たぶん、午前六時ちょい過ぎくらい。富士重工インプレッサのエンジン始動。
首都圏、特に、東名や中央道は数十キロの渋滞があるので、10時に河口湖自動車博物館で待ち合わせをしておきながらも、超マージンをとって、コンクリートジャングル東京を出発。
まあ、普段から交通量は多いものの、八時くらいには到着しそうな按配だったので、都留や西桂、吉田をぶらりとドライブ。富士五湖方面に来たのは、今年初めてかもしれない。
まずは富士急行三つ峠駅前へ。
国鉄中央線の高尾駅を超えると、都市近郊路線が途端にローカル色豊かな路線に変貌して、そのギャップが面白くて、勢いで大月から富士急行に乗ってみたことがある。そのときに、気の赴くままに適当に降りたのが三つ峠駅で、登山の発着や終着で有名な駅だということはつゆ知らなかった。年配のみん友さんに教えていただいた(昔のことなので、お名前を失念してしまいました)。
ちなみに、検索したら懐かしいブログが出てきたので、そちらをご紹介。
もう九年前なのね。
女子学生二人組ヒッチハイカーを乗せた
今回、三つ峠駅前に来て違和感を感じた。大きく変貌しているような、しかし、大きくは変貌していないような、背反した不思議な気持ちがした。
実はたったいま思い出したのだけれど、駅前には古い木造の建物があり、そこには、店舗があったはずで、単純に周囲の山々と古錆びた街並みに魅力を感じたものだった。ただ、登山客は以前に来たときよりも、多く見たような気がする。時間帯が原因かと思われる。
吉田市街に入る。まだ時間は十分にあるので、富士山駅に向かう。
やけに直球で具体的な名前だな、ということを数年前に来訪して思った記憶があるものの、やはりブログ等は見つからず。2011年6月までは富士吉田駅という駅名だった。
駅前には喫茶店がひしめいているのだが、休業。
駅を少し離れた場所ではやっているところもあり、吉田(山梨県民以外は富士吉田というけれど)は喫茶店の街なのかもしれない。
陽光がさしたり、曇りがかりそうになったりする。しかし、時折微風が吹くと涼しさを感じる点が、いかにも富士五湖地区のようだ。
今時分、長野某市(標高はそれなりに高い)では、当地に住む義父が夜でも暑く、エアコンを欲しがるくらいに気温が上昇しているというのに、ここはいつきても涼しい。そして冬にうっかり来ると、特に夜間は激寒。雪も積もっていたりする。余談であった。
河口湖自動車博物館は個人が自動車や飛行機を収集・展示している博物館で、8月のみの営業で、あとはもっぱらこれらの展示物の整備等に充てているのだという。
これまた余談だけれど、箱根までを含む一帯はフェラーリやらポルシェの博物館が存在していて、いずれも個人で運営されていたように思う。が、今は河口湖自動車博物館くらいしか残っていない。
それはともかく、ここで二人と合流。やはり一台で来ていたようだ。トヨタのサクシードで、音がすごくいいし、侮りがたいクルマだ。
大晦日にはターンパイクの上りでF40といい具合のバトルをしている(笑)
一人は自動車や航空に詳しく、ガイドを得た心持ちになった。どうも、中島飛行機の艦上偵察機であった彩雲(三座シートで偵察機としては大きい)を見に来たらしい。非常に貴重らしいが、私にはよくわからない。
一つ思うのは、大東亜戦争中の日本の愚かさである。私は保守論壇誌に論考が載ったこともあり、保守であるとは思う。が、戦時中を翼賛しているわけではない。ひと昔前であれば、戦後民主主義者と間違われるので、こうしたことは言わなかったけれども、日本にも美点がたくさんあった的なことは一面の真理ではあっても、普遍化はできないと思う。
といって、ゼロ戦をはじめとした戦闘機が嫌いではない。ただ、エンジニアリングに詳しくないので、よくわからないだけである。よって、戦闘機の背後にある歴史が浮き彫りになってしまうわけである。
自動車館の方はクラシックカーについては、聞いたことがあるクルマも何台かあったものの、基本的にはわからない。ブガッティが名門だったとか、シルバーゴーストがうんちゃらといったくらいの知識しかないけれども、順を追ってみていくと、確実に自動車の形態が変化していくことがわかる。
ただ、車名まで明瞭にわかるのは、せいぜい356くらいからだろうか。
テスタロッサはLP500Sが展示されていたと思うが、これはスーパーカーブームが終わったあとに生まれた私にとっても別格で、一か月に一度程度乗る程度でもいいなと思うクルマだったりする。ランボの歴史も面白いけれど、かっこよさでいえば定番だけれどカウンタック。アニバに至るまで。
対するフェラーリは美しいと思うし、エンツォの事績も面白い。
ただ、西へ東へと移動する人間だから、外車ならポルシェということになると思う。
ルフのイエローバードがいいね(笑)
まあ、写真は鬼のように撮っているので、関心のある人はご覧ください。
2021年の河口湖自動車博物館
さて、メシでも食おうということになり、私の提案で、御坂峠の頂上にある茶屋で、二階部分には太宰治がしていたことがある。河口湖と富士山が一望できる名勝で、太宰の「富嶽百景」にも登場する。井伏鱒二も来ているところ(「富嶽百景」にも登場)で、新道ができるまでは重要な交通路だったようだ。
そこそこツイスティな道なのでちょっと先に行かせていただいた。たまにはね(笑)
途中、前述の三つ峠駅方面に向かう狭い山道があるので、分岐の手前でしばし待機して、いよいよ茶屋へ。
茶屋は四年ほど前まではそこそこ来ていて、いつも富士山がよく見えているときだったので、今回は逆に新鮮だった。富士山はよくもわるくも存在感が大きく、
富士山が見えると思うと行動がそれに規定されてしまう心持ちがするから、雲隠れしていていただいてもよいと思うことも時折ある。
富士山の見えない地域の人はどう感じているのだろう。
太宰の作品も長らく読んでいないけれど、津軽出身の太宰のような気持ちは私にも理解できる。青空文庫でただで読めるので興味のある方はどうぞ。原文が読みにくい方は解説サイトでもどうぞ。
といいつつも、たまに富士の一端に触れることもあるのだが。
富士山の稜線・樹海の折々を一望 紅葉台展望台
茶屋から峠を縦断するためのトンネル(新道にもトンネルがあるが、こちらは笹子峠の旧道と同様、峠の上にトンネルが設けられている)をくぐり、今度はダウンヒル。だんだんと気温が上がってくるのがわかる。甲府盆地は富士五湖地区とは打って変わって、夏はものすごく暑い。が、この日はそこそこという程度だろうか。梨園や桃園が盛んで、
ここまで盛んな様子を見たのは初めてのような気がした。
インプにはいろいろなギミック(?)があり、インタークーラーを冷やすための水を噴射する機能なども備わっていて、タンク容量は通常のSTiモデルで4リッターちょいだろうか。夏場に山道を走るとすぐに無くなる。普段はそうでもないが。ちょうど、枯渇してきたし、再び山登りをすることになっていたので、トランクに常備してある水を補給。
水が無くても走るんだけれどね。
大菩薩嶺は小説や映画にもなったところで、大変に険しい峠ではあるが、近頃はどんどん道が整備され、三島と箱根峠とを結ぶ一号線ほどではないにせよ、かなり走りやすく、パワーのあるクルマにとっては快適だろう。
はい、お先に(笑)
いや、サクシードも軽量できびきび走るけれど、さすがにパワーの差がありすぎるのと、こちらはマニュアルでローギヤ。
百キロ以下の加速は得意中の得意。
外気温表示がみるみる低下してくる。
柳沢峠は私が知る限り四月でも雪が残っていることがあり、非常に寒い。
この日は霧がかかっていて、寒くはなく、ちょうどいい具合の涼しさだった。
こちらも霧が晴れていれば、北アルプス山脈が見られる。
ここを過ぎると道幅もやや狭くなり、私好みのワインディングとなる。
雨が降ってきたものの、別に滝のような雨ではないので、ドライ路面とあまり変わらない。まだ大丈夫、
いけるぞ、ファルケン!
そういえば、柳沢峠から奥多摩まで、手前を走っていたファミリーカー(ミニバンではないし、なんて呼べばいいんだろう。車高もそこそこ高い)は今考えてみれば、かなりのハイペースだったよな。スゲー。
取材協力 ガーグラTV
お馴染みの奥多摩に戻り、いつもの駐車場へ。
メス猿はいませんでした(笑)
二人ともメシを食いに行きたいということで(八時までしかやってねーし。ファミレス等の大がかりな食事処は下山しないとマジでありません)、ここでしばらく一人待機。
第一駐車場にクルマを移動させ、ダムまで走って、霞がかった神秘的な湖畔を眺めてみた。
うーん、結構、走れるんだな、俺(笑)
養生のためにコルセットを装着していたのだけれど、それはもう不気味な光景だろう。そこそこ速く走っていたし。走れエロスってか。
放課後組ご用達のファミレスまでは50分程度。ここからは交通量もそこそこ増えてくるので、だいたい目安通りの所要時間となる。
でも、八時閉店って、ほぼ半年以上続いているけれど、落ち着かないねえ。
メシ食って、かき氷(重要)食って、閉店。
ここが元気に営業しているだけでも御の字。
ここからはサクシードが先頭。予想通り、王道ではない道に案内され、ようやく多摩地区某所へ。ここでサクシードオーナーは帰宅。
残る二人はなんとそれから四時間近くもおしゃべりしていましたとさ(笑)
たぶん、私が帰ると言わなければ、明け方近くまでくっちゃべっていたと思う。