
常用しているお味噌が切れましたので、買い出しに行きます。
こうでもしないと、Poloを使い出すタイミングがありません(苦笑)。
片道40キロほどの行程になります。
自動車専用道路を南下し、遠回りになる広域農道を使いつつ、目的地に到着。
制限速度を守らなければ、底をするようなシャコタンのブランドカーが
先導車になってしまったので、その後ろをのんびりと走らせます。
このような時でも、Poloの運転は心地が良い。
距離を走らせていない分のコンディションの低下はあるはずなのですが、
私に把握できるようなものではない(苦笑)。
味噌の買い出しを済ませ、次は家の買い物。
父親のベッドサイドの畳の上に敷く、ラグのようなものを探しに行きます。
ちょうどシーズンの切り替わりで、現品限りのお値打ち品があったので
その中から選択することに。
汚れてすぐ洗えることを前提にすれば、父親の気遣いも減らせるでしょう。
この日は、私の胃腸の調子を整えるためにも、絶食をするつもりでしたが、
出先で美味しそうなパンを見かけて、ついつい買ってから、絶食をしていたことを
思い出す程度の我慢しかできません(笑)。
絶食は無理になりましたが、食事量を落として胃腸の働きを休ませてあげましょう。
介護の動画を見ていると、認知症の両親が、介護をしに来る子供に対して、
家のものがなくなるのは、子供たちがつるんでやっているに違いないと、
やや認知症が進行している母親が、父親と、
子供がいない場所で悪口を言い合っている場面を見て、
あぁ、うちも同じだ(ろう)なと(苦笑)。
私の場合は、両親が陰口、罵詈雑言を周囲に話していたとしても、心無い私には何ら影響はありませんが、一般論で考えれば、身内でこれをやられると、しんどいですよね。
してあげているつもりはなくとも、何かを犠牲にしているのに、
当事者からは、ありがた迷惑以上の泥棒猫のような扱いを受けることに。
これも認知症介護のあるあるなんでしょう。
私たちの世代が直面しているのは、家族主義の崩壊と、個人主義の孤立という社会の変化に対して、防衛策が、お金を集めることしか普及されていないことです。
とはいえ、今更、家族主義に戻れというのは、私も無理ですし、社会も無理でしょう。西洋的な個人主義を通過した後の、また別の家族主義というものが、これから下の世代で生まれてくることは、想像に難しくはありません。ただ、割合は少なく、社会全体に良い影響を与えることができるかは、別です。
柄谷行人氏の、イソノミアの考え方は、ここに出てくるのかと。
うちの場合は、企むものもない状態で引き受けているので、そんなことを言われようなものなら、私が企むだけのものがあればいいのにね、と、やり返してしまいます。
物取られはないにしても、ヘルパーさんの介入に対して、嫌悪感を抱いている母親は、自分の意思を通すために、退院してきたばかりの父親に、ないことないことを話をして、ヘルパーさんを遠ざけようと企んでいたのでしょう。
父親の退院後の、せっかく整っていた段取りをひっくり返された後、
幾日か経ってから父親の話を聞くと、
ヘルパーさんたちの自分たちに対する態度が、
最初はものすごく硬かったことに驚いたと。
そういうもんかしらんと思っていたが、毎日顔を合わせて話していくうちに、
冗談を言い合えるような仲になれてよかった、と言います。
まだ父親は、社会とのコミニュケーションを諦めていないので
そのような父親に、ヘルパーさんたちの態度が硬いように思えたのは、
母親の、これまでの態度が全ての原因だと、改めて(何度も言っていたのですが)
伝えると、ようやくそのことを理解できた様子で、その後、随分と協力的にはなってくれましたが、自分の思うところもあるところは、介入を拒む傾向はあります。
動画の内容を見ていると、両親二人で話している時はずいぶん勇ましい、
威勢のいい、自分たちが被害者のムーブをとりますが、
いざ子供達を前にすると、母親は隠れ、父親は、言い訳に奔走します。
動画だけによらず、
私の両親も、私にとっても両親にとっても不条理な結果になる行動を取る理由は、
介護を受けている自分たちの尊厳を精一杯に保全するための作業なのだろうと、
理解はできます。
が、保全するために、誰かを傷つけても良いとなるとそれは別でしょう。
もう我良しの考えしかできないから、認知力が低下するのか、
認知力が低下したから我良しの考えしかできないのか。
母は、家族主義的な価値観を重きに置く地域から、こちらに出てきて、個人主義的な価値観、自分のことは自分で決めることができる、その自由さを手に入れたのは良いのですが、自分で決められなくなる時のことまでは、考えられなかった。
母の、外部からの介入を拒否するということは、反抗してきた家族主義的なものへの回帰になるとは、皮肉なものです。