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惰眠のブログ一覧

2005年04月20日 イイね!

これが「タイマー」ですかそうですか。(その2)

これが「タイマー」ですかそうですか。(その2)またこのメーカーの製品かよ…と毒づきたくなってくる。
2月末にはUSBメモリのケースが接着面から破断したばかりだというのに、こう立て続けだと再来月くらいには自宅の主力PCにトラブルが起こるんじゃないかと不安になってくる。
ああ、そう言えば前に壊れたデジカメも同じメーカーだったな…。

 ドコモSO212iの売りは、ローラー状のジョグ・ダイヤルで、登録した電話帳の呼び出しほか主要な操作をこのローラーに委ねている。そのローラーが空回りして、入力を一切感知しなくなってしまったのだ。幾ら新機種への代替サイクルが短い商品だからって、一番のセールスポイントが真っ先に使用不能になってどうすんだ、まったく。
長く使う身にもなって欲しいものだ。
Posted at 2005/04/20 18:12:57 | コメント(0) | トラックバック(0) | 身の回りの出来事 | 日記
2005年04月20日 イイね!

「それは私、と○○○が言った」

「それは私、と○○○が言った」バブル経済が膨らんでいた頃、マツダは本当に色んな車を作った。今に残るロードスターをはじめ、辛うじて記憶の片隅に残っているMS-8(写真)だとか、その存在すらほとんど知られることなく消えていったクレフだとか。
 そうした濫造乱売は別にマツダに限ったことではないのだけれども、バブルがはじけたあと会社まで傾いた自動車会社は日本にマツダ以外ない。ほかはエッチラオッチラだったかも知れないが、兎にも角にもバブル経済後の不毛の市場を自力で乗り切ったのだ。

昨年11月に日経BPから出ている「マツダはなぜ、よみがえったのか?」を読んだ折、ちょっと意地悪く、それなら「誰がマツダを殺しかけたか?」なんてマザーグースの歌のような疑問が改めて浮かんだ。僕の知る限り「それは私」と名乗り出た人はいない。
 僕は性格的に、疑問に思えば幾ばくなりとも調べずにはいられない。まあ、下世話な好奇心の範疇のことではあるので、割とテキトーに調べてみただけなんだけど一寸興味深いことが分かった。

 マツダがバブル経済の崩壊と期を一にして致命的な経営危機に陥った直接の原因は、例の無謀な販売系列5チャンネル化にあるとされている。それならばマツダを殺しかけた張本人は、まさにこの5チャンネル化計画を発案し推進した人物(経営責任者)であるはずだ。

 僕はかなり長いこと、マツダのメインバンクである住友銀行からやってきた和田淑弘氏の舵取りが問題だったのだと思い込んでいた。自力での経営再建がもはや不可能となり、フォードの傘下企業になった時の社長が彼だったからである。更に、たまたま知己を得た幾人かのマツダの中堅以上の幹部に雑談的に「やっぱり銀行から来た社長が原因だったんでしょ?」なんて話をすると「それはまあ、ゴニョゴニョ…」と口を濁すのは、消極的な肯定の意味だと理解していたからだ。

 しかしこれは大変な思い違いだった。ちょっと調べれば分かることだったのだけれど、和田氏がマツダの社長に迎えられたのは1991年の12月。問題の5チャンネル化を含む中長期経営計画(マツダ・イノベーション計画、通称MI計画)がスタートしたのは88年の5月のことだ。つまり、財務畑に明るい人物をトップに据えなければ会社が危ないとの認識が、この時点で既にあったということなのだろう。

 左前になった経営を立て直しえなかったという意味では、和田氏もまたマツダを殺しかけた一人ではあるのだけれども、そもそもの原因を作ったのは彼ではない。
 MI計画に基づいて5チャンネル化が実行され始めた89年当時の社長は、古田徳昌氏である。氏の社長就任は1987年の12月。当時現役の通産官僚だった古田氏を、マツダは三顧の礼で社長に迎えたのだという。

 自動車製造業の黎明期ならいざ知らず、現代の自動車産業は一国の経済政策とも極めて緊密な関係にある。特に「国民車構想」の例に見るように、自動車産業の発展を国策的に推進してきた我が国にあっては、通産省(当時)とのパイプの太さは、会社の命運さえ左右しかねない。
 ロータリーエンジンなかりせば通産省の指導のもとプリンス自動車のように「お取り潰し」にあっていた可能性のあるマツダとしては、あるいはその思いが同業他社よりも強いかもしれない。現職の通産官僚を招いた背景には、恐らく政治的な思惑があったのだろうと推測できる。

 話を元に戻す。古田氏の社長就任は87年12月。MI計画のスタートは88年5月。この間、ほぼ半年である。世界の市場を相手にする企業の中長期経営計画が、果たして検討開始からスタートまで6ヶ月で策定し得るものなのだろうか?
 最近の三菱自動車の経営再建策に関わる動きなどをみていると、半年でスタートにまで持ち込むことは必ずしも不可能ではない、とは思う。
 でも「不可能ではない」からと言っても、ふつう常識的に考えれば、半年で実行に移せなんて言うのは余程の非常事態だ。販社の新規立ち上げやロジスティックスなど最初からきちんと動かすつもりなら、半年未満の準備期間では無理というものだろう。
 まあ、当時の新聞記事なんかでも見れば一発で分かるのだろうけれど、そんな素敵なものは生憎と手元にない。だから想像で物を言うしかないのだけれど、プロジェクトがスタートするまでの準備期間が半年以上だったとするならば、問題のMI計画を走らせたのは古田氏の前任社長である。

 古田氏の前任は、山本健一氏だ。

 マツダの現役中堅幹部が「それはまあ、ゴニョゴニョ」と言葉を濁した意味が、これでハッキリしたのではないだろうか。
山本健一氏といえばロータリーの神様。通産省主導の合従連合計画の渦に飲み込まれ1960年代で消滅する筈だったマツダを救った大恩人である。
 傍証とはいえないだろうが、こういう話も目にした。「トヨタや日産並み(当時)の販売5系列を持つことは、山本健一氏の悲願だった」。
 神を罵るものよ、呪われてあれ。神を称えるものに祝福あれ。かくしてMI計画破綻にまつわる責任追及は、聞こえてくることがないのではなかろうか。

 長々紙幅を費やしたが、これらは僕の想像の域を出ない。でも多分、間違っていないだろうとも思っている。まあ、MI計画の検討ががいつ始まったのかさえ分かれば、こんなにあれこれ想像しなくっても答えは一発な訳だが、頭の体操には都合がいい。
 推理小説じゃあないけれど、手に入る断片的な情報を色々と見比べて考えをめぐらせるのは、それが自分の仕事や生活と関係なければないほど、仕事の合間のチョコチョコした気分転換に好適だ。こういう勤務態度は全く誉められたものではないけれども。
Posted at 2005/04/20 15:56:24 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日本の車 | 日記

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何シテル?   07/24 21:51
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