帰国してから、ルノーF1のドライバーであるロベルト・クビサの事故を知った。
イタリアでのラリーに出ていた彼は、道端のガードレイルに激しくクラッシュ。運の悪いことに、そのガードレイルが彼のクルマを串刺しにしたカタチになり、肩、腕、脚を複雑骨折。特に右腕の損傷が酷く、F1キャリアの存続も危ぶまれるという。
ラリーって危ないものだったと思い出させてくれた。そりゃそうだ。お遊びラリーならともかく、真剣に走る高速タイプのラリーはレースより危ないと言える。確かにレースのほうが最高速度は高いけど、整備されたサーキットというある意味「護られた環境」で走る。ラリーはそうじゃない。断崖、岩壁、落石、凍結、動物・・・なんでもありだ。最高速度って言ったけど、例えばモンテカルロ・ラリーだったら筑波あたりよりは速いコースがいくらでもある。
気をつけましょう。
60年代ころは、F1ドライバーが他のレースや、さらにはラリーにも出場したりすることはよくあったと記憶している。例えば、チャンピオンだったジム・クラークが亡くなったのも、F1ではなくF2のレースだった。
でも、近代F1になってからは、チームがそれを許さなくなった。莫大なギャラを払って契約したドライバーには、スキーすら許さないチームもあるくらいだ。怪我を恐れて。
でも、フェラーリのキミ・ライコネンがラリーに興味を持ち、出るようになってかわったようだ。今回のクビサの場合も、ほんとはモンテに出たがったのを、ルノーF1チームが、車両がルノーではないのを理由に許可しなかったと聞いた。(でも、今回彼がイタリアで事故したのはルノーじゃなくVWブランドのシュコダ・ファビアだったが。)
これで、また各チームともドライバーへの制限が厳しくなるのだろう。
クビサさんの一刻も早い復帰、それもこれまでどおり”速いF1ドライバー”としての復帰を祈りたい。
ところで、シュコダと言えば、私が70年代にモンテに出た時にシュコダのワークスチームが出ていた。周りのラリーカーに比べるとふた昔前くらいのやつなんだけど、単発戦闘機っぽい野蛮なエクゾースト・ノートとともに、妙なカッコ好さがあった。当時はまだチェコのワークスは共産圏だっただけに、我々は「ドライバーは負けて帰ったら死刑なんじゃない?」なんて冗談を言ってた。
今回のヒストリック・モンテに、その当時のワークスカーらしきものが、カラーリングもそのまま出場していて、とても懐かしかった。
森川オサムHP ”Sur le sommet du Col de Turini” カテゴリ:その他(カテゴリ未設定) 2011/01/21 15:23:34 |
![]() |
ランドローバー レンジローバースポーツ Velar から Sport へ戻りました。2mの車幅は我慢です。 |
![]() |
ポルシェ 993 カレラ 3台目の911。快調に働いています。 |
![]() |
アバルト 500 (ハッチバック) プジョー206のあとがま。ワンぐるまとしても活躍しました。 |
![]() |
ランドローバー レンジローバーヴェラール 車幅がちょっと大きすぎるレンジローバー・スポーツから乗り換えました。 |