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ひらの。のブログ一覧

2025年09月23日 イイね!

生活をしやすく

家の中の整理を始めると、生活のしやすさへの配慮が足りていなかったことが、よくわかります。

100円ショップに行って、モノを置換するだけでも、ずいぶん「生活」がしやすくなるものだと、よくわかります。

保守的な生活とは、昨日と同じ生活を今日も行うことだけなのか、と問えば、そうではないでしょう。

父親のためていた書類は、訳あって処分するのが遅れそうですが、何せ移動させないと、粗大ゴミも家の中から出せない状況です(どんだけ)。

まず、洗濯物を干すためにも作ってもらったウッドデッキですが、そこに接続している縁側から直接に出ることができない。
なぜならば、縁側が倉庫として使われているので、荷物が塞いで人の出入りができない。

外からの防犯対策?であるとすれば、あまり優れた選択ではありません。

まずは、縁側に置かれているものを「捨てる」算段を考えます。

その中では、電位治療器が、1番の課題。
35年ほど前にうちにきたはずですが、私には不要なモノです。
居住自治体のホームページを見ると、処分が可能な模様。

他は、事務用の机、TVボード台のようなタンス、座椅子いくつか、音響機材の天井吊り下げスピーカー、足の一本ない寝台、その他不燃物系。

スピーカーは、壊れていなければ、他にも使用用途が出てきそうですが、残せそうなのは、目についているモノでは、これくらい、あとは荷物で開かなくなっている収納庫の中に、何が入っているのか、今から扉を開けられるようになるのが、楽しみです(毒)。

ニコニコと、いつも機嫌の良いようにしておきたいものですが、生活環境が変わってから今日まで、必死になりすぎて楽しめていません(苦笑)。

楽しもうという姿勢だけは、忘れたくないものです。
Posted at 2025/09/23 08:41:22 | トラックバック(0) | 介護のつれづれ | 日記
2025年09月21日 イイね!

お金の話

母親の言動が、時折、怪しくなってきました。

このように、症状が進んでいくのだと割合客観視することもできますが、相手の雰囲気に飲まれて、同じ次元で話をしてしまうと、口論にしかなりません。

話し合えば解決できるなんて、とても狭い範囲の条件・価値観を共有できていないと、到底無理難題なことだというのが、実感できます。

先日も、生活費を渡さない息子をなじってきましたが、私が冷静に、論理的に反論をすると、あまりにも反論する術がなくなり、拗ねてしまいました。

母親としては、財政を委譲しても、今までの「どんぶり勘定型経済」を、父親の役割を息子が担うだけで、あとは変わらない自分の生活を期待していたようですが、私の「高度どんぶり勘定型経済」(笑)の前には、自分の生活を変化させなければならないので、そのことに耐えきれないストレスが、あるのでしょう。

振込や引き落としではないお金の支払いについて、封筒に9千円を入れて、これは家族のお金として使ってほしい、支払ったら領収書をもらって、それを私に渡せば、使った分を補充する、と伝えましたが、内心彼女は、フリーハンドになるお金が手元にある(ように思える)ことを欲していますから、領収書をもらって渡すなどというのは、面倒な行為だと断言します。

私としては、要求される金額の小遣いをわたしたいところですが、その金額が妥当であるかどうかも含めて、家庭の財政を1ヶ月まるっと観察した上で判断をすると伝えても、もうそれも理解できない、というか、理解をしたくない。

私程度の人格では、議論になるどころか、激しい口調での罵り合いにしかなりません(笑)。

鬱であろうが認知症であろうが、不安がないことが不安になることが、本質的なことだと、私は考えています。

当初は、ひと月分を分割して渡すなど、妥協点を考えていましたが、
結局、一括でお金を渡すことに。

個人的には、私が管理する前よりも、多くの小遣いを請求しているわけですから、緊縮財政を敷いて立て直しの段取りをしているのに、なんてことだ、というのが私の本音であります(苦笑)。

母親からうまく話を聞き出した叔母のアドバイスは、現金を、それもある程度まとまった現金が手元にないことが不安なのだということだったので、何かあるリスクを避けるのではなく、リスクを承知しなさいと。

結局、お互いに妥協点を探り合うといった交渉には、全く応じることができないのが、我が母親の現状だと認識し直して、アドバイスを受け入れました。

すると簡単に、精神的に安定することができたようですが、前述したように、不安がないことが不安、になりますから、次は、お金を持っていることの不安、もしくは別の不安を作り出して、表面化することになるでしょう。

などと、こんなことを考えていると、普段の生活がやさぐれる方向にしか自分の思考が向きようがありません、いやはや、困ったものです。
Posted at 2025/09/21 00:11:29 | トラックバック(0) | 介護のつれづれ | 日記
2025年09月17日 イイね!

ストレスを回避する妄想

家のゴミ出しは続きます。

ちまちまとでも継続していくことで、私のモチベーションを保とうとしているわけですが、ゴミを出すのは、実に、精神的なダメージがあります。

もったいないという倫理観が刷り込まれているのでしょうか、その私の僅かな倫理観を抑えながら作業をすることで、ダメージになるのでしょうか。

それはともかく、台所区域は目処が立ち始めましたので、次はリビングに目をやります。

こちらは、父親の書類の類で足の踏み場が半分ほどは無くなっています。

ですが、諸事情が発生して(!)、書類を盲目的に処分することができません。

全く、いろいろ面倒なことです。

リビングには、我が家で唯一のTVが置いてあります。

現状も、簡易的なオーディオシステムを組んであります。

リビングを片付ける(ゴミ出しをする)ことで、TV周辺にスペースを作れば、システムを刷新することができると、妄想をします(笑)。

加齢による難聴、耳が遠くなっていることで、時々、TVの音量が、近所に漏れるほど大きくなっています。

現状のシステムでも、遠くなった耳にも聞こえやすいようにと狙っていますが(謎)、保守的性向が強い二親は、積極的にはオーディオシステムを使用しません。

特に父親は、今回の一件で、明確に難聴になった、とわかりましたが、おそらく以前からその傾向が強くなっていたのか、好んでいたオーディオのシステムも使わなくなっていました。

なので、二親のため、というよりも、私の趣味と実益のためにも、システムの刷新を妄想しておくのは、将来無駄にはならんだろうと、妄想を楽しんでおきます(苦笑)。

あ、私、テレビを見ない人でした。。。
Posted at 2025/09/17 18:48:50 | トラックバック(0) | 介護のつれづれ | 日記
2025年09月15日 イイね!

荷物整理という名のゴミ出し。

二親から生活する権限を移譲されたことで、私が重い腰を上げたのは、家の荷物の整理です。

これも高齢者というか、認知症を患っていたというか、父親は、近所から使わなくなった本棚やら色々なものをもらってきては置いて、書類をためる癖があります。
母親は、持っているものを捨てることができない、この二親から生まれるものは、突き詰めればゴミ屋敷になります。
世の中の、ゴミ屋敷になっているニュースは、決して他人事ではないだろうと。

自分の部屋を断捨離、整理をしたときに気がついたのは、ものを右から左に動かして整理をすれば片付くのではなく、ものを捨てることが片づけることだということ。

なので、ゴミ出しの作業を始めました。

とはいえ、全部をするのには、労力も精神力も(!)削られますので、まずは毎日使う台所周辺から始めます。

キッチンの上下の収納棚は、溢れるほどの荷物が入っています。
食卓の上も、食事をするのは荷物を片付けないとできないほど。
家族としての体を成していないことは、その手の専門家が食卓を見ればわかるそうです。

これから使うようになる台所の整理=ゴミ出しから始めます、必要であってもわからないものは捨てるという方程式で、棚から荷物を出していきます。

食器やガラスの器を捨てられるのは、月に一度の不燃ゴミ回収となるのが不便ですが、そんなことを患ってはいられません。

とにかく、可燃・資源・不燃のゴミ袋を準備して、淡々と処分をしていきます。

数年前の乾物から、20年前の乾物まで、さまざまなものが収納されていますが、その中で手間がかかったのは、瓶漬けにされている、梅干しや、らっきょうの類。

何年か前にも、食べないのだから捨てるように話をしましたが、食べるから置いておけとの一点張りで、実際は、梅干しをスーパーから調達しているのですから、ボケているのかなんなのか、よくわかりません。

7、8個の、文字通り漬け置きされた梅干しやらが入っている瓶を、中身を出し、瓶を洗って、分別をしていきます。

食べ物を粗末にするなとは、親世代の常套句のはずですが、認知力が低下すると、子供返りのようなことになるのでしょうか。

私は、中年期の過ごし方が、影響してくるのではないだろうかと、自分と二親との生活を見ながら考えています。

まず目標としては、7割ほどは廃棄する。
必要であろうがなかろうが、ここ1年、使った形跡のないものは、ほぼ処分。
残った3割のものは、台所で作業をしながら、さらに削っていく方針を立てます。

特に、鍋、やかん、フライパン、ザルなどの類は、一つか二つあれば良いので、使い込んで古そうなものなどは、どんどん捨てます。
中には、私が小さい頃に、ご飯を炊いていた鉄製のおもーい鍋も見つけ、懐かしい気持ちになりますが、把手も壊れているので思い出だけを残して、廃棄します。

何故か多かったのは、割り箸の類。
貯めるだけ貯め込んでいたのを、一掴みほどを残して、処分します。
日用品の消耗品も、あちらこちらに仕舞い込んであるので、在庫を管理することができない結果、これも溜め込まれています。
使うものなので無駄ではないのですが、必要数というものを把握するのが基本でしょう。

分別をする判断はしますが、手に取ったものをゴミとして出すのか否かは、判断をしない。
廃棄することが前提で、必要なものを捨ててしまっても、買い直しをすれば良い。
むしろ買い直しをすることで、今の生活に、より整合性の高い道具を見つけることができると、私は考えています。

一度にやるのは、勢いが必要です。
ですが同時に、体力と精神力(!)も削られます。
親の、簡単な面倒を見ながらの生活になってますので、しんどくなっては、続けられません。
長期戦を計画して、とにかく目標を達成することに集中します。

最初の一週間は、収集日に、山となったゴミ袋を玄関前に積んでいました。

ある程度、動きやすくなるくらいまで整理をした感想は、自分でやるものではないなと(笑)。

業者さんに入ってもらって、機械的に廃棄処分してもらうのが、親の荷物整理の効率的なやり方だろうと、考えます。
あとは、この効率的なやり方に、情操をどのように配分するのかを考えるくらいが、妥当ではなかろうかと。
Posted at 2025/09/15 16:12:48 | トラックバック(0) | 介護のつれづれ | 日記
2025年09月14日 イイね!

道に迷って結果オーライな日

常用しているたまり醤油の在庫を切らしたので、買い出しに出かけます。

片道50kmほどの移動ですが、今の私の生活においては十分な遠出(遠い目)。

病院の面会と食事の買い出しの近所を走る程度しかPoloを運転していないので、たまにはこうして1時間ほどの移動が、私の気分転換になります。

リラックスしすぎたのか、いつも通りの道を走っているつもりが、いつの間にか道を間違えていました(笑)。

右折するタイミングを手前で曲がってしまい、信号機のない郊外の道を道なりに、気持ちよく走っていたのですが、見慣れているようないないような田畑の風景に、途中から違和感を感じていましたが、見知らぬ信号交差点に出た時に、ようやく、自分が道を間違えていたことに気が付きます(苦笑)。

なるほど、やはり集中力が散漫になっているのだなと。

全く方向がわからなくなり、青看板の表示を見ても、脳内の方位磁石と表示されている地名がマッチングしないので、瞬時にどの方向へ行くべきか、判断できません。

このような時は、車を路肩に寄せて完全停止させてから考えるようにするのが、ナビゲーションシステムがない車の運転時の対処法でしょう。

Poloの消していたナビ画面を映して、俯瞰で状況を確認すると、行きたかった方角の反対側の地域に出てきてしまっています。
こりゃわからんと、ナビで目的地設定をして、文明の利器に助けられて目的地へ向かうことができました。

30分ほど余分に、Poloを動かすことができたと考えれば、結果オーライです(おぃ)。

目的地で、味噌と醤油を買い求め、小腹に収める水饅頭を購入します。

この後は、入院している父親の面会に向かいます。
移動時間を考慮すると、ちょうど面会時間の始まりに到着できそうです。

広域農道を走り、産業道路に出て、一路、入院先の病院へ。

移動は順調で到着した時間は、ちょうど面会時間の始まりでしたが、駐車場で5分ほど仮眠を取ってから、洗濯物の回収をしてきました。
私の体力ではショートスリープを活用すると、多少の余裕を持つことができます。

この日は、なかなかうまく時間を使うことができました。
道に迷うことも、悪くありません(おぃ)。
Posted at 2025/09/14 10:16:02 | トラックバック(0) | つれづれ | 日記

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