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森川オサムのブログ一覧

2022年09月30日 イイね!

すごい色のイヴォーク

2週間ほど前に都内でトヨタ・シエンタを試乗したとき、お台場を走っていたら前をすごい色のレンジローバー・イヴォークが走っていました。

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なんとも鮮やかなソリッドの黄緑色。

ルーフ上には妙なアンテナらしきものが。以前グーグル・マップのストリートヴュー用らしき全方向カメラを載せたクルマに遭遇したことがありますが、これは違う。

横に並んだので見てみたら、Valeo社のテストカーのようでした。
お台場には自動運転のテストのための特区もあるので、たぶんそれ系のテストをしていたのかと思います。

因みにヴァレオはフランスの大手電装メーカーで、ドイツで言えばボッシュやコンチネンタル、日本で言えばデンソーみたいな会社です。世界中の自動車メーカーとB to Bのビジネスをしています。
実はワタシ、1989年に一瞬だけヴァレオ・ジャパンに入社、というか入社しかかったというか、そんなことがありました。結構なポジションで入社が決まったのですが、翌日だったかに英国自動車メーカーからのヘッドハントがあり、心変わりしちゃったんです。ヴァレオさん、大変失礼いたしました。もう時効ですね。

Posted at 2022/09/30 13:16:32 | コメント(1) | トラックバック(0) | その他 | クルマ
2022年09月29日 イイね!

Rallye de Monte-Carlo 1979 その41 おまけ

と、終えたはずの1979年モンテのお話でしたが、もう1回だけおまけです。

望外のクラス優勝で終えることができましたが、日本でのアウトプットを載せておきます。

まずはラリーが終わった直後に日本で出ていた小学館のGORO誌の見出しページ。

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メイン・スポンサーになっていただいたクラリオンがPRのためにGORO誌を連れてきてくれました。それでマシンのルーフとリアフェンダーに大きく赤い「GORO」ロゴを掲出したのです。

「エントリーNo.157 チームGOROがオペル、BMW、ポルシェを圧倒!!」は盛り過ぎですね。(笑)

そしてその次(だかその次)の号はカラーページに格上げしてくれました。

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はい、「チームGORO モンテを制す」は・・・・盛り過ぎです。(汗)
でもこれだけ盛り上げてくれました。感謝です。

そしてその後、全国のマツダ・ディーラーに掲げられた大きなポスターがこちらでした。

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ちょうどモンテ直前にアメリカはフロリダで行われた伝統のデイトナ24時間でやはりクラス優勝したRX-7とセットです。7番は片山義美/従野孝司/寺田陽次郎さんという”ロータリーのレジェンド”たる日本人が勝ったので話題でした。恐れ多し。(汗)

一番上のGORO誌のメイン写真と同じカットなので、マツダ広報が小学館から購入したと思われます。故但馬治さんの作品のはずです。

はい、これで1979年モンテはおしまいで、次は1981年です。

Posted at 2022/09/29 09:31:02 | コメント(0) | トラックバック(0) | モンテ | クルマ
2022年09月26日 イイね!

Rallye de Monte-Carlo 1979 その40 完了

正式結果が発表され、パルク・フェルメも解除になったので、RX-7を引き取りに行きました。

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暫定結果が出てから、チームからのクレーム等を受け付ける時間が用意されていて、もし出されたクレーム(出すには保証金が必要です)が車両に関するものだったときに再検査ができるようにここで手を触れられないように保管されていたわけです。

そして夕刻にはF1で走るトンネルの上にある会場で表彰式がありました。
総合7位のミシェル・ムートン/フランソワ・コンコーニ組。

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女性クルーのトップ賞であるクープ・ド・ダムも授与されました。
ミシェル・ムートンはこの後1981年にはアウディのワークスチームからクアトロに乗りラリー・サンレモで女性初のWRCウィナーとなり、翌82年には3勝して、同じアウディ・ワークスのヴァルター・ロールと世界選手権を争い惜しくも2位という輝かしい歴史を残しますね。

そしてグループ2クラス4優勝の我々です。

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カップが3つなのは、クラス優勝のカップに加え、そのクラスのプロモーション部門の優勝カップと、なんとクープ・ド・ジャポネという日本人トップ賞なんてのも用意されていたからです。
”プロモーション”はRX-7のドアにも黄色いスティッカーが貼られていたように、ワークスやディーラーからのエントリーではないプライヴェイト・チームのトップに与えられる賞です。

紅い女性はレーニエ大公のマーガレット王女です。
光栄なひとときでした。

式が終わって地下の駐車場で記念撮影。

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夜になってからはガラ・ディナーに出席しました。
これを含めてが Rallye de Monte-Carlo ということです。

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会場のステージのカーテンが開くと、総合優勝のストラトスが置かれていて、ウィナーのダルニッシュが踊らされるなんていうエンタメも用意されていました。

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これで1979年のモンテは全て終了となりました。
私はこのあとサービスカーで使ったプジョー504ブレークで一部のチームメンバーとイタリアはミラノへ行き、コモ湖畔を通ってシンプロン・トンネルでプジョーを貨車に載せスイス入り。スキーをしてから、最後にパリまで走って帰国しました。元気でしたね~若かったですから。

RX-7はこんどは空輸ではなく船便で日本へ送り返し、マツダ広報に返却されました。
これが後年になってマツダに保管されているのがわかり、その後2009年に Rally Monte-Carlo Historique で走ることに繋がるのでした。

その経緯はそのうちここで書きますが、その前にこの2年後に日産車で走った1981年モンテの備忘録を書いていきますのでお付き合いのほど。

Posted at 2022/09/26 13:52:56 | コメント(0) | トラックバック(0) | モンテ | クルマ
2022年09月24日 イイね!

Rallye de Monte-Carlo 1979 その39 結果発表

元気で良く走りきってくれた(でもノーマル・エンジンにしては燃費は極悪だったかと)RX-7をパルク・フェルメに入れ、走りに関しては全て終了。

チーム全員で記念撮影。

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でも、どうやらこの時は猪瀬さんがシャッターを押してくれたようで、サービスのボスが写っていません。(汗)

クラリオンという、当時としてはとても大きなスポンサー、それもクルマ業界の外から応援をいただいたのですが、チームは全員自費手弁当での遠征でした。いわばこれこそプライヴェイト・チームですね。中川ドライバーと私のレーシング・スーツ(それも耐火とかではありません)が汚れたままなのも昔っぽいですね。 (実は写真上列赤シャツの相場さんとは2年後にここを走ることになります。)
すぐ裏山のチュリニ峠は雪なのに、ここモンテカルロは早朝でも暖かそうなのがわかるショットですね。モナコを始めとするコート・ダジュールは避寒地なんです。

このあとホテルへ入りましたが、昼過ぎには正式結果が発表となりました。今ならスマホがあればラリー中リアルタイムで成績、順位が見られますが、当時は全くわからず、各ステージが終わって数時間後に暫定発表されるレベルでした。

こちらが総合順位。

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総合優勝はストラトスに乗った ベルナール・ダルニッシュ / アラン・マエ。
2位は最終ひとつ前のSSまでトップだったエスコートのワルデガルド。3位は131アバルトのマルク・アレン。それにアンドルーエ、ミッコラ、ニコラ、ムートンが続きました。

RX-7の我々はSS-18でのコースアウトで順位を落としましたが、少し挽回できて総合73位。日本からのチームではトップでした。

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そしてグループ2クラス4では我々が優勝!!
もともとスタートから台数が少ないクラスでしたが、最後まで走れたのは我らが1台!(笑)

なにはともあれモンテでの日本人初優勝という望外の結果を得ることができました。
それ以上に最高のメンバーで全員最高に楽しむことができたことが最良の結果でした。プライヴェイト・チームですから。

あと残すのは表彰式とガラ・ディナーです。

Posted at 2022/09/24 14:17:19 | コメント(0) | トラックバック(0) | モンテ | クルマ
2022年09月22日 イイね!

Rallye de Monte-Carlo 1979 その38 そしてフィニッシュ!

1979年1月26日金曜日の朝。

土曜日に第1ステージ Parcours de Concentration をスタートし2,260kmを徹夜で走り、日曜日夜にステージ・フィニッシュ。
月曜日に第2ステージ Prcours de Classement 450kmを走り、5か所のスペシャル・ステージをクリア。
火曜日に第3ステージ Parcours Commun をスタート。また徹夜で15か所のSSを含む1,000kmを走破し水曜日夕にステージ・フィニッシュ。
そして前日夕刻に第4最終ステージ Parcours Final をスタートし、またまた徹夜で10か所のSSを走りました。
現在のWRCと較べたらメチャクチャ長くてきついのがおわかりでしょうか。

これはチュリニ峠から先回りして帰ってきていた見物隊が撮った明け方のモンテカルロ港。

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No.5のハンヌ・ミッコラのエスコートが帰ってきたところですね。

それから1時間以上経って、No.157のRX-7が無事に戻ってきました。

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チーム監督が完走祝いに用意してくれていたシャンパーニュを隠し持っているのが見えます。

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記念撮影だと言われて降ろされてシャンパーニュをかけられました。

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左でドライバーと握手してくれているのは、あの長谷見昌弘さん。日産のキャンペーンのお客さんツアーのゲストで来られていました。

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そして最終タイム・コントロールへ。

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これで1週間にわたった競技は全て終了となりました。

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このあとRX-7はパルク・フェルメに入れられて、我々ふたりは解放されました。

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みんな笑顔です。 でも空けそびれたシャンパーニュが危なそう?

もちろんこのあとホテルへ入り、まずは爆睡。
昼には正式結果が発表され、夜には表彰式とガラ・ディナーです。

Posted at 2022/09/22 14:13:50 | コメント(0) | トラックバック(0) | モンテ | クルマ
スペシャルブログ 自動車評論家&著名人の本音

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学生時代からラリーやレースのモータースポーツにはまり、WRCモンテカルロラリーには1976年から97年までの間に7回遠征しました。 慶應義塾大学工学部卒業...
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森川オサムHP ”Sur le sommet du Col de Turini” 
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2011/01/21 15:23:34
 

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