2020年06月14日
と思うことが最近あります。
例えば、この前の警察官とトルコ人の方のやり取りね。
まあ、強硬的な手段でのやり取りが良いとは思いませんが、職質拒否したり車内検索拒否したりすれば、怪しまれて強硬手段に出られる可能性があるのは、当然の帰結だと思うのですけれどね。
もちろん、任意ですけれど、その拒否の仕方を間違えれば…とわかりそうな気もしますが…。
カメラの映像で、一部始終(止められてから、別れるまで。)が映っているわけではないですから、それをすべて見ないとなんともって感じではあります。
私も夜10時台にコンビニに白セブン君で出かけた時も、あーこれは職質来るなぁってことに遭遇したことがあります。
以前の事故でナンバーが少し折れてたからね。
交差点でこちらを見ながら(顔は見えていないけれど、私しか交差点に居ない状況でこちらを伺うように交差点から出てきました。)、明らかに目の前でハザード。
もう、この時点でアウトでしょw
追い越せば、ハザード止めて付いてきます。
法定速度内でコンビニに入れば、続いてコンビニに入ってきて私の隣に停車。
ちょっと楽しそうなので、こちらから声を掛けました。
こんばんはー、私に用ですか?って。
多分、その前のナンバー照会で問題なかったからだと思いますが、警察官が職質する前にこちらから免許証要りますか?って聞いたくらい。
急いでたからとか、嫌だからとかって言うけど、そんなに嫌なもんかしら?
そんなに命にかかわるような急ぎなのかしら?
というのが、正直な印象。
そりゃ、拒否して逃げるそぶりをすれば、人種関係なくそうなるでしょって。
最近だと、都知事選があるからなのか、小池都知事のカイロ大学の疑惑とか。
あれの卒業証書は偽物だとか、当時の同級生?の証言があるとかって言ってますけれど。
例え、偽造だったとしてもカイロ大学が発行したものとカイロ大学が証明しますって言った段階で、もう周囲が騒ぐのに説得力がないんだよね。
あれは嘘だとか、カイロ大学は賄賂でも貰ってて、あの証明書は本物ではないとかって言った段階で、じゃあ、その同級生?とかやらの発言はどこまで信用できるの?偽物と言われる証書の偽物である確かさはどうなの?って思うわけです。
偽造した記録や作成者等を連れてきて証言させたとか、間違いなく偽装されたという記録があったとかでない限り、大学が証明しますって言った段階でなんの説得力もなくなっちゃうんだよね。
最近、バイトしてても思うのは…。
これがあれば間違いないだろうという理由とか、データとか、原理だとかが出てこないようなやり取りや出来事が多い気がするんですね。
評価とか、上司への説明資料として使うから、あるデータを取ってくれって言われるけれど、その測定方法に無理があったりだとか、そもそもそれだと根拠にならなく無い?大丈夫??って思うようなことだったりだとか。
基本、紐付きが一つなのに、いくつか存在するみたいだから判断してくれって言われるけれど、それって紐付きが一つって書いた書類に反するでしょ?自分で疑わなかったの?どこにもいくつか存在するとか、それに関する書面があるとかってないでしょ?って。
良く言えば嘘は言いたくない、悪く言えば保身なわけですが、そのためには相手を説得する資料なり根拠なりを用意して、これこれこういう理由だからあまり意味はないですよとか、やる必要がありますよとかってなるわけで。
ネットで屑みたいな情報が溢れているからなのか、事実を伝えるというよりは、明らかに意図をもって伝えていることがあるような気がしますし、それを疑いなく評価する(背景や前後、言っていることの確かさ。)ってのはどうかと思うんですよね。
そうじゃないと、普段情報とか何か問題が起きた時の仕分けって普段どうしてるんだろう?って不思議に思うんですよ。
まあ、人間なんて自分の事と他人の事って判断するのに、突然基準が変わったりしますからねー。
自分の事だとハードル上げて厳選するのに、他人の事や会社のことになると突然そのハードルを下げたり、そもそも基準を設けず他人に押し付けたり。
(戦略上、基準を変えるということはもちろんあるので、すべてとは言わないけれど、受け取り側がその匂いを感じるためにも仕分けの感覚って必要。)
だから、事実を間違いなく伝えるではなく、意図をもって伝えるになるんでしょうけれど。
なんか、最近はネットニュースでもそんな感じの匂いを感じるんですよね。
Posted at 2020/06/14 14:03:57 | |
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