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情熱開放のブログ一覧

2020年08月30日 イイね!

日本の司法 大丈夫?  校外ビラまきに、関係ない学校の副校長が私人逮捕!って??





今年7月東京の事件。

公道でビラまきしていて、無理やりとめようとして、

言いがかりで「恫喝受けた」「心折れた」といい、

「かかってこいよ」って挑発しておいて、

携帯電話があたっただけで、「痛い」「ケーサツ」って

どういう教育なの?

副校長?

都教委、どうなのよ!


そして、逮捕拘留20日。

拘束理由の応えない裁判官。

どうなっているの? 

この国は隣国と同じってことだね!


日本加油!



萩生田・・・




どうみても、「恫喝」しているのは「茶髪副校長」のほうだし。

都立高校って、高校生は頭髪自由なのかな?

教員のどうみても、地毛でない茶髪パーマ、いかついライオンヘアだけど、

これ問題ないの?

こういうことだから、外見は人物を表すって言われるのを、

副校長は実証したかったの?
Posted at 2020/08/30 11:21:24 | コメント(0) | トラックバック(0) | 私服登校 | 日記
2020年08月27日 イイね!

④解説

①~③はA4両面診察の一枚ものパンフレット。

これを娘の通う中学の生徒や教員に門前で配布する。

先月も行っている第二段だ。

どうだろうか?


愚行か?

善行か?

無駄か?

有益か?
Posted at 2020/08/27 04:13:17 | コメント(0) | トラックバック(0) | パンフレット | 日記
2020年08月27日 イイね!

③ぜひ感想を頂きたい

はみ出しコラム
今から遡ること2千年以上前のこと、古代ギリシャで「哲学」が生まれたようだ。古代ギリシャの市民社会は、大土地所有者がその農地を奴隷によって耕させ、自分たちは空いた時間で、別の活動に取り産んだ。人間たる者、何もしないで過ごすことはできないものだ。余った時間のことを「スコレー」という。時代が下って「スクール」となり学校を意味するようになった。社会が豊かになると技術が進んで、人間は日々の仕事(家事その他)から解放され、自由な時間が増える。これを何に費やすか。そこで人生が決まる、といっても過言ではない。それが現代社会だ。古代ギリシャでは、スコレーを哲学(倫理学、数学、物理学、論理学)に費やしたり、オリンピックも行った。文武両道兼ね備えたものもいて哲学者プラトンがレスリングでオリンピックに出場したことは有名である。しかし、人間には怠惰の精神がある。多くのものは、時間を浪費して、無知、偏見、感情に流される、恐怖に怯えるようになった。デマゴーグと呼ばれる大衆扇動者はその性質を利用して、内容のない、しかし巧みな弁論術で民衆の支持を得るようになった。結果、ギリシャは周辺諸国から滅ぼされることとなった。

はみ出しコラム
プラトンとアリストテレスが活躍した時代には40年の時代のずれがある。プラトンの時代には貴族層のエリートが社会を牽引していたため、それゆえプラトンはエリート教育を解き、専門家こそが判断すべきだと説く。そののち次第に商業が発達して庶民が台頭してきた。それがアリストテレスの時代だ。お金の力は人やモノの動きを活発にする。社会にいろんな価値観を持った人が存在することになる。そこでアリストテレスは、みんなで決めよう、と言ったのですね。しかし、正しく判断ができる能力はどうやって身につくのでしょうか。生まれながらの資質と生まれてのちに受ける教育と。生れ落ちる環境は選べません。そうすると生まれてからの志と努力と結果は各自が引き受けなければならない。これはいつの時代にも通じることです。人生、努力あるのみ。
Posted at 2020/08/27 04:11:32 | コメント(0) | トラックバック(0) | パンフレット | 日記
2020年08月27日 イイね!

②ぜひ感想を頂きたい

二律背反 アンチノミ― 相反する命題が同時に成立する

プロイセンの高名なる哲学者イマニエル カントは彼の哲学書『純粋理性批判』のなかで二律背反を説く。たとえば「宇宙に始まりや終わりはあるか」。宇宙の始まりはビッグバンだとカント以後の科学は説く。学者はそういうけれど、ではビッグバン以前には何が存在したのか。結局、人間の能力では捉えきれないのではないか。宇宙には限りがない、限りがある。説明されれば、どちらも正しく思える。相いれないことなのに。
宇宙に始まりや終わりがあるか、宇宙に果てがあるかないか、は私たちの日常生活には影響を与えないので、関心を持たないでやる過ごすことができる。そもそも、そういうことを考えない人の方が多い気がする。
しかし、生活に密着するする事柄なら、放ってはおけない。どこかへ移動することにしよう。仮に目的地を東京として、公共交通機関か自家用車かという選択肢を挙げて、どちらが「合理的」かつ「合目的的」かを考えよう。その条件として、東京で行われるイベントに家族5人で1泊で出かけるということにする。
家族5人ともなれば、新幹線に行くにしても、飛行機でも、夜行バスでも、交通費は5人分だ。自家用車なら一人でも5人でも同じ費用だろう。経済的理由から自家用車を選択するだろうか。否。自家用車では時間がかかりすぎて、イベントに参加できないとわかる。自家用車の選択肢は選べない。そうやって「目的」に適うように選ぶ。こうして目的を達成するために「合目的的」な選択がなされる。
残りの選択はどうか。5人のうちに環境問題に関心のあるものがいた。飛行機は新幹線の3倍の二酸化炭素を放出すると聞いたことがあるようだ。夜行バスも排ガスを出すという。環境問題を考えれば、新幹線が「合理的」だという。しかし親にしてみれば、経済の問題があり、新幹線の利用は経済的に「合理的」ではないという。

柔軟で寛容な精神をもつ集団が行う意思決定は、友人関係のように多数決と少数者の意見の反映とが両立しやすいと思われる。国家の政策であれば、競争原理に基づく能力主義と弱者救済の制度は両輪であるが、どちらに傾くかは、常に議論となるところである。いかなる人間関係、社会集団においても、ただ一つの原理のみが正しいということはほとんどない。それ故に、「白黒つけることは危険である」というのである。

20世紀に先進的な民主主義憲法を採用したワイマール共和国で、ナチスドイツの独裁が生まれた。民主主義的運営の結果、独裁を生むことになった。繰り返される国政選挙で、次第に得票率を増やしたヒトラー率いる国家社会主義ドイツ労働者党が得票率30%余で、独裁政権を確立した。第一党であるが国民の支持は30%余である。多数派になったからといって、自分たちの意見を押し通すのは危険であることを歴史が証明した。
人間は、そして集団においても社会においても、自分とは相いれない意見や価値、少数派の意見や価値をないがしろにすることは、間違いだ。一つの事象に、複数の価値が見て取れる。ただ一つの価値に基づいてのみ判断を下すのは危険を伴う、ということ。これは明らかとなった。多面的に解釈をして、この部分は良いが、あの部分ではうまくない。個人も集団も、柔らかな対応ができるようになると居心地がよくなるように思えてならない。すなわち、価値の多様性を認める、ということだ。
Posted at 2020/08/27 04:09:57 | コメント(0) | トラックバック(0) | パンフレット | 日記
2020年08月27日 イイね!

①ぜひ感想を頂きたい。これをビラにして配るのだが。

民主主義は多数決で意思決定を行う制度か 
それとも少数者の意見を拾い上げる制度か

 表題はともに正しい。二人以上の人間で構成される集団においては、個人の意思とは別に、集団としての意思決定をしなければならない。親子、友達、学校、職場、…国家。集団の意思決定が行われて、集団成員がそれに従わなければ、意思決定は覆されてしまう。
 たとえば、親しい二人の人間がいて次の週末はどこにいこうかと話し合う。「山だ」「海だ」「街だ」「田舎だ」「国内だ」「海外だ」いずれかに意見をまとめなければならない。二人はまとめやすい。数において対等だからだ。
しかし3人となると様子が異なる。単純に多数決で決めると、あぶれた一人は不満を感じるかもしれない。同じ「延期」という判断でも「天気が悪いから」「来月にはキャンペーンで安く行けるから」「用事があって時間が取れないから」など合理的(受け入れられる根拠があること)かつ合目的的(目的に適うこと)など3人がともに「説明と納得」の過程を経ていれば、平穏に意思決定ができるだろう。
このことから言えるのは、単なる多数決では不満が生じやすく、話し合いによって説明がなされて納得がえられれば、少数者の意見も反映され、多数の意思に従ったとしても、不満は生じにくいだろう、ということだ。
ここに一つの例を引く。
私は23歳から28歳の5年間、菜食主義者であった。もちろん社会的関係(家庭や学校や働く場での人間関係)が存在した。あるとき友人数名を交えて、外食をすることになった。そこで何を食べるかが問題となる。私が菜食主義者だからである。意思決定はどのように行われたか。
「みんなが楽しめる」これが一番の決定事項だった。僕以外はみんな「普通の食の嗜好」いわゆる雑食主義者だったのであるが、僕が楽しめないだろうということで、お店が選ばれた。こういうことが繰り返されると、不満が出てくる。「なぜ少数者に従わなければならないのか」
民主主義は多数決だということに慣れているものは、少数者によって自分の嗜好が否定されていると感じるようになってくるのだ。大方は「少数派とともにみんなで仲良くしたいときは、少数者の嗜好に従うことになる」「そうでないときは雑食の嗜好に従えばいい」と理解していた。
しかし、外食はいつも菜食主義者を交えてのことになっているひとは、自分の雑食主義を認められないことになり不満が募る。友人関係は「柔らかい関係」(構成員が任意に入れ替わる。意思決定の過程に融通がある)だから、受け入れられなければ去っていく。
 このような「柔らかい関係」ならば、その集団は意思決定において構成員の不満が生じにくく、不満があればその集団をはなれるということも選択肢としてある。いわゆる「多数決の論理」と「少数派の意見の尊重」の相反する規範が両立しやすい。
Posted at 2020/08/27 04:08:26 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記

プロフィール

「人生を得点化すると、最低合格点の60点に届かない。誰もが60点前後と思われる。反出生主義がこれからの日本でもてはやされる。人口再生が半数少しという始末。一世代で半減というのは絶滅危惧種に相当する。政府与党は「国力が下がるので困る」という態で「個々人の幸福度が子育てで向上する」…」
何シテル?   01/03 00:11
2023年版 タモリは今年は新しい戦前の始まりという。 有名人はいいものだなあ。 残りの人生を諦めで生きるのだろうか。 国を守る。 馬鹿な。 ...
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