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惰眠のブログ一覧

2005年09月21日 イイね!

第163特別国会召集

第163特別国会召集自由民主党が歴史的大勝利を挙げた先の総選挙の結果を受けて、今日から特別国会が始まった。
僕が毎週閲覧している「滴水亭」では11日以降、これまでにもまして哄笑的というか、些かやけっぱち気味の記事が続いている。

 僕は「滴水亭」の筆者氏ほど辛辣で冷笑的ではないつもりだけれども、先日の選挙で旗印にしていた郵政事業民営化の計画は早々に実施時期を後ろ倒した一方で租税減免の特別措置撤廃方針はいち早く決めてくださるなど、抱き合わせ販売で手に入れた「白紙委任状」の強みを早速生かしておいでになる。想定の範囲内のことではあるけれども、ここまで露骨だといっそ天晴れである。

 郵政事業の民営化だとか行財政の抜本改革だとか、言ってしまえば地に足をつけた生活者にとって縁遠い事柄について一種の理想像を(実態はともかくとして)描いて見せ熱狂を得る一方で、実生活のリアリティにかかわる税金や年金などの部分――つまり、本来有権者国民にとって一番深刻な分野の事柄については秕政、苛斂誅求と言っていいほど粗雑な政治を、小泉内閣は行っているということだ。
 新規雇用を創出するとか、失業対策のセーフティネットを確立するとかかつて色々見目良い公約をしてきたが、それらは結局実ったのかどうか。国債の発行上限がどうとか約束しておきながら「そんな程度のこと」とアッサリ反故にするようなトップの何を信用していいのか。

 今度の選挙で、20代有権者層の自民党支持率が際立って高かったのは――十把一絡げ的な乱暴な言い方であることは重々承知だが――若年層ほど「時代の閉塞感」に喘いでおり、同時に若年層には生活者としてのリアリティが薄く、理想論的なアジテーションに容易く乗ってしまう素地があったと言うことなのではないかと考えている。
 ただこれは「今の若い連中は…」というような繰言ではなくて、もともと若い世代とは、そういうものなのだ、と言うこと。今となっては噴飯もの(だと僕は思う)の、学園紛争当時のスローガンの一つ「学生よ労働者と連帯せよ」と基本的に同根で、手前で働いてゼニ稼いで自分と家族を養っているわけでもない若造が、頭でっかちのリクツ(当時で言えばマル経、今回ならコイズミ改革)振りかざして「世直し」を夢見た図式が反復しているだけのことだ。

 まあ、敢えて言えば学生運動は「下からのムーブメント」だったのに対して今の時代に起きているのは「誰かに笛を吹かれて踊った」ところに違いがある、と見ることはできる。
 そして後者は「上手に笛を吹く者は、より大勢を躍らせることができる」可能性を胚胎していて、そのことを不安視しなければならないだろうとも指摘できる。

 まあしかし。カイカクとか閉塞状況の打破とか、まあそんなものを漠然とであれ期待して有権者が大勝利を与えた小泉さんの政権は、たぶんきっと生活のリアリティの目で見れば従来よりも一層閉塞した状況を作り出していくんだろうと、僕は皮肉っぽく感じている。
 まあ、また言うんだろう。後世の歴史家の評価にゆだねるとか何とか。「いま・ここ」に生きている我々の、身の丈の生活がどうなろうとも、その時代のリアルを生きていない歴史家の評価を大事にする小泉さんのことだから。
Posted at 2005/09/21 13:08:05 | コメント(1) | トラックバック(0) | ふと思ったこと | 日記
2005年09月18日 イイね!

3代目の手動変速つき

3代目の手動変速つき昼過ぎ、携帯電話が鳴った。電話の主は行き付けのディーラーでお世話になっているHさん。試乗車に6MTのロードスターが入ったから、よければ乗りに来ないかとのお誘いだった。
 前に試乗したのは6速自動変速付きのモデルだった。この出来具合ならオートマでも十分だなあと思っていたが、せっかく本命のMTがあるのならば、乗ってみない手はない。ベランダに干した布団を取り込み、いそいそと大田区の店へと出かけることにした。

 店頭には、真っ赤なロードスター。なるほど6速手動変速機がついている。促されるままに運転席に収まり、シートを合わせてペダルやレバーの具合を確認する。
 まず、シート調整の動きがカッチリしていることに感心する。とてもいい感じだ。クラッチペダルが思いのほか軽い。ブレーキやアクセルのペダルも軽いけれど、暖簾に腕押し的な頼りない軽さではないのが嬉しい。

 さっそく走り出して、すぐに「おや」と思った。クラッチの断続に、全然神経を使わない。当たり前のことのようだけれども、以前友人に運転させてもらったMTのアテンザが、どこでクラッチが断続するのか踏み込み代が分かりづらくて難儀したことを考えあわせると、とてもキチンと作られている印象がある。

 4気筒のエンジンも(音はともかくとして)具合がいい。あとで出力は170馬力らしいようなことを雑誌記事で読んだが、昔のロールズ・ロイスみたいに「Sufficient(=十分)」で事足りるような按配だ。 それに、アクセルの踏み込みやブレーキの踏み込みに対して、こちらが求めただけの仕事をピタリと要求どおりにこなす感じが気持ちいい。
かなり真剣に欲しくなる。
 6速手動の1段目は相当なロー・ギアードで、街乗りで使う分には発進時専用に近い。2速発進でもいいかもしれないくらいだ。実際、エンジンはよく粘って、いつもの試乗コースから少し外れた住宅地を遅いファミリーカーの後について流した時、3速で回転が落ちても愚図ることはなかった。隣に乗るHさんによると、うっかり3速発進してもエンストしないそうだ。まあ、排気音の音質は…こんなものでしょう。

 オートマでも十分だと思っていたけれど、マニュアルに乗ってしまうと、やっぱりオートマじゃ物足りない。変な言い方かもしれないけれども、オートマだとクルマがなんか勝手にやってるようで「エンジンを感じない」のだ。やっぱりクルマはマニュアルに限るねぇ…なんて。

 ユーノス500を買ったときは、一にも二にもスタイルに一目ぼれして欲しくなってしまったのだけれども、3代目ロードスターは運転することの気持ちよさ(楽しさ、とは敢えて言わない)ゆえに欲しくてたまらなくなるところがある。初代のユーノス・ロードスターのようにノーミソが空っぽになるような痛快な楽しさはないけども、逆に僕にはその「程々さ」がいい。

 試乗の途中で、是非一度試してみたかったことを実行に移した。信号待ちのタイミングでの、幌の上げ下ろしだ。展示車両でのレッスンは、とっくに済んでいる。実際にやってみると実に簡単。電動トップの動作時間がどうとかカタログでうたうクルマを鼻でせせら笑うくらい短時間で開閉が終わる。うわぁマズい。ものすごく欲しくなってきたぞ。

 ディーラーを後にしてユーノス500で家路を辿る。うーん。自動車としては、もう全然比べものにならん。500はとにかく色々とユルい。悪い言い方をすれば、何から何までしまりがない。けれども、このユルさは心地がいい。
 穏やかで、ドライバーに覚悟を求めない。無闇に緊張感を高めることがない。だから、今度のロードスターを相当程度に欲しい欲しいと思っている一方で、やっぱり500を手放すつもりもないのだった。増車?それは禁じ手だと思う。


※2007年2月追記。
これを書いた時点では思うところあって明かさなかったけれども、実はこの日、試乗が終わった後そのまま商談に突入、3rd Generatino Limitedの赤が販社の在庫にあることが判り、購入申し込みをしてしまった。
衝動買いといえばその通りなのだけれども、自分でもどこかそうなる予感はあって、電話で「試乗しに来ない?」と誘われたときにはわざわざ実印を用意してからディーラーに向かったのだった。
Posted at 2005/09/18 20:42:46 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日本の車 | 日記
2005年09月16日 イイね!

新しいロードスターのカタチ

新しいロードスターのカタチ承前。
kahan氏とNC型ロードスターのスタイルについてやり取りしている中で、一つ「これは困ったな…」と言うフレーズがあった。それは、「初代のデザインってスポーツカーじゃないんですよね。」のくだりだ。
 僕は初代のロードスターのデザインを「スポーツカーじゃない」と認識したことはなかったので、これには虚を突かれた。それと同時に「これはお互いの『スポーツ・カー』の概念範囲をすり合わせないと、絶対に話が噛み合わなくなるな」とも思った。
 それに、スポーツ・カーとは何かの定義合戦は、二人の車好きにつかみ合いの喧嘩をさせるのに最も手っ取り早い話題の一つと言って過言ではないだろう。だから、困ったな、なのだ。

 僕のスタンスは、こうだ。2座2ドアの小さいオープン・カー ――とだけ言うとサイノス・コンバーチブルやマーチ・カブリオレも含まれちゃうので「最初からオープンボディで作られた車」と少し範囲を絞る―― は、イタリア語で言うバルケッタ(もともとは「小船」の意)に相当する。
 バルケッタといえば、初期のフェラーリ初め、スポーツカーの形の定番だ。時代遅れの定番かもしれないけど、その定番を踏襲したユーノス・ロードスターのデザインを僕は、懐古趣味の傾向は否定できないにしても「スポーツカーじゃない」とは思っていない。

 まぁ、スポーツ・カーのデザインの定番には他にも「ロング・ノーズ&ショート・デッキ」だとか「運転席の位置は後車軸の直前」なんてのもあったりする。MGやヒーリーやACみたいな昔の英国製スポーツ・カーは墨守していたこの2つを、そのどちらもがスポーツ・カーとしての特性に関わる要素であるにも関わらずユーノス・ロードスターは、必ずしも踏襲していないのだけれど。

 昔マツダは、日野皓正の「El Camino」に、ただ一言「私は、スポーツカーに乗っています」というコメントだけを添えたサバンナRX-7のTVCMを流していた。
 ほぼ同じころ日産は、真っ暗な室内で唯一スポットライトの当った、真っ赤なフェアレディZがスピン・ターンするスロー映像に「スポーツカーに乗ろうと思う」とだけコメントを付したTVCMを流していた。
 両方のCMに頷く人はいるだろう。サバンナはスポーツカーだがフェアレディは違うという人もいるだろう。その逆も然り。そして、両車ともスポーツカーを名乗るなんておこがましいと考える人だっているかもしれない。
 僕の『スポーツ・カー』の定義は結構ユルいと思うけれども、それでも自分なりに「こんなんスポーツ・カーちゃうわ!」と決めるローカル・ルールは存在する。だけど、FCとZ32のCMを見たどの人に僕が該当するかは一応ヒミツだ。スポーツ・カーのMy定義を明かすことは、時として折伏好きの道場破りを自ら招き入れることになるから。
Posted at 2005/09/17 00:10:23 | コメント(0) | トラックバック(0) | ふと思ったこと | 日記
2005年09月16日 イイね!

定番商品「ロードスター」

定番商品「ロードスター」先日新型ロードスターを一緒に見に行った友人のKahan氏は、今度のロードスターのスタイルに手厳しい評価をしている。諒解できる部分もあれば、僕の見方とかなり違う部分もあって実に興味深い。

 正直なところ、今度のロードスターを僕は相当気に入っているけれども、ではあのスタイルをどう思うかと問われれば、いいデザインだと答えることは流石に出来ない。
 その一番の理由は、やはりホイール・アーチ部分のフレアが、あまりにも自己主張しすぎていること。まあ、そういうスタイルを選んだ理由を推測することはできる。

 思うにアレは、マッチョな形を好む北米市場的要求と、シンプル&クリーンのスリークな形=ロードスターのアイデンティティという縛りの狭間で、それを両立する苦肉の策だったのではないだろうか。
 それと同時に、対歩行者衝突時の受傷リスク低減のためにボンネットの蓋とエンジン本体の間に何十ミリかのクリアランスを作らなければいけない決まりごとをクリアするのに、既存マツダ車のようにパネル上に段差をつけたくなかったのだろう。
 しかし段差をつけなければ、側面のフェンダーの高さをあまり低くは抑えられない筈。となれば、横から見ると随分と腰高かつホイールアーチ上部が間延びしてしまうだろう。それを感じさせないために、ああいう造形物を設えたのではなかろうか、と。そういう推測を僕はしている。

 それが当たっているにせよいないにせよ、NC型はやはり「ユーノス」から続く『マツダのロードスター』の形をして――ユーザーがイメージするロードスター像に合致して――いると思う。

 つまりロードスターはいまや、定番商品なのだと思う。ジャズで言えばスタンダード・ナンバー、服飾で言えばトラッド・スタイル。舞台演芸ならば十八番(おはこ)って奴だ。
 助さん格さんの役者が代われば口調や言い回し、身のこなしなどは変化しても「控え居ろう!」は不変であるように、その時代時代のテイストに合わせて演出的技巧は変化したとしても、根幹の骨組みがぶれることはないような、そういう商品。
 丁度、ほぼ絶滅状態にあるスペシャルティー・カーが、時代の流行に合わせて代々変転を重ね、常に最新のモードに身を包もうとしてきたのとは反対のありようだ。(やや皮肉に言えば、スペシャルティー・カーは時代の流行に従うあまり、今の時代はついにクーペの車体形状をも捨て去りSUV形態にトランスフォームしたと見ることもできる)

 そして僕は、初代で大成功して2代目3代目と歴史を重ねてきたマツダのロードスターは、そういう古典的な「定番」として見るのが妥当なんじゃないかなーと思っている。新しい価値観を提示する商品ではなく、温故知新を体現した商品でいいのではないかと。
 確か雑誌の取材に答えた開発幹部も、3代目ロードスターは革新ではなく保守を目指したと答えていた。狙った通りのものにはなっていると思う。
Posted at 2005/09/16 14:26:50 | コメント(0) | トラックバック(0) | ふと思ったこと | 日記
2005年09月12日 イイね!

民意

民意総選挙、権利行使はして来た。
で、この結果。19年前に中曽根政権下で行われた七夕選挙の帰趨を思い出した。事前の情勢報道などからして、しかるべしという気はしている。しているのだが、溜息をつきたくなることしきりだ。僕は是々非々思考を重んじるので、「昔の自民党」には、好きではない(支持していない)にしても一定の信頼感を抱いていた。

 僕は、こんな風に感じている。
いま、この国には閉塞感が蔓延している。とりわけ若い世代に。「勝ち組・負け組」みたいな二元論が大手を振って語られるのも、そうした感覚の現れ方の一つだと思っている。

 自分で認めるのは残念だけれども、僕はもはや「若い世代」ではない。もはや若い世代でない僕は、閉塞感なんて言葉でひとくくりにされるようなものに飲み込まれるつもりはないし、そういう状況だって「意あるところ道は通ず」で、声高にカイカクカイカクと叫ばんでも変えていけると思っている。それは今の僕の勤め先の状況ともリンクしての実感ではあるのだけれども。
 そして、こうも思っている。巧言令色鮮矣仁。詐欺師は多弁である、と。

 いずれにせよ「いま」の世の中に漠然とした閉塞感・行き詰まり感を覚えているならば、小泉純一郎氏の口から出てくる言葉は爽快だろう。「いま」の状態はダメだ、間違っている。ぶっ壊せ。改革だ。既得権益を引っ剥がせ。「いま」「ここ」ではない明日が来れば、何かいい目に逢えるかも知れない。そうでなくても、今いい目を見てる奴らを引き摺り下ろせたら溜飲も下がる…そういう空気を僕は感じてならない。

 ならばコレは、選挙の場を借りた憂さ晴らしなのだ。

 前世紀の初めの頃、やはり鬱屈した社会情勢の国が西の果てのほうにあった。改革・改善を声高に謳った、若くてカリスマ性のある党首を頂いた政党は急速に勢力を伸ばし、政権与党の座についた。アジテーションとルナティック。煽動と熱狂。国民よ、誇りを取り戻せ。ドイチュラント・イーバー・アレス。その国のその後を、僕は知っている。
Posted at 2005/09/12 20:51:56 | コメント(3) | トラックバック(0) | 事件・事故 | 日記

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「フェアレデーって本当に呼ばれてたの? http://cvw.jp/b/9433/47108671/
何シテル?   07/24 21:51
曲面の綺麗な旧い車が好き、エレガンスのある車が好き。そんなこんなでユーノス500に乗りつづけ、もう……何年だ?  気がつけば屋根のない車まで併有。いつまで乗り...
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