2004年に出た初代は110万台。2011年に出た2代目は130万台とヒットしたBMWブランドの末っ子である1シリーズ。その3代目が日本でも今日表参道で発表されました。
3代目での最大の変化は、これまでのRWDからFWD化されたことでしょう。これまでは現代のこのサイズでは異例のRWDという価値があったのですが、ついに変わってしまいました。MINIのプラットフォームだと思います。
”最近のBMW流”である高さのあるキドニーグリルですね。
サイドビューはこれまでの1シリーズのイメージがあります。
流行りの運転支援は満載。プラス、3シリーズで始まった例の自動で戻ってくれる機能も付いています。
このブルー、なかなかキレイな色でした。
導入されるエンジンは118i用の3気筒1.5リッターターボ(140PS、220Nm)と、135i用の「BMWの4気筒で最強」の2リッターターボ(306PS、450Nm)。
リアのラゲイジスペースは、広くはないけど結構深くて使えそう。
お値段は118iの334万円から135iの630万円(!)まで。
そして、ドアのナンバー22にバッテンを付けたセリカと、デンマーク隊サービスカーで向かったのは、第3ステージ Etape Commune 2 であるこの日最後のSS-10の手前のChamaloc村。
村から出るところのコース脇に小さなホテルがあったので2台を停めて、エントランスのカフェで一服しながら240Zを待ちました。
表をラリーカーが次々とイイ音で走り去っていきます。ワンちゃんは知らんぷり。
さあそろそろ来るころだと、日の丸が付いたサービスカーを目立つように道路脇正面に停めて待ち構えました。
すぐに来たこの261番の Renault 8 Gordini は1969年製。最終的に今回のオーバーオール・ウィナーとなりました。
ふたつ上の写真のワンちゃんの向こうに見えるドアが正面の赤い看板の下に見えるドアです。
これ、たぶん出場車のなかで一番デカい Ford Falcon Sprint。こんなので凍った山道走るのたいへんでしょう。1964年。
総合2位に入った78年 Fiat Ritmo 60。野蛮な音でした。バリバリバリッ!
おっ、Lancia Fulvia の後ろから来たのは・・・
いいですねぇ。
こちらはモンテ定番の Alpine A110。はまってます。
Lancia Beta Monte-Carlo も次のSSに向けて走り去って行きました。
そしてついに来ました!!
と思ったら・・・・
なんとストップしないどころか、手を振りもせず、通過してしまいました!!
この日は最初のSS-7でも次のSS-8でもコースアウトし、なんとか脱出していたというのが後でわかったのですが(SS-9は雪多すぎてキャンセル)、この瞬間、こんなリエゾンの村の中でコース脇もちゃんと見れていないらしい余裕がなさそうな240Zのふたりに、我々4名は心配な予感がしたのでありました・・・
セリカ車中で徹夜で走ったコンサントラシオンをフィニッシュした後の”事件”のため、こんどはヴァランス中央病院内で徹夜することになったので、結局2夜連続徹夜となってしまったことになりました。なので、皆が大雪のなか苦労している間に休息に努めました。
明けて2月4日月曜日、モンテは第3ステージである Etape Commune 1。ここヴァランスを出て、また夕方戻ってきます。240Zもスタートするために出かけて行きましたが、我々は皆がスタートした後のポンピドゥ競技場に向かいました。
スタートのCHが開かれていたところを出て行くのは既にリタイアとなったクルマたちです。みなさん残念でした。
パルクフェルメに入っていくと、ジャガーもいました。
はい残念でした。
もう1台、一番奥にぽつんと白いのが・・・
孤独なセリカ。可哀想・・・
ここまでおつかれさまでした。
ここでセリカを引き取りです。
パルクフェルメから出してホテルへ向かいました。セリカは全く問題無し。
ホテルに着いてから、ホイールの交換です。コンサントランシオン最後のスペシャルステージのためにスタッドタイアを履いていたので、スタッドレスへ戻しました。
ランチのためホテルに入って、ふと地元の朝刊を見たら・・・あらら・・・
240Zがしっかり記事になってました。お恥ずかしや。
でもこいつなら一発で引き出してくれたでしょう。
で、午後には240Zの応援にコースまで行ってあげようとなりました。ミシュラン・マップで確認したら間に合いそう。
左から無事退院の池内ドライバー、私、ブルーノさん。
でも、後でわかったのですが、このころ240Zはまたコースアウトしていたようなのです。それも2か所のSSともに・・・ そして・・・
徹夜で走った長い第1ステージをヴァランスで終えホテルへ入り、翌日の集合時間を確認して各自部屋へ戻ろうとしたときにそれは起こりました。
エレベーターの中でドライバーさんが突然気分が悪くなって倒れてしまったのです。
ここから、今回チームに同行していてくれた、若いフランス人ドクターであるカミロ君の大活躍が始まりました。
すぐに脈拍などをチェックしてアンビュランスを手配。数分後に到着したアンビュランスカーに載せて私とふたりで付き添いヴァランス中央病院へピ~ポ~ピ~ポ~。
結局メディカルチェックが完全に終わって”退院”できたのは朝になってから。ホテルに戻れたのはポンピドゥ競技場で第2ステージのスタートが始まっただいぶ後でした。ドライバーさんはまだ病院のベッドの上にいたときから、遅れてもスタートしたいと言っていたのですが、カミロ君(私も)からまさしく”ドクター・ストップ”。
我々#22セリカチームの今回のモンテは終わりとしたわけです。残念でしたが、こればかりは仕方ありません。
そしてそのころ、早朝にスタートして最初のスペシャルステージを走っていたチームメイトの240Zから「HELP!」の連絡が。
ヘルプって言われてもこちらはヴァランスのホテル。どうしようもないって!
サービスカーに連絡をとることしかできませんでしたが、数時間後に全ラリーカーが通過してから引き出してもらことができたそうです。
次のCHがあるサン・タグレーヴの町へ向かってもらっていたデンマーク隊からはこんな画像が。
こりゃ凄い雪!
ヴァランスのホテルではこんなのどかな景色なのに。
結局この日は残りの第4~6のSSが雪が多すぎてキャンセルとなり、ヴァランスへ戻ってきました。
ラ・モット・シャランコンからサン・ナジール・ル・デゼールのスペシャルステージを終え、いよいよ第1ステージであるエタプ・コンサントラシオンもあとわずか。前日夕方のランスでのスタートから940kmのうちの870kmを走ったことになります。
Valence へフィニッシュする前に Crest という町の中央広場にCHが置かれていました。
ただし、急な変更がありました。
毎年ヴァランスでコントロールなどが置かれ、パルクフェルメとなる大きな中央広場が、なんでも反政府デモ隊に使われる恐れがあるとかで、急遽街外れのポンピドゥ競技場に変更されたんです。そのため、ここクレストでリグルーピングとなりました。なので予定外の休息。
そのあとヴァランスへ向かいました。ただ、ルート変更となり、指示も簡単な文章で与えられたため、かなりのチームが最後の最後で右往左往したようです。チームメイトの240Zもそうだったよう。
我々はミスコースもなく無事に競技場へ到着。
ここのCHも定刻通過でコンサントラシオンが終了しました。ただ、いつもの中央広場でなくなったのでギャラリーはほとんど無しでちょっと寂しかったです。
用意されていた大テントで食事をしましたが、ここまでの記録を映し出していたスクリーンに私の姿が。
はい、仕事してますね!
食事を終えて外に出ると、途中で会ったストラトスとはちがうストラトスがフィニッシュ。いいですねぇ。
このあと、ACM手配のシャトルに乗ってホテルへ帰り、今年の我々のモンテは終わることになってしまったのです。
森川オサムHP ”Sur le sommet du Col de Turini” カテゴリ:その他(カテゴリ未設定) 2011/01/21 15:23:34 |
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