SS-1を走り終えたラリーカー達は次のSS-2へ進んで行きました。
SS-2はSS-1フィニッシュの Antraigues-sur-Volane村から南西に行った La Souche村から Col de la Chavade までの27km。
我々は続いてSS-2には行けなかったので、先のポイントに向けて進みました。
暫く経ってから、当時の限られた情報源から101番は走っていないという情報が入りました! さらに時間が経ってから、我らがミニはSS-2の途中で止まってしまったとの情報が。そしてその原因はエンジン・トラブルだと。万事窮す!
夕方近くになってから、ミニと対面することができました。
後ろに見えるランドローバー・ディスカバリー(当時はミニを生産していたローバー社内にランドローバー社もありましたから。)のサービスカーとともに”死んだ”はずのミニは”走って”きました。
話を聞いたら、SS-2を走り始めてまもなくエンジンがストップしてしまい、再スタートを試みるもエンジンは復活しなかったと。SS-2が全て終了してから暫くしてサービスカーが到着し調べたところ、エンジンが壊れたのではなく、燃料のストレーナーが詰まって、それが原因でガソリンがエンジンに供給されなくなったのが原因だったとのことでした。嗚呼!
推測できたのは次のとおりです。例の盗難事件で急遽組み立てたマシンだったので、ガソリンタンクやらホースやらの燃料供給系統パーツにゴミなどがあり、それが走っているうちにストレーナーに溜まり(ストレーナーはその役目ですからね)詰まってしまったということ。時間がなく確認する時間もなかったということです。
前日までのコンサントラシオンの最中に止まってくれていればサービスカーがストレーナーを交換できていたのに、このステージになって、さらにはスペシャル・ステージの中で止まってしまったのが大不運だったと言えますね。とりあえずストレーナーをチェックするなり交換するなりしておけばよかった、とは後の祭りでした。
この当時のWRCでは今で言うところの”デイ・リタイア”救済ルール(止まってしまっても、そこから先のSSも含め既定されたタイム(もちろん遅いタイム)で走ったものとされ、申告すれば翌日から合流して普通に走れるというもの。)は無かったので、残念ながらそこでリタイアとなってしまいました。
因みにこのSSもトップタイムは Armin Schwarz (Lancer EVO)で、続いて Colin MaCrae (Impreza)、Juha Kankknen (Celica)、Miki Biasion (Escort)、Carlos Sainz (Impreza)、Didier Auriol (Celica)、Francois Delecour (Escort) という順番でした。
残念でしたが我々の1994年のモンテ・チャレンジは早くも終わってしまったことになりました。
Posted at 2025/11/24 18:20:53 | |
トラックバック(0) |
モンテ | クルマ