古い記事ですが・・。(少々長いよ)
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社保庁歴代長官あきれた言い訳…激昂、居直り、勘違い
--引用--
厚生労働省が歴代の社会保険庁長官に寄付を求め、13人中2人が拒否していた問題で、10日夜、ようやく全員が支払うことになった。だが、「カネを払えば済む」と思っているのか、天下って甘い汁をすする長官経験者は、夕刊フジの取材に不作為の説明を拒み続けた。中には「バカな質問には答える必要がない」「あらゆる取材に答える必要がない」「答える理由が見つからない」と居直った御仁まで出現。あきれた言い草を暴露する。
社保庁は「消えた年金問題」の責任を取って村瀬清司長官(60)が賞与(約270万円)を全額返納したほか、全職員や要職を経験したOBにも賞与額の一部返還を求めている。
厚労省は歴代事務次官と社保庁長官経験者にも、「寄付」として在職時のボーナス1回分の相当額(長官経験者270万円、次官経験者310万円)の返納を要請。10日までに長官はすべて応じたが、次官は14人中6人が応じていない。
ボーナスを返納した1人でもある柳沢伯夫厚労相(71)は「長きにわたり解決が先延ばしされた。その結果、一気に表面化したいきさつから、協力いただきたい」と苦言を呈した。そこで、夕刊フジは返納対象とみられる長官経験者13人に返納状況を直撃した。
「回答は差し控えさせてもらいたい。本人の意思です」と広報課を通して回答したのは横尾和子最高裁判事(66)。「『あらゆる取材に答えない』と、会長本人からいわれている」という佐々木典夫氏(65)が会長を務める財団法人船員保険会のケースのように、天下り先が取り次ぎを拒否したケースが13人中6人もあった。
大阪大学大学院人間科学研究科で教授を務める堤修三氏(58)は「コムスンのことか?」と当初は勘違いして笑っていたが、ボーナス返上問題の取材と聞くと急激に態度が硬化。「それは次官のことだろ?」とまたも勘違いした揚げ句に、「ノーコメントだ! そんなバカげた質問に答える必要などない! 以上!!」と立腹した。
長官退職後に4法人を渡り歩き、少なくとも2億9000万円の退職金を受け取った正木馨氏(76)は6月上旬、夕刊フジの取材に「責任の取り方は難しい」としつつも、「当事者としては見守り、結果を重く受けとめるとしか言えない」と話していた。
言葉通り、返納を済ませたのか。再び連絡してみると息子の妻が「今は自宅で病床に伏せっている状態で取材には応じられない」と応対した。そしてボーナスについては「返還の有無については答える必要がない」。すぐそばに正木氏の気配はあったが、最後まで本人が話すことはなかった。
東京メトロ日比谷線広尾駅徒歩3分の一等地に「資産価値は約2億円」(地元不動産業者)という北郷勲夫氏(72)のマンションを訪ねたが、「夕刊フジの記者です」と伝えた途端、夫人とみられる女性が「失礼します!!」とろくに用件も聞かず、インターフォンをガチャ切り。再度、用件を伝えたが「留守です」の一点張り。電話にも出ず、完全無視を決め込んだ。
国民を不安に陥れ、大混乱を引き起こしている年金問題。その戦犯たちは、自らの口から国民に説明する必要があると思うのだが…。
【歴代長官取材への対応】
歴代の社会保険庁長官 返納の是非
金田一郎 83年8月~84年8月 天下り先が取材拒否を回答
持永和見 84年8月~85年8月 回答なし
正木馨 85年8月~86年6月 息子の妻が取材拒否
吉原健二 86年6月~88年6月 回答なし
小林功典 89年6月~90年6月 回答なし
北郷勲夫 90年6月~92年7月 天下り先が取材拒否を回答
末次彬 92年7月~94年9月 回答なし
横尾和子 94年9月~96年7月 最高裁が取材拒否を回答
佐々木典夫 96年7月~98年7月 天下り先が取材拒否を回答
高木俊明 98年7月~01年1月 天下り先が取材拒否を回答
中西明典 01年1月~02年8月 天下り先が取材拒否を回答
堤修三 02年8月~03年8月 回答で「ノーコメント」
真野章 03年8月~04年7月 天下り先が取材拒否を回答
--引用終り--
ハァ・・。バカにつける薬無し、とはよくいったもんだ。
貰って当然、なんで返さなならんのだ、と?
己等の犯した罰も受けずのうのうと給金受け取って。世間じゃ考えられん事だ。
悪い事をすれば罰を受ける。あ、そうか悪い事という認識が無いもんな。逆に開き直ってるもんな・・。
あまりの腐れぶりにもう罵詈雑言浮かんでこねえよ・・・。ハァ・・。
Posted at 2007/07/15 12:56:04 | |
腐れ公僕:上 | 日記