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ひらの。のブログ一覧

2023年10月29日 イイね!

運転支援と自動運転

運転支援と自動運転Poloの、運転に対する反応が、とても楽しくなっています。

高速道路を走行しているだけではなく、バイパスの、高速道路未満の巡航速度下においても、運転が、とても楽しい。

これほど運転が楽しいのに、世の中が自動運転になってしまうのが、もったいないと思えます。

この視点の角度を変えると、運転が楽しくないから自動運転になってくれればいい、と考えることもできます。

運転を楽しめない車にするには、どうすれば良いのか?

Poloの方向性と逆のベクトルに向けば、運転は楽しくなくなり、移動するのならば、自動運転でいいよね、と思わせるというのも・・・。

おそらく、有力な流れになる一つとしては、「交通事故者を出さないようにするためには、自動運転を導入すべきだ、加害者と被害者を作らないようにする世界は素晴らしいに違いない」といった単一思想による支配的な要求を伴う「社会正義」でありましょう。

この「社会正義」に、公然と歯向かう度胸を私は持ちませんので、そうなってしまったら、黙って、自分の生活をするだけ、となってしまうと考えます、が、これは、昭和の戦争の時代も、その時代の世論に、公然と歯向かうことができなくなったことが、その後の敗戦と、敗戦後の復興というものに、関連しているのではないだろうかと、自分の考えから、ふと、思いついてしまいました。

右も左も、これからの世の中、騒がしくなっていくと考えます。
トレンドとしては、経済思想の新自由主義との距離感と、保守思想の組み合わせにあると見ます。
2000年代、無邪気に、新しいものだからと取り入れた新自由主義経済の「思想」を、いかに自分の中から排除せずに、保守的な思想と組み合わせるのか。

資本主義経済における「排除の論理」を、強化していったのが新自由主義経済でありましょう。その「排除の論理」を、他人に、知らしめている間は良かったものも、当時の20代の人たちが、どんどん自分達が排除していった側の年代になってきた時、全員が全員、排除されないポジションにいない、ということに気がつくと、自然、保守的な思想に寄り添いたくなるのも、人の気持ちの動きでありましょう。

自動運転のことから、ずいぶん離れてしまいましたが、社会正義と個人の思想の正義と、その中間点はどの辺りなのだろうかと考えています。
自動運転だけではどうかと思いますし、自動運転を否定するのも、これもまたどうかな、というのが、私のポジションであります。

自動車が社会に対して、どのような役割を担わされているのか。
移動の自由とは、何か、そういったところと関わってくる問題なのでしょう。

「絶対に正しいものはある、ただし、それは複数ある」佐藤優 読む力を鍛える 10頁 PHP文庫
Posted at 2023/10/29 08:59:00 | トラックバック(0) | つれづれ | 日記
2023年10月22日 イイね!

富士宮市

富士宮市この日は、静岡県富士宮市へ。

午前6時半過ぎに出発。

ガソリン代高騰のためか、高速道路で、遠路の移動を目論んでいる車が少なく、立ち寄った遠州豊田PAにも、自家用車は、数えるほど。

自動車が排出する二酸化炭素を減らしたければ、ガソリン代を高くすれば良いのかと妙案が浮かびます。

交通量の少ない東名高速道路を東へ。

富士ICで降りて、富士宮市役所方面へ向かいます。

到着後、まずは、浅間大社に、お参りに。

湧き出している水が冷たく、この日は最高気温が35℃近くだったもので、手につけているだけでも、とても心地がよかったです。

そして近くにある、富士世界遺産センターへ。

螺旋状に、上層階まで登っていくことができるのですが、この傾斜角度は、富士登山をイメージしているのでしょうか。

プロジェクターで投影される画像は、遠目で見ると、本物の影のように見えて、目を引きます。

そして、これも歩いていけるほど近くにある、富士宮のイオンでCDを購入(苦笑)

もう居住地域においては、車で一時間ほど走らせないと、リアルなCDショップがありませんので(市内中心部にはありますが・・・)、一時間走ろうが、二時間走ろうが、一緒であろうと(謎)

別段マニアックな商品を求めているわけでもありませんし、メジャーなJ -POPを購入するのが、私の関の山。

見ていくと、aikoのファーストアルバムが新品で売っています。
aikoの品揃えだけでも見ていると、aikoに興味を持った人が、とりあえず買っておけば、不満を持つことはありませんよ、という意図であろうか、最初のベスト盤、シングルのカップリングも含めた2枚目のベスト盤、そして初期のファーストアルバムというラインナップに私は、感動をします(笑)

Amazonか、オフィシャルショップで購入すれば良いのですが、ファーストアルバムを実物で手にするのは初めてのことで、衝動買い(おぃ)

昼食に、カレーを食して(うまうま)、帰宅は、国道1号と国道23号を使って、下道で帰宅。

下道での移動においては燃費が、高速道路移動よりも落ちるかなと考えていましたが、バイパスを巡航していくことで、高速道路よりも巡航速度が落ちているからか、かえって燃費は5%ほど伸びる結果に。

エンジンパワーと諸々の抵抗の均衡点というものが、あるんでしょうね。

そしてこの日も、整備後のPoloの走り具合に、こちらもいたく感動させてもらえました。

より楽しく、走らせていただけます。
Posted at 2023/10/22 21:55:14 | トラックバック(0) | おでかけしました | 日記
2023年10月15日 イイね!

路線開拓

路線開拓朝晩の空気は、ずいぶん過ごしやすくなりましたので、秋の夜長をどのように過ごそうかと。

高速道路以外で、できるだけ平坦で、距離を稼ぐことができる経路はないかと考えていたところ、浜松あたりまで行けばよいのではないかと思いつき、夜、浜名BPあたりまで出かけてみました。

国道23号線が蒲郡周辺で、工事通行止めになっているので、国道1号を南下していきます。

走行時は、帰宅時間の終盤になっているのでしょう、信号のタイミングを熟知した一般車も多く、大型トラックは、先の岡崎ICから高速道路に上がっていく、そのような時間帯を走行しましたが、Poloの運転のしやすさに、改めて気がつくことができます。

何が運転しやすいのかと考えていると、ステアリングを「ほぼ」動かさずに、移動することができることの、楽チンさです。

微舵とアクセルのオンオフで鼻先の向きを変えられるので、「ほぼ」動かさない印象で、運転していることが、要因の一つでありましょう。

このまま周囲の流れに沿いながら、豊川為当ICから国道23号線に合流して、一路、浜名バイパスへ向かいます。

片側一車線の区間を終え、二車線の区間に入ると、流れの前へ出ていくくらいの気の持ちようで、ストレスなく加速減速が行えます。

追越車線への移動から、走行車線への復帰まで、ウィンカー三回の点滅で十分な間合いで、車線変更を行うことができます。

バイパス沿いのコンビニで休憩して、Uターン。

23号は、通行止め区間があるので、帰りも、深夜の国道1号を北上して行きます。
今度もまた(笑)信号のタイミングを知り尽くした車両についていくと、塩梅が良かったりします。

今回、往復した区間において、懸案事項だった国道23号、名豊道路が全線開通をすると、名古屋、豊橋、そして浜松まで、直通することになります。

私の場合、昼間はともかく、深夜の時間帯には、使うことがある経路ですので、あと数年後の開通で、どのような利便性となるのか、楽しみであります。
Posted at 2023/10/15 15:15:15 | トラックバック(0) | Polo AWCHZ | 日記
2023年10月09日 イイね!

焦点

焦点常用しているメガネの焦点が、合いにくくなったと思うのは、先日の福島県へ赴く道中のことでした。

目がしばしばしてしまい、眼精疲労が原因か、それともメガネのピントなのか。

いずれにしても、運転に支障をきたしたのは、好ましくない出来事でしたので、眼精疲労については、PCやスマフォの閲覧時間を短くする。
メガネに関しても、運転時に多用しているとはいえ、普段の生活において、外さずに生活してみて、具合を測ろうと。

すると、七〇、八〇センチあたりのピント合わせがしんどい。メガネは老眼対策に、遠近両用と、機能性盛り盛り。近くの文字は、レンズ下部で焦点が合うようになっていますが、普段生活している中で、最も多用するレンズ範囲の度が、確かにピントが合わせづらい。
両目よりも、片目ずつでみた方が、見えやすいことも。

メガネのレンズを新しくしてから、七年ほど経過している中で、老眼の進行(笑)、スマフォ画面の見過ぎで視力の悪化等々の事情で、制作されたレンズとの機能との間に、齟齬が発生している模様。

目の機能を回復させるか、再検査でレンズを新しくこさえるか、いずれの可能性も大切でありましょう。

ピントが合うというのは、大切ですね。
Posted at 2023/10/09 20:56:17 | トラックバック(0) | つれづれ | 日記
2023年10月08日 イイね!

味わいの不確実性

味わいの不確実性随分偏っている文章のアップを続けます。

ワインなり、日本酒なり、自然派、という文言について、素直に受け取れないというのが、私の現状であります。

なぜ素直に受け取れないのだろうかと考えていると、どこまでとどこからが、自然派なのか、その境界線の曖昧さというものを、自分の中で整合できないことにあります。

それはともかく、ある検索をしていると、ダーウィンの著作から自然選択と人為選択の比較をしている論文を見つけることができました。
これはまさに、私の欲している知識でありました。

まず人為選択とは、「人間は生物を外見で判断しその内部を見通せない、自己の都合により自然選択の働きを妨害する、判断は気まぐれであり、何世代も同じ目的で選択できない、生物にベストな環境を用意できない、育成環境を一定に保てない、生物にあった方法で育成できない、交雑を完全には防げない、といった特徴をあげる。」

そして自然選択とは、「生物の生存環境は長い間一定でゆっくり変化する、交雑は稀である、選択は確実に適したものを保存し劣ったものを破壊する、数千世代も安定して続く、外見には欺かれない、生物の生涯にわたって働く、と述べる。」

そして、自然選択とは、「固定的」であり、人為選択とは「変異的」であると区別します。

なるほど、私は、この固定的と変異的の評価を、逆の認識でいました。
自然な状態ほど、「変異的」であり、人為的な状態ほど「固定的」であると。

よくよく考えれば、自然とは、桜の開花を考えてみればそうですが、毎年、同じ時期に、同じようなサイズ、形状、色をした花を咲かせて散らせます。これを自然の再現性と捉えれば、自然は、少なくとも人間の生涯程度の時間経過では、変化は捉えにくいものでありましょう。それよりも、毎年同じ花を咲かせることに、人間には持ち得ない、再現性というものを認識していたとしても、そしてそれを、「創造主」が付与した特徴であると認識するというのも、わかる道理です。

無論、現代人の科学者にすれば、できるだけ、「創造主」に依拠しないで世の中の全てのものを説明するというのが、基本路線でありますから、ダーウィンの時代には、まだ、「創造主」に依拠する必要が高かった背景というものがあり、ダーウィンの研究にしても、それを排除していく過程のことでもあります。

自然が固定的であり、人為が変異的であるということは、人間の作り出すものが、自然に対してどれだけ再現性がないのかを証明しているのでしょう。

技術というものの存在が、ある自然状態を人間が再現するための手段だったのが始まりではないのかというのが、私の、上記の論文を読んだ感想になります。

原始の頃を想像すれば、火を起こす、ということが当てはまるのではないでしょうか。

そして気がつきます。

自然派という醸造酒に、付与価値を加える、味わいの不確実性というものが、自然選択とは固定的なものである、という区別の枠内ではないということに。

味わいの不確実性というのは、人為的な再現性を放棄する=自然選択な状態を印象付ける要因の一つだと考えていました。
しかし、自然選択な状態とは、「固定的」なものであるとされています。
それは、先ほど例にあげた桜の開花の自然状態の経過を考えれば、「固定的」であると認識できます。

では、なぜ、醸造酒の味わいの不確実性=自然選択な状態、であるとされているのか。

ワイン醸造における、原材料の葡萄の生産状況から考察してみましょう。

フランスにおける葡萄の生産には、人為的な育成について、大幅な制限が課されています。それは、自然選択の状態を意図する印象を与えますが、この状態が、葡萄の自然選択の状態であれば、毎年、その年の生育の環境条件によって、葡萄の味わいが変化をする、ということは、上記のダーウィンの区別から考えれば、自然選択の状態の葡萄からは、あり得ないことであります。

毎年味が変化をする、変異的であるということは、それは、原材料の葡萄の「人為選択」の状態を示しているのではないか。そして、「変異的」な人為選択状態の葡萄から作り出される、制限が課された(再現性の意図を抑えられた)技術による醸造においては、その醸造酒の味わいは、「変異的」であるというのが、論理的な思考でありましょう。

技術の本質から見れば、人為的な自然選択の状態(固定的)を目指すのですから、変異的であるということは、未だ技術の完成に至っていないことと、考えられます。

ここからわかることは、「自然選択」な状態というものを誤認、もしくは、あえて「誤認」しているのではないか、ということです。

なぜ「誤認」していることに至るかは、産業資本主義経済における技術というものがどのような役割を果たすのか、これが強く影響を及ぼしているのでしょう。

なるほど、自然派であると印象付けられると価値の上がる現在のワインビジネスにおいては、本来の意味する「自然選択」からは、影響を受けていないことになります。

そして、自然選択と人為選択は、相対比較されることに、なります。

自然派=自然選択的な味わい、というのは、本来ならば、固定化されたものであり(人間の寿命程度の時間経過では違いは分かりにくいのではないか)、相対比較されなければわからないとも言えます。

そしてその自然選択的な味わいというのは、結果、なんらかの機能を有したものにならざるを得ないのではないか。
たとえば、その生産地の自然環境に適した食中酒としての機能を有すこと。

人為選択においては、「変異的」な味わいにならざるを得ないものを、技術によって「自然な状態」=「固定的」な味わいを再現すること、これがひとつの本質なのだろうと。

固定的な味わいではないものは、そうでありたいと願っている、自然な状態であるのか。
ということを考えるに至ってしまいます。

この延長というか、派生としては、オーディオにおける「再生」ということが、どういうことであるのかというのも、見えてくるものではないか、と。
たとえば、技術による録音された音の再現、というのが「再生」という単語に込められているのではなかろうか、とも考えられます。
自然な状態=固定的とはどのような音であるか、変異的=人為的な音とはどのようなものであるのか。
再生音楽における自然な状態というものが、「生音」と表現されるのであれば、そうでありましょう。

Poloを運転していて体感しているのは、「常に」「自然に」感じられる動きがあること、であります。
Posted at 2023/10/09 02:05:28 | トラックバック(0) | つれづれ | 日記

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