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かわねこのブログ一覧

2024年08月04日 イイね!

初夏の東北旅 -6-

初夏の東北旅 -6- 昨夜はランタンの灯りでゆっくり読書…と思いましたが、やはり運転疲れなのか、21時過ぎに寝落ちしてしまいました。
 潮騒の音が子守唄のようで心地よく眠っていたところ、夜中に国道の駐車帯で休憩をはじめたトラックが、アイドリングを続けていたのがちょっとうるさい。けれど夢うつつに「ディーゼルだし、漁船の音だと思えばいいか」と思いつつ、眠っていました。

 しかしこの時期です。
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 朝5時には日が昇るので、そうなるとテントの中も暑くて寝ていられません。
 もっとも早寝したので、けっこう気分良く起きられました。

 今日は秋田まで移動する以外まったく予定がなく、かなり余裕もあるので、朝食後も気持ち良いこの場所でのんびりしました。

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 沖を行く船は、船型と船体の色から、海保の巡視船ですね。意外なほど沖のエンジン音が響いてくるのは、海面を伝わってくるのか。

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 ぜいたくにのんびりしたひとときを過ごし、9時過ぎにやっと撤収です。
 乾燥していたので、テントシートも濡れていなかったのが幸い。昨夜は風対策にガイロープもフルに張りましたが、ここまでしっかり張ったのは初めてかも。通常使っているペグだけでは足りず、テントに付属していた針金みたいな細い予備ペグまで動員したので、ペグを買い足さなくては。

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 出発して、海沿いを走っていると、沖に大きな白い船が見えました。

 これ、新日本海フェリーで、ちょうどタンカーを追い越しています。これは秋田港を出港して、苫小牧東港に向かう北行便。明日はこれに乗って北海道へ帰るのです。
 逆に数日前に乗船していた、秋田港へ向かう南行便も通っているはずですが、見逃しています。 

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 時間があるので、昨日行く予定だったキャンプ場もちょっと気になって寄ってみたところ、なんと、オープン前で閉鎖中ではありませんか。
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 そこから降りた海岸も、トイレはあったものの駐車場だけで、テントを張れそうな場所もなく、昨日ここまで来ていたら、呆然としたことでしょう。
 昨日の幕営地を見つけられたのは、本当にラッキーでした。


 さらに南下して、時間があるので、近くにあった深浦の郷土資料館を訪ねましたが、同じ建屋内にある美術館との併設でスペースが狭く、展示品は特に珍しいものはありませんでした。美術館の方もそのまま観覧できましたが、美術に造詣がないかわねこ、よくわかりません。(笑
 資料館にしては珍しく、館内の撮影が禁止だったのは残念です。

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 続いて近くにある、おそらく民間運営ではと思われる、北前船の展示館「風待ち館」にも行ってみました。
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 こちらは撮影可で、館内にでん、と置いてあるのは、北前船の精巧な模型。スケール1/3とのこと。
 しかしこれの3倍、と言っても、現在の釣り船より少し大きい程度。こんなので、荒ぶる日本海を航海していたのかと、驚くばかり。
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 こちらの方は、展示物が北前船関連に限定しているだけに掘り下げているので、興味深かいものでした。

 2階は北前船で運ばれてきたという、陶磁器類が展示されていましたが、あいにくかわねこは、こちら方面もさっぱりわかりません。(笑


 さらに南下し、ちょうどお昼に八森の道の駅を通りかかったので、昼食。
 いか焼きそばに後ろ髪を引かれつつも、目に入った「ざる中華」が気になってオーダー。
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 何が中華なんだろう?と思って食べてみたら、蕎麦ではなく中華麺でした。
 出汁にも意外なほど合って、美味しかったです。

 てことで、さらにさらに南下。 しかし、ここから無常にも雨が降り始めてしまいました。当初の予報では曇りだったのですが、本降りです。(泣

 能代市内に入り、給油しましたが、単価が高いのに閉口。安い青森市内で入れてくれば良かった、と思ってももう遅い。

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 わずかな望みも虚しく、雨も強まって来たので、当初の男鹿半島を周遊しようという目論見は諦め、早めに秋田の宿に入りました。

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 いわゆる健康ランドですが、カプセルルームがあり、ビジホよりずっと安いのです。
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 温泉にも入れてご飯も美味しく、漫画もたくさん置いてあります。フェリーターミナルにも近いことから気に入って、近年秋田乗船の場合はいつも使っています。

 そして翌早朝4時半、秋田港へ向かいました。

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 霧雨の中でしたが、着港の様子を見ずにはおれません。(笑

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 そして乗船。さらば東北。もうしばらくは来られないなあ。

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 帰りは7月に入ってしまったことから、割引キャンペーンは終了していたので、素直に2等寝台を取りました。どうせ午前中に少し仮眠する程度で、あとはフォワードサロンかプロムナードで読書していることが多いのでじゅうぶんです。

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 お、今日の映画は「トップガンマーヴェリック」か。船内に上映用ホールがあり、無料で観られるのです。もちろんしっかり鑑賞。

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 しかし時折陽はさすものの、陸側がガスっていたので、楽しみにしていた、渡島半島を眺められなかったのは、なんとも残念。
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 でもゆっくり読書できて、贅沢に昼風呂、昼寝もできて、ゆったり船旅を満喫して、苫小牧東港に無事定刻着港。

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 のんびり峠越えをしても、ぎり、明るさが残っているうちに帰投できのでした。

 これで少し早い夏休み?は終わりです。5月6月、土日もがんばったかいがありました。(笑

 てことで、最後にお約束を。

 「どぉしてお休みの日々って、ああっとゆうまなの!」
 


Posted at 2024/08/04 22:01:05 | コメント(0) | トラックバック(0) | 遠征 | クルマ
2024年08月03日 イイね!

初夏の東北旅 -5-

初夏の東北旅 -5- 龍飛へ向かうと、途中に雰囲気の良い漁村があったので、思わずクルマを停めてしまいました。

 こういう「舟のガレージ」って、なにかいいですねえ。
 漁師さんにとっては、大切にするのは当たり前なのでしょうけれど、舟は生活の一部というかんじがします。
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 岬の手前に青函トンネル記念館があり、見てみようかとクルマを降りました。
 記念館内にある、140m降下するというケーブルカーにちょっと興味を持ちましたが、残念ながら次の発車まで1時間もあったので諦め、岬へ移動。
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 竜飛岬と言えば、津軽海峡冬景色…よりも、やっぱりこの階段国道。

 ここ、20年以上昔に、GSFでのツーリングでも来ていたのを思い出します。

 階段を降りてみてもよかったのですが、降りると当然登ってこなくてはならず、先ほど蟹田の展望塔階段で体力を使ったのでパス。(笑

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 なので迂回する道路をクルマで降りてみましたが、下の階段はこの地味さ。なんと民家の軒先です。

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 ここからは南下です。道端になんかいるな、と思ったら、猿でした。走行中に撮ったので、写真はぶれまくりですが。さすが東北。それもけっこうな数がいました。

 ありがたいのはエゾシカと違って、頭がいいので、ホーンを鳴らすと避けてくれること。(笑

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 龍白ラインは標高が高いせいでガスっていました。
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 が、降りてくると晴れて海が見えるのが嬉しい。

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 十三湖からは、国道を外れて県道を南下。遠くには、岩木山も見えてきました。
 のんびり走れるのは良いけれど、さて今日はどこに泊まろうか。

 まだ風は強いけれど、天気は回復したので今日こそ幕営したい。
 そんなことを考えつつ走っていると「木造(きづくり)」の地名が目に入りました。

 それはかわねこには、とても懐かしい地名なのです。就学前の幼い頃、伯父一家が木造に住んでおり、訪ねたことを遠い記憶の底に思い出しました。
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 なので地名に惹かれて、木造出来島の海岸へ行ってみます。
 伯父を訪ねた際に、かわねこが生まれて初めて海水浴をしたのが、この木造でした。お盆の時期だったのでしょう。海岸にクラゲがたくさん打ち上げられていて、その不思議な生物をじいっと観察した記憶があります。

 海水浴場ならテントが張れないか、と思いましたが、まだ海開きの前。トイレも閉鎖されており、海岸も清掃前でゴミだらけ。さすがに幕営は諦めました。

 素直にキャンプ場を探したほうがいいかな、とスマホアプリで検索してみると、さらに南下した深浦にはキャンプ場があるようです。
 まだ距離はありますが、日が長い今の時期なら、暗くなる前に辿り着けるかもと、行ってみることにしました。

 と、手前の鰺ヶ沢には、国道沿いにスーパーがあったので、これ幸い夕食と、暑かったので氷を調達。

 水と食料さえあるなら、かわねこ的には最悪「野宿」という選択肢もあるので、ちょっと気が楽になりました。
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 とは言え、疲れてきたので深浦のキャンプ場まで辿り着く前に、条件が合えば海岸ででもテントを張りたいのも本音。
 このあたりの海岸には海水浴場も多く、トイレなどがあるかも、と、行ってみるものの、いずれもゴミだらけだったり、トイレが使えなかったり。


 そんな中、国道沿いにかなり広い駐車帯があり、大きなトイレがあるのを見つけました。
 中もきれいで、ちゃんと使えます。ここも海水浴場客用でもあるのでしょう。着替え室までありました。

 このトイレなら使いやすそう。でも問題はどこにテントを張るか。道路向こうの海岸はどうせゴミだらけだろうと思い、見渡すとトイレ横の駐車スペース脇には、雑草が生えていますが、なんとかぎり、テントは張れそうなスペースがあります。
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 もうキャンプ場を探す気力は失せて、ここで強引に展張を開始し、風は強かったけれど、設営完了。
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 トイレからも少し離れているので、そこに寄るクルマがあっても、こちらまでは来ないだろう。
 海が柵越しなのと、国道が眼の前だけど、贅沢は言えないな。
 と思いつつ、テントを張り終えると落ち着いたので、ちょっと海岸まで散歩に歩いてみました。

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 するとなんとしたことか。
 道路下には、広く平らなスペースがあるではありませんか。

 しかもこちらにもトイレがあり、ちゃんと使えるどころか、自動点灯の灯りと、トイレットペーパーまで装備されています。

 国道より少し下がっているので、クルマからは見えるものの、先ほどの駐車スペースよりも目立たず、しかも周りがきれい。海も眼の前です。
 これはこちらにテントを張らないほうがおかしい。
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 というわけで、打ち込んだペグを引き抜き、さっそくテントを移動します。

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 ここは駐車スペースではない通路ですが、脇を通れるようにあ~るくんを寄せて停め、実際翌日まで誰も来ませんでした。
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 いやあいいです。
 眼の前は海。風はまだ強く、少し冷たいのと、水平線近くに雲がかぶってしまったものの、沈みゆく夕日を眺めているだけでも幸せ。

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 そして今日の夕食はこれ。
 日中が暑かったので、実のところ火を使う料理をあまりしたくなかったのと、スーパーの惣菜コーナーを見ていたら、安かったので。
 実際この内容で500円は、地元ならではのコスパで、なかなかの美味しさでした。
 ちょうどちび麺も安売りされていたので、お湯を沸かしてカップ麺で味噌汁代わり。寿司の相手なので、ラーメンではなく、天そばです。

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 海は強い風で白波が立っていますが、海水浴場だけに消波ブロックが効いていて、潮騒もいいかんじに優しい。

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 ぼぉっとしていたら、背後で急に列車の音がして驚きましたが、道路の向こうは線路なのでした。
 夜中に貨物列車が通ったらうるさそうだなあと思いましたが、幸い早い終電の後は何も通りません。

 最後に逆転したような気分で、心地よく暮れなずむ海を眺められたのは、贅沢なひとときです。
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 夜半には吹き荒れていた風も止んでくれ、国道を通るクルマも少なくなったので、静かな夜を過ごすことができたのでした。



つづく


Posted at 2024/08/03 22:05:51 | コメント(1) | トラックバック(0) | 遠征 | クルマ
2024年08月02日 イイね!

初夏の東北旅 -4-

初夏の東北旅 -4- なんだかんだで、快適なベッドで翌朝まで超絶爆睡だったのは、それまでの法事疲れが出たのでしょう。そういうことにしておきましょう。(笑

 さて、今日はまず、行きたいところがあるのです。
 それは、青函連絡船メモリアルシップ「八甲田丸」。

 ご存知のように、1988年の青函トンネル開通により、青函連絡船はその役目を終えて全船退役したのですが、そのうちの一隻、八甲田丸は青森桟橋に係留された状態で保存され、現在も博物館として見学可能なのです。船好きとしては、これはぜひ見たい。

 青函連絡船は函館にも、摩周丸が係留展示されていて見たことがありますが、プロムナードのみの展示で、ほとんど見るところがありません。

 それに対して八甲田丸は、実をいうと30年ほども昔に、青森を訪れた際にいちど見学しているのですが、ブリッジから機関室、車両甲板と公開範囲が広く、なかなかに興味深い展示だったので、ひさしぶりにまた見たくなったのです。

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 ということで、さっそく向かいました。と言っても、宿が青森駅のすぐそばだったので、数分もかからず行ける…はずだったのですが、うっかり青森ベイブリッジを渡ってしまい、戻るのにもあちこち曲がらねば行けず、ナビに案内されて15分ほどもかかって、ようやくたどり着きました。これならクルマを駐車場に置いたまま、歩いて来た方が早かった。(笑

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 黄色い船体は、36年、いや就航期間が23年あったので、実に59年前のものですが、ペイントの色褪せこそあるものの、堂々たる佇まいはそのままです。

 その昔の学生時代、当時は実家が北海道にあり、帰省する際に青函連絡船にはなんども乗船しました。青森までの移動は鉄道でしたが、それよりも旅ができること、青函連絡船に乗れることが楽しみで、思えばあの頃から船好きになったような気がします。

 受付を済ませ、さっそく中へ。ここはJAF割が効くので、料金はたったの460円。こんな単価で維持費が出るのだろうかと、いらぬ心配も。

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 そうそう、こんなリアルな人形で、昭和時代のジオラマがあったっけ。
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 解説ビデオによると、これらのジオラマは、この展示のために作られたものではなく、1992年にイタリアの国際博覧会に展示するため作られて、青函連絡船の僚船だった羊蹄丸内に飾られ、船ごと海外で展示されたもの。そして帰国後に、東京の船の科学館で展示され、羊蹄丸がついに廃船となる際に、それらを八甲田丸に移設したのだそうです。
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 なるほどかなり精巧に作られているので、確かにこれは保存しないと勿体ない出来栄えです。
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 昭和当時の青森の状況を伝える意味でも、なかなかに貴重なものだと思います。

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 船内は、座敷席こそ展示スペースになって現存しないものの、グリーン椅子席はそのまま残されていました。
 その昔、どうしてもこのシートに座ってみたくて、自分の小遣いでグリーン席代を出して乗った記憶があります。
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 ここでは前方のモニターで、当時の貴重なビデオ映像が鑑賞ができるのですが、上映時間がなんと2時間もあるので、さすがに30分ほどで切り上げました。
 椅子の一部は経年劣化で使えなくなっていたので、ここもいつまで展示されるのでしょうか。

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 続いては操舵室です。
 1954年の洞爺丸台風での大事故以降、第2世代ともいうべき青函連絡船は、当時、技術の粋を集めてつくられた、最新鋭船でした。その技術は後に民間のフェリーなどにも広く使われ、大型船のスタンダードになったとも言われています。

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 レーダーをはじめ、当時の最新鋭機器も装備されていました。機関調整のレバーでしょうか、なんとなく鉄道っぽい感じがするのは、青函連絡船ならではでしょうか。
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 そう言えば修学旅行も北海道で、青函連絡船の操舵室の見学がありました。いい思い出です。

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 こんな大きな船体ですが、舵輪は意外と小径で、大型トラックのそれよりも小さいほど。
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 操舵室の後方には、無線室があります。
 思えばこれで冬の津軽海峡を定時運行していたのですから、かなりの技術だったはず。

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 操舵室からは甲板に出ることもできますが、なんと煙突の上が展望台になっています。
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 煙突内部って、こうなっていたのか。某宇宙戦艦ではないので、ミサイルを発射したりはできません。(笑

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 後部甲板にスペースが空いているのは、就航後期に改造されて、乗用車のみ12台が積めるようになっていたから。鉄道からクルマへ移動手段が変換していった時代に合わせようとしていたのです。

 でも、フェリーではなく青函連絡船にクルマが積める、というのに憧れがあり、いつか自分のクルマを積んで津軽海峡を渡りたい、と思ったものでした。ついにかないませんでしたが。
 ちなみにクルマは函館ではスロープで、青森ではエレベーターで乗下船をしていました。

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 エレベーターで1階甲板に降りると、この船の最大の特徴、車両甲板に出ます。
 車両と言ってもこちらはクルマではなく、鉄道のそれ。甲板にレールが敷かれていて、直接鉄道が乗り入れできるのは、世界的にも珍しいのだとか。

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 当時の客車も置いてありますが、実際には貨物車両が積まれることがほとんどで、客車が乗ることはまれだったはず。

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 車両の固定は連結器。
 もちろん、現在のフェリーにトラックが乗船する際のように、ワイヤーでも固定されていました。

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 最後尾のゲート。
 沈没した洞爺丸の時代まではこの後部ゲートがなく、後部甲板が開放されたまま航海していました。蒸気タービン船だった洞爺丸は、後部に低気圧による大波をくらって機関室に海水が入り込み、発電機が停止、その上石炭が流出して釜の火が消え、航行能力を失ったことから漂流して、座礁、沈没してしまったそうです。

 その対策に、この時代から機関もディーゼルに進化して、後部ゲートが付けられましたが、夏の穏やかな時は、開けたまま航海することもあったようです。

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 その機関室。駆動に使われる主機は、V型16気筒のディーゼル機関が8機あり、合計出力は1万2千馬力を誇りました。
 ただ、性能重視のあまり、通常、燃料は重油を使うことが多い大型船舶にあって、軽油が使われていたため、運航コストはかなりのものだったとか。就航後期には、燃料節約で主機を何機か停めての運用もしていたようです。この燃料コストの高さが、青函連絡船が生き残れなかった要因のひとつとも言われています。
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 一部はロッカーカバーが開けられていて、バルブスプリングが見えています。船舶用エンジンなので、動弁系式はよくわかりませんが、当時としてはかなり贅沢な機構かと。

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 主機は船の推進力にのみ使われるので、別に発電専用のエンジンが積まれています。船は操船、通信に電気が重要なので、こちらも直列8気筒のディーゼルで、予備を含め3機搭載されています。

 なにしろ造られたのが1950年代です。当時はまだ国鉄時代なので、国の威信と国策だったからこそ、こんな相当に進んだ船の建造が可能だったのでしょう。

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 この可動橋を含め、2011年に機械遺産に登録されているとか。

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 ペイントこそ褪せてはいますが、船型は今見てもきれいですね。

 しかしやはり維持管理費用は莫大なものであることは、想像に難くなく、HPでは寄付を募っています。
 今は当時関わっていた方とか、乗船した経験から思い入れの深い方も、特に青森では多いのではと思われますが、今後世代が変わっていった時にどうなるのだろうとも思います。今回もういちど見たかった理由もそこにありました。杞憂に終わればよいのですが。

 以前見学した時は、船員室の一部も公開していましたが、閉鎖されていました。各部も老朽化は進んでいくので、いつまで見られるのでしょうか。

 それにしても、見学料金が安すぎるような気がします。今なら倍くらいしても、あの内容なら文句は出ないのでは、と思うのは船マニアだけでしょうか。(笑

 てなことで、かわねこは予想通りたっぷり2時間堪能しました。朝いちで来て正解です。

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 さて、ここからは竜飛岬へ向かいます。
 国道280号線で北上しますが、並走のバイパスではなく、あえて旧道を走りました。こちらのほうが、町並みが見えて好きなのです。

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 蟹田では、ちょうど停泊しているむつ湾フェリーが見えたので、ターミナルに寄ってみました。

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 ふだん乗っているフェリーからすると、かわいいサイズですが、むつまで所要1時間の生活フェリーです。
 実は下北半島へ行って、むつからここまで乗船することも考えたのですが、クルマごと乗ると、軽自動車でも8000円台となかなかのお値段なので諦めました。

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 駐車台数が多いので、クルマを置いて人だけ乗船するパターンも多いのでしょう。
 ターミナルビルが意外と立派で、展望塔もあるので登ってみました。

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 しかしエレベーターはなく、階段のみ。しかも134段。日頃の運動不足が実感できる段数です。(笑
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 天気が良かったので眺望も望めましたが、津波災害時の観測目的もあるのかもしれません。

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 降りてくると、2階の階段前にずいぶんと重圧な扉があります。
 人が出てきたので、会議室かなにかかと思ったら、意外にも中華料理店でした。

 時刻は昼すぎ。なので、ここで昼食を摂ることにしました。
 ここまでの道中あまりお店がなく、コンビニすらターミナル前でやっとあったので、ここで食べておきたかったのです。

 店内は他のお客さんがいたので撮影しませんでしたが、扉のイメージと違って普通のというか、ちょっと社員食堂っぽくもある、町中華的カジュアルな印象でした。
 常連さんも多く、おそらくはターミナルビルの社員食堂の役目もあるのでしょう。

 焼きそばに惹かれたのですが、残念ながら品切れだったので、ネギラーメンを注文。
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 これがいかにも町中華のラーメンという味わいで、ネギがいいアクセント。美味しかったです。^^
 ラーメンに満足して、さらに北上を続けます。


 つづく 




Posted at 2024/08/02 21:34:59 | コメント(3) | トラックバック(0) | 遠征 | クルマ
2024年08月01日 イイね!

初夏の東北旅 -3-

初夏の東北旅 -3- 法事も無事終わって週が開け、ここから本当にお休みです。(笑

 前日夕方から降り始めた雨は、朝になっても止まず、まだ少し残っていました。
 そんなわけで昨日、地図をじっくり眺めてルートを考え、当初は海沿いを走ろうかと思っていましたが、雨模様であまり景色も期待できないのと、その昔、国道4号線を北上した時は夜走だったので、日中景色を眺めながら街道を走るのも悪くないかな、という思いから、真っ当に北上することになりました。

 以前は八戸航路で帰る時も多く、その際は高速を走るか、海沿いに北上していたので、内陸の街道沿いはあまり既視感がなく、楽しめるものでした。
 そうこうするうち、雨もあがって時折晴れ間も見えてきたのは、嬉しい限り。しかし、低気圧の影響で、かなりの強風が吹き荒れ続けています。
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 七戸からは、小川原湖畔をかすめ海へ向かって進みます。今日はコッペパンを仕入れてきているので、お昼はどこか景色の良いところでのんびりと、と思いながら走っていると、ちょうど良い広場があったので、あ~るくんを停めました。
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 ここは高瀬川の河口です。遠くに見えている施設は、射爆管制所でしょうか。そう、この対岸は対地射爆撃場で、これ、自衛隊の施設かと思ったら、米軍三沢基地の施設でした。

 相変わらずごうごうと強風が吹き続けていて、クルマが揺れるほどですが、時々ごぉっと突風の音がするなあ、と思っていたら、突風ではなく、爆撃音ではないですか。見ると、林の向こうに黒煙も見えました。さすが基地の街。

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 お昼の後は、さらに北上して六ケ所村に入ると、それまでの寒村的な風景が一転、巨大な施設が現れ、行き交うクルマの数もかなり増えて来ました。
 日本原燃の核燃料処理施設ですね。それまでは、農家が点在するだけの場所だったのに、ここだけやたらとクルマの通りが多くなっています。
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 当初の予定では、このままさらに北上して、むつか大間まで行って、下北半島をぐるっと回ろうとかとも思っていました。しかし過去に何回か走っていますが、下北半島は移動にものすごく時間がかかることから、今回はパス。
 あまり時間に追われたくなかったので、ここから、目的地を夏泊半島へ変更して向かいました。
 
 しかし。どうしたことか。
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 夏泊に向かうにつれ、時折見えていた晴れ間はなくなり、どんにょり雲天になってしまったばかりか、霧雨まで交じって来るではありませんか。
 おかしいな。今日の予報では曇のち日没後に晴れだったのに。
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 実は今回幕営も楽しむべく、野営装備一式を積んでいたのです。しかし予定していた椿山の海水浴場に到着しても、雨は止む気配がないどころか、ワイパーをふつうに使うほどの本降りになってしまいました。本当なら、まだ海開きの前ですが海沿いにテントを張って、対岸の下北半島を眺めながら過ごすのを楽しみにしていたのに、どんにょり天気でかすみ、半島も見えません。

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 時刻はまだ15時前。なのでもう少し様子をみることにし、浅虫水族館へ行って時間を潰すことにしました。
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 夏休み前の平日でしたが、ちらほらと旅行者らしい家族連れの姿も。
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 かわねこ、実は水族館がけっこう好きですが、家族連れが集まっていたイルカのショーとかよりも、こういう小物系が好きなのです。
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 クラゲも数種類飼育されており、深海種はきらきらと光ってきれいでした。

 なんだかんだでゆっくり見学して16時過ぎ。しかし外へ出てみても、やはり雨は降り続けています。スマホで雨雲レーダーを確認しても、雨雲は見当たらず、予報も曇りのままなのに。(泣

 あまりあてにならない天気予報を信じて、幕営を強行するべきか悩みましたが、もうひとつの懸案は、今日1日じゅう吹き荒れている大風。この風もまた、明日まで収まる予報ではなく、現状はテントを張るにも、飛ばされないか心配なほどです。
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 心折れて、今日の幕営は諦めることにしました。
 あ~るくんは、後席と助手席を倒せば、車中泊もなんとか可能ではありますが、この時は装備などをいろいろ積んでいたため、ベッドモードにするためには後席の荷物をすべて運転席側に移さねばならず、なかなかに厳しい。やっぱりベッドキットが付いている、エスクで来ればよかったかなあなどと、ちょっと弱気モードに入ってしまったのと、車中泊にしても寝るまで外で過ごせなければ楽しくないので、宿泊決定。

 このさい贅沢は言わず、雨風さえしのげれば、木賃宿でも良いと検索してみると、折よく街なかの安いビジホが取れたので、移動しました。

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 まだ17時前なのに観光客も多いのか、ホテル前の駐車場が満杯で、案内された提携駐車場が300mも離れていたのには閉口しましたが、部屋は狭いものの、比較的きれいで明るく、価格以上の快適さだったのは幸い。
 エレベーターや風呂場などの様子から、部屋はリフォームされているものの、建屋自体がかなり古いものだったことから、安かったようです。

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 夕食に出かけると、無常にもいつの間にか、青空が広がっているではありませんか。
 まあでも、相変わらず風はごうごうなんですが。

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 歩いて2分ほどのすぐ近くに食事処があったので、入ってみました。
 70歳代後半と思しき大将ひとりでやっているお店で、お勧めだった本日の鯖定食をオーダー。青森なのでまぐろも考えましたが、特段マグロ好きではなく、どっちかと言えば鯖の方が好きなのです。
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 これが魚はもちろん、付け合せのナス煮といい、おひたしといい、実にいい味でした。ボリュームもたっぷりで、すっかりお腹いっぱいになって、機嫌が治る単純さ。(笑

 宿の広めのベッドに寝転んで、ゆっくり読書し、この日も22時過ぎには寝落ちしてしまうのでした。


つづく





Posted at 2024/08/01 21:22:32 | コメント(0) | トラックバック(0) | 遠征 | クルマ
2024年07月31日 イイね!

初夏の東北旅 -2-

初夏の東北旅 -2- 下船して、いつもなら山間の抜け道を通って実家へ向かうのですが、今日は夕方まで着けば良いので、もちろん遠回りをしてドライブ。
 週末なこともあるとは思いますが、そもそも秋田って、クルマの数が多いような気がします。

 旅の後半で北部へ行くことになっていたので、なんとなく南側へ向かってから東進して、北上あたりに寄ろうかなあと思ったところで、忘れ物をしたことに気づきました。
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 それは東北の紙地図です。スマホアプリとポータブルナビはありますが、古い人間のかわねこ、やはりルートの検討は、紙地図をじっくり眺めたいもの。
 しかし忘れたものは仕方ないので、スマホでだいたいの方向を見定め、まずは大仙市へ向かうことに。

 少し意外だったのは、国道13号が、秋田市街を抜けても4車線の立派な道路だったこと。そして意外に流れが速いのです。
 ですが、ろくにウインカーも出さずに車線変更する輩が多い十勝よりも、きちんと合図して合流するなど、総じて運転マナーは良い印象でした。

 天気の良い週末なので、郊外に遊びに行くひとが多いのだろうかと思いつつ、のんびり走りましたが、道の広さといい、町の雰囲気が、同じ日本海側のためか、なんとなく新潟と似ているなと感じたり。

 で、飲み物を買うのにコンビニに寄りました。昔だと安い地図が売っていたりしたものですが、昨今は雑誌類しかないのは時代ですね。まあ、これだけスマホアプリが普及した現在では、わざわざ金を払って地図を買うひともそういないのでしょう。
 また、その昔は道の駅や、高速のSAで、所在県内の道路地図が無料配布されていたものです。北海道では、毎年ホクレンスタンドが配布を行っていた道内地図が好評で、わざわざこれを集める旅行者もいたほどだったのは、もう昔のこととなりました。

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 大仙市に入ると、やはり有名な米どころ。郊外には、美しい田園風景が広がっています。
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 思わず国道を外れ、あぜ道に踏み入れて風景を眺めたりしました。
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 昨年夏の帰りに、横手市を通った際に広大な水田を見て、幼かったはるか昔、大仙市に来ていたことを思い出しましたが、遠い記憶の風景は、きっとこんなだったような気がします。
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 そんな昔のことを思い出すのは、やっぱり歳なんでしょうか。(笑

 大仙からは山越えをして、東へ進みながら、もうひとつ行ってみたい地名を思い出しました。
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 東和町にある田瀬湖です。
 もう20数年も前、かわねこは既に北海道に住んでいましたが、当時の仕事が東北も担当しており、東北地区販社の販売会議と親睦に、各県から集まってもらう場所として、田瀬湖を会場に選んだのです。
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 なぜ田瀬湖が候補に上がったのかは、もう忘れてしまいましたが、下見のために事前に現地を訪れ、当時の東和町(現在は花巻市)役場の観光課を訪ねたところ、若い職員さんが「ぜひに」と、それは熱心に誘致されて、決めたことを思い出しました。
 
 近くにある民宿も紹介してくれ、この民宿がまた「ここは何もないので…」と言いながら、田瀬湖名産の鯉料理をはじめとする、美味しい夕食を振る舞ってくれたりと、とても良くしてくれたので、和気あいあいと、良い懇親会になったことを覚えています。
 残念ながら、翌年は同一県ではなく、各県を巡るほうが良いのでは、というメーカー側の意向で、田瀬湖での開催は1回限りになってしまい、さらに業界の状況も変わって、東北の合同会議自体がわずか2年で終了してしまったのは、残念でした。

 道沿いに当時の民宿も見つけましたが、既に閉館しており、あれからもう20数年も経ったのか、と感慨に浸れるのは、自分がそれだけ歳を取ったってことですね。(笑

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 と、道沿いに、なにやら船が置かれているのを発見して気になり、寄ってみました。

 田瀬湖では、前述の鯉漁などが盛んなので漁船かと思いきや、なんとかつての渡し船だそうです。
 田瀬湖はダム湖なので、完成後の昭和の時代、道路が整備されるまでは対岸の集落との交通手段がなく、対岸地区と往復していたそう。
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 操縦席の舵輪が年月を感じます。
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 しかしエンジン、むき出しなのか…。
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 それどころかフライホイールすらむき出し。怖ぇ。(笑
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 と思ったらば、実際に運航していた時代には、キャビンが付いていたようです。そりゃそうですね。
 でも思い出すと、子供の頃に乗った小型の観光船などは、客室下にエンジンがむき出しで置いてあり、ロッカーカバーもなくて、バルブが動いているのが見えた記憶があるので、昭和の当時はそんなものだったかも。

 しかし、こんな歴史があったとは。資料館を見たかのような楽しさでした。

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 途中見かけた、南部曲り家なども見学しつつ、ここからさらに北上。それにしてもあまりに暑いので、とうとう諦めて、エアコン嫌いのかわねこも、エアコンを稼働。とたんに、あんなにキビキビ走っていたあ~るくんが、ちっとも走ってくれなくなってしまいました。(笑

 ここまでの途中で、大きめの本屋も見つけたので、地図を諦めきれずに寄ってみましたが、分厚い全国版の地図帳ばかりで、かわねこが愛用していた「リンクルミリオン」シリーズなどはありません。もっともこれは、出版元のミリオン出版自体がもうすでにないので、なくて当たり前ですが。
 せめてB5のツーリングマップルを…と思ったけど、これも今はスマホアプリが主流なためか、在庫はありませんでしたが、なくてもまあ困り果てるものではないので諦めようと思った時、途中にイオンモールがあることを思い出し、そうだ、ここなら大きな本屋があるかも、と、寄ってみました。

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 そうしたら、ありましたよ。
 ライトマップルシリーズという、ちょっと薄めの地図帳です。これ、各県別のものは他でも見かけましたが、これは東北6県版なので便利です。
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 蛇足ですけど、愛用している今はなきリンクルミリオンシリーズって、このようにリング綴じだったのです。そのため、ラリーのペースノートのように、見たいページを開いたまま置いておけて便利なので、未だに2014年発行のこれを、後生大事に使っています。
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 一冊1000円というリーズナブルさで、昔はコンビニで売られていたものですが、今はこういう需要もないんでしょうねえ。

 と、今日は感慨にふけることの多かった日なのでした。


つづく


Posted at 2024/07/31 21:58:23 | コメント(1) | トラックバック(0) | 遠征 | クルマ

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「急に夏らしく暑くなってきた十勝。ちょっといろいろ仕事面でイライラが募っていた帰りに、スーパーに寄ったら、5歳くらいの男の子を連れたお母さんが、店外に出たところで「今日はムシムシするねえ」と言ったら、男の子が「虫虫?どこにいるのっ!?」と反応していて、癒やされた。(笑」
何シテル?   06/13 20:22
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