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惰眠のブログ一覧

2008年05月21日 イイね!

困った逆入射

困った逆入射自動露出の一眼レフならば、当然気をつけておくべきだったのだけれども、ひとつすっかり失念していたのがファインダーからの逆入射だ。普通に片目をファインダーにつけて撮影するならあまり問題にならないのだけれど、カメラから離れた状態でシャッターを切るときには、ファインダーから入り込んだ光が露出に影響する可能性を考えとかなくちゃいけない。
それを忘れていたせいで、広島フラワーフェスティバルでは添付写真のような事態を招いてしまったのだった。

上の、露出がどアンダーになっているのは、手前の進入防止テープが被写体に被って鬱陶しいのでカメラを頭上に掲げ、手元のレリーズ(電気式)でシャッターを切ったもの。対して下の背景がハレーションを起こして飛び気味なのは(比較しやすいように左右反転してあるが)普通にファインダーを覗きながら逆光撮影をしたもの。ここまで露骨に差が出るかと、ちょっと驚くほどだ。

ちなみにマツダ鏑コンセプトが展示されていたところはテントの下なので、カメラを頭上に翳して見下ろしの角度でシャッターを切れば、ファインダーからはテントの外皮で和らげられただけの太陽光がモロに入り込んでしまう。ああー、何たる迂闊。まあ尤もパソコンに取り込めば、有難いレタッチ・ソフトがあるお陰で相当補正が効いてしまうのだけれども。でも、失敗は失敗だ。

しかし考えてみれば、僕の使っていたカメラというのはレンジ・ファインダーのミノルタ・ハイマチックFと全手動一眼レフのミノルタSR-7で、どっちも逆入射を気にする必要が特になかった。AE一眼のニコンF50にはロクに出番がなかったし、その後はフツーのデジタル・カメラに移行しちゃったものだから、幸か不幸か逆入射とはずーっと無縁のカメラ人生だったわけだ。

ま、人生は日々勉強と言うか、新たな発見があると言うか。これもまたひとつの得がたい経験と言うものだろう。
Posted at 2008/05/21 21:36:06 | コメント(1) | トラックバック(0) | ふと思ったこと | 日記
2008年04月07日 イイね!

ガソリンの値段は下がったけども

ガソリンの値段は下がったけども添付の画像は、一昨年の夏「高速道路SAのスタンドは価格変動の反映が遅い」ことから街中のGSより割安になった折に、大行列ができたときに撮影したものだ。

 今国会で租税特別措置法の延長ができなかったことから、ガソリン税の割増し分が(4月1日製油所出荷分から)かからなくなっているのだけども、町場のGSはその出荷分を販売にかける前から――つまり仕入れ値に暫定分の乗っかったままのガソリンを――早速値引き販売始めた。損被りしてでも、客足が離れることを避けたかったわけで、まったく気の毒と言うより他ない。
 まぁその分、税額が元の(元の、と言うのも本則に鑑みればおかしな話だけれども)暫定コミになったときには、いち早く対応することで必ずしも取り戻せないわけでもないとは思うが……。

 ところで、僕はまだこの「値下げ」の恩恵に浴していない。2台とも、タンクに凡そ半分燃料が残っているからだ。別に、ギリギリ空っぽにして安くなったのをたらふく詰め込んでやろうとか思っているわけではなくて、いつもの給油のリズムに合わせているだけのこと。
 それに……上に書いたこととちょっと相反するようだけども、GSが損被りして下げた分は、まだ暫定税額相当分の25円10銭(1リッターあたり)には届いていない。車のタンクが空になる前には税額が下がったなりの仕入れ価格相当の値段にまでは下がることが予想できるし、そこまで我慢できるなら小売店が身銭を切ってやってる値下げに飛びつくこともあるまい、と言う気持ちもないことはない。

 ……と言うような自分の事はともかくとして、前回も書いたけれども民主党の小沢代表は、政治の局面におけるケンカの仕方というか、政府与党に対する「嫌がらせ」の仕方が本当によく分かってる。この辺、ワンフレーズ・ポリティクスで有権者国民に「虚のイメージ」を売り込むことで大成功した小泉元総理とはまた違った類の政治巧者だ。
 しかも、こうして発生した「歳入欠陥」の後始末をしなければならないのは政権与党であり、政策決定にコミットできない野党には如何ともしがたいという当たり前の事実を逆手に取った狡猾さは、流石である。小泉は「ムード」に酔わせるだけのポピュリズムだったが、小沢の手口は地に足のついたリアリティがあるだけ一層たちが悪い。
 暫定税率に「戻す」為の再議決に関しても、予想通り自民党内で足並みの乱れが出ているやに伝えられているが、内閣支持率の漸減にも歯止めがかからず、このまま総選挙にでもなったらと考えれば、そりゃ中々踏み切るわけにもいかんだろう。こういうのを政治戦略っていうんだよな。

 さて、これでもし仮に小沢民主党が政権与党になっちゃったりした場合、いまんところ「対案」を何も提示していない「税収不足分」をこのままにしてガソリン代が安くついたままになるかと言うと、そうはならないと僕は思っている。
 前に筋論として、ズルズルと暫定税率を引きずるんじゃなくて温暖化防止名目かなにかの「環境税」を新規立法するのがいいんじゃないかってな私見を書いたけれども、多分大筋ではそんな感じの手を打ってくる気がする。でもって、それがガソリンで言えば1リッターあたり25円10銭程度で済むかと言うと、それはふたを開けてみなけりゃ分からないけども、それより高率になる可能性はあるだろうと思っている。

 しかしワイドショーなんか見てると、暫定税率分の「減収」を受けて一部道路工事が滞っている等の話がボチボチ出てきてるけども、こういうガキが不貞腐れたようなことするのはいかがなものかなぁと思う。
 「収入が足りません、なので支払できません、となれば止めるしかありません」てな感じのことを言うんだろうけど、そりゃ予算執行のやり方が下手糞だからだとも言えるわけだし、あるいは元々優先順位の低いものを金があるのをいいことに作ってただけなんじゃねーのと言いたくもなってくる。
 だって、どうしても必要なものならば、予算の組み換えをやってでも作るべきなのだから。そういう努力も工夫もしないで安易に工事を止めるってことは、知恵が足りないか重要度がそれほどでもないかのどっちかでしょ。
Posted at 2008/04/07 11:24:59 | コメント(1) | トラックバック(0) | ふと思ったこと | 日記
2008年03月27日 イイね!

ナマで実感されるのは怖いだろう

ナマで実感されるのは怖いだろうガソリン税の暫定税率部分に関する与野党のせめぎ合いは今もって決着の目が見えず、このまま行けば新年度からは「元々法律に定められたとおり」の、「本来のガソリン税額」だけしか国は徴収できなくなる。その差額、リッターあたり25円10銭。

 原付や自動二輪を別にすれば、1リッター2リッターという単位で継ぎ足し給油する人はまぁいないだろうから、仮にメーターの表示を見て「ボチボチ燃料が心細いな」と思って給油したときのアベレージを(僕の場合に割と近い)45リッターとした場合、暫定税率が継続されて「余分」に税金を「取られて」いる現状に比べて千と百円少々安くなる。

 今はまだ机上の計算だけの話なのだけれども、実際にこれが起こった時にサイフが感じる1000円の支出の差の実感は、かなりインパクトがあるんじゃないだろうか。五千円札出して、さらに千円札2枚足して、それだけじゃ足りなくて小銭も払うのと(リッター単価159円を想定)五千円札と千円札を一枚ずつ、それと五十円硬貨一枚で済むのとでは、肌身のナマの感触として「ああ、俺たちは『暫定』の口実で35年もの間、これだけ『余分』に払わされてきたのか」と相当多くの人がリアリスティックに実感すると思う。

 で、だ。政府与党は今、この暫定の税率維持のためにひっちゃきになっている。日切れのタイム・リミットを迎えて暫定税率の『空白』を生む事態になったとしても、元の(本則ではなくて暫定込みの)税率に戻すために頑張りまくるだろう。
 さーて、それが消費者である有権者国民に、どんな風に映るかな。「ザンテイ」なんて姑息なテクニックで給油のたびに毎度毎度1000円以上も『余分』の税金を払わされてたんだってことをサイフの実感で知ってしまった有権者から、もう一遍、安くなった筈の税金分を改めて取り立てなおす……一気に千円以上の値上げを「押し付けられる」と、理屈はともかく肌身で感じさせてしまうとなると。

 一遍下がったものを改めてもう一度上げなおす、ある意味政府与党としては避けられない対応を取ることが、今の内閣の支持率のみならず次の総選挙にらみの中では与党全体にとって、かなりのっぴきならない事態を引き起こすんじゃなかろうか。暫定税率を一日たりとも途切れさせまいと死に物狂いになっているのも、そう考えると頷ける。

 しかし、それにしても。所謂55年体制の国会運営には昨今否定的な評価ばかりしか見ないが、少なくとも国会を「回す」知恵や工夫が――それを寝技と呼ぼうが水面下の談合馴れ合いと呼ぼうが――あった。それと比べると、今の国会の有様は、一つ覚えのように中央一点突破しか芸がないように見受けられる。
 でもって、それが通用しないとなると「野党が何を考えているか理解できない」だの「現実無視」だのと、共産党あたりが好んで使う手垢にまみれた糾弾の決まり文句よろしくヒステリックな台詞を会見で口にしてしまうなど、本当に知恵のない人たち、汗のかき方を知らない人たちばかりが今の自民党中枢を占めているんだなぁということを露呈する破目になる。

 思うに「ワンフレーズポリティックス」の小泉政権で圧倒的な議席数を占めるにいたった時から、議会工作を行うという、ごく当たり前のアタマの使い方をしなくなってしまった、頭の使い方を忘れてしまったことが、いまのみっともない有様の背景にあるんだろうという気がしている。

 そういう意味じゃ、この状況を上手いこと生み出した小沢一郎を初めとする民主党執行部は「政治の場面でのケンカの仕方」をよく知ってるな、上手だな、と思うのだった。さすが、経世会で金丸元副総裁の秘蔵っ子として鍛えられてきただけのことはある。好き嫌いは別にして、またその主張への賛否は別にして、小沢一郎と言う政治家はやはり「格が違う」と思わずにいられない。
Posted at 2008/03/27 19:05:56 | コメント(0) | トラックバック(0) | ふと思ったこと | 日記
2008年03月18日 イイね!

「もう、探すのをやめていい。サンテグジュペリを撃ったのは、私だ」

「もう、探すのをやめていい。サンテグジュペリを撃ったのは、私だ」帰り支度をしながら職場の端末で新聞のオンライン版を見ていると「サンテグジュペリを墜としたパイロット、64年目の告白」みたいな感じの見出しが目に留まった。『星の王子さま』や『夜間飛行』で知られる、フランスの作家にしてパイロットだ。1944年の7月末日、ドイツ占領下の母国の偵察に単独で出て、そのまま消息を絶った。98年にマルセイユ沖で操業中の漁船が彼の腕輪を引き上げたことから乗機が海に没したことがほぼ確実視され、00年にはその残骸が引き上げられたものの、遺体は今も見つかっていない。多分、これからも見つからないだろう。

 新聞記事は、大きく分けて二種類あった。ロイター電を使った記事と、サンテグジュペリを撃墜したと目されるドイツ人に取材をしたル・フィガロの記事を使ったものだ。いずれにせよ、邦訳の過程で「ん?」という部分が出てくるので(今回の記事でも邦訳時に「不適切」な訳し方をした部分や、「書き足し」めいた妙な脚色部分が見つかった)、それぞれのオンライン版を直接確認することにした。フランス語はさすがに分らないので、自動翻訳を使って英文に直して読む。

 まあ、なんだ。職場で英文の外電記事を読みながら涙ぐむオッサンの姿というのは、非常に美しくない。美しくないのだが、それでも、彼の作品の大ファンであった当時24歳の青年パイロットが、自分が撃墜した相手が憧れのサンテグジュペリだったのではないかと恐れ、どうかそうではないようにと祈り続けて生きてきたこの64年を思うと、涙がこぼれそうになる。

 元ドイツ空軍のパイロットにしてZDF(テレビ局)スポーツ記者だった、現在88歳のホルスト・リッペルト氏がル・フィガロに語ったのは、同紙の雑誌部門が週明けに発売する新刊「サンテグジュペリ・最後の秘密」の取材に対してだったという。
 記事によると、リッペルト氏はこんなことを言っている。「(敵機を)発見したんで、もし(偵察行動を)やめないなら撃ち落してやるってつぶやいた。そして撃った。弾が命中して、敵機は海に落ちていった。パイロットは見えなかった。操縦していたのが誰かなんて、知ることは不可能だった。それがサンテグジュペリだったと知ったのは何日かあとになってからだ」と。けれども、それでも、リッペルト氏自身はサンテグジュペリを確認したわけではない。
 だから彼は言う「今でも、あのパイロットがサンテグジュペリであって欲しくないと願っている」。なぜなら「我々が若かったころ、みんな彼の本を読んでたんだ。みんな、彼の本が大好きだったんだ」。

 8年前、サンテグジュペリの偵察機の残骸がマルセイユ沖から引き上げられた折、近くからドイツ空軍のメッサーシュミットの破片もあわせて見つかった。そこで、そのメッサーシュミットの操縦者が誰かとドイツ国内でも人探しが行われた。ル・フィガロの記事は、その調査担当者にリッペルト氏がこう語ったと伝える。「もう、探すのをやめていい。サンテグジュペリを撃ったのは、私だ」と。

 1939年9月の独仏開戦までに出版されていたサンテグジュペリの著書は3タイトル。その処女作『南方郵便機』は、リッペルト氏9歳の頃の作品だ。恐らくは、彼が後にパイロットへの道を選ぶ動機付けにもなったことだろう。その憧れの作家を、自分が撃墜してしまったのかもしれない……。

 「それが戦争というもんなんだよ」といえば、勿論その通り。ああ、その通りだとも。戦争というのはそういうもんだ。そういうもんだからこそ、戦争なんかやっちゃあいけないんだ。小賢しい小理屈こねて「仕方なかった」なんて、言っちゃあいけないんだ。
 それでも戦争は起こる。起こるからこそ、やっちゃあいけないことなんだって思い続けなくちゃならない。それは「罪」なんだって思い続けなくちゃいけない。








なかのひと

Posted at 2008/03/18 23:36:26 | コメント(1) | トラックバック(1) | ふと思ったこと | 日記
2008年03月17日 イイね!

標準レンズの標準たるゆえん

標準レンズの標準たるゆえんカメラのレンズの世界では、一般に焦点距離50ミリ前後のものを「標準レンズ」と呼び習わす。なんでかって言うと、この焦点距離のレンズの「見え加減」が、人間の肉眼のそれと一番近いからなのだそうだ。

 ただ、標準レンズの画角は、180度以上の水平視野を持つ人間の目とは比べるまでもなく狭いので、ちょっと多めの人数で集合写真を撮るような場面では、思いのほかカメラと被写体の間を離さないと画面に入りきらなかったりして、「標準」なんて名前の割にはちょっとばかり使い勝手がよろしくない。
 むしろ焦点距離38ミリくらいの広角レンズのほうが、レンズを通して見える範囲がより人間の感覚に近かったりするくらいだ。

 広角レンズを使うと遠近感が誇張されたり画面端の被写体がひずんだりするのだけれど、実際問題として、普通に見ている限りはこの誇張はあんまり気にならない。ま、だからこそスナップ用途のカメラあたりは、そのピント合わせの許容範囲の広さやレンズの明るさなど使い勝手のよさともあいまって、どれもこれも広角レンズを採用するのだ。

 ところが、単眼のレンズで撮影した普通の写真では大して気にならないひずみも、これを左右の目の視差を意識して撮影し合成した立体写真にすると、ほぼ異次元の空間に投げ出されたような景色になってしまう。どのくらい違うのか、手元のカメラのズームレンズを使って、50ミリ標準と18ミリ広角で撮り比べてみると……(作例では「平行法」を採用しているので、「交差法」で見ると遠近が反転してしまう)。



この有様である。
奥行きが付いて見える分、普段自分が肉眼で見ている風景と対比がしやすいので、普通に写真で見る以上に誇張のされ具合が際立ってくる。これはこれで面白いけど、立体物の造形そのものが気に入って、その立体感も含めて写真に残しておきたいなーと思ってカメラを構えるときは気をつけとかないと、あとで泣きを見ることになりそうだ。
Posted at 2008/03/17 21:28:28 | コメント(2) | トラックバック(0) | ふと思ったこと | 日記

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「フェアレデーって本当に呼ばれてたの? http://cvw.jp/b/9433/47108671/
何シテル?   07/24 21:51
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