さて前回書いたとおり、今日からは備忘録で最後に残ったひとつ2009年に参戦したラリー・モンテカルロ・イストリークを書いていきます。
初めて参戦したイストリークで、私はこの時にはまだSNSをやっていなくて、次の参戦だった2011年をきっかけにここみんカラの SPECIAL BLOG を始めたので、ちゃんとしたデジタル記録に残していなかったのです。残したのは当時の Car Graphic 誌上と自身の紙アルバムだけでした。
いま2009年の備忘録を記すにあたって、まず最初に参戦に至ったある経緯を書いておかなくてはなりません。
望外の日本人初のクラス優勝で終わることができた後、船便で日本に送り返しました。ベースの車両自体はマツダ本社の広報車両の1台を貸与していただいたものなので、日本到着後すぐにマツダに返却しました。広報室のご厚意で、外観をはじめこちらで改造を施したものもそのままで返却させていただきました。うっかり私の私物だった HALDA のツイントリップ・メーターも付けたまま。
それから少ししてからは先方とは全く連絡をとらなくなっていました。そしてもうあのRX-7はスクラップになってしまったろうな・・・と信じていたのです。
それから23年という長い時間が経過し、私がランドローバー・ジャパンの広報ダイレクターを勤めていた2002年2月のある日のこと。
お付き合いがあったモーター・ジャーナリストの石川真禧照さん(今は私が理事を務めている日本自動車ジャーナリスト協会AJAJの副会長さん)のオフィスにいらっしゃった清野さんというかたから1本のメイルが入りました。
曰く「先日、マツダの鶴見の施設でRX-7の展示会を取材したときのこと。その中に水色のRX-7のラリーカー(初代のRX-7)があったのです。モンテカルロラリー参戦車両ということだけは分ったそうですがそのクルマの詳細がマツダサイドでは掴んでいないとのこと。でも、唯一の手掛かりはそのボディに「O.MORIKAWA」と名前が張ってあったんです。」
えええっっっっっっ!!! あのRX-7が生きていたの!?!? でも”水色”ってなに???
これ、少しして判明しました。”水色”は記憶違いで”山吹色”だとのこと!!! あれだっっ!!!
そしてなんと写真も送られてきたのです。
生存してたっっっ!!
早速79年当時のドライバーだった中川一さんにもご注進。昔の仲間内ではちょっとした大騒ぎになり、ことが進んでいったのです。
Posted at 2026/05/06 15:29:42 | |
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