃいけない。いけないと言うよりも、切り離すことなんてできないのだろう。未知なる物への憧憬、新たなる知識を得たときの感激、そういう喜び抜きに『知』は成り立たない気がするし、やや牽強付会に言えばいまの学童教育のカリキュラムではこの点が致命的に欠けているのではないかと思う。知ることや考えることから「楽しさ」を除去した、脱脂粉乳みたいな『知識』だけ摂取させようとしても、そりゃやっぱり難しいんじゃないかなあ。
Posted at 2008/01/22 12:15:36 | コメント(0) | トラックバック(0) | 芸能・文化 | 日記
2007年11月20日 イイね!

原点は「車に乗って、どこ行こう」

原点は「車に乗って、どこ行こう」現在修理入院中のウチの2号車には、工場出荷時点でミシュランのタイヤ(パイロット・プレセダ)が装着されている。クルマ関係の話題でミシュランといえばフランスのタイヤ製造業者だけど、世間一般でミシュランといえば(その素性がタイヤ屋であることは意識されることなく)ホテルやレストランの格付けガイドブックの発行元だ。
 化粧用オリーブ・オイルのDHCが「大学(Daigaku)翻訳(Honnyaku)センター(Center)」という翻訳業の会社を母体としてることがあまり知られてないのと同じように、モノがちゃんとしてるなら発行元の素性なんて関係ないっちゃ関係ないんだろう。DHCはこの際どうでもいいが、ミシュランが東京を対象に食い物屋の格付けをして、そのガイドブックが近々刊行されるという。

 タイヤ屋がなんでレストランガイド?と言うのは僕もその昔抱いた疑問だけれど、空気チューブ入りタイヤの黎明期にミシュランが「ウチの作ったタイヤ履いて、遠乗りドライブに出かけてネ♪」と言うような動機で「ホラホラ、遠出すると、こんなエエとこありまっせ」と、まぁ販促キャンペーンの一環で始めたものらしい。

 そういう来歴があるので、ミシュラン・ガイドで有名な「星」の数は点数ならざる意味が与えられていて、曰く星一つは「その町に行ったら利用するだけの値打ちがある」、星が二つなら「近くまで行く用事があるなら、もうちょっと足を伸ばしてでも行ってみる価値がある」というお勧め度合いを表している由。
 星が三つになると「そこに行くこと自体を、お出掛けの目的にするだけの値打ちがある」と言うわけで、これはもう国際的観光資源というわけだ。

 んでまあ、昨日だったか、その星三つのお店が東京には8つもありましたぜ~と、ガイドブックの刊行に先立って発表されたのだが、まずもって思ったのは「山口瞳が生きててこのニュースに接したら、きっと半分くらい嘆いたろうな」と言うことだ。
 と言うのも、こうやってガイドブックに紹介されるようなお店と言うのは、元々お勘定もお高いわけで、そういう暖簾がどういう風に利用されるかと言うと、まぁ食道楽の人だとか家計がご内福な方々を別にすれば、これはもう社用接待だろう。

 ミシュランのガイドブックで星三つを獲得したあのお店でご接待、と言うのは、社用族のもてなしとしては中々説得力がある。で、なんで作家・山口瞳の名前が出てくるかと言うと、彼はサントリーの営業マンだった経歴があるくせに(逆にそういう経験があるから、なのかも知れないけれども)社用接待が大嫌いだったらしいからだ。
 待合や飲み屋は自分の懐で遊びに行くべき場所であり、他人の――とりわけ会社の懐をあてにするようなのは、彼の酒飲みとしての美意識を著しく逆撫でしたようなのだ。

 更には、社用の客に対しては店の側も取りっぱぐれの恐れなく、遠慮会釈なく(高額の)請求を突きつけられる。社用族も「どーせ会社の金」だから慎みがなくなる。かくして「粋を知る遊び人」の個人的な遊び場が、どんどん社用接待族に侵食されていくと嘆くのだった。

 ま、山口はもう故人だし、こんなことを書いてる僕だって(元々食道楽ではないのも理由だけど)星がつくような飲食店を利用する機会などそうそうあるわけでもないので、だからどうしたって話ではあるんだけども、ガイドブックの編纂責任者が「東京は世界に冠たる食文化の都」といわんばかりの絶賛をしていたと聞くに付け、「接待文化と密接な『文化』ってのも、いかがなものかなあ」と複雑な気持ちにもなるのだった。
 ま、古今東西、文化なるものはオカネのある層によって涵養されるものであり、今の時代に一番オカネがあるのは法人企業なんで、仕方ないっちゃ仕方ないことなんだけど。
Posted at 2007/11/20 13:03:48 | コメント(1) | トラックバック(0) | 芸能・文化 | 日記

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何シテル?   07/24 21:51
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